鉄道遺産は、静謐に
- 2019/01/13
- 01:19
一に旅路、二に旅路、三、四が乗り物、五にブログ
そんな心持ちで日々を過ごしております、「西のノリ」です。
宮崎旅ももうすぐ終着点
高千穂を離れる前に立ち寄りたかったのが、かつて
国鉄から第3セクター鉄道へと転換され、地域の足として
活躍しながら平成17(2005)年に発生した
台風14号によって大きな被害を受け、
最終的に平成20(2008)年に廃止へと追い込まれた
高千穂鉄道
今回は風光明媚な車窓風景を持ちながら天災によって
役目を終えることとなった悲運の鉄道の面影を探って、
旧高千穂駅へ向かいます。

高千穂町の中心・三田井地区から少し山手へと上がったところ、
跨線橋の下に目当ての場所が見えてきました。

こちらが旧高千穂駅
神話の地ならでは、神社の社殿をイメージさせる駅舎は
昭和47(1972)年、国鉄高千穂線の駅として開業。
国鉄民営化によってJR九州の所属線となってからは
運行状況の厳しさから廃止を検討されましたが、
沿線自治体が受け皿となって、平成元(1989)年に
第3セクター・高千穂鉄道が誕生しました。
以後は沿線の過疎化や国道218号線のバイパス化等によって
厳しい経営環境に置かれながらも、優れた沿線風景を生かした観光列車の投入や
駅舎、並びにその周辺の整備などの経営努力を続けていましたが、
前述の様に平成17年の台風災害により鉄橋や路盤の流失、
駅舎の損傷等の甚大な被害を受け、
運行不可能な状態に。
どうにか「地域の足」を甦らせたい。地元の後押しもあって懸命に
再開の可能性を探った高千穂鉄道ですが、
約26億円という莫大な復旧費用もネックとなり、
復旧を断念。
台風災害から3年後、正式に全線の廃止が決まりました。
(tegeyoka.com、テレビ宮崎参照)

現在高千穂駅跡は高千穂鉄道記念公園として
一般に開放され、駅舎やホーム、車両基地といった構内を見学出来る他、
観光客向けに当駅~高千穂鉄橋間にてグランド・スーパーカートの
運行を行う高千穂あまてらす鉄道の
発着場として利用されています。

駅舎内は現在、かつての高千穂鉄道や高千穂あまてらす鉄道のグッズ販売や、
駅構内への入場券、スーパーカートの乗車券を発行する窓口が
置かれています。
鉄道好きの私、テンションUP!

ホームへの出入り口上には、時刻表が当時のままに残されています。
終着駅・延岡からの接続列車も掲示した、親切なデザイン。
窓口付近には各駅までの運賃表も現存。

窓口で入場料を支払い、いよいよ駅舎の外へ。
駅舎から出てすぐの場所、駅名標とともに架けられているのは、
記念撮影用の制服と制帽
これを身に着ければ、気分は運転士?

駅構内の一部を改装して設けられたカフェ・ミラコロ
開放的なスペースで高千穂の風を感じながら
ドリンクや軽食が楽しめる場所ですが、残念ながら冬季休業中
店名の「ミラコロ」は、イタリア語で奇跡の意。
かつてここを走った鉄路の記憶を残したい、そんな想いが伝わります。

高千穂駅のホームは両側に線路を通した島式と呼ばれる形式で、
一面二線が確保されています。
ホーム上中央付近が乗り場となっており、駅名標やベンチが残されています。
あまてらす鉄道の方々による努力の甲斐あってか、廃線から十年、
運行休止から十三年の歳月を経ながらも、まるで現役のような
保存状態が維持されています。

ローカル色たっぷり、夜神楽や国見ケ丘の雲海、真名井の滝といった
名所がプリントされた駅名標も、そのまま。

ここから高千穂鉄橋までのおよそ5kmは、今もあまてらす鉄道運行の
「スーパーカート」が走ります。
朽ちた構造物や消灯した信号機を除けば、今にもトンネルの向こうから
単行(1両編成)のディーゼルカーがやって来そう。

ここ高千穂駅には第3セクター転換以後、
小規模ながらも車両基地が置かれていました。
ホームの奥に、2編成分の検修施設(車両の検査・修理を行う拠点)を兼ねた
車庫が残されています。
高千穂らしい、壁面に描かれた夜神楽の天鈿女(アメノウズメ)の
イラストがポイント。
画像ではさらに奥まで線路が伸びているのが確認出来ますが、
これはかつて国鉄時代に高千穂線が高森線(現南阿蘇鉄道高森線)と
繋がる九州横断の路線として計画されていたため。

