海辺の道を往く
- 2018/12/06
- 18:11
山陰入り4日目。
この日は倉吉・三朝地域から同じ鳥取県中部の町、
琴浦町(ことうらちょう)へ移動。
漁村の面影を残す海辺の町を、歩いてまいります。

倉吉駅からは、米子行き普通列車に乗車。
やって来たのはキハ121系気動車
90年代末から2000年代初めに掛け、山陰方面で伸び行く高速道路網に対し
鉄道の競争力を維持すべく、鳥取県・島根県の援助の下行われた
山陰本線高速化事業
それに伴う軌道の改良や速度の向上に対応した車両として、
平成13(2001)年にデビューしました。
普通用車両として開発されたのは車両の両端に運転台が付き、
1両単位で運用出来るこのキハ121系と、
片側に運転台が有り、2両で編成を組んで走るキハ126系の2形式。
違いは運転台の配置と、両数のみ。
最高速度は100km/hで、国鉄型気動車と比較し、
最高速と加速性能が強化されています。
そのスタートダッシュは、まるで電車のよう
また車両の標準化やコスト低減、保守の省力化を目的として
極力電車との共通化が図られており、
高速性能を支える台車も新快速でお馴染み、
223系をベースとしたもの。
同じ目的、時期に登場した特急用キハ187系とも、
部品の共通化が行われています。

車内には旧型車の影響を感じさせる、対面式クロスシート。
座席や車内のアクセントカラーには茶色が用いられ、
暖かみを感じるデザインとなっています。
ローカル線用ながら長時間乗車も想定し、トイレも完備。

快足を生かし、平野を疾駆します。
途中の由良駅(ゆらえき)では、
特急列車2本をやり過ごすべく、10分以上の長時間停車。
この待ち時間を利用し、駅構内を散策。その理由(わけ)は・・・

こちら!
実は由良駅が所在する北栄町(ほくえいちょう)は大人気ご長寿漫画およびアニメ・
「名探偵コナン」(思いっ切り出てしまっているので、伏せずに行きます)の作者、
青山剛昌(あおやま ごうしょう)氏の出身地
自治体もそれを最大限に活用、「名探偵コナンに会えるまち」として
町おこしに取り組んでおり、町内には「青山剛昌ふるさと館」や
「コナン通り」、「コナンの家 米花商店街」といった施設が点在し・・・

その最寄り駅となる由良駅にはコナン駅という愛称が付けられています。

線路を跨ぐ跨線橋や待合室も、ご覧の通り
私は特段同作品のファンという訳でも無いので(失礼ながら)立ち寄ることは
有りませんが、コナンファンの皆様、町内の観光施設や
この「コナン駅」を見に、足を運んでみてはいかがでしょうか?

倉吉駅から約40分、目的地たる赤碕駅に到着!
開業は明治36(1903)年と、駅としては実に110年余りの歴史を持つ
長寿駅
昭和の香り漂う駅舎は一度改築されたようで、現在の建物は昭和11(1936)年と、
これまた長い。

かつて使われていた物でしょうか?出入り口付近の庇の裏側に、
木製の駅名標を発見。

駅前から真っ直ぐ伸びる道の向こうに、日本海!
海から続く緩やかな坂の上に位置する赤碕駅付近は海抜25mとなっており、
写真からも高低差が付いているのが分かります。

海を目指して歩いていると、住宅地の中にポツンと開けた空き地を発見!
通りかかった地元の方によると工場の跡らしいのですが、
実はここ、元をたどれば黒船来航に端を発する動乱の幕末期に、鳥取藩が設置した
赤碕台場の跡!
「台場」とは沿岸警備・防衛の為に幕府や大名諸藩が設置した
砲台のこと。(若者に人気の東京・「お台場」も、
名前の由来はコレ)
文久3(1863)年から元治元(1864)年に掛けて、鳥取藩によって
因幡国(鳥取県東部)と伯耆国(鳥取県中・西部)に築かれた台場の一つ。
鳥取藩の台場には西洋式に基付く城塞構築の手法が
取り入れられており、半円形の構造は全国的にも珍しいそう。
よくよく見ると、この空き地も半円形をしているような・・・
その造りは外周を固める「護胸壁」、大砲を据え付ける「砲壇」、人や
物資が行き来する「往来」の三段重ね。
その役割を終えた後、戦後まもなくまでは良好な状態を保っていたそうですが、
昭和33(1958)年より始まった国道9号線の工事の際、
残土により埋め立てられてしまい、今は
外周の緑に覆われた「護胸壁」に、かろうじて面影が残ります。
こんな有様ですが、一応史跡



