年末年始を地元で過ごし、つい先ほど大分へ戻って参りました。
予定では特急
ゆふいんの森に乗車するつもりだったのですが、
同じ路線を辿る
ゆふ共々指定席は
満席状態そのため普通列車オンリーで博多→
久大本線→大分を
およそ5時間半の乗り通し・・・
疲れた宮崎旅2日目。
この日は宮崎地域を離れて同県北西部、熊本県・大分県と
接する山深い町・
高千穂町(たかちほちょう)へ。
「ドーミーイン宮崎」を発して宮崎市郊外から東九州自動車道に、
さらにそこから無料道路へ乗り替えて計2時間ほど。
山塊と渓谷を眺めながら車を走らせ、辿り着いたのは・・・
天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)
創建年代は
不明ながらも大変由緒の有る神社だそう。
社地は二つに分かれており、
東本宮には
太陽を司る日本の最高神・
天照大神(アマテラスオオカミ)が
祀られています。
一方特徴的なのがこちらの
西本宮社殿に
本殿を持たないという特異な造りを
採っているのですが、その理由についてはこれから一つの
物語を語らなければなりません。
奈良時代に時の朝廷によって編纂された歴史書・「古事記」「日本書紀」にて
語られる神話の内容は、以下の通り。
「神代の昔、弟神・素戔鳴尾命(スサノオノミコト)の乱暴に
腹を立てたアマテラスは、天岩戸(あまのいわと)という洞穴に
引き籠ってしまった。
アマテラスは最高神であるとともに「太陽の神」。
そのため世界は暗闇に包まれ、農作物の不作や
疫病の流行といった災いに見舞われた。
これに困った八百万の神々は天安河原(あまのやすかわら)に
集まり、対応を協議。
その結果、まず太陽の神を呼ぶ力を持つとされる鳥・
長鳴鳥(ながなきどり、鶏)を岩戸の前で鳴かせてみたものの、失敗。
つづいて天鈿女命(アメノウズメノミコト)が岩戸の前で軽妙なる舞を
披露し、それを見た神々が騒ぎ立てます。
これを不思議に思ったアマテラスが顔を出したところで
思兼神(オモイカネノカミ)がその手を引いて外へと出し、
力自慢の手力男命(タヂカラオノミコト)が戸を外して
放り投げ、ついにアマテラスは高天原(たかまがはら)へと帰還。
こうして世界に光が戻り、この事を反省したスサノオは
高天原を離れ、出雲へ下ることとなった」
以上が
天岩戸神話と呼ばれる逸話のあらまし。
そして西本宮は、
天岩戸とされる洞窟を
ご神体として祀っているのです。
本来ご神体を置く御座所となるべき本殿を持たないのは、このため。
日本神話、そして天照大神と密接な関わりを持つ宮として
篤い信仰を集めるばかりでなく、高千穂町を代表する
観光スポットとして、また
神話と神々の力が宿る
パワースポットとして、
多くの観光客を集めています。
さて、鳥居を潜り、西本宮境内へと入ります。

まず見つけたのは、参道右手に建てられた石碑。
これは俳聖・
松尾芭蕉(まつお ばしょう)の
句集・
炭俵に収められた句の一つ。
幕末期の安政2(1855)年、芭蕉の門人たちによる
句会が境内で開かれたのを記念し、
延岡に逗留していた江戸の俳人・
得々庵魚竹(とくとくあんぎょちく)による
揮毫の下で建立されました。
「梅が香に のつと日乃出る 山路哉
はせを(ばしょう)」
とあり、まるで朝の陽光に包まれた高千穂の早春を
詠んだかのよう。

木々に覆われた参道を、歩きます。

見えて参りました・・・
西本宮拝殿参拝客はここから本来は本殿に安置されているであろうご神体では無く、
天岩戸へ向かって拝礼することとなります。
しかしここからは「ご神体」たる天岩戸は見えません。
ですが、ここ西本宮では神職の方による
ご案内の下、ご神体を
拝むことが出来ます朝9時~夕方4時までの毎時
00分と
30分、
境内
休息所に集った希望者を、案内役の
神職がまずはここ拝殿までお連れする。
で、遥拝所(ようはいじょ)へ向かう前に拝殿前にて榊を用いた
お祓いを実施。
(この段階で途中合流することも出来ます)
希望者たちが「清め」られたところで拝殿横の扉が
開錠され、
常では入ることの叶わない遥拝所への参道へと入ります。
で、ここで留意して頂きたいのが、参道へと入り拝殿前へ戻るまでの
道中は、一切
撮影禁止であるということ。
神がお籠もりになった「聖地」であること、そして長きに渡る信仰の上に
積み上げられた
門外不出の心の表れとして、
ここへ足をお運びになった際には、是非ともお忘れ無きよう。
「参道」、と書きましたがその道のりはとても短く、拝殿の裏手、
少し下がったところが
遥拝所となります。
そこからは
岩戸川の流れを挟んだ対岸、
急流が刻んだ断崖絶壁の隙間に、確かに口を開いた洞穴が
見え隠れしています。
これが「神がお隠れになった洞窟」、
天岩戸想像していたよりも規模は小さいものの、神秘に包まれた
神々の事績が、確かにそこに刻まれています。
神職の方の話によると、何時の頃か
崖崩れが起こり、
岩戸の口を幾分塞いでしまったそう。
太古の姿は、果たしてどのようなものだったのでしょうか。
遥拝を終え、拝殿前の「現世」へと
帰還貴重な体験に、感謝大。
ちなみにこの「天岩戸ご案内」、参加費は
無料その上で参加者に「お気持ち」が有れば、遥拝所前の
お気持ち箱に
お金を投入するか、
社殿や境内の維持・管理のための
ご造営資金への
寄付をお願いします、とのこと。
あと、遥拝所から眺める天岩戸は、
角度によっては
見えにくかったりするので、要注意。
ここで小話。天岩戸開放の折に手力男命が投げ飛ばしたとされる
岩は、遠く長野県までぶっ飛んで霊場・
戸隠山(とがくしやま)に
なった、と言われています。

