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門司港駅、歴史と趣

JR門司港駅
開業は本州と九州を繋ぐ鉄道トンネル・関門トンネルがまだ
存在していない明治24(1891)年、
九州鉄道(初代)門司駅としての誕生でした。

その後大正3(1914)年に「門司駅」は現在地へと移転
その際現在まで続く駅舎が産声を上げました。

時代の変化とともに少しずつ姿を変えていた駅は、
昭和17(1942)年の関門トンネル開通に伴い
「門司港駅」と改称
本州から船で訪れた人々を迎え入れる「玄関口」から、
九州の端の一「終着駅」へとその役割を変えることとなりました。

昭和63(1988)年には駅舎が重要文化財指定を受け、
周辺の「門司港レトロ」と合わせ、駅そのものが観光スポットとして
脚光を浴びることとなりました。

そんな門司港駅舎ですが、平成24(2012)年から修復工事へと入り、
駅機能は仮駅舎へと移転。
美しい駅舎は工事用の建屋にスッポリ覆われてしまいます。

それから7年となる今年3月10日、長年に及ぶ修復工事は
ついに完了の時を迎え、
駅舎は開業当時に近い姿へと再生
大正レトロの趣を再び我々の前に現したのです。

今回はそんな門司港の「顔」とも言える門司港駅舎をじっくり観察。
麗しき姿をたっぷりとお伝えします。
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着工から7年、昨年11月より実施されていた一部供用としての「プレオープン」から
4ヶ月、ついに全体像を現した門司港駅舎
大正3(1914)年築、19世紀ヨーロッパで流行したネオ・ルネサンス様式という
建築様式に基づいて建てられています。

建物は左右対称の造りとなっており、正面に二階建ての中央棟
その両側に平屋建ての東西棟が配されています。

壁面上部には銅板張りの庇とパラペット(手すり状の壁)を設け、
建物の上にはマンサード屋根という、
緩斜面と急斜面を組み合わせた2段式の屋根が載せられています。

そのマンサード屋根は急斜面部分を天然スレート(石盤)、
緩斜面を金属板で葺き、屋根上に突き出たドーマー窓
(小屋根の付いた、採光や風通しを目的とした小窓)が
外観上のアクセント。
(以上JR九州特設サイトより)

離れて駅舎を眺めてみると、左右にバランスを保ちつつ
伸びる姿が、まるで羽を広げた鳥のよう
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中央棟付近をアップで。
左右対称の造りとなっている中央棟は両端が少し張り出し、
四隅にはジャイアント・オーダー(洋風建築の洋式で、
2階分の高さを持たせた柱と梁の構成法)が巡らしてあります。

正面上部に置かれた大時計は大正7(1918)年に取り付けられた
日本で5番目九州では初となった
電気時計

以後今日に至るまで2度取り替えられているそうですが、今回の修復工事では
文字盤を設置当時のものに復原
大時計そのものは開業当時のものではありませんが、
構成上欠かせない門司港駅舎のシンボルとして、
変わらず時を刻み続けています。
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(違う日に撮影)
少し緑がかった色味を持ち、各部に装飾が散りばめられた外壁。
実はコレ、石材では無く瓦にモルタルを塗ったもの。
駅舎内の展示物に付けられた説明書きによれば、モルタルが
染み込みやすいよう、瓦材に節目を開けるという工夫が凝らされているとか。
優美な外観を生み出すため、職人の工夫の跡が窺えます。

では早速、駅舎内部を見て行きましょう。
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駅舎中央、足を踏み入れて真っ先に飛び込んでくる空間、
コンコース
開業初日だけあって、多数の人で賑わっています。

画面外の右手に券売機、右側へ進むと改札口となります。
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天井からは彩色を施された照明器具が下がります。
時代を感じさせる、日本の鉄道駅とは思えないデザイン。
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コンコースの一角には、かつての出札窓口
当時の姿で復原されています。一部は券売機用スペースとなっていますが、
窓口の下に切符や金銭のやり取りを行う台を置く等、
細かく再現されています。
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コンコース左手に設けられた、観光案内所併設のみどりの窓口
ここもかつての駅施設を活用しており、開業当時は
一・二等待合室として設定されました。

この一等・二等というのは昭和35(1960)年以前に
鉄道会社に於いて設けられていた等級のことで、
三等が今で言う普通車、二等がグリーン車
そして一等はさらにそれらをも上回る最上級クラスに当たります。
(ななつ星in九州を始めとする「クルーズトレイン」が相当)

言わゆる上客が出発までの時間を過ごす空間のため、
内装もそれに相応しい格式の高いもの。
壁面には加工に優れたベイマツを用い、
表面には耐候性と絶縁性を持つワニスを塗布。
また黒漆喰を塗った飾り壁等、装飾性の高い造りとなっています。

当然ここで行われたサービスも相応のもので、待合室に居ながらにして
切符の購入や電報の受け取りが出来た他、
一・二等旅客専用トイレも在ったそうな。
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こちらが飾り壁
まず壁面を石膏で額縁状に縁取り、そこに黒漆喰を塗布。
上部にはペディメントという装飾を施した三角の壁面が
載せられています。

