鎮守の総社と神の舞
- 2019/01/07
- 19:05
神話の地・高千穂を巡る旅。
今回は高千穂郷八十八社の総社・高千穂神社と、
その境内で観光客向けに披露される神事・夜神楽(よかぐら)を
取り上げてまいります。

再び「アクア」に乗り込み、天岩戸神社から移動。
窓の向こうに、豊かな自然が広がります。

平成17(2005)年に襲来した台風14号で大きな被害を受け、
平成20(2008)年に廃止となった第3セクター・高千穂鉄道の線路跡も
ちらほら。

車はやがて町の中心部へ。
メインストリートとなる神殿通り(こうどのどおり)の中途に
現れたのは、高千穂神社
冒頭でも述べた通り、高千穂町内各地に点在する神社・
八十八箇所を統べる総社という位置づけに在る、
格式の高いお社。

祭神は高千穂皇神(たかちほすめがみ)と称される神々、
すなわち天孫・瓊々杵尊(ニニギノミコト)とその妃である
木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を始めとする三代の神々と
その妃、それに社の創始者である三毛入野命(ミケヌノミコト)等
十柱の神々を祀った十社大明神が合祀されています。
創建はおよそ1900年前、皇統第11代・
垂仁天皇(すいにんてんのう)の折と伝わります。
そのきっかけとなったのは、初代天皇・神武帝の兄・三毛入野命が、
ニニギを始めとする3代の神々をここ高千穂にて祀ったこと。
以来地元住民のみならずその名は遠方にまで轟き、
平安期には日向国第一の宮として最高位の
御神階が与えられた他、
鎌倉時代初期には鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとの よりとも)が
名代を立てて多数の宝物を当社に納めました。
また元寇、もしくは蒙古襲来として知られる
文永・弘安の役(ぶんえい・こうあんのえき)に際しては、
神仏の力による異国調伏を願う勅使(天皇直々の命を携えた使者)が
派遣される等、武士や朝廷からも篤い信任を受けました。
その歴史と刻まれた信仰の証は、多数の宝物となって今に伝えられています。


神社の歴史を物語る「お宝」が、本殿を目指す石段の脇に控えています。
参道を守護する鉄製の狛犬(右:阿形、左:吽形)一対は、
源頼朝奉納の品。
その文化的・歴史的価値から、昭和46(1966)年に
国の重要文化財に指定されました。

高千穂神社本殿
建物は江戸時代の安永7(1778)年の再建
流造(ながれづくり)という、社殿前面の庇を長く伸ばし、
そこから屋根へと繋げる形式で築かれた社殿は、
派手さこそ無いものの重厚にして格調高い構え。
こちらも平成16(2004)年に重要文化財に指定されています。
縁結び・夫婦円満・諸願成就・農産業にご利益の有る神殿に、お参り。

杉の大木が立ち並ぶ境内でも、一際存在感を放っているのが
こちらの秩父杉(ちちぶすぎ)
源頼朝の代理として高千穂宮に参詣した家臣・
畠山重忠(はたけやま しげただ)が手ずから
植えたと伝わる古木は、重忠が秩父の出であったことからこの名が
付けられました。
遥か高みへと伸びる大木は天然記念物指定を受け、
800余年の時を刻み続けています。
この他写真こそ撮っていないものの、本殿横には2本の杉の幹が
繋がった、通称夫婦杉(めおとすぎ)が存在し、
この周囲を夫婦、恋人、友達同士手を繋いで
周ることで、縁結び、家内安全、子孫繁栄の
願いが叶う、と言われています。

境内もう一つの注目ポイントが、こちらの神楽殿(かぐらでん)
毎年11月中旬から翌年2月に掛けて高千穂町内20ヶ所の集落にて
奉納される神事・高千穂の夜神楽
前回記事でも取り上げた天岩戸神話にて
天鈿女命(アメノウズメノミコト)が披露した舞が
始まりとされており、秋の実りへの感謝と翌年の豊穣を祈る大事な儀礼。
ここ神楽殿では、国の重要無形民俗文化財ともなっている
神聖なる儀式の舞台が再現されており、
毎晩観光客向けに夜神楽の一部が上演されています。