現在高千穂駅構内には、かつて高千穂鉄道線を駆け抜けた
2両の気動車(ディーゼルカー)が保存されています。
いずれも平成元(1989)年の第3セクター化に伴い投入された車両で、
右がTR‐100形101号車、
左がTR‐200形202号車
形式こそ分けられていますが両車とも車体構造やエンジン、足回り等、
基本的な仕様は同一
異なるのは車内設備で、TR‐100形は通勤・通学利用も考慮した
セミクロスシート
TR‐200形はより観光向けの全席クロスシート
高千穂鉄道所属車両にはTR‐300形301号車を除く全車に
愛称が付けられ、TR‐101はしろやま号
TR‐202はうんかい号と命名されていました。
もはや2両とも本線運用は叶わぬ身ですが、左のTR‐202は
予約すれば駅構内限定での運転体験が可能。
(乗りた~い!)
一人につき料金は1万円、所要時間30分、
1日10名、
普通自動車か自動二輪の免許を持つ20歳以上の方限定、
印鑑・運転免許証持参といった制約は付きますが。

TR‐101は、無料での車内見学が可能!
内部はクロスシートとロングシートを混ぜたセミクロス配置
年号が変わった頃の車両らしく、昭和の香りが混ざりながらも
JR車にも通じる近代的な意匠が特徴。

座席はグレー、青、緑の入り混じった、カラフルな配色。
やはり共通規格で造られた地方私鉄の車両か、大糸線等で運用される
キハ120形のような造り。

ガラス越しに運転台を覗くことも出来ます。
鉄道車両としては標準的な、マスコン(アクセル)とブレーキの2ハンドル式

天井から吊り下げられた中吊り広告も、当時のまま。

で、車両基地ならではの設備が、検修用に車両の床下に設けられた
スペース!
車両の足回りや床下機器の検査や修理に用いる空間からは、
普段見る機会のないアングルから観察し放題!
いや~、ワクワクしますね

車体の重量を支え、動力を路面へと伝達する台車

同車の心臓部となる直列6気筒、
250馬力を発生するDMF13HSエンジン

その他床下機器が見放題!至福・・・
なおこの床下スペース、直立する高さは無く終始屈みながらの移動となるため、
腰の悪い方は要注意

かつて車両の検査・修理・整備や運用の拠点となったであろう部屋は、
現在展示室として公開されています。

内部には運行に欠かせない各種機器や・・・

TR‐400形「トロッコ神楽号」(現在はJR九州へ譲渡され、
観光特急「海幸山幸」として活躍中)に使用された
ヘッドマークが展示されています。

かつて高千穂へ至る鉄路を駆け抜けた車両たち。
台風災害によって突如として活躍の場を失った彼ら。
ここに居るTR‐101やTR‐202のように保存される車両もあれば、
宿泊施設として活用されるもの、他の鉄道会社へと譲渡されたもの等、
辿った道筋こそ異なるものの、今も全車がその姿を(「海幸山幸」は大改造されましたが)
止めています。

車両基地を出ると、丁度高千穂あまてらす鉄道の運行する
グランド・スーパーカートがホームに入ってきました。
30人乗りの客車を、空港で運用されるトーイング・トラクター(空港内で貨物を牽引する車両)を
改造した動力車が前後から牽引する方式で、
ここ高千穂駅から約5km先、日本一高い105mの高さを誇る
高千穂橋梁までの廃線区間を観光案内を交えつつ走ります。
途中のトンネルでは鮮やかなライトアップが行われ、
高千穂橋梁では橋梁上で停止しての眺望が
楽しめる等、盛りだくさんだそう。
高千穂再訪が叶えば、乗ってみたい。
延岡から高千穂までのおよそ50km、五ヶ瀬川流域や
高千穂の自然風景を楽しめる路線は地域の人に愛され、
観光需要を喚起するきっかけともなりました。
この身で車窓からの眺めを体験し得ぬのが残念ですが、
地元の方から聞いた「(鉄道を)どうしようか、というタイミングで台風が来た」という
話からすると、廃線も致し方なしか・・・
それでもこの目で絶景路線を乗り通してみたかった。
この高千穂駅訪問で改めてそう感じました。
観光専用でもいい、「いつか」がやって来ないものでしょうか・・・
さて、ここまで2泊3日分をこれまた1月以上に渡って
まとめて来た宮崎紀行も、次回で最終回
高千穂バスセンターから延岡までの路線バスからの眺めをお届け!
大峡谷や五ヶ瀬川沿いの眺め、廃線跡の入り混じる、
楽しき車窓風景をお届けします。
それでは!

