私を評し、ある人は「子供っぽい」と言い、ある人は「大人っぽい」と言う。
相反するような評価でも、それはきっと正しい。
大人の冷静さと観察眼、子供の感受性と表現力。
それらで感じたものを形にし昇華させてこそ、一個の「私」たりえるのだから。
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・・・つまらぬことを申しました。取り合わざる、という方は
適当にスルーしてやってください。
「蕎麦料理処 萱」でおいしい食事と歴史ある古民家、
造り酒屋を成していた土蔵群を堪能した後は、
旅の目玉・
温泉へ!
今回宿を取ったのは、
戸倉・上山田温泉(とぐらかみやまだおんせん)
かつて宿場町として往来の途上にありながらも地域の発展から
取り残された町に温泉が発見されたのは、明治の初め頃。
そこから試掘等を繰り返し、明治26(1893)年に
まずは戸倉温泉が
開湯盛大に祝われた開湯式では花火や大神楽、練りものが催行され、
地域再建の礎の誕生を大いに喜んだそう。
それから10年が経過した明治36(1903)年には隣接する
上山田地区にて8人の有志たちの尽力の下、
上山田温泉が開湯しました。
千曲川に面して広がる温泉街はかつては
水難の地であり、
治水環境の整わない明治・大正期には温泉街は度々
水害に襲われ、
戸倉温泉に至っては2度の
移転を余儀無くされています。
しかし幾度の苦難にあって地元の方々の熱意が途切れることは無く、
大正3(1914)年には念願の戸倉駅が
開業大正5(1916)年、戸倉温泉街が
千曲川左岸へと戻った
事により、ようやく現在に至る道筋が付けられる事となりました。
これにより二つの温泉街は距離を隔てること無く隣合う事となり、
対外的には戸倉上山田温泉として併記されています。

こちらが今回泊まらせていただいた、
湯本 柏屋明治36(1903)年、上山田温泉を開いた有志の一人である
宮原聟治(みやはら むこじ)氏によって創業されました。
開湯時唯一の旅館であり、それが「湯本」の名を頂く
きっかけとなっています。
以来110余年、変わる事無く湯治客を迎え入れている老舗宿。

幾何学模様の床と色彩豊かな配色が特徴的なロビー。
遊具を備えた休憩スペースや土産物コーナーもここに置かれ、
客室や浴場と並ぶ、宿泊客にとっての寛ぎの空間。

さて、いよいよマイルームへ。入ってすぐのスペースは玄関となっており、
正面に押し入れ、左手にはバスルームが備えられています。
画像右手、襖の向こうが寝室&居間。

襖の向こう側へ。広さ
10畳、窓際のスペースに
トイレと洗面台、テーブルと椅子が置かれた快適空間!

床の間にはテレビや収納と共に掛け軸や獅子の置き物が
在り、和の設えもバッチリ!

窓を開けば、千曲の涼風吹き抜ける
ベランダマイルームからは、こんな眺め。
このまま寛ぎっぱなしも過ごし方の一つですが、それでは芸が無いので
温泉街周辺の散策へ。

車が盛んに行き交い、賑わいを見せる温泉街。
しかし外へ出てしまえば、ご覧の自然風景が広がります。
千曲川と河畔に佇む温泉街、そしてそれらを取り囲む
山々。
素敵な風土です。
千曲川を横切り、戸倉の町と温泉街を繋ぐ
大正橋
それまで船で行き来していたこの地に橋が架けられたのは大正3(1914)年。
温泉街が
水害から再び立ち上がらんとする時期の事。
現在の橋は
2代目に当たり、平成14(2002)年竣工。

橋の欄干には、一定間隔で作家・正木不如丘(まさき ふじょきゅう)作詞、
中山晋平(なかやま しんぺい)作曲、
千曲小唄の一節と
竹久夢二の絵が刻まれたレリーフが設置されています。
千曲・戸倉と縁の有る人物の作品と、土地の風景。
何とも味のあるコラボレーション。