神楽殿内部。木の香り漂う広大な座敷の奥には、
夜神楽が披露される舞台が整えられています。

舞台近景。
上部には内注連(うちじめ)と呼ばれる注連縄が架けられ、
その周囲を彫り物(えりもの)という切り絵が飾ります。
この「彫り物」は古代中国の思想・陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)に
基づいた「陰陽」の月と太陽、「五行」の木・火・土・金・水を中心に、
十二支や四季の風景、鳥居等がデザインされており、
夜神楽を行う際には神棚の位置を方位関係無く「東」と定め、
それを基点にそれぞれの方位に応じて五行を配置するそうな。
(神楽殿内の説明書きより)
これらによって区切られた範囲は神庭(こうにわ)と呼ばれ、
神事の奉仕者以外立ち入ることが赦されない
神聖な場所。
ここまでで昼の散策は終了。
大分へ戻る父と別れ、この日のホテルにチェックイン。

夜になりました。
ホテルから神殿通りへと出て、再び高千穂神社を目指します。
道沿いには背の低い灯篭が設けられ、なんだか厳かな雰囲気♪

裏手から境内へ。松明と街頭に照らされた参道の向こうから、
神楽殿が見えて参りました。

神楽殿内部には、既に観光客が詰め掛けています。
ここでは「神楽まつり」が開催される11月22日・23日を除く毎日、
20時~21時の一時間、夜神楽を楽しむことが出来ます。
(受付は19時より、途中入場も可)
拝観料は700円
演目は三十三番有るうちの四つ
天岩戸神話を表現した「手力雄の舞(たぢからおのまい)」、「鈿女の舞(うずめのまい)」、
「戸取の舞(ととりのまい)」、そして国生みの神々の中睦まじい様子を
表す「御神躰の舞(ごしんたいのまい)」がそれぞれ抜粋の上、
上演されています。

舞台を眺めてみると、昼間とは異なるものを発見!
後方に飾りを付けた上で置かれているのは、天岩戸を表現した
いわば舞台装置
その内側には天照大神を祀る祭壇が用意されています。
さて、神職の方による説明の後、いよいよ開演!
なお私のカメラは動きに弱いため
見づらい部分も多々有るかと思いますが、何卒ご容赦ください。

まず入場して来たのは、手力雄命(タヂカラオノミコト)
演目は手力雄の舞(たぢからおのまい)
手力雄命は大力を誇り天岩戸を開くことになる神ですが、
アマテラスがお隠れになられている天岩戸を探し、
辺りの物音に耳を済ませたり、岩戸の位置を探って思案する
様子が表現されています。

力自慢の男神らしく、その動きは力強く、直線的。
足を踏み込む音も高らかに、神庭上を所狭しと動き回ります。

続いて現れたのは、天鈿女命(アメノウズメノミコト)
手力雄命が見つけた天岩戸の前で、伝承通りに舞い踊ります。
神話では「面白おかしく舞った」とされていますが、この夜神楽では
女神らしく優雅な動きを表現。
先ほどの「手力雄の舞」とは対照的な、静かにして
円弧を描く軽やかな動きが印象的。

戸取の舞(ととりのまい)では、再び手力雄命へとバトンタッチ。
いよいよ天岩戸開放へと向かいます。
先にも増してその動きには力強さが加わります。
ここから円舞と天岩戸への拝礼を繰り返し、徐々に岩戸の前へ。
そしてついに・・・

天岩戸が開かれました!
高々と岩戸を掲げた手力雄は、「えいやっ!」とばかりに
戸を投擲
開け放たれた戸は遥か遠く、長野県まで飛んで行くことでしょう(笑)
ちなみに天岩戸神話に端を発した演目の数々ですが、
当の天照大神は登場しません
その代わりとして、アマテラスを祀った祭壇が
用意されている、という訳。

