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古代ロマンに浸る

いよいよ2018年も、終わりに近づいて参りました。
年末のごあいさつは明日に取っておくとして、今日も
徒然なるままに書き綴って行こうと存じます。

さて、県境を越えて宮崎県へと入った親子旅。
まず向かったのは同県中部の町・西都市(さいとし)
宮崎市にほど近いこの地には、全国有数の規模を誇る
ある遺跡が眠っています。その場所とは・・・
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こちら!西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)
今からおよそ1700~1300年前、紀元3世紀末~7世紀末に相当する
約400年間、日本各地に古墳と呼ばれる巨大な墳丘墓が
築造されました。

この古墳に代表される、一大権力の形成とその存在が示された時代を
古墳時代と称するのは、皆さんご存知の通りかと思います。
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わけてもここ西都原古墳群は、東西2.6km、南北4.2kmの範囲に
319基もの古墳を有する、
全国有数規模の古墳群。
ご覧の様に、周囲を見回すだけでも、あちこちに大小さまざまな
古墳が点在しております。

またその形式も、円墳、方墳、前方後円墳、地下式横穴古墳・・・等々、
大きさや形も千差万別。
その全てを一日で見て回るのは、きわめて厳しいでしょう
(古墳群の中央付近に位置する「ガイダンスセンター このはな館」にて
レンタサイクルを借りられるので、不可能とは言いませんが)

という訳で、到着が夕刻近くということも有り、
行く場所を絞ることに。
「このはな館」から車で移動し、少しの場所に在る・・・
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宮崎県立 西都原考古博物館
開館は平成16(2004)年4月。
常に新しい情報を開示する常新展示
ユニバーサルデザインの徹底をコンセプトに、
南九州各地から出土した古代の品々を時代ごと、
文化や人々の暮らしの発達とともに展示した博物館。

見ごたえたっぷりの展示品や丁寧な解説がありがたい施設ですが、
入館料はなんと無料
県営とはいえこの充実ぶりにして完全負担。
宮崎県、太っ腹である
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入口から中へ入ると、仄かな明かりに照らされたスロープが。
「悠久の時の流れ」をイメージして造られた空間は
左右に出土品や古墳を象ったレリーフが設けられ、
展示室へ向かう途上のわくわく感だけで無く、
ちょっとしたタイムトラベラー感を味わうことが出来ます。
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スロープの途中に設けられている部屋。
その足下を覗いてみると、そこはなんと古墳の横穴
ただしこれは本物ではなく、古墳群内・4号地下式横穴墓
様子を再現したレプリカ
とはいえその存在感、照明を用いた演出も相まって、
つかみとしてはバッチリ!

1.旧石器時代
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いよいよ展示室内へ。
日本に於いて人間による生活の原点と言い得る、まだ稲作の到来していなかった時代。
人々にとって生活の糧となったのは、
これらの石器を用いた狩猟・採集でありました。
2万年もの時を刻んだこれらの品々は、
原初の人の暮らしを思い起こさせてくれます。

一方でこの時代、南九州にとっては災害の時代でもありました。
今の鹿児島湾北部、東西23km、南北17kmに
及ぶ範囲に存在する姶良カルデラ大噴火は、
半径70kmにも達する火砕流や遥か東北地方にまで
降り積もる火山灰をもたらし、シラスと呼ばれる堆積物から成る
地層を生み出した他、西日本に居住していた旧石器人を
壊滅へと追いやったと見られています。
(「企業実務オンライン」より)

2.縄文時代
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ここ九州は大陸に近く、文化の伝来、発達も早熟と呼べるものでした。
およそ6000年前のものと考えられるこれらの
土器は、考古学界に一石を投じる一大発見となりました。
(しかも最初に発見したのは、小学生だったとか)
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一般的に縄目を用いた文様を付けたことから縄文土器
称される土器の数々。
しかしここ南九州においては、縄文時代初期の土器は大多数が
貝文土器(かいもんどき)と呼ばれる形式で作られています。

呼んで字の如く、生成途上の土器の表面で巻き貝を回転させたり、
二枚貝を押し付けることで独特の文様を生み出したそう。
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こちらの石は、「最古の調理法」と称される石蒸しに使われたもの。
その方法とは、「幅広の葉にくるんだ食材を焼け石で覆い、
その熱で蒸し上げる」、というもの。

この調理の跡は集石遺構と呼ばれ、
一つの遺跡で数十基単位の遺構が検出されています。
数千年の間に分布するこれらの痕跡は、旧石器時代から縄文時代初期に掛けて
営まれた祭祀の跡と考えられていますが、
縄文時代に燻すという調理法が編み出されてからは、
大方姿を消すこととなりました。
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縄文時代は、まだ狩猟が活発な時代でもありました。
その際に多用されたのが、落とし穴猟
あらかじめ逆茂木(さかもぎ)という先端を尖らせた丸太を
仕込んだ落とし穴に獲物をおびき寄せ、穴へと落とす。

これらの石鏃(せきぞく)や石匙(いしさじ)は、
矢や槍の先端に取り付けることによって、
獲物に止めを刺す凶器となりました。
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南九州ならでは、「貝文土器」の展示・・・と思いきや!
こちらに並んでいるのは、一般的な縄文土器
もちろんこれらの品々はこの地域で作られたものでは無く、
遠く瀬戸内地域より数百キロの距離を隔てて届けられた交易品
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古くから行われた、異なる地域・文化の壁を越えた交流。
それが数千年の昔より行われていたと考えると、
なんだかロマンを感じます
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みんな大好き(?)、土偶(どぐう)
宮崎県内では唯一、「天孫降臨の地」として知られる
高千穂町より出土した一品。
北部九州へ稲作が伝来した時代、
旧来の暮らしを続けんとする人々の間に軋轢
生ずることとなりました。