赤碕台場跡からは、荒波寄せる日本海の情景を見通すことが出来ます。

散策の前に、腹ごしらえ。立ち寄ったのは国道9号線沿いに
店を構える、食事処 香味徳(かみとく)
創業昭和24(1949)年の老舗店。
その目玉はなんといってもご当地B級グルメ・牛骨ラーメン!
鳥取県中西部で主に作られ、全国的にも珍しい
牛の骨を用いたスープが特徴。
ここ香味徳はその中でも人気店として知られており、
平日昼間という時間帯ながら、スーツを着込んだサラリーマン、
作業着を身に着けた建設業の人たち、地元の人等、
絶えること無い来客で賑わっておりました。

多彩なメニューが揃っていましたが、もちろん牛骨ラーメンを注文!

麺は中太ちぢれ麺
これに牛骨で出汁を採り、薄口醤油を合わせたスープが絡みます。
食べやすく、それでいてコクのある味わい。
しっかりスープまで頂きました!
ここからは、琴ノ浦歴史街道へ。
琴浦町の海岸線に沿ったおよそ10km、港町や宿場町の
面影を感じさせる散策路。
その全行程とは行きませんが、風情たっぷりの道を辿り、
一つ目の目的地を目指します。

歩き始めてしばらく。海岸沿いに見えてきたのは、花見潟墓地
東西約349m、南北19~79m、およそ2万基もの墓石が
立ち並ぶ、日本最大級の自然発生墓地
その成立起源は不明ながら、初期の物は中世後半以後、と見られています。
中でも特異とされているのが赤碕塔
高さ3.14m、鎌倉時代末の作とされる塔は、この地のみの様式だそう。
もっとも、墓地へ立ち入って見に行く気にはなりませんでしたが・・・

墓、墓、墓・・・見渡す限りの墓石が並びます。
明治24(1891)年、「怪談」「骨董」等で知られる
作家・小泉八雲(こいずみ やくも、ラフカディオ・ハーン)が
妻・セツを伴っての旅でここを通り掛かり、
その広さと果てしなさに(誇張気味ながらも)驚く様が、著書に記されています。

日本海を眺めるように並ぶ墓石群。
海沿いに成立している墓地としては、ここ花見潟墓地ほどの規模は
極めて稀だそう。


花見潟墓地を過ぎ、港町や街道の面影が残る通りを歩きます。

かつて船主が住んでいたのでしょうか。立派な家屋が残されています。

こちらも趣き有る建物は、塩谷定好写真記念館
大正から昭和にかけて活躍した写真家・塩谷定好(しおたに ていこう)氏の
生家を改装した館内では、彼の作品を展示したギャラリーの他、
遺愛の品を見たり、カフェでの一服も出来るとか。
しかしこの日はあいにくの休館日。残念。

江戸時代、千石船(せんごくぶね、米1000石を積載可能な大型木造船)の寄港地として、
また藩米の積み出し港として栄えた菊港
漁村の面影残る家屋、静かに打ち寄せる波が印象的な波止場の
突端に立つのが・・・

波しぐれ三度笠
今年7月に亡くなられた彫刻家・流政之(ながれ まさゆき)氏の
手による作品は、頭に被る三度笠に旅を、
旅に人生を重ね合わせています。
そこに込められているのは命がけで日本海の荒波へと
乗り出した海の男たちの生き様と、それを見送り、無事な帰りを待ちわびた
人々の悲哀。
そんな物語を胸に三体の石像を眺めていると、旅や海への憧憬、
そして茫洋たる海に流れた涙が見えるよう。
海辺に佇むその姿からは、なんだか哀愁すら感じます。
海辺の町に残る、人々の営みの痕。
そうして繰り返され、積み上げられてきた歴史が、あるいは
訪れた旅人を惹きつけるのでしょうか。
次回も琴浦町・赤碕探訪。
精緻な彫刻の数々が目を引く集落の社と、
「パワースポット」として知られる浜辺を巡ります。
それでは!
この日は倉吉・三朝地域から同じ鳥取県中部の町、
琴浦町(ことうらちょう)へ移動。
漁村の面影を残す海辺の町を、歩いてまいります。