哀愁の鉄路が、伸びる。
そんな心持ちで日々を過ごしております、「西のノリ」です。
宮崎旅ももうすぐ終着点
高千穂を離れる前に立ち寄りたかったのが、かつて
国鉄から第3セクター鉄道へと転換され、地域の足として
活躍しながら平成17(2005)年に発生した
台風14号によって大きな被害を受け、
最終的に平成20(2008)年に廃止へと追い込まれた
高千穂鉄道
今回は風光明媚な車窓風景を持ちながら天災によって
役目を終えることとなった悲運の鉄道の面影を探って、
旧高千穂駅へ向かいます。

高千穂町の中心・三田井地区から少し山手へと上がったところ、
跨線橋の下に目当ての場所が見えてきました。

こちらが旧高千穂駅
神話の地ならでは、神社の社殿をイメージさせる駅舎は
昭和47(1972)年、国鉄高千穂線の駅として開業。
国鉄民営化によってJR九州の所属線となってからは
運行状況の厳しさから廃止を検討されましたが、
沿線自治体が受け皿となって、平成元(1989)年に
第3セクター・高千穂鉄道が誕生しました。
以後は沿線の過疎化や国道218号線のバイパス化等によって
厳しい経営環境に置かれながらも、優れた沿線風景を生かした観光列車の投入や
駅舎、並びにその周辺の整備などの経営努力を続けていましたが、
前述の様に平成17年の台風災害により鉄橋や路盤の流失、
駅舎の損傷等の甚大な被害を受け、
運行不可能な状態に。
どうにか「地域の足」を甦らせたい。地元の後押しもあって懸命に
再開の可能性を探った高千穂鉄道ですが、
約26億円という莫大な復旧費用もネックとなり、
復旧を断念。
台風災害から3年後、正式に全線の廃止が決まりました。
(tegeyoka.com、テレビ宮崎参照)

現在高千穂駅跡は高千穂鉄道記念公園として
一般に開放され、駅舎やホーム、車両基地といった構内を見学出来る他、
観光客向けに当駅~高千穂鉄橋間にてグランド・スーパーカートの
運行を行う高千穂あまてらす鉄道の
発着場として利用されています。

駅舎内は現在、かつての高千穂鉄道や高千穂あまてらす鉄道のグッズ販売や、
駅構内への入場券、スーパーカートの乗車券を発行する窓口が
置かれています。
鉄道好きの私、テンションUP!

ホームへの出入り口上には、時刻表が当時のままに残されています。
終着駅・延岡からの接続列車も掲示した、親切なデザイン。
窓口付近には各駅までの運賃表も現存。

窓口で入場料を支払い、いよいよ駅舎の外へ。
駅舎から出てすぐの場所、駅名標とともに架けられているのは、
記念撮影用の制服と制帽
これを身に着ければ、気分は運転士?

駅構内の一部を改装して設けられたカフェ・ミラコロ
開放的なスペースで高千穂の風を感じながら
ドリンクや軽食が楽しめる場所ですが、残念ながら冬季休業中
店名の「ミラコロ」は、イタリア語で奇跡の意。
かつてここを走った鉄路の記憶を残したい、そんな想いが伝わります。

高千穂駅のホームは両側に線路を通した島式と呼ばれる形式で、
一面二線が確保されています。
ホーム上中央付近が乗り場となっており、駅名標やベンチが残されています。
あまてらす鉄道の方々による努力の甲斐あってか、廃線から十年、
運行休止から十三年の歳月を経ながらも、まるで現役のような
保存状態が維持されています。

ローカル色たっぷり、夜神楽や国見ケ丘の雲海、真名井の滝といった
名所がプリントされた駅名標も、そのまま。

ここから高千穂鉄橋までのおよそ5kmは、今もあまてらす鉄道運行の
「スーパーカート」が走ります。
朽ちた構造物や消灯した信号機を除けば、今にもトンネルの向こうから
単行(1両編成)のディーゼルカーがやって来そう。

ここ高千穂駅には第3セクター転換以後、
小規模ながらも車両基地が置かれていました。
ホームの奥に、2編成分の検修施設(車両の検査・修理を行う拠点)を兼ねた
車庫が残されています。
高千穂らしい、壁面に描かれた夜神楽の天鈿女(アメノウズメ)の
イラストがポイント。
画像ではさらに奥まで線路が伸びているのが確認出来ますが、
これはかつて国鉄時代に高千穂線が高森線(現南阿蘇鉄道高森線)と
繋がる九州横断の路線として計画されていたため。

