山陰入り3日目。この日は倉吉市を離れ、お隣の
三朝町(みささちょう)へ。
そのお目当ては
温泉!身体に大変良いと評判の湯治場を訪ねます。
倉吉駅からバスで30分ほど・・・

やって参りました、
三朝温泉!開湯は今からおよそ850年前、平安時代。
源氏と平家の対立に時の朝廷内での権力争いが絡んだ
争乱・
平治の乱(へいじのらん)に敗れた
源義朝(みなもとの よしとも)の家臣・
大久保左馬之祐(おおくぼ さまのすけ)に
よって発見されたと伝わります。(そのあたりのエピソードは、次回の記事にて)
以来湯治場として、また近隣の山麓や山中に広がる
三徳山三佛寺(みとくさんさんぶつじ)への参拝客が
疲れを癒す場所として親しまれて来ました。
そんな三朝温泉最大の特徴が、世界屈指の
放射能泉である
ラジウム泉という泉質。
この地より湧き出すお湯にはラジウムが崩壊して生じる
ラドンという
微量の放射線が含まれています。
この放射線には
放射線ホルミシス効果という働きが
有るそうで、身体が微量の放射線を浴びることで細胞などが刺激を受けて
活性化、新陳代謝が進むことによって
免疫力や
自然治癒力が
高められると言います。(三朝温泉公式サイトより)
ただ癒されるだけでなく、健康にも効果絶大な温泉は、
日本だけでなく世界的にも注目すべきもの。

温泉街をゆったりと流れる
三朝川それを越えて両岸に広がる温泉街を繋ぐのは、
三朝橋灯篭を頂きほのかに色の付いた橋は、昭和9(1934)年架橋。
材料には
青御影石が使われており、古風な
色合いを生み出しています。

ここ三朝温泉名物の一つが、こちら。
三朝橋から河原へ下りたところに在る、野趣たっぷり、屋根も囲いもない
河原風呂!有るのは風呂桶と脱衣所という最低限の設備のみ。
抜群の開放感の下、自然の中の温泉浴を楽しめそうですが・・・
周りから見えちゃうよねコレもちろん限られたスペースでの
混浴となるので、
そちらの意味でも覚悟が必要。
(私がここに滞在している間、浸かっている人の姿を
ついぞ見ませんでした)

三朝橋のたもと、ぴたりと寄り添った男女の像は
昭和4(1929)年に三朝温泉を舞台として製作された恋愛無声映画・
三朝小唄の主役となった男女を象ったもの。
一方その隣に建つ石碑は三朝温泉の情景を歌った
新民謡・
三朝小唄の一節。
ないてわかれりゃ 空までくもる
くもりゃ 三朝が雨となる とあります。
この叙情的な詩を書き上げたのは作詞家・
野口雨情(のぐち うじょう)
昭和2(1927)年にこの地を訪れた雨情は旅館に着くなり
旅装のままビールを傾けながら、
即興で一文を作り出したという。
これに「戸倉・上山田温泉」の記事(7月記事参照)で取り上げた「千曲小唄」を
手掛けた作曲家・
中山晋平(なかやま しんぺい)が曲を付け、
踊りも加わり完成を見たという。
雨に濡れた温泉街の情感と男女の像、寂しく、哀しげな詩。
何やら胸に迫るものがあります。

「三朝小唄」の像の真正面、小ぢんまりとした佇まいの
大綱引資料館温泉街で毎年5月に開催され、年ごとの豊作や商売繁盛を占うという
花湯まつりそのメインイベントとなる
陣所と呼ばれる大綱引きに
関する資料や実物の綱、三朝地域の信仰の源・三徳山三佛寺に
関係した展示が行われている施設。
入館料は
無料となっており、湯治客か否かや
国籍も問わずウェルカム。

中へ入ってまず見つけたのは、
三佛寺奥院(さんぶつじおくのいん)、
通称
投入堂(なげいれどう)の
模型慶運3(706)年に修験道の開祖・
役行者(えんのぎょうじゃ)に
よって開かれ、後年仏教霊場として整備された
三徳山(みとくさん)
その中腹、標高520m付近の断崖絶壁に張り付くように
建てられたのがこの投入堂。
役行者がその法力でもって
投げ入れた、との
伝説も有る建物ですが、その建築方法は
不明確かなのは建てられたのが平安後期であるということ、
神社本殿形式という建築方式としては
最古の建物であるということです。
その有り得ない立地と参拝の難しさから、
最も危険な国宝とも
称されています。
いつかは行ってみたい・・・でも大変そう・・・

