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唐寺、カステラ

予定が早まり、長野県への出立が前倒しと
なったため、残り2回の長崎紀行、
今日と明日で一気に書き上げます!
大事なのは勢いだ!うん。
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風頭公園(かざがしらこうえん)を出て、今度は龍馬通り
下ります。小さな龍馬像がお見送り(?)
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坂を下って出て来たのは、寺町
名前の通りこの辺り一帯に寺社が集められており、その数
2社14ヶ寺
こういった区画が形成される背景には、防衛上の理由やら
寺院を集中させるためやら、権力者側の意向が働くものですが、
この高石垣やその上部を固める塀からは、その手の
意趣が感じられます。
なお、長崎の歴史と趣を今に伝える街並みは、中島川流域と共に
長崎市が策定した中島川・寺町地区景観形成重点地区
指定されています。
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そんな寺町の一角で、鮮やかな朱の色彩が際立つこちらの寺院は
興福寺(こうふくじ)
元和6(1620)年、中国・江西省出身の僧・眞圓(しんえん)によって開創された、
わが国初の唐寺(からでら、中華様式の寺院)であり、
同初の臨済宗黄檗派(りんざいしゅうおうばくは、後の
黄檗宗)の寺院でもあります。
歴々の住職の中には、寺地の整備や観光名所、「眼鏡橋」の
架橋に携わった2代目住職・黙子如定(もくすにょじょう)や
絵画・書に堪能で、「近世漢画の祖」とされる3代目住職・逸然(いつねん)、
中国・明(みん)より招かれ、禅宗中興の祖として宗教的・文化的に多大な
影響を残した隠元(いんげん)といった
人物が名を連ねています。

その玄関口に当たる山門は、
元禄3(1690)年、長崎市街を襲った火災から再建された折りのもの。
色調こそ中国では「縁起の良い」、「神聖な」色とされる
塗られていますが、構造そのものは和風。日本人大工によって築造されています。
長崎県指定有形文化財
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こちらが興福寺本堂。大雄宝殿(だいおうほうでん)と
呼ばれています。無論外観は赤色
現在の本堂は慶応元(1865)年に来襲した暴風の被害を
受け、明治16(1883)年に再建されたもの。中国・明王朝末期の様式を伝える
建築は、国の重要文化財
指定されています。
建物は内外に渡って唐様の造りとなっており、内部(撮影禁止)の天井からは中華風の
灯篭が吊り下げられ、ご本尊の釈迦如来(しゃかにょらい)を
始めとする仏像群が、静かながらも美しい立ち姿を見せてくれます。
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本堂では、建物の建築様式にもご注目。
本堂前面に設けられたアーチ状に構成された天井は、黄檗天井
呼ばれる様式。
彩色を施した跡からは、再建時の煌びやかな姿が偲ばれます。
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こちらは氷裂式組子(ひょうれつしきくみこ)という
様式。丸窓を囲って、氷の割れ目のような文様が施されています。
そもそも組子とは、釘を使わずに木を組み付ける技法で、
細かく割った木に溝・穴・ホゾ(木材を組み合わせる為に端部に設ける突起)を
設け、カンナやノコギリ、ノミといった工具で調整しながら
1本ずつ組み付けていく手法(或る列車の内装にも使われています)。
職人の技巧と緻密な計算と作業、修正に掛ける根気が求められる
、一種の芸術

かつては組子の裏側がガラス張りとなっており、ステンドグラスの如き
美しさだったそうですが、昭和20(1945)年8月9日の原爆投下によって
本堂が損傷

格子戸や丸窓もその際に吹き飛んでしまいました。
戦後45年を掛けて格子戸の修復が
行われましたが、組子の裏面は木製に変更されています。
ちなみに本国・中国ではこれほどの規模の氷裂式組子は残されていない
そうで、大変貴重な遺構。
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本堂と並ぶように建てられた、媽祖堂(まそどう)
ここに祀られている媽祖とは中国の宗教・
道教に於ける海上の守護神で、他複数の呼び名があります。
唐船(中国船)は媽祖像を船ごとに祀り、長崎入港中には船から降ろして
市中の唐寺に祀ったそうな。
和中折衷の堂宇がいつ頃の再建(火災により一度焼失しているのは確か)なのかは
残念ながら不明確ながら、
県指定有形文化財となっています。

