坂道登って史跡まで
- 2018/07/22
- 22:32
昨年3月のブログ開設から1年数か月。
ついに、通算獲得拍手数100に到達いたしました!
わ~!
これもご拝見下さった皆様のおかげと御礼申し上げるとともに、
向後ともより楽しんで見て頂けるよう努力いたしますので、
よろしくお願いいたします。
さて、いささか間が開いてしまいましたが、今回は戸倉上山田温泉街後方、
小高い山に聳える戦国の山城、それを整備・復元した公園を目指します。

朝9時ころ、「湯本 柏屋」をチェックアウト。これから挑むは
ちょっとした「山登り」。心の用意と慣らしの積りで温泉街を
歩きます。

ふらりと立ち寄ったのは、上山田温泉中央通りに面して店を構える
塩川菓子舗
創業三代を数える老舗で、名物は温泉グルメの定番・温泉まんじゅう
しかし今回は晴天下の暑さもあって、異なる商品をチョイス!

それがこちら、あんずジャムソフトクリーム!
千曲市の特産品・あんずをなく使った甘酸っぱいジャムが、
涼やかなバニラアイスと絡み合う。
果実のとろみと夏風の如き爽快感が味わえる一
品。

「万葉通り」の突き当りに近づくと、住宅の向こうに小高い山が見えて参りました。
冠着山(かむりきやま、姨捨山とも)から続く稜線の一角、
標高590m付近がこの日の目標地点。

舗装こそされてはいますが中々に急な坂道を、汗をかきかき、
息を吐きつつ登って行きます。


つづら折りの道の途中に設けられた休憩所からは、こんな眺めも!

斜面の途上に建つ城泉山観音寺(じょうせんざんかんのんじ)
全国にその名を馳せる長野市の善光寺よりお墨付きを頂いた寺院で、
善光寺本願別院を名乗り、本山への参拝叶わぬ
人々を迎え入れています。(ここまで来るのもなかなかハードルが高そうですが)

仏堂入り口の天井には、立派な龍の絵図が。
何だか吸い込まれてしまいそうな迫力と描写。
そして仏堂からも千曲市や周辺地域を見通すことが出来ます。
なお観音寺に隣接して「良縁と子宝の神社」と紹介されている
澳津神社(おくつじんじゃ)が在るのですが、訳あって
ここでは詳細は申し上げられません

そしてやって参りました、荒砥城(あらとじょう)
風雲吹きすさぶ戦国時代、信州(今の長野県)争奪の渦中に置かれていた
山城(やまじろ、標高100mを超える山上に築かれ、
自然の地形を利用した城郭)
築城は大永4(1524)年ころ、この地域を治めていた村上氏の支族・山田氏による。
この辺りの峰には複数の小城や烽火台が築かれ、荒砥城と共に
防衛網を構築していました。
しかし主家である村上氏は武田氏との激闘の末に敗退
戦いの中で城主・山田氏も滅亡してしまいます。
その後は地域の支配権と共に城の主も武田氏→上杉氏と移り変わりますが、
天正12(1584)年、所領安堵を徳川家康より持ち掛けられた上杉家の武将・
屋代秀正(やしろ ひでまさ)が上杉氏を裏切り、
ここ荒砥城に籠城。上杉軍の攻撃を受けた城は陥落し、廃城
その役目を終えました。
現在は千曲市城山史跡公園として整備され、
城の中枢となる本郭(ほんかく)・二の郭(にのかく)を中心に
城跡の整備や建物の復元が行われ、往時の山城の在り様を偲ばせます。

右手に見える案内所で入園料¥300を支払い、
左手の門から史跡公園内へ突撃!
ちなみにこの辺りには荒砥城を構成する郭の一つ・四の郭(よんのかく)が
置かれていました。

三の郭(さんのかく)跡。斜面が平らに削られ、寄せ手から城を防衛する
場所が設けられていたことが分かります。

城の中枢に近づいて参りました!この復元された門の向こうは、
二の郭(にのかく)となります。
さあいよいよ城主のおわす内部へ!というところで・・・次回へ続きます(笑)
次回は千曲小旅行最終回。
山城の姿と千曲地域をくまなく見渡す絶景を、丸裸に致します。
それでは!

