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華麗な暮らしの裏側で・・・

さて、次の旅まであまり日数も無いので、まとめて書けるうちに
じゃんじゃん連投して参ります!(間に休みは挟む予定ですが)

今回は長崎は出島、「カピタン(商館長)部屋」の居住スペースから
スタート!
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2階へ上がってすぐの空間は、大玄関
オランダ商館の「中枢」とも言うべき場所の入り口だけあって、
倉庫として使われていた1階とは対照的な、明るく、豪奢な
造り。
ここに商館員向けの注意書き(日本風に言うと
「高札」のような物でしょうか)が掲示されたり、
短時間の接客もここで行われたそうです。
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「プチ応接間」ということならば、華やかに!
煌めくシャンデリアと天井の模様が、目を引きます。
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大玄関から見て右手の部屋は、事務室のような役割を担っていた様子。
日本の役人や通詞(つうじ。日本人の通訳)との商談が行われたのも、ここと
推定されています。広さは17.5畳。
室内は文化14(1817)年12月に行われた、商館長の引継ぎの様子が
再現されています。
ちなみに出島のオランダ商館員は、家族との同居を禁じられていたそう。
幕府との取り決めとは言え、祖国や妻子から遠く離れた国の、
それも僅かばかりの敷地で過ごすしかない心中、如何ばかりか。
この時商館長の任を引き継いだヤン・ブロムホフ
妻子の入国を拒まれ、その後夫人に先立たれるという悲運に見舞われています。
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大玄関から見て右手の部屋も、事務室のような役割を持っていました。
広さは15畳。
こちらの室内は、文政5(1822)年に行われた江戸参府(オランダ商館長が江戸へ
赴いて将軍に拝謁し、貿易を許されている事への礼を述べるとともに
西洋より運んだ珍品を献上するという風習)に先立ち、
幕府へ献上するオルゴール付き時計を改めている様子が
再現されています。
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ここまで見て来た「事務室」とは異なる誂えの空間は、大広間
広さは35畳。
オランダ商館員達は、ここで食事を共にするのが習わしだったようです。
貿易時以外は退屈な日々を過ごしていたという彼らに取り、
皆で食卓を囲む一時が数少ない楽しみであったことでしょう。
ここでは「冬至の祝い」として催されたパーティーの様子が再現されています。
で、この「冬至の祝い」というのは表向きの理由
実際のところは幕府の「禁教令」によってキリスト教が禁じられていたため、
重要な貿易相手である幕府側への配慮として、「クリスマス」の名を
使わなかったのでしょう。
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江戸時代の絵図を基に再現された料理の数々
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なんと豚の頭まで!正直ちょっと引く