倉吉駅からは、米子行き普通列車に乗車。
やって来たのはキハ121系気動車
90年代末から2000年代初めに掛け、山陰方面で伸び行く高速道路網に対し
鉄道の競争力を維持すべく、鳥取県・島根県の援助の下行われた
山陰本線高速化事業
それに伴う軌道の改良や速度の向上に対応した車両として、
平成13(2001)年にデビューしました。
普通用車両として開発されたのは車両の両端に運転台が付き、
1両単位で運用出来るこのキハ121系と、
片側に運転台が有り、2両で編成を組んで走るキハ126系の2形式。
違いは運転台の配置と、両数のみ。
最高速度は100km/hで、国鉄型気動車と比較し、
最高速と加速性能が強化されています。
そのスタートダッシュは、まるで電車のよう
また車両の標準化やコスト低減、保守の省力化を目的として
極力電車との共通化が図られており、
高速性能を支える台車も新快速でお馴染み、
223系をベースとしたもの。
同じ目的、時期に登場した特急用キハ187系とも、
部品の共通化が行われています。

車内には旧型車の影響を感じさせる、対面式クロスシート。
座席や車内のアクセントカラーには茶色が用いられ、
暖かみを感じるデザインとなっています。
ローカル線用ながら長時間乗車も想定し、トイレも完備。

快足を生かし、平野を疾駆します。
途中の由良駅(ゆらえき)では、
特急列車2本をやり過ごすべく、10分以上の長時間停車。
この待ち時間を利用し、駅構内を散策。その理由(わけ)は・・・

こちら!
実は由良駅が所在する北栄町(ほくえいちょう)は大人気ご長寿漫画およびアニメ・
「名探偵コナン」(思いっ切り出てしまっているので、伏せずに行きます)の作者、
青山剛昌(あおやま ごうしょう)氏の出身地
自治体もそれを最大限に活用、「名探偵コナンに会えるまち」として
町おこしに取り組んでおり、町内には「青山剛昌ふるさと館」や
「コナン通り」、「コナンの家 米花商店街」といった施設が点在し・・・

その最寄り駅となる由良駅にはコナン駅という愛称が付けられています。

線路を跨ぐ跨線橋や待合室も、ご覧の通り
私は特段同作品のファンという訳でも無いので(失礼ながら)立ち寄ることは
有りませんが、コナンファンの皆様、町内の観光施設や
この「コナン駅」を見に、足を運んでみてはいかがでしょうか?

倉吉駅から約40分、目的地たる赤碕駅に到着!
開業は明治36(1903)年と、駅としては実に110年余りの歴史を持つ
長寿駅
昭和の香り漂う駅舎は一度改築されたようで、現在の建物は昭和11(1936)年と、
これまた長い。

かつて使われていた物でしょうか?出入り口付近の庇の裏側に、
木製の駅名標を発見。

駅前から真っ直ぐ伸びる道の向こうに、日本海!
海から続く緩やかな坂の上に位置する赤碕駅付近は海抜25mとなっており、
写真からも高低差が付いているのが分かります。

海を目指して歩いていると、住宅地の中にポツンと開けた空き地を発見!
通りかかった地元の方によると工場の跡らしいのですが、
実はここ、元をたどれば黒船来航に端を発する動乱の幕末期に、鳥取藩が設置した
赤碕台場の跡!
「台場」とは沿岸警備・防衛の為に幕府や大名諸藩が設置した
砲台のこと。(若者に人気の東京・「お台場」も、
名前の由来はコレ)
文久3(1863)年から元治元(1864)年に掛けて、鳥取藩によって
因幡国(鳥取県東部)と伯耆国(鳥取県中・西部)に築かれた台場の一つ。
鳥取藩の台場には西洋式に基付く城塞構築の手法が
取り入れられており、半円形の構造は全国的にも珍しいそう。
よくよく見ると、この空き地も半円形をしているような・・・
その造りは外周を固める「護胸壁」、大砲を据え付ける「砲壇」、人や
物資が行き来する「往来」の三段重ね。
その役割を終えた後、戦後まもなくまでは良好な状態を保っていたそうですが、
昭和33(1958)年より始まった国道9号線の工事の際、
残土により埋め立てられてしまい、今は
外周の緑に覆われた「護胸壁」に、かろうじて面影が残ります。
こんな有様ですが、一応史跡



