歴史スポット散策す
- 2018/04/06
- 12:47
さて、長崎という街ですが、とにかく見所いっぱい!
大浦天主堂、グラバー園、オランダ坂、原爆史跡、
眼鏡橋etc・・・
ともかく1泊2日で廻るのは難しいので、
テーマを決めて行き先を絞ることとしました。
それは港町・長崎の歴史を巡る旅
今回は歴史の教科書でお馴染みのスポットと、
長崎とも縁深く、日本史上有数の人気を誇るあの人物に
関係した場所を訪れました。
それでは、参りましょう!

ホテルに荷物を預け、まずやって来たのは長崎港
入り江状の奥まった地形に加え、周囲を山々に囲まれ
風の影響も受けにくい、天然の良港。

長崎港は三菱重工長崎造船所が置かれており、
大型船舶の建造・修理・改造が行われています。
この日も巨大なガス運搬船や・・・

海上自衛隊の護衛艦が停泊中!
桟橋から港を一周する遊覧船や軍艦島(端島)上陸ツアーに
出発するのも魅力的ですが、ここのお目当ては・・・

港に面し、アメリカの港町を想起させるカラフル建物が並ぶ、
出島ワーフ
海鮮料理店や中華・洋食・イタリアンといったグルメから、
カフェ、アウトドアショップ、観光案内所まで選り取り見取りな
複合商業施設です。
この日はここでお昼ごはん。

入店したのはこちら、海鮮市場 長崎港
地元で獲れた魚から定番メニューまで取り揃えたお店。
店内にはいけすも設けられており、水から揚がったばかりの
海の幸まで楽しめます。
私の席はいけすのすぐ傍で、ちょっと覗き込めば
フグが泳ぎ回る姿が見えました(笑)

メインが来る前に一品。
今が旬のきびなご刺身
もちろん地物であり、その鮮度を表すが如くその身は
眩いばかりに輝いています!
骨まで噛み切れるほど柔らかく、あっさりとした味は・・・
なんかビールが欲しくなる(これから散策なので自重)

こちらが定番、海鮮丼
マグロ・サーモン・イクラ・ウニ・タコ・イカと、
王道と言うべき具材がたっぷり載せられています。

さて、この日の目的地へ。
中島川に面して広がる扇形の地形・・・
歴史の教科書でお馴染み、出島です!
寛永13(1636)年、長崎市内に雑居していたポルトガル人を
一か所に集め、キリスト教の布教を防ぐ目的で築かれました。
中島川河口に堆積した土砂の上から
さらに盛り土をする形で扇形の築島が形成され、
面積は約15000㎡。周囲は石垣や塀で囲まれ、
長崎の街への出入口を1ヶ所に限定された上、
人の出入りは厳重に監視・管理されていました。
寛永16(1639)年にポルトガル船の来航が禁止された後、
寛永18(1641)年に平戸からオランダ商館が移され、
安政6(1859)年に神奈川・長崎・箱館(現在の函館)が開港となるまでの
およそ200年間、西洋に対して開かれた唯一の門戸でありました。

現在、出島への入り口は三ヶ所。
こちらの水門は貿易の際の
荷物の搬入と入国者の身体検査を行う場でした。
今で言う税関と入国審査場を兼ねた施設、といった所でしょうか。
なお、貿易時以外は固く閉ざされていたそう。

水門の傍に、石垣が露出しています。
荷物の積み下ろしを行う「荷揚場」に面して築かれたこの石垣は、
3度に亘って築足しされ、時期によって
石材や石積みの技法が異なっています。

入場料510円を払い、内部へ。
この写真で私が立っている辺りが、荷物の検査や
計量が行われた場所。
ここ出島は残念ながら江戸時代から現存する建物は無く、
建築物は明治の物を除いて全て復元となりますが、
こうして眺めてみると、何だかタイムスリップした気分。

入ってすぐの所に建つ、一番船船頭部屋
1階は倉庫、2階はオランダ商館事務員の住居と、来航したオランダ船2隻の内、
1番船の船長が滞在する部屋となっていました。
※一般の船員に出島滞在は許されず、長崎入港中も船上での生活を
余儀なくされたそうな。

オランダ商館事務員が暮らした部屋。
こちらは居間となっています。
壁に施された文様がおしゃれ!