現在高千穂駅構内には、かつて高千穂鉄道線を駆け抜けた
2両の気動車(ディーゼルカー)が保存されています。
いずれも平成元(1989)年の第3セクター化に伴い投入された車両で、
右がTR‐100形101号車、
左がTR‐200形202号車
形式こそ分けられていますが両車とも車体構造やエンジン、足回り等、
基本的な仕様は同一
異なるのは車内設備で、TR‐100形は通勤・通学利用も考慮した
セミクロスシート
TR‐200形はより観光向けの全席クロスシート
高千穂鉄道所属車両にはTR‐300形301号車を除く全車に
愛称が付けられ、TR‐101はしろやま号
TR‐202はうんかい号と命名されていました。
もはや2両とも本線運用は叶わぬ身ですが、左のTR‐202は
予約すれば駅構内限定での運転体験が可能。
(乗りた~い!)
一人につき料金は1万円、所要時間30分、
1日10名、
普通自動車か自動二輪の免許を持つ20歳以上の方限定、
印鑑・運転免許証持参といった制約は付きますが。

TR‐101は、無料での車内見学が可能!
内部はクロスシートとロングシートを混ぜたセミクロス配置
年号が変わった頃の車両らしく、昭和の香りが混ざりながらも
JR車にも通じる近代的な意匠が特徴。

座席はグレー、青、緑の入り混じった、カラフルな配色。
やはり共通規格で造られた地方私鉄の車両か、大糸線等で運用される
キハ120形のような造り。

ガラス越しに運転台を覗くことも出来ます。
鉄道車両としては標準的な、マスコン(アクセル)とブレーキの2ハンドル式

天井から吊り下げられた中吊り広告も、当時のまま。

で、車両基地ならではの設備が、検修用に車両の床下に設けられた
スペース!
車両の足回りや床下機器の検査や修理に用いる空間からは、
普段見る機会のないアングルから観察し放題!
いや~、ワクワクしますね

車体の重量を支え、動力を路面へと伝達する台車

同車の心臓部となる直列6気筒、
250馬力を発生するDMF13HSエンジン

その他床下機器が見放題!至福・・・
なおこの床下スペース、直立する高さは無く終始屈みながらの移動となるため、
腰の悪い方は要注意

かつて車両の検査・修理・整備や運用の拠点となったであろう部屋は、
現在展示室として公開されています。

内部には運行に欠かせない各種機器や・・・

TR‐400形「トロッコ神楽号」(現在はJR九州へ譲渡され、
観光特急「海幸山幸」として活躍中)に使用された
ヘッドマークが展示されています。

かつて高千穂へ至る鉄路を駆け抜けた車両たち。
台風災害によって突如として活躍の場を失った彼ら。
ここに居るTR‐101やTR‐202のように保存される車両もあれば、
宿泊施設として活用されるもの、他の鉄道会社へと譲渡されたもの等、
辿った道筋こそ異なるものの、今も全車がその姿を(「海幸山幸」は大改造されましたが)
止めています。

車両基地を出ると、丁度高千穂あまてらす鉄道の運行する
グランド・スーパーカートがホームに入ってきました。
30人乗りの客車を、空港で運用されるトーイング・トラクター(空港内で貨物を牽引する車両)を
改造した動力車が前後から牽引する方式で、
ここ高千穂駅から約5km先、日本一高い105mの高さを誇る
高千穂橋梁までの廃線区間を観光案内を交えつつ走ります。
途中のトンネルでは鮮やかなライトアップが行われ、
高千穂橋梁では橋梁上で停止しての眺望が
楽しめる等、盛りだくさんだそう。
高千穂再訪が叶えば、乗ってみたい。
延岡から高千穂までのおよそ50km、五ヶ瀬川流域や
高千穂の自然風景を楽しめる路線は地域の人に愛され、
観光需要を喚起するきっかけともなりました。
この身で車窓からの眺めを体験し得ぬのが残念ですが、
地元の方から聞いた「(鉄道を)どうしようか、というタイミングで台風が来た」という
話からすると、廃線も致し方なしか・・・
それでもこの目で絶景路線を乗り通してみたかった。
この高千穂駅訪問で改めてそう感じました。
観光専用でもいい、「いつか」がやって来ないものでしょうか・・・
さて、ここまで2泊3日分をこれまた1月以上に渡って
まとめて来た宮崎紀行も、次回で最終回
高千穂バスセンターから延岡までの路線バスからの眺めをお届け!
大峡谷や五ヶ瀬川沿いの眺め、廃線跡の入り混じる、
楽しき車窓風景をお届けします。
それでは!

哀愁の鉄路が、伸びる。