前回は脱線と漂泊の時間となりましたが、
その続きから。

住宅街を通って、次の(予定変更後の)目的地へ。
道路の中央には雪の多い地域特有の設備、
地下水を撒くことで路面への着雪を防ぐ
消雪パイプが
設置されています。
アスファルトが赤茶色に見えるのは、素材となっている金属の
腐食のため。

地元の高校の一角に突如として現れる石垣は、
小松城天守台小松城の築城時期は定かではありませんが、
慶長5(1600)年より前田氏の所有となり、寛永17(1640)年、
加賀藩主の座を退いた
前田利常が
引退後の生活を送る隠居城として整備されました。

当時江戸幕府によって、諸大名に対し居城以外の城の保有を禁ずる
一国一城令が布告されて
いましたが、ここ小松城は利常の
隠居領として特別に
修築が許され、面積は前田本家の居城・金沢城の
倍近くに及ぶ
約56万㎡、
梯川沿いの
沼地を巧みに利用し、堀に囲まれた8個の島を配して城地と
しています。
周囲を水堀や河川に囲まれた姿は
小松の浮城(うきしろ)とも
称され、外敵の侵攻をも想定した堅牢な備えを誇っていました。
そんな小松城も明治5(1872)年に
破却の憂き目に遭い、
現在ではこの天守台と井戸、かつて水堀に面していた石垣の、
わずかな遺構を残すのみ。
天守台は硬く、要所に配された
安山岩(あんざんがん)と
柔らかく、加工しやすい
凝灰岩(ぎょうかいがん)で
形成されています。
水気の多い場所に在りながら勾配をあまり設けない構造となっているのは、
この場所の直下が安定した地盤となっているため。

天守台を擁する本丸外縁部には、かつて水堀に接していた
石垣が残っています。
大城郭の面影を偲ぶことが難しいほどに破壊されてしまった小松城ですが、
僅かに残された石積みから、往時の石工たちの技と、設計者の知恵を
窺い知ることが出来ます。
小松駅前へ戻る途中、古い町並みを残す
材木町の入り口に佇む
山上福寿堂に寄り道。
明治元(1868)年創業、以来
150年を数える老舗お菓子屋さん。
建物は昭和時代に建て替えられたそうですが、古き面影を残す
店内には・・・


かつてお菓子作りに用いられたであろう、「型」の数々が!

お店の傍らから続く、
材木町(ざいもくちょう)
城が健在であった頃、大工や指物師(さしものし、いわゆる建具屋)等、木材を扱う
職人たちが住んだことから、その名が付いたそう。
昼間に通った細工町とはまた異なる風情の通りには・・・

土蔵を備えた町家や・・・

昭和初期に火災に遭い、再建されたお寺(正行寺、写真左手)等が
建ち並んでいます。
道を間違えるといううっかりミスによって
予定変更となった市街地散策。
しかし逆に、或いは私らしい街歩きとなったようにも思えます。
再度小松を訪れる事あらば、その時は改めて芦城公園(ろじょうこうえん)にも
足を運びたく存じます。
次回は小松での拠点となったホテルと、おいしい居酒屋飯をご紹介。
贅沢ステイと地元の味を堪能します。
それでは!

夜、ホテルの自室で頂いた、山上福寿堂のお菓子たち。
右が甘く味付けされた栗ペーストを、これまた甘く
もちもちした皮(チョコレートのトッピング付き)で包んだ栗饅頭・
栗っ娘(くりっこ)
左がシンプルな味付けの皮にドライトマトを内包する
ベジまんなかなかお目に掛かることの無い(と思われる)、
野菜のお饅頭という
新体験。挑戦を続ける老舗が送り出す一品は、トマトという素材が持つ
甘味と酸味、二つの側面がうまく合わさった絶妙な一品でございました。