無事天岩戸が開かれたところで、演者交代。
最後に上演される御神躰の舞(ごしんたいのまい)は、
日本国土と数多の神々を生み出したとされる「国生みの神」、
男神・伊弉諾神(イザナギ)と女神・伊弉冉(イザナミ)の夫婦神が主役。
まずは飄々とした動きで、イザナギが登場。

こちらがイザナミ(ぶれてますが)
仲良く現れた二神はまずは酒造り
しかしながら浮気性のイザナギは作業中にも関わらず
観覧席の中に女性の姿を見付けると・・・

なんとそのまま下りて来てしまいました

イザナギを追いかけ、イザナミも舞台の下へ。
しばし観客と戯れながらの追いかけっこが繰り広げられます。

連行されるイザナギの図(笑)
舞台上へと戻った二神は酒造りを再開。
出来上がった酒を飲み、やがて抱擁を交わして夫婦となります。
その仲睦まじさは、夫婦円満を表してひるそう。
で、この演目、最終的にはイザナギが酔いつぶれ、
イザナミがその肩を担ぎながら両者退場。
やはり女性は強かった
舞台の構成から役者たちのまとう衣装、演目を盛り上げる音楽、
それに合わせて場面ごとに切り替わる音楽と、
大いに興をそそられた伝統芸能。
ちなみにここで演じられたのはあくまで省略型であるそうで、
「本番」では一つ数十分、これを三十三番夜通しかけて
行うそう。
演じる側も観る側も、大変だ
しかしながらその「本番」、是非一度生で観てみたいもの。
次回は高千穂で利用した宿をご紹介!
落ち着きと静けさに包まれた、ちょいとお高めの観光ホテルに
泊まります。
それでは!


神殿通り沿いには、所々に夜神楽を表した像が置かれています。
しかし夜闇の中で浮かび上がるその姿は・・・
ちょっと怖い
今回は高千穂郷八十八社の総社・高千穂神社と、
その境内で観光客向けに披露される神事・夜神楽(よかぐら)を
取り上げてまいります。

再び「アクア」に乗り込み、天岩戸神社から移動。
窓の向こうに、豊かな自然が広がります。

平成17(2005)年に襲来した台風14号で大きな被害を受け、
平成20(2008)年に廃止となった第3セクター・高千穂鉄道の線路跡も
ちらほら。

車はやがて町の中心部へ。
メインストリートとなる神殿通り(こうどのどおり)の中途に
現れたのは、高千穂神社
冒頭でも述べた通り、高千穂町内各地に点在する神社・
八十八箇所を統べる総社という位置づけに在る、
格式の高いお社。

祭神は高千穂皇神(たかちほすめがみ)と称される神々、
すなわち天孫・瓊々杵尊(ニニギノミコト)とその妃である
木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を始めとする三代の神々と
その妃、それに社の創始者である三毛入野命(ミケヌノミコト)等
十柱の神々を祀った十社大明神が合祀されています。
創建はおよそ1900年前、皇統第11代・
垂仁天皇(すいにんてんのう)の折と伝わります。
そのきっかけとなったのは、初代天皇・神武帝の兄・三毛入野命が、
ニニギを始めとする3代の神々をここ高千穂にて祀ったこと。
以来地元住民のみならずその名は遠方にまで轟き、
平安期には日向国第一の宮として最高位の
御神階が与えられた他、
鎌倉時代初期には鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとの よりとも)が
名代を立てて多数の宝物を当社に納めました。
また元寇、もしくは蒙古襲来として知られる
文永・弘安の役(ぶんえい・こうあんのえき)に際しては、
神仏の力による異国調伏を願う勅使(天皇直々の命を携えた使者)が
派遣される等、武士や朝廷からも篤い信任を受けました。
その歴史と刻まれた信仰の証は、多数の宝物となって今に伝えられています。


