縁結びと古の社へ
- 2018/12/11
- 18:15
皆様、お久しぶりです。少々ご無沙汰しておりました。
というのもここ3日ほど、今現在身を置いている大分県のお隣、
宮崎県へ参っておりました。
そちらの方はまた後日まとめて行く所存ですが、
まずは山陰旅。
残り幾つかとなった一週間旅の記録から、綴って参ろうかと
考えております。
山陰入り5日目、この日は琴浦町から県境を越え、
ついに島根県入り!
同県東部に位置する県都・松江市へ移動し、
「縁結びの社」と、古い歴史を持つお社を巡ります。

「河上旅館」の朝。
宿の人からの電話を受け、食事場所となっている座敷へ。
ずっと外食続きの身に、家庭的な料理が染み渡る(泣)

宿に別れを告げ、赤碕駅から9時過ぎ発、米子行き普通列車に乗り込みます。
ここから松江までは乗り換え1回、1時間40分ほどの列車旅。
車両は非電化ローカル線でお馴染み、片運転台のキハ47形気動車
×2編成。これでも長いほうである。
運用線区や形態、運行会社によって多彩なカラーリングを持つ同形式ですが、
山陰地区はこの塗色。

車内は8割方ロングシート、中央部がクロスシートのセミクロス構成。
クロスシート部分は懐かしの対面式となっています。

赤碕駅を出てしばらく、車窓左手に「伯耆富士」の異名を取る名峰、
大山(だいせん、標高1,729m)の姿が。
日本百名山にも選ばれている中国地方最高峰の峰々が、
見る角度によって姿を変えながら乗客たちの目を楽しませてくれます。
途中では右手に日本海も望めるのですが、
大山に夢中の私、華麗にスルー

米子市へ入ると、大山の山容は「富士」の名に相応しい形(なり)に。
間も無く列車は終点であり、山陰地方有数の交通結節点・米子駅に到着します。

米子駅は山陰本線をはじめ、複数の路線が入り混じるターミナル駅。
構内には車両の留置・整備を行う車両基地が置かれ、多数の
車両が並んでいます。
こちらはここを起終点として境港へ向かう境線の専用車、
ゲゲ○の鬼太郎のキャラクターがあしらわれた
鬼太郎列車

岡山駅から伯備線(はくびせん)を通って、ここ米子から
山陰西部の各都市を結ぶ特急やくも
山陽地方と山陰地方を繋ぐ陰陽連絡特急の一矢。

私もここで出雲市駅行き普通列車に乗り換え、松江を目指します。
車両は再びキハ47形。

県境を越えて安来市付近では中海を望み、島根県を代表する
湖沼・宍道湖(しんじこ)の東端が見えてきました。
この先で高架橋へ上がって間も無く、列車は松江駅へと入ります。

やって参りました、松江駅!
明治41(1908)年開業、現在の駅舎は高架化前、
昭和28(1953)年竣工の南口と、高架化と時を同じくして昭和52(1977)年より
使用されている北口の二通り。
今回は裏側に当たる南口から、松江の街に降り立ちます。
ここからの名所巡りには、上高地で(部署は異なるものの)共に働いていた人が所有する
マイカーでの移動。
重い荷物を降ろせて移動もシームレス。ああ、至便かな。

というわけで、まずはお昼ご飯。
やって来たのは町のシンボル・松江城のお堀の近くにて営業中の、
海鮮うまいもん料理 京らぎ
メインとなる魚介類は中海や宍道湖、日本海で水揚げされた完全地物
それに加え鳥取・島根の両県で獲れた肉類、
地産の野菜を用い、こだわりの料理を提供するお店。

注文したのは、こちらの鯛茶漬け
皿の上に載せられているのは鳥取県境港産、天然ものの真鯛
刺身として食べてもおいしい一品を、京らぎではお茶漬けの具に使用!

まずは島根県産米を炊き上げたごはんに、自家製ダレに潜らせた
鯛の刺身を搭載!
薄味の出汁を掛けて頂いた後は、海苔やわさび、ネギといった薬味を乗せて
二杯、三杯!
チョイス次第でいろんな味を楽しめます!