こちらが毎年5月4日、花湯まつりのメインとなる「陣所」に用いられる
実物の綱、その一部。
ずっしりとした重量感が見た目から伝わる綱の素材は、
藤かずら祭りの1ヶ月前から近場の山林で採取されたかずらの束は、重さ約
3tこれを
三朝川に1週間浸け、東西に分ける。
祭りの前日から「お清め」の後に組み立てを始め、
当日の夕刻に綱を引き出し、形を整えてから中央に
くさびとなる
かせ木をはめ込み、準備完了。
そして打ち上げ花火を合図に雌雄2極の綱を
東西に分かれた地元住民や宿泊客が引き合う、というもの。
その文化的・歴史的価値から国の
重要無形民俗文化財に
指定されています。

こちらが陣所の様子。
かせ木を中心に、東西左右に分かれた人々が綱を引き合っています。
肝心の勝敗の結果ですが、
東が勝てば豊作、
西が勝てば商売繁盛とされているそうです。

こちらが東西の綱を繋げるくさびとして用いられる、
かせ木説明書きにも有りますが温泉街の鎮守の社・
三朝神社による
祈祷を受けており、このかせ木によって結び付く綱に触れることで、
幸運を呼び込むご利益があるそうな。

大綱引資料館を後に、三朝温泉街のメインストリートとなる
温泉本通りへ突入!
昭和の風情を残す狭い通りには、飲食店や商店、射的場の他

素敵なお店や・・・


一部の旅館・商店を開放し、コレクションや作品を展示する
湯の街ギャラリーが点在し、見所いっぱい!

ふらりと立ち寄ったこちらのギャラリー、一見すると木彫りの彫刻のようにも見えますが、
何と
高野豆腐製作成には調理師による
剥き物という技法が使われ、
それぞれ四角形に切り取った高野豆腐を接着剤で固め、
ナイフで削り出す、という工程で出来上がっています。

高野豆腐によるアートの競演を見た後は、お昼ご飯。
味賞 三朝屋(みしょう みささや)にて、地元の味を頂きます。

注文したのはこちら、
地物おまかせ膳一人前¥1150なり。
たくさんの皿や小鉢に取り分けられているのは、
焼き魚、鶏そぼろ、各種野菜・・・等々、三朝や近隣の土地で
採れる
地産地消の食材たち。
写真手前のご飯には、三朝産のお米が使われています。
なおあくまで「おまかせ」なお膳のため、
小鉢の内容は仕入れ状況によって変化あり。
メニューにはこの日はイノシシ、日によってはシカといった
ジビエ料理も並ぶ模様。

腹を満たし、温泉街を歩きます。

途中で現れる広場のような場所に在るのは、温泉の恵みと効能に感謝の意を込めて
建てられた
薬師堂その隣にはお薬師様より名前を頂戴した足湯・
薬師の湯絶え間なく流れ出す天然のお湯は、驚くほど
あっつあつ!足湯とは言えずっと浸かっているのは至難の業で、
先に休んでいたご夫婦は、足を浸けたり引っ込めたりを
繰り返しておりました。

温泉本通りの末端付近、工事中のところを避けてお邪魔したのは
藤井酒造合資会社創業は江戸時代前期の寛文9(1669)年、以来三朝にて
酒造りを続ける造り酒屋。
看板商品の「三朝正宗」をはじめ三朝温泉の開湯伝説に由来する「白狼」、
「三徳桜」といった銘柄を抱える蔵元ですが、
その中でも特徴的なのが・・・
電球型の酒瓶もちろん中身は
本物のお酒であり、きちんと飲めます。
プラグ部分は蓋となっており、本当に電球として使えてしまえそうなクオリティ。
ここへ立ち寄った目的はコレだったりする。
当然お買い上げ!
もはやお馴染みとなりつつある温泉地立ち寄り。
次回は温泉街発祥の地となった湯屋と
町の鎮守の社、そして夜明かりに照らされた
湯治場を歩きます。
それでは!