神社の歴史を物語る「お宝」が、本殿を目指す石段の脇に控えています。
参道を守護する鉄製の狛犬(右:阿形、左:吽形)一対は、
源頼朝奉納の品。
その文化的・歴史的価値から、昭和46(1966)年に
国の重要文化財に指定されました。

高千穂神社本殿
建物は江戸時代の安永7(1778)年の再建
流造(ながれづくり)という、社殿前面の庇を長く伸ばし、
そこから屋根へと繋げる形式で築かれた社殿は、
派手さこそ無いものの重厚にして格調高い構え。
こちらも平成16(2004)年に重要文化財に指定されています。
縁結び・夫婦円満・諸願成就・農産業にご利益の有る神殿に、お参り。

杉の大木が立ち並ぶ境内でも、一際存在感を放っているのが
こちらの秩父杉(ちちぶすぎ)
源頼朝の代理として高千穂宮に参詣した家臣・
畠山重忠(はたけやま しげただ)が手ずから
植えたと伝わる古木は、重忠が秩父の出であったことからこの名が
付けられました。
遥か高みへと伸びる大木は天然記念物指定を受け、
800余年の時を刻み続けています。
この他写真こそ撮っていないものの、本殿横には2本の杉の幹が
繋がった、通称夫婦杉(めおとすぎ)が存在し、
この周囲を夫婦、恋人、友達同士手を繋いで
周ることで、縁結び、家内安全、子孫繁栄の
願いが叶う、と言われています。

境内もう一つの注目ポイントが、こちらの神楽殿(かぐらでん)
毎年11月中旬から翌年2月に掛けて高千穂町内20ヶ所の集落にて
奉納される神事・高千穂の夜神楽
前回記事でも取り上げた天岩戸神話にて
天鈿女命(アメノウズメノミコト)が披露した舞が
始まりとされており、秋の実りへの感謝と翌年の豊穣を祈る大事な儀礼。
ここ神楽殿では、国の重要無形民俗文化財ともなっている
神聖なる儀式の舞台が再現されており、
毎晩観光客向けに夜神楽の一部が上演されています。

神楽殿内部。木の香り漂う広大な座敷の奥には、
夜神楽が披露される舞台が整えられています。

舞台近景。
上部には内注連(うちじめ)と呼ばれる注連縄が架けられ、
その周囲を彫り物(えりもの)という切り絵が飾ります。
この「彫り物」は古代中国の思想・陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)に
基づいた「陰陽」の月と太陽、「五行」の木・火・土・金・水を中心に、
十二支や四季の風景、鳥居等がデザインされており、
夜神楽を行う際には神棚の位置を方位関係無く「東」と定め、
それを基点にそれぞれの方位に応じて五行を配置するそうな。
(神楽殿内の説明書きより)
これらによって区切られた範囲は神庭(こうにわ)と呼ばれ、
神事の奉仕者以外立ち入ることが赦されない
神聖な場所。
ここまでで昼の散策は終了。
大分へ戻る父と別れ、この日のホテルにチェックイン。

夜になりました。
ホテルから神殿通りへと出て、再び高千穂神社を目指します。
道沿いには背の低い灯篭が設けられ、なんだか厳かな雰囲気♪

裏手から境内へ。松明と街頭に照らされた参道の向こうから、
神楽殿が見えて参りました。

神楽殿内部には、既に観光客が詰め掛けています。
ここでは「神楽まつり」が開催される11月22日・23日を除く毎日、
20時~21時の一時間、夜神楽を楽しむことが出来ます。
(受付は19時より、途中入場も可)
拝観料は700円
演目は三十三番有るうちの四つ
天岩戸神話を表現した「手力雄の舞(たぢからおのまい)」、「鈿女の舞(うずめのまい)」、
「戸取の舞(ととりのまい)」、そして国生みの神々の中睦まじい様子を
表す「御神躰の舞(ごしんたいのまい)」がそれぞれ抜粋の上、
上演されています。

