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松江城天守、大解剖!

山陰入り6日目。
松江観光の定番スポット・松江城を訪問中の私。
今回はいよいよ城のシンボルにして国宝・
天守へと突入して参ります!
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城の中枢部・本丸への入り口となるのは、一之門(写真左手の建物)
もちろんこちらも復元建築物。
門と連結した形で平櫓も復元され、枡形の様子が窺えます。
ここを潜って受付で入場料を支払い、ついに・・・
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国宝・松江城天守がお目見え!
5重6階、入母屋造(いりもやづくり)という日本伝統の建築技法で
建てられた下部の上に、造りの異なる上部を載せた
望楼型に分類される構造となっています。
外観は黒塗りの下見板張り
戦闘に備える必要の有った江戸初期の建造であるため、
各部に石落としや狭間(さま)を設け、なおかつ外部から
判別しにくい様な実戦的な構えが特徴。

多くの城がそうであったように、ここ松江城も明治政府による廃城令
公布された折には取り壊しの対象となり、天守を除くすべての建物が
払い下げ破却の憂き目を見ることとなりました。

それはこの天守も例外では無く、入札にかけられた末に180円
(現在の貨幣価値でおよそ100万円)での売却が決まりましたが、
旧松江藩士の高城権八(たかぎ ごんぱち)が
出雲郡(しゅっとうぐん、現出雲市域)の豪農・
勝部本右衛門(かつべ もとえもん)親子とともに
落札高を納め、辛くも解体を免れることとなったのです。

その後松平家から市へと城地が寄付され公園となった
城跡は、昭和初期に国より史跡、そして旧国宝(重要文化財相当)に
指定され、公的に保存・整備されることとなり、
その貴重な姿を今に止めています。
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天守への敵の侵入を妨げ、防御力を高めるために
設けられた附櫓(つけやぐら)から、天守内部へと入ります。
石垣は城の大半と同じ打ち込み接。(うちこみはぎ)
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天守へ入ってスグの地階は塩蔵(しおぐら)
戦時に備え、この空間には領内より納められた塩が
蓄えられていました。
昭和の解体修理の際には、塩の産地である郡や浦の名前、
納付した庄屋や年寄(としより、村落などのまとめ役)の名、
生産者の名が表記された荷札・塩札
この地階から発見されています。

また塩蔵内には、籠城に備えて
深さ24mもの井戸が掘られており、
水分や塩分の確保に十分な配慮が成されていたことが
分かります。
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ここの注目ポイントの一つが、こちらの祈祷札(きとうふだ)
天守落成に際して納められたと思しき、仏教の梵字(ぼんじ)と
城・天守の長栄や城主の武運長久を祈った文句の記された2枚の札は、
昭和初期以降長らく行方不明となっていました。
しかし懸命な捜索の末平成24(2012)年、前回記事で登場した
松江神社より再発見され、再び日の目を見ることとなりました。

ここで重要なのが、札に書き入れられた日付。
調査により天守の落成が慶長16(1611)年正月以前ということが
判明し、これまで「不明」とされて来た城の完成時期が確定
することとなりました。

これに天守そのものが持つ、通し柱(2階分を貫通する柱)によって
上階からの荷重を下階へと分散させる、という稀有な構造と合わせ、
平成27(2015)年に滋賀県・彦根城以来、
城郭としては63年ぶり5箇所目となる
国宝指定を受けました。

こちらの祈祷札は実物のレプリカではありますが、
往時と同じ位置に取り付けられ、本来の姿を蘇らせています。
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同じく地階に展示されている、(しゃち)
昭和の解体修理の際に取り外された物で、
同サイズ・同形・同寸法の新品が取り付けられ、今も役目に就いています。
2mを越えるその大きさは、現存天守最大!
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階段を上がり、1階へ。
桐材で作られた天守内部の階段には、
取り外しが可能であったり
下階との間を仕切るが設けられていたりと、
仕掛けが満載。
築城主・堀尾吉晴の、徹底抗戦への意気込みが伝わります。
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1階部分。
当時のままの姿を止める内部には、松江藩に関わる各種資料が
展示されています。
ざっと見回してみると、空間を囲むように多数の
設けられているのが確認できます。