この他にも境内には見所たくさん!
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こちらは国指定重要文化財の、
旧唐人屋敷門(きゅうとうじんやしきもん)
元禄2(1689)年、市内各所に散居していた中国人の居住地として
敷地面積約3万㎡の唐人屋敷が設けられました。
その内部には住宅・店舗・祠堂が建ち並び、一つの「町」としての形態を
成していましたが、天明4(1784)年の大火で焼失
以後中国人には自前の住宅を持つことが許されました。

この門は旧唐人屋敷に残っていたものを移築
建材には中国産の杉材を用い、扉は内外2重となっています。
内側の扉は貴人来訪の折りに開かれた様子。
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こちらの中華風の長屋門は、興福寺三江会所門(さんこうかいしょもん)
明治11(1878)年、中国の江南(こうなん、現在の江蘇省・安徽省・上海市)・浙江(せっこう)・
江西(こうせい)3省、いわゆる三江出身者による
会派・三江会が開設され、
明治13(1880)年には境内に集会所が建てられました。
しかし昭和20(1945)年、原爆によって集会所は大破
門のみが現存します。

純中国式の様式は中国人工匠によるものと推測されており、本堂(大雄宝殿)と
同様のもの。
長屋部分は倉庫として利用され、入口の敷居を高くすることで豚等の
家畜が侵入するのを防ぐ豚返しが特徴的。
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門を潜った先は、純和風の庭園。
和と中、二つの文化が合わさって、独特な景観を生み出しています。
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興福寺を出て、出島エリアへ戻ります。
寺町近辺には、時折フォトジェニックな光景が(光永寺)。
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公会堂前(こうかいどうまえ)電停から、路面電車に乗車。
カールおじさんとのコラボ車両に揺られつつ、
賑わう長崎市街を行く。
・・・おっと、降りる場所を間違えた

という訳で、中央橋から徒歩。
その途中で見つけたのが・・・
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南蛮船来航の波止場跡
元亀2(1571)年、ポルトガル船とポルトガル人によってチャーターされた
唐船が長崎港に入港して以後、
この場所には波止場が設けられ、毎年のようにポルトガル船が
入港していました。
天正10(1582)年、天正遣欧使節団が欧州へ向けてここから旅立ち、
慶長19(1614)年には高山右近(たかやま うこん)、内藤如安(ないとう じょあん)等
キリシタン大名が国外追放とされた、
まさに長崎の歴史と発展の出発点と言える場所。
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昼食は長崎港にほど近いところに建つショッピングセンター、
ゆめタウン長崎夢彩都(ながさきゆめさいと)内の
フードコートで。
オムライス・ドリア専門店・おむらいす亭
Cランチセットを注文。
ドリンク・サラダが付いてくるお得なセットメニューのメインは、
牛すじデミグラスオムライス
身体にやさしい十六穀米の鶏飯の上にふんわり玉子焼きと
たっぷりのデミグラスソース、柔らかく煮込まれた牛すじ肉が
載せられた、贅沢な一品!
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長崎出立の前に、お土産品を購入!
やって来たのは文明堂総本店
創業明治33(1900)年、以来100年あまりに渡って
素材と製法にこだわったカステラ作りを続けている老舗。
実は私が泊まったホテルの真横(笑)
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建物はお店の歴史と風格を感じさせる造り。
周囲をビル群に囲まれた中で、異彩を放っています。
内装も落ち着きある物。
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こちらがスタンダードな味とサイズの「0.6号」。10切れ入り税込み1080円。
上質素材に南蛮船や文明堂の社章、出島が描かれたパッケージが秀逸!
肝心のカステラはしっとり柔らか、ザラメの甘さが後を引きつつも、
香り・味ともに品のある一切れでございました。

駆け足気味でまとめて来た長崎小旅行も、次回で最終回!
長崎から博多まで乗車した特急列車の車両・車内・
車窓をご紹介!
出発までに書き上げねば・・・
それでは!




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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。