紅に染まった庭を眺めながらの食事。いや~、満足!
さて、にっこにこで店を出た男2人ですが、揃ってお店に忘れ物をするという
オチも付きました(笑)

続いては松江市郊外、「縁結びの社」として知られる八重垣神社(やえがきじんじゃ)
「早く出雲の八重垣様に 縁の結びが願いたい」と民謡に歌われる
由緒正しきお社。
祭神は天上界きっての武芸者、素戔鳴命(スサノオノミコト)と
そのお妃である稲田姫命(イナダヒメノミコト、櫛名田比売とも)
この地に社が構えられていることにも、大層な理由があります。
神代(かみよ)の昔、稲田姫の両親と出会ったスサノオは、姫が
8つの頭と巨大な体を持つ怪物・八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に
食い殺されんとしていることを知り、稲田姫を嫁にもらう代わりに
怪物退治を買って出ます。
その際に八岐大蛇の脅威から稲田姫を守るため、
佐久佐女の森(さくさめのもり)に生える
杉の大木の周囲に八重垣(幾重にも張り巡らせた垣根)を築き、
その中に姫を隠しました。
そして八岐大蛇退治が成った後、この地を気に入ったスサノオは、
佐草(さくさ)の地に夫婦で住まう宮を建てることとしました。
その場所がまさにこの地、という訳。
この一連の神話の中でスサノオが詠んだ
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに八重垣造る その八重垣を」という歌は、
日本史上初の短歌として語り継がれています。
両親の許しを得ての正式婚の事例を作った夫婦神の住まい。
これがこの地が縁結びの社として長く崇敬を集めてきた主因なのでしょう。

八重垣神社社殿。
形式は出雲大社等と同じ大社造(たいしゃづくり)
社殿への入り口が正面から向かって右側に設けられ、
本殿中枢に門外不出の柱・心御柱(しんのみはしら)を頂くのが特徴。
男2人という妙な組み合わせではあるものの、折角来たのでお参り。
「縁結びの神様」だけあって、境内に女性の姿が多かったのが印象的でした。

で、ここ八重垣神社の声望をより高めている場所が、社の奥に在ります。
それが写真の注連縄の向こう、佐久佐女の森(さくさめのもり)
「奥の院」として神聖視されている太古の森は、まさに八岐大蛇退治の折に
稲田姫が匿われた、杉の森。
八重垣の中心となった大杉は現存していないものの
その跡地は大事に囲われ、神様の事跡を今に伝えています。

そんな佐久佐女の森の奥、こちらの鏡の池が恋する乙女たちのお目当て。
ここは稲田姫が八岐大蛇を避けてここへ隠れ潜んでいた際に飲料水とし、
また身支度を整えるための姿見とされた場所で、
その御霊魂が浸透していることからご縁占いの池として
人気を集めています。

その方法がこちら。社務所にて頂いた占い用紙に百円、もしくは十円硬貨を乗せ
願いとともに池に浮かべるという、一見シンプルなもの。
しかし吉凶を占うのにきちんと決まりごとがあり、
・用紙が15分以内に沈めば良縁が早く訪れ
・30分以上掛かるようだと遅くなる
といわれているそう。また他にも
・近くで沈むと身近な人と
・遠くで沈むと遠方の人と
ご縁が有る、という条件もプラスされます。
なおこのご縁占い、男女の別は無いと思われますので、
ご縁が欲しいという方、また占ってみたいという方は、
参拝の上お試しあれ!(我々は見ていただけですが)

池の畔には当の稲田姫命を祀る天鏡神社(あめのかがみのおやしろ)が
設けられ、縁占いに一喜一憂する人々を見守っておりました。

社殿や鏡の池に人目が集まりがちな境内ですが、注目ポイントは他にも。
その一つがこちらの建物内に保存されている壁画
かつて本殿内に掲げられ、寛平5(893)年に平安朝の絵師・
巨勢金岡(こせの かなおか)によって描かれたと伝わる
壁画は、全部で6点。
その中には平安風の衣装を身に着けた素戔鳴尊、稲田姫命、
天照大神(アマテラスオオミカミ、最高神でありスサノオの姉)、
市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト、宗像大社三女神の一柱)、
脚摩乳命(アシナヅチノミコト、稲田姫の父神)、
手摩乳命(テナヅチノミコト、稲田姫の母神)の6柱の神々が
描かれています。
1000~1100年前の作とされる作品は当時存在しなかった鉋の代わりに
槍鉋(やりがんな、三角形の先端に刃を取り付け、
突くようにして木材を削る道具)を用い、
白土でキャンバスが構成されており、
その上に彩色された絵を描いたという類例のない
大変貴重なものだそう。
国より重要文化財指定も受けている学術的・美術的に
価値のある一品ですが、随分と劣化が進んでしまっており、良くわからない状態。
ものによっては残っているのが顔の一部のみという有り様。
それでいいのか、文化財。
ちなみにこの壁画をしまっている宝物収蔵庫、内部は撮影禁止となっています。