この他2階では、バルコニー付きで海も見渡せた涼所、
商館長の居間や寝室、女性としては出島への出入りが唯一許された
遊女たちにあてがわれた女中部屋等が
復元されています。
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隣り合わせになったこちらの建物、手前が乙名詰所(おとなつめしょ)と
言い、長崎奉行より選任された出島の管理者・出島乙名(でじまおとな)が、
貿易の行われない冬~春に掛けて職務を行った場所。
丁度出島表門の正面に位置しており、ここから通行する人々の監視を行っていたようです。
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乙名詰所の1階部分。日本人のみが使用するためか、純和風の造り。
障子の花柄模様がアクセント。
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先ほどの画像で奥に見えたのは組頭部屋(くみがしらべや)
ここで言う組頭とは、出島の管理者たる乙名を補佐する役人。
この建物では輸出品である銅の梱包・計量が行われていたそう。
計量に用いられた秤が再現されています。
銀・金を経て18世紀頃から輸出品の中心となったは、
貨幣や船舶・建築資材として、あるいは武器・家具・調理器具の素材として珍重されたそうな。
それだけ日本の鉱業技術が買われていたと思うと、何だか誇らしい(金は
酷評されたそうですが)。
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組頭部屋の奥に設けられた土蔵・銅蔵では、
各地の銅山で産出され、大坂(現・大阪)で精錬・鋳造された貿易用の銅・
御用棹銅(ごようさおどう)が保管されていました。
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こちらが御用棹銅を納めた木箱(復元)。
1斤(キン)=約600gなので、これ1箱で60kgに当たります。重い
で、当時これら御用棹銅の精錬を一手に担っていたのが、現在の住友財閥へと
繋がる商家・住友家
ご覧のように、いずれの箱にも「住友吉次郎」の名が見えます。
さぞ儲かっただろうなぁ・・・おっと。
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組頭部屋の2階に展示されているのは、鮫皮(さめがわ)
これは「SHARK」の事では無く、南シナ海やインド洋で獲れた
エイや魚の皮。
これをここで鮫皮目利(さめがわめきき)による選別を行った上で
幕府が買い上げ、刀の鞘や柄の装飾に用いられました。
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こちらは旧石倉
幕末の開国後に建てられた倉庫で、大浦天主堂や
グラバー邸といった長崎市内の著名な建造物にも携わった、
小山秀之進(こやま ひでのしん)による
施行と言われています。古写真等を基に
出島復元事業開始前の昭和31(1956)年に復元されました。
内部は出島からの出土品や出島の周辺を固める石垣の
修復・復元の様子を展示した考古館となっています。
ガラスケースに囲まれた品々を見ていると、肥前(現在の佐賀県・長崎県)産の焼き物や
中国産の磁気・ヨーロッパから持ち込まれたガラス瓶やグラス、皿といった
数々の品から、日蘭の盛んな人的・物的交流が窺えます。
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この先は明治時代に建てられた洋館や花咲く庭園が待ち構えているのですが・・・
体力の限界を感じたため、撤退
誠に勝手ながら、次回のお楽しみということで(汗)
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入った時とは別の出入口から、外へ。
こちらが本来長崎の街から出島への唯一の出入り口であった、表門
ここには役人たちが常駐し、人の出入りを厳しく取り締まっていました。
なお実際の表門の位置は現在と異なっており
明治時代に行われた中島川改修工事によって
出島自体が大きく削り取られてしまっているため、当時のままに
復元することは不可能となっています。
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今もなお発掘・復元作業の続く出島において、最も新しいトピックが
出島表門橋の開通
昨年11月25日にオープンしたこの橋によって、
長崎市街→橋を通って表門→出島の内部へという、江戸時代そのままの
アクセスが可能となりました。
あえて当時の復元では無く「最先端」を用いた表門橋ですが、
斬新なポイントが一つ。
それは「史跡である出島に負担を掛ける事無く、対岸に支点を設けて
全体のバランスを取る」という点。
両岸で重量を均等に保つという橋梁の常識にそぐわぬ、特殊な構造
言えるでしょう。
(先述の河川改修工事により、これまた当時のままの復元が叶わない、
という事情もあるようです)
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さて、1日かけてじっくり廻った出島ですが、まだまだ見所はあります!
(後で地図を見返してみると、見逃した建物も有るようです)
ここで江戸時代体験をしたい!という方、貿易と港町の歴史に
触れたい!という方、「教科書に載っているところだ!」という
ノリでも結構ですので、是非一度お訪ねすることを
おススメします!
私ですか?家族揃って大好きです!

さて、変な締め括りとなってしまいましたが、次回は食の宝箱・
中華街へ!
私を待ち受けるグルメは、当たりか否か!?
それでは!
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出島付近の道路。一緒に曲がっているのが面白い!





コメント

No title

こんばんは、お久しぶりです(笑)

長崎は中学の修学旅行で行きましたが、坂が多かったのが印象に残ってます(゜_゜)

日本が鎖国だったころに長崎は貿易面では交流もあったでしょうから、こういうのを見ると新鮮な感じがしますね(*´ω`*)

No title

初めまして。
Artie's Pubのオーナー、artieと申します。履歴からお邪魔させていただきました。
出島、自分も大好きです。1度しか行ったことはありませんが、見どころ満載で飽きませんでした。
ちなみにグラバー邸も何度訪れても新たな発見があり、結構好きなんですよ。出島のあと、自分は中華でなく、トルコライスを食べました。

よかったらまたArtie's Pubにも来てくださいね。

No title

artieさん
コメントありがとうございます!
グラバー園は家族で行ったきりですが、
もう一度行ってみたいですね。

トルコライス美味しいですよね!
あの盛りだくさん感がイイ!

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。