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お城で優雅なティータイムを

島根県の県都・松江市
島根県東部、山陰地方としてはほぼ中央部に位置し、
市域は東西約41km、南北約31km、
面積およそ572.99k㎡となっています。

奈良時代に出雲国の地方行政を担う出雲国造(いずものくにのみやつこ)や、
仏教に基づいた国造りを目的に全国各地に置かれた
国分寺(こくぶんじ)が地域の発展に寄与していたのは
前回振り返った通りですが、
街として「松江」の名が現れたのは江戸時代はじめ、
出雲国に入封され、松江城を築いた堀尾吉晴(ほりお よしはる)による
命名による。

明治維新後の明治4(1871)年に施行された廃藩置県とともに
島根県庁が松江に設置され、
明治22(1889)年には市制を施行し、「松江市」となりました。
その後十度を越える近隣自治体との合併を経て、
現在の市域に至ります。

気候は年間を通して概ね温暖ながら、日本海側らしく
冬季は曇天が増える他、雪が降る時もあるとか。
宍道湖中海日本海がもたらす水の幸が魅力的。

さて、そんな松江市でも、やはり外せない定番スポットが・・・
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松江城!別名は千鳥城(ちどりじょう)
慶長16(1611)年、初代松江藩主となった堀尾吉晴により
築城されました。
関ヶ原の戦いに於ける勲功によって出雲・隠岐24万石に
封ぜられた堀尾氏。

当初はいまの安来市(やすぎし)に所在する山城・
月山富山城(がっさんとだじょう)に
入りましたが、銃砲を用いた近代戦に対応しづらい
戦国期のままの山城(やまじろ)であったこと、
また城下町形成には狭い土地などから、
宍道湖の畔に位置する現在の松江地域への築城を決意。

城地決定の際に息子・忠氏(ただうじ)との意見の相違もあったそうですが、
慶長9(1604)年に忠氏が27歳の若さで急死すると
その遺志を継ぎ、亀田山への築城を決断します。
こうして城下町の整備と併行して慶長12(1607)年より着工された
松江城は、4年後にその完成を見ることとなりました。

堀尾氏の城として完成した松江城ですが、吉晴の孫・忠晴(ただはる)が
世継ぎの無いままに死去したため、お家断絶
その後を受けて入城した京極忠高(きょうごく ただたか)の下で
領国の整備・拡大に成功しますが、こちらも3年あまりで断絶

信州(長野県)松本から徳川家康の孫に当たる松平直政(まつだいら なおまさ)が
新たな藩主として迎えられ、以後明治維新まで松平家10代の
家名を残すこととなりました。
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今や国宝としてその名も轟く松江城ですが、実は現存しているのは
石垣や堀を除けば天守のみ
その他の建築物は、明治政府によって発布された廃城令によって
明治8(1875)年に取り壊しの憂き目に遭いました。

この写真に見える南櫓(写真左手)と中櫓(同右手)は
破却から125年後の平成13(2001)年に復元され、
高さの有る石垣とともに護りの固さを伝えます。
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こちらが初代藩主にして築城主・堀尾吉晴公の像。
若年より後に天下人となる豊臣秀吉に仕えて
数々の戦場にて武勲を成し、豊臣政権化に於いては
かの有名な五大老の下、
政務の仲裁を担う三中老に任じられました。

天下分け目の関ヶ原の戦いでは参戦こそ叶わなかったものの、
息子・忠氏の居城(浜松城)を差し出すという機転と
前哨戦での武功により一躍国主に成り上がりました。
享年69。城の完成間近で亡くなったとも、父子2代の志が
成就するのを見届けたとも伝わります。
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築城と城下町の造成を指揮する吉晴公の雄姿。
その築城技術は壮麗なる石垣や優美な
天守に現れ、「国宝」としてこの現代の世に結実しています。
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さて、城の入り口となる大手門跡から城内へと踏み入ります。
かつて城を出入りする者や想定される外敵に対し睨みを
効かせていたであろう堅牢な城門は残されてはいませんが、
それを支えていた石垣や太さの有る礎石(そせき)から、
その備えが窺えます。
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石垣の下から南櫓・中櫓と共に復元された太鼓櫓を見上げる。
反りの少ない直線的な石積みは、近江国(滋賀県)より招かれた
石工集団・穴太衆(あのうしゅう)によるもの。

安土城の築城で一躍その名を轟かせたその技術は
ここ松江城に於いても遺憾なく発揮され、
自然石をそのまま、石ごとの相性や特性を見極めながら積み上げる
野面積み(のづらづみ)と、
石切り場より切り出した石材の、平坦な面の角に加工を施した
打ち込み接(うちこみはぎ)の二つの
工法が見られます。
こちらの打ち込み接は、端部に施される算木積み(さんきづみ、
石垣の隅で直方体に加工した石を交互に組み合わせ、
石垣全体の強度を上げる工夫)が見事。
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二之丸北東隅に設けられ、外敵の侵入を迎え撃つ太鼓櫓
入り口に庇が設けられているのが特徴的。