舞台を眺めてみると、昼間とは異なるものを発見!
後方に飾りを付けた上で置かれているのは、天岩戸を表現した
いわば舞台装置
その内側には天照大神を祀る祭壇が用意されています。
さて、神職の方による説明の後、いよいよ開演!
なお私のカメラは動きに弱いため
見づらい部分も多々有るかと思いますが、何卒ご容赦ください。

まず入場して来たのは、手力雄命(タヂカラオノミコト)
演目は手力雄の舞(たぢからおのまい)
手力雄命は大力を誇り天岩戸を開くことになる神ですが、
アマテラスがお隠れになられている天岩戸を探し、
辺りの物音に耳を済ませたり、岩戸の位置を探って思案する
様子が表現されています。

力自慢の男神らしく、その動きは力強く、直線的。
足を踏み込む音も高らかに、神庭上を所狭しと動き回ります。

続いて現れたのは、天鈿女命(アメノウズメノミコト)
手力雄命が見つけた天岩戸の前で、伝承通りに舞い踊ります。
神話では「面白おかしく舞った」とされていますが、この夜神楽では
女神らしく優雅な動きを表現。
先ほどの「手力雄の舞」とは対照的な、静かにして
円弧を描く軽やかな動きが印象的。

戸取の舞(ととりのまい)では、再び手力雄命へとバトンタッチ。
いよいよ天岩戸開放へと向かいます。
先にも増してその動きには力強さが加わります。
ここから円舞と天岩戸への拝礼を繰り返し、徐々に岩戸の前へ。
そしてついに・・・

天岩戸が開かれました!
高々と岩戸を掲げた手力雄は、「えいやっ!」とばかりに
戸を投擲
開け放たれた戸は遥か遠く、長野県まで飛んで行くことでしょう(笑)
ちなみに天岩戸神話に端を発した演目の数々ですが、
当の天照大神は登場しません
その代わりとして、アマテラスを祀った祭壇が
用意されている、という訳。

無事天岩戸が開かれたところで、演者交代。
最後に上演される御神躰の舞(ごしんたいのまい)は、
日本国土と数多の神々を生み出したとされる「国生みの神」、
男神・伊弉諾神(イザナギ)と女神・伊弉冉(イザナミ)の夫婦神が主役。
まずは飄々とした動きで、イザナギが登場。

こちらがイザナミ(ぶれてますが)
仲良く現れた二神はまずは酒造り
しかしながら浮気性のイザナギは作業中にも関わらず
観覧席の中に女性の姿を見付けると・・・

なんとそのまま下りて来てしまいました

イザナギを追いかけ、イザナミも舞台の下へ。
しばし観客と戯れながらの追いかけっこが繰り広げられます。

連行されるイザナギの図(笑)
舞台上へと戻った二神は酒造りを再開。
出来上がった酒を飲み、やがて抱擁を交わして夫婦となります。
その仲睦まじさは、夫婦円満を表してひるそう。
で、この演目、最終的にはイザナギが酔いつぶれ、
イザナミがその肩を担ぎながら両者退場。
やはり女性は強かった
舞台の構成から役者たちのまとう衣装、演目を盛り上げる音楽、
それに合わせて場面ごとに切り替わる音楽と、
大いに興をそそられた伝統芸能。
ちなみにここで演じられたのはあくまで省略型であるそうで、
「本番」では一つ数十分、これを三十三番夜通しかけて
行うそう。
演じる側も観る側も、大変だ
しかしながらその「本番」、是非一度生で観てみたいもの。
次回は高千穂で利用した宿をご紹介!
落ち着きと静けさに包まれた、ちょいとお高めの観光ホテルに
泊まります。
それでは!


神殿通り沿いには、所々に夜神楽を表した像が置かれています。
しかし夜闇の中で浮かび上がるその姿は・・・
ちょっと怖い