赤碕台場跡からは、荒波寄せる日本海の情景を見通すことが出来ます。

散策の前に、腹ごしらえ。立ち寄ったのは国道9号線沿いに
店を構える、食事処 香味徳(かみとく)
創業昭和24(1949)年の老舗店。
その目玉はなんといってもご当地B級グルメ・牛骨ラーメン!
鳥取県中西部で主に作られ、全国的にも珍しい
牛の骨を用いたスープが特徴。
ここ香味徳はその中でも人気店として知られており、
平日昼間という時間帯ながら、スーツを着込んだサラリーマン、
作業着を身に着けた建設業の人たち、地元の人等、
絶えること無い来客で賑わっておりました。

多彩なメニューが揃っていましたが、もちろん牛骨ラーメンを注文!

麺は中太ちぢれ麺
これに牛骨で出汁を採り、薄口醤油を合わせたスープが絡みます。
食べやすく、それでいてコクのある味わい。
しっかりスープまで頂きました!
ここからは、琴ノ浦歴史街道へ。
琴浦町の海岸線に沿ったおよそ10km、港町や宿場町の
面影を感じさせる散策路。
その全行程とは行きませんが、風情たっぷりの道を辿り、
一つ目の目的地を目指します。

歩き始めてしばらく。海岸沿いに見えてきたのは、花見潟墓地
東西約349m、南北19~79m、およそ2万基もの墓石が
立ち並ぶ、日本最大級の自然発生墓地
その成立起源は不明ながら、初期の物は中世後半以後、と見られています。
中でも特異とされているのが赤碕塔
高さ3.14m、鎌倉時代末の作とされる塔は、この地のみの様式だそう。
もっとも、墓地へ立ち入って見に行く気にはなりませんでしたが・・・

墓、墓、墓・・・見渡す限りの墓石が並びます。
明治24(1891)年、「怪談」「骨董」等で知られる
作家・小泉八雲(こいずみ やくも、ラフカディオ・ハーン)が
妻・セツを伴っての旅でここを通り掛かり、
その広さと果てしなさに(誇張気味ながらも)驚く様が、著書に記されています。

日本海を眺めるように並ぶ墓石群。
海沿いに成立している墓地としては、ここ花見潟墓地ほどの規模は
極めて稀だそう。


花見潟墓地を過ぎ、港町や街道の面影が残る通りを歩きます。

かつて船主が住んでいたのでしょうか。立派な家屋が残されています。

こちらも趣き有る建物は、塩谷定好写真記念館
大正から昭和にかけて活躍した写真家・塩谷定好(しおたに ていこう)氏の
生家を改装した館内では、彼の作品を展示したギャラリーの他、
遺愛の品を見たり、カフェでの一服も出来るとか。
しかしこの日はあいにくの休館日。残念。

江戸時代、千石船(せんごくぶね、米1000石を積載可能な大型木造船)の寄港地として、
また藩米の積み出し港として栄えた菊港
漁村の面影残る家屋、静かに打ち寄せる波が印象的な波止場の
突端に立つのが・・・

波しぐれ三度笠
今年7月に亡くなられた彫刻家・流政之(ながれ まさゆき)氏の
手による作品は、頭に被る三度笠に旅を、
旅に人生を重ね合わせています。
そこに込められているのは命がけで日本海の荒波へと
乗り出した海の男たちの生き様と、それを見送り、無事な帰りを待ちわびた
人々の悲哀。
そんな物語を胸に三体の石像を眺めていると、旅や海への憧憬、
そして茫洋たる海に流れた涙が見えるよう。
海辺に佇むその姿からは、なんだか哀愁すら感じます。
海辺の町に残る、人々の営みの痕。
そうして繰り返され、積み上げられてきた歴史が、あるいは
訪れた旅人を惹きつけるのでしょうか。
次回も琴浦町・赤碕探訪。
精緻な彫刻の数々が目を引く集落の社と、
「パワースポット」として知られる浜辺を巡ります。
それでは!