寝室。なかなか広い生活空間。家具や調度品は、バタヴィア(現・ジャカルタ)から持ち込むか、
長崎の職人に発注していたそうな。

廊下を挟んで反対側は、一番船船長の部屋
こちらも居間と寝室で分けられています。
家具や調度品は、嘉永4(1851)年に来航したオランダ船船長、デ・コーニングの
日記を基に再現されています。
出島滞在中、船長には召使いが付けられ、
なかなか豪奢な暮らしだったようです。

居間の一角に置かれた鳥かご。
ここ出島では、船長や商館員が持ち込んだペットの他、
家畜や江戸幕府に献上する珍しい動物が
飼われていたそう。

通りに沿って建ち並ぶ土蔵群。
手前から一番蔵、二番蔵、三番蔵となっています。
かつてはこういった蔵が出島には多数有り、
砂糖や蘇木(染料に用いる木の枝)、個人商売用の
品といった貿易品が収められていたそうです。
現在は一番蔵は建造物の復元方法や
建物の基礎の展示、
二番蔵は日蘭貿易の仕組みや交易品の
解説・展示が行われています。

三番蔵内部では、交易品が収められている様子が
再現されています。
袋は砂糖を詰める為の物。和洋の酒も取引されていました。

オランダ商館長の住まい、そして商館事務所や来客の接待にも用いられた
カピタン部屋
カピタンとは日本人が用いた商館長に対する呼称で、
ポルトガル語が語源となっています。
町屋造りで統一された出島にあって、洋風・屋根付きの
外階段が特徴的。

1階は商館長の食料や物品の倉庫となっていました。
復元された現在の建物では、1階が映像や展示で
出島の暮らしが体験できるスペース、2階が
商館長の生活を再現した部屋。
写真のビリヤード台は、当時の様子を再現したもの
係の方に申し出れば、実際にプレイすることも可能だとか。
興味の有る方、グループでお越しの方々は、
当時の暮らしに触れてみてはいかがでしょう?

1階奥は体験ゾーン。
江戸時代の出島を描いた絵画(の複製)が貼り付けられた照明が
印象的な室内は、
出島の歴史や交易を解説したパネルや、商館員達の役職を
紹介した映像、出島で起きた出来事を現代の新聞のように
まとめた「出島新聞」といった展示が有る他、
当時用いられていた道具や遊戯を体験することも出来ます。
いささか半端なところではありますが、今回はここまで。
次回は商館長(カピタン)の居住空間や
出島への人の出入りを監視した建物、重要な交易品で
あった銅を扱った建物等を取り上げて行きます。
それでは!

オランダ船の模型。
今のような動力の無い時代、船舶は専ら
人と自然の力で動いていました。
そんな中でのヨーロッパから東洋の島国への航海。
途方も無い事だったでしょう。
大浦天主堂、グラバー園、オランダ坂、原爆史跡、
眼鏡橋etc・・・
ともかく1泊2日で廻るのは難しいので、
テーマを決めて行き先を絞ることとしました。
それは港町・長崎の歴史を巡る旅
今回は歴史の教科書でお馴染みのスポットと、
長崎とも縁深く、日本史上有数の人気を誇るあの人物に
関係した場所を訪れました。
それでは、参りましょう!

ホテルに荷物を預け、まずやって来たのは長崎港
入り江状の奥まった地形に加え、周囲を山々に囲まれ
風の影響も受けにくい、天然の良港。

長崎港は三菱重工長崎造船所が置かれており、
大型船舶の建造・修理・改造が行われています。
この日も巨大なガス運搬船や・・・

海上自衛隊の護衛艦が停泊中!
桟橋から港を一周する遊覧船や軍艦島(端島)上陸ツアーに
出発するのも魅力的ですが、ここのお目当ては・・・

港に面し、アメリカの港町を想起させるカラフル建物が並ぶ、
出島ワーフ
海鮮料理店や中華・洋食・イタリアンといったグルメから、
カフェ、アウトドアショップ、観光案内所まで選り取り見取りな
複合商業施設です。
この日はここでお昼ごはん。

入店したのはこちら、海鮮市場 長崎港
地元で獲れた魚から定番メニューまで取り揃えたお店。
店内にはいけすも設けられており、水から揚がったばかりの
海の幸まで楽しめます。
私の席はいけすのすぐ傍で、ちょっと覗き込めば
フグが泳ぎ回る姿が見えました(笑)

メインが来る前に一品。
今が旬のきびなご刺身
もちろん地物であり、その鮮度を表すが如くその身は
眩いばかりに輝いています!
骨まで噛み切れるほど柔らかく、あっさりとした味は・・・
なんかビールが欲しくなる(これから散策なので自重)

