18日朝に発生した
大阪北部地震震源となった大阪府内をはじめ、近畿地方の広範囲を鳴動させた
自然災害は、都市機能に、開けた大地に、そして居合わせた人々の心に、
多大なる余波を及ぼしました。
実は私も数年前まで関西(京都市)に住し、彼の地には
知り合いや友人も抱える身。
距離を隔てた遠方より動向を追い、祈り、願うことしか
出来ぬことを、もどかしく思います。
あるいはこういった大変な時機にこうして旅日記を綴る、という
行為に、自重を求める向きも有るかも知れません。
しかし私はあえて常の如く、あるがままの日本の風景を、この目で見た
情感を伝えたいと考えます。
この小身の綴る、写す光景を通し、苦難に当たる人々にとっての
癒やしとなることを祈って。 ac802ftk
さて、今回はやや
増量気味でお伝えいたします!
読み切る心の準備はよろしいでしょうか?

前回訪れた渡辺酒造を出て、その先の曲がり角で方向転換。
こちらは進行方向の反対側ですが、古い町並みを繋ぐ
通りにも、味の有る建築物が並びます。

近隣の町・高山を彷彿とさせる町家。
出格子に出窓と、京町家の影響をも感じさせる造り。

こちらが軒下に設けられた、
雲と呼ばれる飾り付きの腕肘木(腕状に木材を
渡すことで、上からの荷重を支える部品)。
これは家屋を受け持った棟梁の証であり、古川にはこの「雲」が
約170種有ると言われています。

町の南側、
荒城川の近くに設けられた、
飛騨古川さくら物産館飛騨土産を豊富に取り揃えた物産館で、お菓子や飛騨ラーメン、飛騨牛の加工品といった
グルメから小物、各種工芸品まで、一度立ち入ればどれを選ぶか
迷うこと必至の多彩さ!

館内の一角では、飛騨の工芸品・組紐作り体験の他、
映画
君〇名は。の
パネル展を開催中。

映画のパンフレットや劇中の一場面を切り取ったパネルの他、
アニメーション映像と現実の風景を比較したものまで、
ファン垂涎の企画となっています!
町中のあちこちでグッズ販売や各種展示が行われているあたり、
作品の持つ影響力が窺える様。
さくら物産館にて購入したどら焼き。
しかし、ただのどら焼きにあらず!

中に詰まっているのは、飛騨地方の伝統食材
えごまシソ科の一年草で、そこから採れる脂や実からは
人間の体内では合成・蓄積出来ない
必須脂肪酸という成分の一種、
α‐リノレン酸を摂取することが出来、物忘れ予防やアトピーの改善、
便秘解消といった効能が期待されるそう(無論えごまを摂取するのみならず、
日頃の食生活や生活習慣の改善が必要となります)。
古くから飛騨地方の人々に食されて来たというえごまの実は、
プチプチ食感。
ふっくら焼き上げられた表皮と合わさった、独特な食べ応。
飛騨古川地方には、毎年年初に執り行われる風習が在ります。
飛騨地方に広く伝播した仏教の一大宗派・浄土真宗の開祖、
親鸞聖人(しんらんしょうにん)の命日前夜に当たる
1月15日、古川町や近隣に住まう人々が群れを成し、
町内に点在する浄土真宗西本願寺派の三ヶ寺、真宗寺・本光寺・
円光寺に参拝し、聖人の遺徳を偲ぶというもの。
三寺まいりと称されるこの習わしは、
明治・大正以後には製糸工場に出稼ぎに出ていた女性たちが
帰省の最中に着飾って三寺まいりへと出向いたことから、
「縁結びの催し」としての性格を帯びた他、夜の町を照らす
ろうそくの美しい光と女性たちの華やいだ姿が
冬の風物詩となっています。
この行事に習い、私(と友人)も町歩きついでに三寺まいりへ出発!