こちらは連理玉椿またの名を夫婦椿(めおとつばき)
境内に三本存在する二股の椿の木にもこれまた逸話が有り、
「稲田姫命が二本の椿の枝をお立てになられた。それが
芽を吹き出し一心同体、愛の象徴として扱われ、木が枯れても
境内に二股の椿が現れる」とされています(八重垣神社由緒より)
円満な夫婦関係を象徴するかのような、ロマンチックな木。
ここから再度車で移動。市街地からより遠く、そして山間の土地に
入って行きます。そこが二つ目の社の所在地。

神社巡り二つ目は、神魂神社(かもすじんじゃ)
祭神は日本国土を創造し、数多の神を産み出した夫婦神、
伊弉諾命(イザナギノミコト)と伊弉冊命(イザナミノミコト)
古くは出雲国造(いずものくにのみやつこ、中央朝廷より任じられた地方行政官)の
祖とされている天穂日命(アメノホヒノミコト)によって創建され、
その後は天穂日命の子孫が出雲国造として近在にて奉仕し、
その血族が出雲大社へと去った後も折に触れて祀られ続けて来た、
由緒超正しい社。

階段連なる参道を登ります。

神魂神社社殿。
室町時代初期、正平元(1346)年建立の本殿は寸法こそ
総社である出雲大社と異なるものの、建物としての歴史は大社よりも古く、
大社造としては最古の建造物として国宝に指定されています。
本殿内部壁面には江戸時代の絵師・土佐光起(とさ みつおき)作と
伝わる壁画が、
天井には5色に彩色された9つの瑞雲が浮かんでいるそうな。

間近から本殿を見上げる。
古式蒼然とした造りに、刻まれた歴史と時の流れを感じます。

神魂神社の周辺には出雲国府跡や古代遺跡が点在していますが、
人の住まいが宍道湖沿いに集まる現代では、のどかな風景が広がります。
いよいよやって参りました、山陰旅の最終目的地にして神在る国の都・
松江。
ここでこの日を含めて3日を送り、古代から中世、そして近世へと
連なる歴史の流れに触れて行きたいと思います。
次回は太古の出雲を感じることが出来る歴史公園、
風土記の丘(ふどきのおか)へ。
復元された古の住居や本物の古墳、そして
出土品や松江地域の歴史と人の営みを紹介する博物館を
見学します。
それでは!
というのもここ3日ほど、今現在身を置いている大分県のお隣、
宮崎県へ参っておりました。
そちらの方はまた後日まとめて行く所存ですが、
まずは山陰旅。
残り幾つかとなった一週間旅の記録から、綴って参ろうかと
考えております。
山陰入り5日目、この日は琴浦町から県境を越え、
ついに島根県入り!
同県東部に位置する県都・松江市へ移動し、
「縁結びの社」と、古い歴史を持つお社を巡ります。

「河上旅館」の朝。
宿の人からの電話を受け、食事場所となっている座敷へ。
ずっと外食続きの身に、家庭的な料理が染み渡る(泣)

宿に別れを告げ、赤碕駅から9時過ぎ発、米子行き普通列車に乗り込みます。
ここから松江までは乗り換え1回、1時間40分ほどの列車旅。
車両は非電化ローカル線でお馴染み、片運転台のキハ47形気動車
×2編成。これでも長いほうである。
運用線区や形態、運行会社によって多彩なカラーリングを持つ同形式ですが、
山陰地区はこの塗色。

車内は8割方ロングシート、中央部がクロスシートのセミクロス構成。
クロスシート部分は懐かしの対面式となっています。

赤碕駅を出てしばらく、車窓左手に「伯耆富士」の異名を取る名峰、
大山(だいせん、標高1,729m)の姿が。
日本百名山にも選ばれている中国地方最高峰の峰々が、
見る角度によって姿を変えながら乗客たちの目を楽しませてくれます。
途中では右手に日本海も望めるのですが、
大山に夢中の私、華麗にスルー

米子市へ入ると、大山の山容は「富士」の名に相応しい形(なり)に。
間も無く列車は終点であり、山陰地方有数の交通結節点・米子駅に到着します。

米子駅は山陰本線をはじめ、複数の路線が入り混じるターミナル駅。
構内には車両の留置・整備を行う車両基地が置かれ、多数の
車両が並んでいます。
こちらはここを起終点として境港へ向かう境線の専用車、
ゲゲ○の鬼太郎のキャラクターがあしらわれた
鬼太郎列車