先ほども少し説明しましたが、松江城天守では
特定の柱を強化して「芯」として用いるのでは無く、
2階分を貫く柱を交互に配置する、
互入式通し柱(ごにゅしきとおしばしら)という方式と、
上階と下階の柱をずらして配することで上からの
荷重を下の柱が直接受けることなく分散する方式が
併用されており、多層立ての建築を可能としています。
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松江城天守の柱に施された工夫は、配置だけではありません。
地階から4階までの柱には、包板(つつみいた)という
技法が用いられています。
これは柱の1面からものによっては4面全てまでに
板を張り、それを鉄輪で固定するというもの。

先述の通し柱にも使われていますが、こちらは2階分では無く
各階ごとの施工。
粗悪材や木材の破損等を隠すとともに補強効果を高める
工夫と考えられ、松江城のみで見られる独特な造り。
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戦うための工夫は、天守内のあちこちに散りばめられています。
こちらは敵軍に鉄砲を撃ちかけるための穴、
鉄砲狭間(てっぽうざま)
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矢を射掛けるための矢狭間(やざま)
これらの狭間(さま)は開口部を塞ぐ扉を設けた上で
外からは目立たない様に配置されており、
いざ実戦となれば、不用意に近づく者を
地獄へと導く落とし穴となったことでしょう。
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2階の各所に設けられた石落とし
天守下に押し寄せる敵軍に石や熱湯を落とすための
備えですが、松江城天守では床と1階軒裏との間に
見つかりにくい様、巧みに配されています。
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天守防衛のために用意されたであろう、鉄砲(火縄銃)
口径約1.5cm、銃身は150cm程度と長く、
狭間に据え付けて寄せ手を狙い撃つ役目を帯びていたと
思われます。
隣には松江藩で使用されていた訓練用の各種弾丸も展示。
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天守3階に設けられた、花頭窓(かとうまど)
禅宗寺院に多く見られる飾り窓で、上に向かって絞り込まれた
形は文字通り花弁のよう

茶室などにも見られるこの形式は、城郭では安土桃山期
境に採り入れられており、無骨な外観に優美な
印象を添えています。
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3階から4階への階段脇では、上下階にまたがる
通し柱の造りをじっくり観察できます。
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天守4階。守る側にとって最後の砦となる天守も、
ここまで来るともう陥落間近
しかし、百戦錬磨の武士(もののふ)・吉晴公は
この期に及んでもまだ諦めません
その証左がこちらの武者隠し

屋根の裏側、隠し部屋の様に作られたスペースに
兵を潜ませ、階下から攻め込んだ敵兵に鉄砲を
撃ち込んだり、切りかかったりという奇襲戦法で、
決死の足止めを試みました。
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4階から5階に掛けて優美に裾を広げる飾り屋根、破風(はふ)
その裏側にも周到に狭間が空けられています。
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4階天井では、横に渡された梁の上から5階の柱が
立ち上がっているのが確認出来ます。
この構造によって上階からの荷重を梁を通して
下へと伝えることとなり、「通し柱」とともに
天守の重量を支えています。
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さあ、いよいよ地階を含めた天守の最上階・5階へ到達!
最も狭い空間ではありますが、4隅に空けられた窓からは・・・
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松江市街地や城下の町並みに・・・
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宍道湖までもが一望の下!殿様も目に下であろう「特等席」の眺め。
感服いたし申した
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天守を降り、枡形と石垣が複雑に組み合わされた北ノ門跡から
城外を目指します。

外観からは優雅に羽を広げる千鳥にも例えられ、
賞賛を浴びる松江城天守。
しかしその実態は、あがいてあがいてあがきまくる、
徹頭徹尾実戦のための天守でもありました。
幸い戦災に遭うことも無くその姿を目に出来ていることに、
我々はきっと感謝すべきなのでしょう。

次回は松江とゆかりの有る「日本人の魂を持った外国人」、
作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)に
スポットを当て、彼が足しげく通ったという神社、
そして彼の屋敷跡と八雲を顕彰した記念館に立ち寄ります。
それでは!

コメント

こんばんは。

松江城の詳しい解説、ありがとうございます。
私が訪問したときの松江城の記憶がよみがえりました。
だた、こんなに写真を撮らなかったので、とても参考になります。
次回以降も、楽しみにしています。

No title

yamashiro94さん
コメントありがとうございます!
思いがけずたくさんの写真を撮ってしまいましたが、
お役に立てていただけたようで、何より。

なにぶん暗い場所での撮影でしたので
見づらい物も多かったかと思いますが、
旅を思い起こすきっかけにして頂ければ、
嬉しく思います!

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。