そこで着目されたのが、祭祀に依る精神性に則った団結。
それまでの「生活の為の道具」と異なる文化が、
阿蘇カルデラの周囲に芽生えました。
この土偶は、そんな不安定な社会の中に活路を求めた
思索の跡なのかも知れません。

3.弥生時代
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稲作の伝播とともに食料の貯蔵や加工の技術が発展へと向かった
弥生時代
その代表格とも言えるのが、弥生土器
その形状は縄文土器と比べて薄く、かつ正確に
形成されており、製造技術の進歩が窺えます。
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これらの土器には、人の手によって動物や人物、建物といった具象的な題材、
あるいは円や三角形、渦巻き等の抽象的な図形を描いた
絵画が施されていました。
このような土器は絵画土器と呼ばれています。
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こちらも古代文明ではおなじみのアイテム、銅鐸(どうたく)
のレプリカ。
朝鮮半島にルーツを持ち、青銅で造られた祭祀具は、
吊り下げて表面を叩いて音を鳴らす、という使われ方をしていたそう。
その表面に描かれた文様は、自然の霊力を表現するものだとも。
収穫の恵みと恐るべき災害をもたらす大自然に対し、
人々が抱いたであろう崇敬と畏怖の思いが伝わります。

弥生時代を代表する道具である銅鐸ですが、意外なことに
南九州での出土例は無し
これはこの地域に於いて、西日本各地に発達した
それとは異なる価値観が存在していたことを示しています。

ちなみにこの銅鐸ですが、レプリカのため実際に叩くことも出来ます
皆さんもここを訪れること有らば、太古の音色を楽しんでみては
いかがでしょうか?
(ただし周囲への気配りはわすれずに)
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シラス台地や南洋の鬼界カルデラ(きかいカルデラ)より飛来した「アカホヤ火山灰」が
分厚く積もった南九州は、土木工事によって水田を開く
水稲耕作(すいとうこうさく)には不向きな土地柄でした。
しかしながら一部地域ではこのような痕跡が、しっかりと残されています。
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稲の刈り取りや加工に使われた、石包丁
打製石斧(だせいせきふ。ダセェ訳ではない)
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人々に豊かで安定した暮らしをもたらした稲作ですが、
一方で貯蓄が可能になったことで支配する側とされる側という
構図が生まれ、また蓄えた富を集団同士で奪い合う戦いといった
負の一面をももたらしました。

それに合わせて戦いの道具も進歩し、青銅器や石器を用いた物から、
やがてはこのような鉄剣・鉄斧の様に
殺傷能力の高い武器が発達して行くこととなります。

4.古墳時代
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ここ西都原のキーワード・古墳
これは鹿児島県大崎町の飯隈地下式横穴墓より
出土した、軽石製石棺(せっかん)
火山帯に囲まれた南九州ならでは、火山岩を加工した
モノホンの石棺

内面にベンガラを塗った石棺内からは、発見時人骨鉄刀
納められていたそう。
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古墳時代の特色の一つが、馬の伝来とそれを乗りこなす
騎乗や飼育の技術。
4世紀後半~末までにもたらされたこれらの風習は、
新たな人類のパートナーを御するための馬具の製作へと繋がります。

稲作によって発達した集村型社会と異なる独自性を持った、
狩猟と畑作による散村型社会で成り立つ地において、
遊牧・騎馬社会は有用に働いたと考えられています。
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古墳時代に入り、人々の生活に欠かせない道具は、より高度化・多様化します。
その中核となったのは装飾性を廃し、ろくろや窯(かま)を用いずに
作られた素焼きの土器・土師器(ほじき)と、
ろくろや登り窯(のぼりがま)を用いて焼き上げた硬質の土器・須恵器(すえき)
(コトバンクより)
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県内小林市の上ノ原9号地下式横穴墓より
出土した鉄剣と装身具。
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ゆるりと歩いていた私の目に飛び込んで来たのは、なんと人骨
えびの市内、島内地下式横穴墓群より
発見されたもので、右側が女性、左側が男性となります。

発見時、片方の人骨には大きな髪飾りの櫛が、もう片方には
小さな髪飾りが多数取り付けられ、
頭骨には小刀が刺されていたそうな。
死者に対しエグいことをしているようにも思えますが、
呪符(じゅふ)を固定するための、言わばまじない
ようなもの。
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この時代、戦いとそのための道具は、より高度化して行きます。
西都原4号地下式横穴墓より出土した、
横矧板革綴短甲(よこはぎいたかわとじたんこう)
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照明を照り返すこちらの刀剣は、
日本刀の砥ぎ師の手により研磨されたもの。
匠の技によって輝きを取り戻した凶刃は、作刀から1500年ほどの
月日を経た今でも、切れ味を誇示するかの如く輝いています。

人の暮らしは、自然との共生、生活の向上と発展、
支配と享受、変革と争いの上に積み重ねられて来ました。
種としての成長と成熟がもたらす性(さが)・・・
「光と影」、長い営みの末に紡がれて来たものは、
果たしてその先に何をもたらすのでしょうか。

次回は古墳群でも際立つ大きさと存在感を誇る二つの古墳を
ご紹介。
夜は宮崎市内にて、様々な付帯設備が好評を博する
ホテルチェーンに泊まります。
それでは!

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。