まだ豊臣家が生き残り、大坂の陣を控えた時期に
築かれた松江城ですが、まだ戦の気風漂う時代の城故か
実戦的な構え。
先ほどの写真で見えた角の出っ張りは石落としと言い、
押し寄せる敵軍に対し石を落としたり
お湯を掛けたりする為の仕掛け。
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こちらが「太鼓櫓」と言う呼称の由来。
当時はこの様な太鼓が櫓内に置かれ、時刻や号令を
知らせていたそうな。
なおこちらに置かれているのはレプリカであり、
江戸時代に使われていた実物は、
天守内にて保存・展示されています。
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太鼓櫓から、大手門跡→二之丸へと続く石段を見下ろす。
道は直線では無く屈折した造りとなっており、
敵軍の勢いを削ぐと同時に城内からの攻撃を繰り出しやすい
死角を産み出す狙いが有りました。
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二之丸内からは、天守がチラ見え。
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松江城には御殿建築等は現存していませんが、
その跡地には今の松江城にとっての鎮守の社とも言えるであろう
松江神社が設けられています。
御祭神は松江松平家の祖・松平直政(まつだいら なおまさ)公を
主とし、江戸幕府の開祖であり
直政の祖父である徳川家康(とくがわ いえやす)公、
松江藩中興の祖とされ、大名茶人として財政再建と
文化の興隆に尽力、「不昧公」として親しまれた7代藩主・
松平治郷(まつだいら はるさと)公、
松江城を築いた堀尾吉晴公の四柱。

元は松平直政公を御祭神として西川津村楽山集落(現松江市)に
創祀された楽山神社
明治31(1898)年に朝酌村(現松江市)に在った東照宮の
御神霊(徳川家康公)を合祀し、社地を松江城二之丸跡へ
移して「松江神社」と名を改めました。
後年松平治郷公と堀尾吉晴公を合祀し、今に至ります。

主なご利益は家業繁栄、厄除開運、交通安全。
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松江神社の横に佇む古風な洋館。こちらが今記事の目玉、
興雲閣(こううんかく)
明治36(1903)年、松江市工芸品陳列所として
建てられた洋風建築。
計画には明治天皇の山陰行幸に際した行在所としての
想定も含まれていました。
残念ながらその目的は果たせなかったものの、明治40(1907)年には
皇太子・嘉仁親王(よしひとしんのう、後の大正天皇)の
山陰道行に当たって御旅館となり、迎賓館としての役目を
成しています。

命名は旧松江藩主家に名を連ねる松平直亮(まつだいら なおあき)氏で、
2階バルコニー上に掲げられた扁額は、氏の揮毫によるもの。

戦中・戦後の混乱期には軍事施設や県庁等の仮庁舎となった時期が
有りながらも「松江郷土館」として活用されていましたが、
平成23(2011)年に一旦閉館。
平成25(2013)年度から平成27(2015)年度に掛けて
保存修理工事を行い、その優美な姿を
取り戻しています。
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まるで西洋の神殿を思わせる、列柱廊(コロネード)に
囲まれた外壁。
薄緑色のペンキが塗られた建物は、天皇や皇族による利用を
想定し、各部に細やかな装飾が施されています。
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玄関を潜ると、いかにもな風合いの洋風階段。
実はこの「階段室」は建造当初の物ではなく
後に増築されたもの。かつては玄関部分に階段が在ったそうな。
一階は主に施設の成り立ちを解説した「展示室」や
「事務室」として利用されています。
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2階へ上がると、どどんと広がる大広間
ここ興雲閣は長く展覧会や各種会合、あるいは迎賓館として
用いられていたそう。
かつてはこの空間を使って、賑やかな展示や
華やかなパーティが催されたのでしょうか。
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大広間の傍、密やかながらもしっかりと存在感を主張する
3間続きの部屋は、貴顕室(きけんしつ。危険ではない)
明治40(1907)年にここ興雲閣が山陰道行啓の御旅所となった際、
皇太子・嘉仁親王がお泊りになられた、まさにその場所。

この写真左手が御座所、右手が拝謁ノ間(はいえつのま)と
なっています。
重厚なシャンデリアや調度品、床やカーテンの装飾が、
部屋の主の格式を示しているかのよう。
なお室内への立ち入りは禁止
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右手奥、畳敷きとなっている御寝所
ここで大正天皇となるべき皇太子は、3泊4日の刻を過ごされました。
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バルコニーからの眺め。
色づいた木々の黄色赤色と、
櫓を包む下見板張りの黒が見せる色彩美が、目にも鮮やか。
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ひと通り見て回った後は、1階で営業中のカフェ・亀田山喫茶室
一休み。
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カウンターや調理場を除いて明治の趣がそのまま残されたスペースでは、
各種ドリンクの他、デザートや軽食を楽しむことが出来ます。
気分はまるで西洋貴族?
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ティータイムということで、アップルタルトをご注文。
幾層にも重ねられた生地は、サクサク、シャリシャリ。
りんごの風味をしっかり含んだほのかな甘みが優しく
口の中へと広がります。
あっさりレモンティーをお供に、しばし寛ぎの時を過ごす。

さて、松江観光の定番中の定番と言える松江城巡り!
実は家族旅行以来3年ぶり2度目の来訪となった訳ですが、
その間に起こった「重要文化財→国宝」という肩書きの変化が、
如何なる影響を及ぼしているのか。確認出来たら・・・いいな(笑)

次回は国宝・松江城天守へ!
当時最先端の建築技術の粋を集めた文化財、
その実像に迫ります。
それでは!

朝の松江駅にて・・・
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寝台列車二本立て!
(一枚目・二枚目、クルーズトレイン・トワイライトエクスプレス瑞風
三枚目・サンライズ出雲)

コメント

こんばんは。

松江城、6年ほど前に行きました。
現存天守で国宝……というだけあって、すばらしい城でした。
この城を中心に散策しました。
落ち着いた街並みが印象に残っています。
詳しい解説、ありがとうございました。

No title

yamashiro94さん
コメントありがとうございます!
松江の街は、お城はもちろんのこと、
塩見縄手や堀川沿いの風情、宍道湖の眺め、
点在する文化施設と、どこを取っても
良い雰囲気に包まれている気が致します。

上述のスポットを順に取り上げて参りますので、
ご拝読のほど、よろしくお願いします。

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。