岡山駅から伯備線(はくびせん)を通って、ここ米子から
山陰西部の各都市を結ぶ特急やくも
山陽地方と山陰地方を繋ぐ陰陽連絡特急の一矢。

私もここで出雲市駅行き普通列車に乗り換え、松江を目指します。
車両は再びキハ47形。

県境を越えて安来市付近では中海を望み、島根県を代表する
湖沼・宍道湖(しんじこ)の東端が見えてきました。
この先で高架橋へ上がって間も無く、列車は松江駅へと入ります。

やって参りました、松江駅!
明治41(1908)年開業、現在の駅舎は高架化前、
昭和28(1953)年竣工の南口と、高架化と時を同じくして昭和52(1977)年より
使用されている北口の二通り。
今回は裏側に当たる南口から、松江の街に降り立ちます。
ここからの名所巡りには、上高地で(部署は異なるものの)共に働いていた人が所有する
マイカーでの移動。
重い荷物を降ろせて移動もシームレス。ああ、至便かな。

というわけで、まずはお昼ご飯。
やって来たのは町のシンボル・松江城のお堀の近くにて営業中の、
海鮮うまいもん料理 京らぎ
メインとなる魚介類は中海や宍道湖、日本海で水揚げされた完全地物
それに加え鳥取・島根の両県で獲れた肉類、
地産の野菜を用い、こだわりの料理を提供するお店。

注文したのは、こちらの鯛茶漬け
皿の上に載せられているのは鳥取県境港産、天然ものの真鯛
刺身として食べてもおいしい一品を、京らぎではお茶漬けの具に使用!

まずは島根県産米を炊き上げたごはんに、自家製ダレに潜らせた
鯛の刺身を搭載!
薄味の出汁を掛けて頂いた後は、海苔やわさび、ネギといった薬味を乗せて
二杯、三杯!
チョイス次第でいろんな味を楽しめます!

紅に染まった庭を眺めながらの食事。いや~、満足!
さて、にっこにこで店を出た男2人ですが、揃ってお店に忘れ物をするという
オチも付きました(笑)

続いては松江市郊外、「縁結びの社」として知られる八重垣神社(やえがきじんじゃ)
「早く出雲の八重垣様に 縁の結びが願いたい」と民謡に歌われる
由緒正しきお社。
祭神は天上界きっての武芸者、素戔鳴命(スサノオノミコト)と
そのお妃である稲田姫命(イナダヒメノミコト、櫛名田比売とも)
この地に社が構えられていることにも、大層な理由があります。
神代(かみよ)の昔、稲田姫の両親と出会ったスサノオは、姫が
8つの頭と巨大な体を持つ怪物・八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に
食い殺されんとしていることを知り、稲田姫を嫁にもらう代わりに
怪物退治を買って出ます。
その際に八岐大蛇の脅威から稲田姫を守るため、
佐久佐女の森(さくさめのもり)に生える
杉の大木の周囲に八重垣(幾重にも張り巡らせた垣根)を築き、
その中に姫を隠しました。
そして八岐大蛇退治が成った後、この地を気に入ったスサノオは、
佐草(さくさ)の地に夫婦で住まう宮を建てることとしました。
その場所がまさにこの地、という訳。
この一連の神話の中でスサノオが詠んだ
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに八重垣造る その八重垣を」という歌は、
日本史上初の短歌として語り継がれています。
両親の許しを得ての正式婚の事例を作った夫婦神の住まい。
これがこの地が縁結びの社として長く崇敬を集めてきた主因なのでしょう。

八重垣神社社殿。
形式は出雲大社等と同じ大社造(たいしゃづくり)
社殿への入り口が正面から向かって右側に設けられ、
本殿中枢に門外不出の柱・心御柱(しんのみはしら)を頂くのが特徴。
男2人という妙な組み合わせではあるものの、折角来たのでお参り。
「縁結びの神様」だけあって、境内に女性の姿が多かったのが印象的でした。

で、ここ八重垣神社の声望をより高めている場所が、社の奥に在ります。
それが写真の注連縄の向こう、佐久佐女の森(さくさめのもり)
「奥の院」として神聖視されている太古の森は、まさに八岐大蛇退治の折に
稲田姫が匿われた、杉の森。
八重垣の中心となった大杉は現存していないものの
その跡地は大事に囲われ、神様の事跡を今に伝えています。

そんな佐久佐女の森の奥、こちらの鏡の池が恋する乙女たちのお目当て。
ここは稲田姫が八岐大蛇を避けてここへ隠れ潜んでいた際に飲料水とし、
また身支度を整えるための姿見とされた場所で、
その御霊魂が浸透していることからご縁占いの池として
人気を集めています。

