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「街のシンボル」を訪ねて

富山旅も、最終の3日目となりました。
この日は大部分が上高地へと戻るための移動日
なりますが、その前に朝のお散歩。
街のシンボル・富山城を整備した、城址公園を歩きます。
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朝9時過ぎにホテルをチェックアウトし、駅前から歩くこと10分ほど。
見えて参りました、富山城
築城は天文12(1543)年頃、越中国(いまの富山県)の守護代
(室町幕府から領国支配を命じられた大名に代わって、領地の支配に当たる部将)・
神保長職(じんぽう ながより)の命によって
築かれました。
しかし時は戦国
越中国も戦乱の渦中にさらされ、城の主も神保氏、隣国・越後(新潟県)から
侵入した上杉氏、あるいは一向宗(浄土宗系の宗派を信仰する僧侶や民衆の勢力)の
間で変遷したそうな。

戦国末には上杉氏と織田氏が北陸の支配権を巡って争い、
天正10(1582)年には織田氏の武将・佐々成政(ささ なりまさ)が
富山城に入城。越中国を手中に収めました。
しかしその年、本能寺の変が起こり主君・織田信長が横死
その後は柴田勝家(しばた かついえ)や徳川家康に付いて
羽柴秀吉(はしば ひでよし、後の豊臣秀吉)と戦った成政でしたが、
天正13(1585)年に富山城を囲まれ、降伏
城は主を失い、一度廃れてしまいます。

時は流れて慶長10(1605)年、加賀前田家2代・前田利長(まえだ としなが)が
隠居城として入城し、城の修築や城下町の整備に尽力します。
が、4年後の慶長14(1609)年に富山城が焼失
これにより利長は高岡へと居所を移し、城は2度空位となりました。

寛永16(1639)年、利長の後を継いでいた加賀藩2代藩主・
前田利常(まえだ としつね)は、隠居に際し領国を分割。
越中10万石を次男・利次(としつぐ)に分け与えます。
こうしてようやく主を得た富山城は、明治維新とその後の廃城に至るまで、
越中の中枢としての役割を果たして行きます。
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富山城天守閣。水堀に逆さに映り込む姿が、美しい。
城址公園を象徴する光景。
ですが、実は富山城には天守の存在を示す記録はありません
昭和29(1954)年、戦時中の空襲によって大きな被害を受けた富山市街。
その復興事業完了を受けて開催された富山産業大博覧会に合わせ、
鉄門(くろがねもん)の跡に建てられた、模擬天守
(天守の無かった城に造られた、天守風建築)

博覧会終了後は富山市郷土博物館として
転用され、郷土の紹介や富山城の歴史の解説、また展望台として
訪れる人を迎えています。
ちなみにこの模擬天守、国登録文化財に指定されています。
地域への貢献や優美な景観が評価されたのでしょうか。
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大天守と小天守(こちらも模擬)
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共に建造された小天守は、郷土博物館の入口も兼ねています。
開館時間は9時~17時、休館は年末年始のみ。
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鉄門跡周辺には、限定的ながらも往時の石垣が残されています。
富山城の四囲を固めていたのは主に土塁(土で出来た防壁)
だったそうで、石垣が積まれていたのは一部の門や櫓のみだったとか。
残された石垣は、主に富山市域の河川で採取した石を割ったり、あるいは自然のままに
用いて間に小石を詰め込む野面積み(のづらづみ)という
技法で積み上げられています。
戦国末~江戸初期に多く見られる手法。
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一際大きな石は鏡石と呼ばれ、城主の権威を誇示する目的(諸説あり)で、
城門などの要所に配置されました。
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かつて御殿が有ったと思しき場所は、広大な芝生広場となっています。
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城址公園の一角に設けられた庭園。
左手奥に見える建物は、実業家にして茶人であった
故・佐藤助九郎(さとう すけくろう)氏の尽力によって開館した、
佐藤記念美術館

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まるで都会のオアシスのような光景が広がります。
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城内唯一の現存建築物・千歳御門(ちとせごもん)
嘉永2(1849)年、富山藩10代藩主・前田利保(まえだ としやす)の
隠居所・千歳御殿の正門として建てられました。
三間藥医門(さんげんやくいもん)という様式で、建材は欅(けやき)が用いられています。
同様の建築様式の城門は東大の赤門として知られる
旧加賀屋敷御守殿門(きゅうかがやしきごしゅでんもん)等
限られた数しか無いそうで、全国的にも貴重な建築。
明治初期に個人宅に移築されていましたが、所有者より寄贈を受けた事から
平成20(2008)年に現在地に移されました。
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城のすぐ傍を流れる松川(まつかわ)
かつて城の外濠としての役割を成していた河川・神通川
(じんづうがわ、明治以降に流路が変わった)の名残り。
城址公園のすぐ横に遊覧船の発着場があり、春には
桜色の壁に囲まれながらのクルーズが楽しめるそう。

当時の面影こそ僅かながら、今も街のシンボルとして佇む富山城。
整備の形こそ独特ではありますが、これからも
地域の「顔」としてその姿を留めて欲しい物です。
次回は富山を離れ、上高地へ戻る鉄路へ踏み出します。
中継地点である新潟県・糸魚川駅までの山景色と
海景色、そして駅舎内の施設に保存された昔懐かしい保存車両を眺めます。
それでは!
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市街地を軽快に走る路面電車とも、これでお別れ(泣)

コメント

No title

こんばんは~

私、お城とかもあまり興味もないのですが、お城1つにしても建てられてからの歴史や背景があるのですね~

ちなみに私が住んでいる市には昔はお城があったようですが、今は城跡になってます(゜゜)

富山にも路面電車が走っているんですね~


1枚目と2枚目の路面電車は、最新というか今風のデザインですね、ガンダム風に言うと、路面電車マークツーとか、路面電車富山市街走行型、という感じですかね(笑)

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。