三寺まいり一つ目は、
さくら物産館の向かいに門を構える
真宗寺(しんしゅうじ)
開基は文亀2(1502)年、当初は東本願寺派に属していましたが、後に西本願寺派へと
転向した、という歴史を持っています。

寺の入り口・山門。

真宗寺本堂。
近寄って見ると、天井に施された緻密にしてバリエーション豊かな
装飾に驚かされます。
かつて奈良の都にて寺社の造営に尽力し、その腕前を称賛された
飛騨の匠豊富な山林資源に恵まれた飛騨の国にて育まれた大工たちの
技は、こうして脈々と受け継がれています。

真宗寺の眼前に架かる
今宮橋を渡り、
荒城川沿いを歩きます。
朱に塗られた橋と、
緑に囲まれた寺院のコントラストが鮮やか。
川を挟んだ両岸にも、昔日の面影を偲ばせる路地が続きます。

三寺まいり二つ目、
本光寺(ほんこうじ)
開基は天文元(1532)年。こちらも飛騨の建築様式を生かした山門が
お出迎え。
元々の堂宇は明治37(1904)年に古川町を襲った大火により
焼失したそうで、
現在残る仏堂伽藍はその後に再建されたもの。
寺域とその外を区切る
玉垣は、明治期に女工たちによって
寄進されたものだそう。土地の人々の信仰の篤さが窺えます。

本光寺本堂。
十四間四面総檜造りという技法で建てられており、
飛騨地方で最大の木造建築とされています。

こちらも真宗寺に負けじと、多様な彫刻が施されています。

古川町で一番美しい風景が楽しめるのが、壱之町通りの裏手に広がる
瀬戸川と白壁土蔵街瀬戸川は約400年前の金森氏統治の時代、新田開発のために
増島城の水堀から取水して通された水路。
今も生活用水、防火用水として活用される流水の中では鯉が
優雅に遊び、情感に華を添えています。
一方の
白壁土蔵街は、
瀬戸川沿いおよそ400メートルの間に、2軒の造り酒屋を含め
30棟の土蔵が建ち並び、止まる事なく流れる水路との対比を見せてくれます。
瀬戸川を泳ぐ
鯉周囲の景色を豊かなものとしている立役者。
冬の間は寒さを凌ぐ
越冬池にお引越し。
花咲く季節にまたここへと戻されます。

午前中は荒れ模様だった空にも
色が戻り、土蔵街の白、
透明な
瀬戸川とのコラボが実現!

ここでちょっと寄り道。
瀬戸川沿いの路地に面したお花屋さん。
ここで頂けるのが・・・

古川町近辺で乳製品を手掛ける「牧成舎」の
もなかアイス味はバニラ・
抹茶・
コーヒー・
イチゴ・
あん抹茶の5種類。
パッケージに刻まれた「人の世の まことの味は アイスもとかす
温かき心 ふれあふときにしみじみ」という言葉が、素敵です♪

ここは手堅くバニラ味をチョイス。
店員さんおススメの食べ方は、備え付けのレンジで30秒間暖め!
(購入者のセルフとなりますので、悪しからず)
これにより皮はパリパリ、中はヒンヤリ感を保ちつつ
濃厚な牛乳の風味に甘さが加わった、二つの
食感を味わえます!

飛騨古川三寺まいり、三つめは
円光寺(えんこうじ)
開基は永正11(1514)年。一世住職・正祐が建立した道場が始まり。
その後町内各所を転々とし、江戸初期の元和7(1621)年に現在地に
門を構えました。
正徳2(1712)年に寺名を「円光寺」に改め、今に至ります。
九世住職の頃に起きた、浄土真宗本願寺派内での教義を巡る論争・
安永の法論によって住職が本山(西本願寺)蟄居となった折には
有栖川宮家の帰依を受け、宮家の
位牌所ともなっています。
円光寺山門元は金森可重によって築城された増島城の城門であり、元和5(1619)年に
廃城となった際に当寺へと
移築改修を受けながらも現存しています。
全体的に小ぢんまりとした造りは、小藩の支城故でしょうか?
円光寺本堂規模こそ先ほどの本光寺には劣るものの、約350年前の寛文7(1667)年築。
他の2寺がいずれも明治時代に大火の被害を受けた中にあって、
貴重な現存建築。

本堂側面、屋根上に設けられた
破風の内部には、
特徴的な彫刻が残されています。

それがこちら、
水呼びの亀本堂建築の際、彫刻の形を決めかねていた棟梁らの前に
旅の老人が現れ、「亀を彫っておけば火災の難から逃れる」と
言って立ち去りました。
時代は下り明治37(1904)年に発生した
古川大火に於いては、
この亀の力によって類焼を免れた、と言われています。
寺を災厄から救った、まさに守り神。

円光寺の裏手にも、素敵なロケーションが広がります。
時季こそ違えど、町の風習に触れたひととき。
なんだか身が浄められた心地がいたします(笑)
次回は町歩きの拠点となった宿をご紹介!
贅沢晩ごはんと、夜の
瀬戸川散策も、チラ見せします。
それでは!

古い町並み×掘割りに付きものの、鯉の軍団!