その方法がこちら。社務所にて頂いた占い用紙に百円、もしくは十円硬貨を乗せ
願いとともに池に浮かべるという、一見シンプルなもの。
しかし吉凶を占うのにきちんと決まりごとがあり、
・用紙が15分以内に沈めば良縁が早く訪れ
・30分以上掛かるようだと遅くなる
といわれているそう。また他にも
・近くで沈むと身近な人と
・遠くで沈むと遠方の人と
ご縁が有る、という条件もプラスされます。
なおこのご縁占い、男女の別は無いと思われますので、
ご縁が欲しいという方、また占ってみたいという方は、
参拝の上お試しあれ!(我々は見ていただけですが)

池の畔には当の稲田姫命を祀る天鏡神社(あめのかがみのおやしろ)が
設けられ、縁占いに一喜一憂する人々を見守っておりました。

社殿や鏡の池に人目が集まりがちな境内ですが、注目ポイントは他にも。
その一つがこちらの建物内に保存されている壁画
かつて本殿内に掲げられ、寛平5(893)年に平安朝の絵師・
巨勢金岡(こせの かなおか)によって描かれたと伝わる
壁画は、全部で6点。
その中には平安風の衣装を身に着けた素戔鳴尊、稲田姫命、
天照大神(アマテラスオオミカミ、最高神でありスサノオの姉)、
市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト、宗像大社三女神の一柱)、
脚摩乳命(アシナヅチノミコト、稲田姫の父神)、
手摩乳命(テナヅチノミコト、稲田姫の母神)の6柱の神々が
描かれています。
1000~1100年前の作とされる作品は当時存在しなかった鉋の代わりに
槍鉋(やりがんな、三角形の先端に刃を取り付け、
突くようにして木材を削る道具)を用い、
白土でキャンバスが構成されており、
その上に彩色された絵を描いたという類例のない
大変貴重なものだそう。
国より重要文化財指定も受けている学術的・美術的に
価値のある一品ですが、随分と劣化が進んでしまっており、良くわからない状態。
ものによっては残っているのが顔の一部のみという有り様。
それでいいのか、文化財。
ちなみにこの壁画をしまっている宝物収蔵庫、内部は撮影禁止となっています。

こちらは連理玉椿またの名を夫婦椿(めおとつばき)
境内に三本存在する二股の椿の木にもこれまた逸話が有り、
「稲田姫命が二本の椿の枝をお立てになられた。それが
芽を吹き出し一心同体、愛の象徴として扱われ、木が枯れても
境内に二股の椿が現れる」とされています(八重垣神社由緒より)
円満な夫婦関係を象徴するかのような、ロマンチックな木。
ここから再度車で移動。市街地からより遠く、そして山間の土地に
入って行きます。そこが二つ目の社の所在地。

神社巡り二つ目は、神魂神社(かもすじんじゃ)
祭神は日本国土を創造し、数多の神を産み出した夫婦神、
伊弉諾命(イザナギノミコト)と伊弉冊命(イザナミノミコト)
古くは出雲国造(いずものくにのみやつこ、中央朝廷より任じられた地方行政官)の
祖とされている天穂日命(アメノホヒノミコト)によって創建され、
その後は天穂日命の子孫が出雲国造として近在にて奉仕し、
その血族が出雲大社へと去った後も折に触れて祀られ続けて来た、
由緒超正しい社。

階段連なる参道を登ります。

神魂神社社殿。
室町時代初期、正平元(1346)年建立の本殿は寸法こそ
総社である出雲大社と異なるものの、建物としての歴史は大社よりも古く、
大社造としては最古の建造物として国宝に指定されています。
本殿内部壁面には江戸時代の絵師・土佐光起(とさ みつおき)作と
伝わる壁画が、
天井には5色に彩色された9つの瑞雲が浮かんでいるそうな。

間近から本殿を見上げる。
古式蒼然とした造りに、刻まれた歴史と時の流れを感じます。

神魂神社の周辺には出雲国府跡や古代遺跡が点在していますが、
人の住まいが宍道湖沿いに集まる現代では、のどかな風景が広がります。
いよいよやって参りました、山陰旅の最終目的地にして神在る国の都・
松江。
ここでこの日を含めて3日を送り、古代から中世、そして近世へと
連なる歴史の流れに触れて行きたいと思います。
次回は太古の出雲を感じることが出来る歴史公園、
風土記の丘(ふどきのおか)へ。
復元された古の住居や本物の古墳、そして
出土品や松江地域の歴史と人の営みを紹介する博物館を
見学します。
それでは!