足下の歩道には、
赤い石が埋め込まれています。
これはこの地に伝わる
恋しの湯伝説、という逸話に基づくもの。
そのお話は、以下の通り。(一部皆さんが読み易いよういじっております)
「昔々、
千曲川のほとりにお政という美しい娘がおりました。
ある日のこと、江戸からの長旅の途中で病に伏せる米吉という
男を救いました。
やがて二人は恋仲となり、めでたく祝言を上げ、村人たちも羨ましがるほど
仲睦まじく暮らしました。
ところがある秋のこと、米吉が江戸へ用向きで旅立ったまま
音信不通となってしまいました。
お政が途方に暮れ、ふさぎこんでいたがある夜のこと、
夢枕に観音様が現れ『米吉を救いたくば千曲河原の
赤い石を
百個奉納しなさい」と告げて消え去りました。
それからというもの、お政はただ一心に
赤い小石を探し求め、
どうにか九十九個の小石を見つけ出しましたが、どうしても
百個目の石が見つかりません。
やがて冬が来て身も凍えそうなある日、一条の湯気が立ち上り、
こんこんと湯の湧き出る場所から百個目の赤い石を探し当てました。
早々に観音様に奉納すると、ほどなく米吉は無事にお政の元へ
戻った」というもの。
以来村人たちはお政が
赤い石を見つけた場所を
こいし(恋し)の湯と名付けたそう。
あるいは広く知られていなかっただけで、地元では古くから湯治の習慣が
あり、この様な説話と結びついたのかも知れませんね。
愛する人への献身と、懸命な想いが起こした
奇跡ロマンチックな話です。(真実がどこに在るのかは別として)

大正橋を渡り切った対岸から、温泉街を望む。
千曲川に沿うようにして湯治場が形成されているのが、
良く分かります。

反対側の歩道から引き返す。正面遥かには
飯縄山(いいづなやま、標高1,917m)や
戸隠連山。

川沿いを歩き、温泉街へと戻って来ました。

「湯本 柏屋」の近く、ファミ〇ーマートの敷地内に、こんなものを発見!

これは足湯
陽だまりの湯 街の縁側地元の人たち同士や旅行客との交流の場として、市営バスの待合所として、
ひいては旅行客にとっての思い出の場所になるように、という思いから
設けられた、世にも不思議な
コンビニ内の足湯その立地、贅沢な
源泉掛け流しという条件は、
ファミ〇を温泉宿が経営しているが故に実現したものだそう。

宿に戻って、いよいよ
温泉タ~イム!「湯本 柏屋」内の浴場は二つ。まずは1階、
冠着山の湯へ。
豊富な湯量を誇る戸倉上山田温泉。ここ柏屋もその例に漏れず
加工・循環一切なしの
源泉掛け流しそんな天然もののお湯が終日流れているというのだから、贅沢なものである。
泉質は
単純硫黄温泉(低張性アルカリ温泉)
島原半島の温泉群を彷彿とさせるお湯には、神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・
消化器病・皮膚病等、
効能たっぷり!小ぶりな浴槽にはとめどなく温泉成分を含んだお湯が注がれ、
硫化水素の臭い(いわゆる硫黄臭)が微かに漂います。
湯の花浮かぶお湯に浸かると、硫黄泉ならではのぬめり。
濃厚な温泉成分は「美白の湯」とも呼ばれています。
ああ、疲れが飛んで行く。
(※なお硫黄泉には金属を腐食させる性質があり、
容赦無く金属類を
まっくろく〇すけに
変えてしまう(浴室内の金属部品も、真っ黒!)そうなので、
入浴の際には金属製品を外すか、入浴後に温泉成分を流して下さい。)

翌朝は宿5階の
展望風呂へ。
こちらは時間指定での男女入れ替え制となっており、
15時~21時は男性が露天風呂付き、女性がテラス付き、内風呂のみの
浴場となり、22時~翌日10時に掛けては逆となります。
そのため私が入った時には
内風呂のみでの利用。

こちらが内風呂浴室。
ここももちろん
源泉掛け流し入り口横には当館や系列宿泊施設を彫り込んだ版画が
置かれています。

浴室外に設けられた
テラスお風呂上り、お日様の下で一休み。(ただし景色は見えない)
温泉街にお湯があり、人があり、歴史がある。
豊かなお湯と開けた景色、開湯へと至る物語を知ることが出来ました。
是非再訪したい!
さて、次回は温泉街の背後に聳える戦国時代の山城・荒砥城(あらとじょう)へ。
絶景と時間散歩を楽しめる、「隠れた名所」を訪れます。
それでは!

「湯本 柏屋」の隣に、素敵スペース♪