こちらが定番、海鮮丼
マグロ・サーモン・イクラ・ウニ・タコ・イカと、
王道と言うべき具材がたっぷり載せられています。

さて、この日の目的地へ。
中島川に面して広がる扇形の地形・・・
歴史の教科書でお馴染み、出島です!
寛永13(1636)年、長崎市内に雑居していたポルトガル人を
一か所に集め、キリスト教の布教を防ぐ目的で築かれました。
中島川河口に堆積した土砂の上から
さらに盛り土をする形で扇形の築島が形成され、
面積は約15000㎡。周囲は石垣や塀で囲まれ、
長崎の街への出入口を1ヶ所に限定された上、
人の出入りは厳重に監視・管理されていました。
寛永16(1639)年にポルトガル船の来航が禁止された後、
寛永18(1641)年に平戸からオランダ商館が移され、
安政6(1859)年に神奈川・長崎・箱館(現在の函館)が開港となるまでの
およそ200年間、西洋に対して開かれた唯一の門戸でありました。

現在、出島への入り口は三ヶ所。
こちらの水門は貿易の際の
荷物の搬入と入国者の身体検査を行う場でした。
今で言う税関と入国審査場を兼ねた施設、といった所でしょうか。
なお、貿易時以外は固く閉ざされていたそう。

水門の傍に、石垣が露出しています。
荷物の積み下ろしを行う「荷揚場」に面して築かれたこの石垣は、
3度に亘って築足しされ、時期によって
石材や石積みの技法が異なっています。

入場料510円を払い、内部へ。
この写真で私が立っている辺りが、荷物の検査や
計量が行われた場所。
ここ出島は残念ながら江戸時代から現存する建物は無く、
建築物は明治の物を除いて全て復元となりますが、
こうして眺めてみると、何だかタイムスリップした気分。

入ってすぐの所に建つ、一番船船頭部屋
1階は倉庫、2階はオランダ商館事務員の住居と、来航したオランダ船2隻の内、
1番船の船長が滞在する部屋となっていました。
※一般の船員に出島滞在は許されず、長崎入港中も船上での生活を
余儀なくされたそうな。

オランダ商館事務員が暮らした部屋。
こちらは居間となっています。
壁に施された文様がおしゃれ!

寝室。なかなか広い生活空間。家具や調度品は、バタヴィア(現・ジャカルタ)から持ち込むか、
長崎の職人に発注していたそうな。

廊下を挟んで反対側は、一番船船長の部屋
こちらも居間と寝室で分けられています。
家具や調度品は、嘉永4(1851)年に来航したオランダ船船長、デ・コーニングの
日記を基に再現されています。
出島滞在中、船長には召使いが付けられ、
なかなか豪奢な暮らしだったようです。

居間の一角に置かれた鳥かご。
ここ出島では、船長や商館員が持ち込んだペットの他、
家畜や江戸幕府に献上する珍しい動物が
飼われていたそう。

通りに沿って建ち並ぶ土蔵群。
手前から一番蔵、二番蔵、三番蔵となっています。
かつてはこういった蔵が出島には多数有り、
砂糖や蘇木(染料に用いる木の枝)、個人商売用の
品といった貿易品が収められていたそうです。
現在は一番蔵は建造物の復元方法や
建物の基礎の展示、
二番蔵は日蘭貿易の仕組みや交易品の
解説・展示が行われています。

三番蔵内部では、交易品が収められている様子が
再現されています。
袋は砂糖を詰める為の物。和洋の酒も取引されていました。

オランダ商館長の住まい、そして商館事務所や来客の接待にも用いられた
カピタン部屋
カピタンとは日本人が用いた商館長に対する呼称で、
ポルトガル語が語源となっています。
町屋造りで統一された出島にあって、洋風・屋根付きの
外階段が特徴的。

1階は商館長の食料や物品の倉庫となっていました。
復元された現在の建物では、1階が映像や展示で
出島の暮らしが体験できるスペース、2階が
商館長の生活を再現した部屋。
写真のビリヤード台は、当時の様子を再現したもの
係の方に申し出れば、実際にプレイすることも可能だとか。
興味の有る方、グループでお越しの方々は、
当時の暮らしに触れてみてはいかがでしょう?

1階奥は体験ゾーン。
江戸時代の出島を描いた絵画(の複製)が貼り付けられた照明が
印象的な室内は、
出島の歴史や交易を解説したパネルや、商館員達の役職を
紹介した映像、出島で起きた出来事を現代の新聞のように
まとめた「出島新聞」といった展示が有る他、
当時用いられていた道具や遊戯を体験することも出来ます。
いささか半端なところではありますが、今回はここまで。
次回は商館長(カピタン)の居住空間や
出島への人の出入りを監視した建物、重要な交易品で
あった銅を扱った建物等を取り上げて行きます。
それでは!

オランダ船の模型。
今のような動力の無い時代、船舶は専ら
人と自然の力で動いていました。
そんな中でのヨーロッパから東洋の島国への航海。
途方も無い事だったでしょう。