頑張ります!
ついに、通算獲得拍手数100に到達いたしました!
わ~!
これもご拝見下さった皆様のおかげと御礼申し上げるとともに、
向後ともより楽しんで見て頂けるよう努力いたしますので、
よろしくお願いいたします。
さて、いささか間が開いてしまいましたが、今回は戸倉上山田温泉街後方、
小高い山に聳える戦国の山城、それを整備・復元した公園を目指します。

朝9時ころ、「湯本 柏屋」をチェックアウト。これから挑むは
ちょっとした「山登り」。心の用意と慣らしの積りで温泉街を
歩きます。

ふらりと立ち寄ったのは、上山田温泉中央通りに面して店を構える
塩川菓子舗
創業三代を数える老舗で、名物は温泉グルメの定番・温泉まんじゅう
しかし今回は晴天下の暑さもあって、異なる商品をチョイス!

それがこちら、あんずジャムソフトクリーム!
千曲市の特産品・あんずをなく使った甘酸っぱいジャムが、
涼やかなバニラアイスと絡み合う。
果実のとろみと夏風の如き爽快感が味わえる一
品。

「万葉通り」の突き当りに近づくと、住宅の向こうに小高い山が見えて参りました。
冠着山(かむりきやま、姨捨山とも)から続く稜線の一角、
標高590m付近がこの日の目標地点。

舗装こそされてはいますが中々に急な坂道を、汗をかきかき、
息を吐きつつ登って行きます。


つづら折りの道の途中に設けられた休憩所からは、こんな眺めも!

斜面の途上に建つ城泉山観音寺(じょうせんざんかんのんじ)
全国にその名を馳せる長野市の善光寺よりお墨付きを頂いた寺院で、
善光寺本願別院を名乗り、本山への参拝叶わぬ
人々を迎え入れています。(ここまで来るのもなかなかハードルが高そうですが)

仏堂入り口の天井には、立派な龍の絵図が。
何だか吸い込まれてしまいそうな迫力と描写。
そして仏堂からも千曲市や周辺地域を見通すことが出来ます。
なお観音寺に隣接して「良縁と子宝の神社」と紹介されている
澳津神社(おくつじんじゃ)が在るのですが、訳あって
ここでは詳細は申し上げられません

そしてやって参りました、荒砥城(あらとじょう)
風雲吹きすさぶ戦国時代、信州(今の長野県)争奪の渦中に置かれていた
山城(やまじろ、標高100mを超える山上に築かれ、
自然の地形を利用した城郭)
築城は大永4(1524)年ころ、この地域を治めていた村上氏の支族・山田氏による。
この辺りの峰には複数の小城や烽火台が築かれ、荒砥城と共に
防衛網を構築していました。
しかし主家である村上氏は武田氏との激闘の末に敗退
戦いの中で城主・山田氏も滅亡してしまいます。
その後は地域の支配権と共に城の主も武田氏→上杉氏と移り変わりますが、
天正12(1584)年、所領安堵を徳川家康より持ち掛けられた上杉家の武将・
屋代秀正(やしろ ひでまさ)が上杉氏を裏切り、
ここ荒砥城に籠城。上杉軍の攻撃を受けた城は陥落し、廃城
その役目を終えました。
現在は千曲市城山史跡公園として整備され、
城の中枢となる本郭(ほんかく)・二の郭(にのかく)を中心に
城跡の整備や建物の復元が行われ、往時の山城の在り様を偲ばせます。

右手に見える案内所で入園料¥300を支払い、
左手の門から史跡公園内へ突撃!
ちなみにこの辺りには荒砥城を構成する郭の一つ・四の郭(よんのかく)が
置かれていました。

三の郭(さんのかく)跡。斜面が平らに削られ、寄せ手から城を防衛する
場所が設けられていたことが分かります。

城の中枢に近づいて参りました!この復元された門の向こうは、
二の郭(にのかく)となります。
さあいよいよ城主のおわす内部へ!というところで・・・次回へ続きます(笑)
次回は千曲小旅行最終回。
山城の姿と千曲地域をくまなく見渡す絶景を、丸裸に致します。
それでは!

頑張ります!