高千穂の冬の風物詩・
夜神楽(よかぐら)
拝殿の傍には、舞を奉納するための
神楽殿が設けられています。

神楽殿の奥には、天照大神を祀った
祭壇が
設置されています。
さて、西本宮へのお参りは済ませた訳ですが、これだけで終わらせてしまうのも
忍びない。
という事で、西本宮から徒歩10分ほど、天照大神が天岩戸へ
お隠れになった際、八百万の神々が額を合わせて協議した場所と
伝わるパワースポット・
天安河原(あまのやすかわら)を
目指すことに。

西本宮の裏側から出て上流側へ少し歩いた先が、
天安河原へ向かう参道の入り口。
数軒の土産物屋が軒を連ねています。

真っ直ぐに伸びる坂道を下りる。

緩やかな弧を描き、水流を越える
太鼓橋実はここも
パワースポットだとか。

参道からは、深い渓谷を生み出す鋭い水流を見下ろすことが
出来ます。

時折流れが緩やかになった場所では、透き通った水底をも
見通すことが出来ます。
清き水の、なんと澄み切ったことか!

突き出た岸壁をかわしながら進み・・・
天安河原に到着!岩戸川が創った断崖の一角に、ポッカリと口を開けた
間口40m、奥行き30mの天然洞窟。ここがまさに、
困り果てた、神々の、会議。(ネタが古くてすみません)が行われた
場所・・・とされています。
別名
仰慕ヶ窟(ぎょうぼがいわや)


洞窟の周囲には、びっしりと
積み石が置かれています。
長崎県・雲仙地獄(昨年2月記事参照)を思わせる無数の積み石は、
三途の河原で餓鬼が地獄の責め苦を受けるそれでは無く、
いつの頃からか、参拝者が願いを込めて積み上げるようになった物だそう。

洞窟の奥には天照大神を天岩戸より引っ張り出した
思兼神(オモイカネノカミ)、並びに
八百萬の神々(やおよろずのかみがみ)全てを
祀った(!)いかにも強そうな社・
天安河原神社が
鎮座しています。
ここへ参拝することで得られる効能も、
所願成就と
中風に罹らない(軽症で済む)という、確かなもの。

参詣を済ませ、お昼ごはん。
立ち寄ったのは天安河原参道入り口の近く、シャレの効いた店名が素敵な、
Cafe あまてらすの隠れテラス岩戸川の渓谷に張り出すように建てられ、
地元のブランド牛・
高千穂牛を用いた麺類や軽食、
その他各種ドリンクを楽しめるお店。
入り口横で注文を済ませた後は、渓流を眺める
テラス席にて地元の味が
堪能出来ます。
この時期は寒さが・・・という方向けに、ストーブの置かれた
スペースも用意されています。

私はこちらの
高千穂牛ドッグを注文。
切れ目を入れた
地元産のパンに、シャキシャキのキャベツとともに
タレで味付けされた
高千穂牛が挟まっています!
噛むと濃厚なタレと牛肉の持つ旨味、そしてたっぷり
溜め込まれた脂が染み出してくる逸品!

実はこのお店のメインは、この地で育まれた焼き物・
高千穂焼の窯元の一つ・
五峰窯(ごほうがま)

店内にはお土産としても持ち帰れそうな焼き物が並んでいます。
「天孫降臨の地」と称され、太古の昔より連綿と紡がれた歴史と
文化を誇る土地・高千穂。
その深淵に触れる探索は、始まったばかり。
次回は町内に点在する社を束ねる「総社」・高千穂神社へ。
「お宝」が残る由緒正しい社稷を巡り、
夜は神話の具現たる「夜神楽」を楽しみます。
それでは!

天安河原の参道へ向かう途上、お店の軒先で購入した
高千穂牛串脂したたる肉厚な身を、ガブリ!