この「飾り壁」、修復工事の際にそれまでの壁の中から発見されたそうで、
「旧一・二等待合室」の意匠と合わせて復原。
色褪せた部分は当時のまま黒漆喰だそう。
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「旧一・二等待合室」の一角に置かれた大きな暖炉と鏡
実用されたことを物語る暖炉壁面のすす、
ぼやけた鏡面や一部破損したプレート、縁取りの傷から
当時のものと思われます。(説明書きはありませんでしたが)

鏡台部分のプレートからは、右書きで「西洋料理喫茶所」の文字が読み取れます。
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コンコース右手は、門司区初出店となる
ス〇ーバックスコーヒー 門司港駅店

入り口の意匠からお気付きかと思いますが、こちらもかつての駅施設の
リノベーション
開業当時三等待合室だった場所を店舗スペースへと
転用しており、内装はスギ材にペンキを用いたものとなっています。

また店内の構成では天井の鉄骨や壁面の足下に中古のレールを再利用、
カウンター横には列車のヘッドマークを用いてス〇バ歴代ロゴマーク
掲示する等、ス〇バ好き、列車好き双方が楽しめる空間となっているそう。

私も是非そんな空間でティータイムを楽しみたい!と思ったのですが、
門司港滞在中は連日の行列が・・・
並ぶのが苦手な私、入店断念。
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さあ、さらに見て参りましょう!
改札口前に繋がるコンコースも、ご覧の人だかり。
そんな通行人を雨日から守るのは、大きな庇。
複雑に組み合わされた鉄骨が、何とも言えないレトロ感を醸し出しています。
21世紀の駅とは思えない情景。
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そんな改札口付近には、今の旅客が出発までのひとときを送る待合室
幸い今の世の中に明確な等級制度は無く、誰でも安心して
利用できます。
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もちろんここも「ただの部屋」では無く、往時は旅客の手荷物・託送荷物の受け渡しや
保管を行う小荷物取扱室という設備でした。
写真正面の窓や扉は、荷物の受け渡しに使われた窓口

待合室となった今は列車を待つ客たちの憩いの場として
椅子が設置されている他、窓口部分に取り付けられたモニターでは
駅舎修復工事の様子を、左手のパネルでは門司港駅の歴史を
知ることが出来ます。
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待合室の一角では、前回のラッピングトレインでもご紹介した
北九州出身の漫画家・イラストレーター、わたせせいぞう氏の
作品を展示したわたせせいぞう特設ギャラリーを開催中。
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列車を待ちながら、あるいは無聊を慰めるひとときに、
ハートカクテルを代表とする多数のコミック作品やイラストを
世に送り出した、わたせ氏独自の色彩や絵に込められた「愛」の物語を
楽しむことができます。
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こちらは記念撮影用の大型パネル。
「再生」を果たした駅舎を背にした一組のカップルが描かれています。
「わたせせいぞう特設ギャラリー」は、6月下旬までの開催予定。
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待合室に接して設けられた展示スペース
えらく簡素な造りなのは、開業当時倉庫として使われていたため。

ここでは壁面やガラスケースにて駅舎の設計図
壁面、屋根などの建材の一部、大正・昭和の残滓を感じさせる
発見品が展示されており、
駅舎の成り立ちに思いを馳せることが出来ます。

またベンチも設置されており、待合室が混みあっている場合は
こちらで休むことも可能。
ただしこちらは普通に展示品を見ている人も居るため、
くれぐれも周囲への気配りを忘れずに!
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展示品の一部。こちらはかつて駅舎2階に在った貴賓室
関連のあるもの。

2階の半分に設けられた貴賓室は賓客をもてなすための場所として供され、
大正時代には大正天皇ご一家が休息所として
利用した、という記録が残っているそう。

ここに展示された壁紙や絨毯、賓客用トイレの便器は、
門司港駅と上流階級の交わりの証人。
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こちらは開業当時駅舎2階で営業していた、みかど食堂跡からの
発見品。
みかど株式会社という、日本で初めて駅や食堂車での
供食サービスを実施した組織が運営する高級レストランでした。
戦後は1階の「旧一・二等待合室(現みどりの窓口)」に店舗を移し、
昭和56(1981)年まで営業していたとのこと。

修復工事の際に多数の遺物が発見されており、展示コーナーには
営業札や伝票、食器等が展示され、かつての駅舎内に於ける
営みの痕を知ることが出来ます。
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展示スペースを出てスグのところには、旧正面上屋(ひさし)の
一部を成した鉄骨が公開されています。

修復工事以前、門司港駅舎の正面を覆っていた上屋は
昭和3(1929)年、自動車や人力車の乗降場として架設されました。
以来門司港駅のシンボルとして親しまれていましたが、
開業当時の姿を再現せんとする修復工事の趣旨に添わないために
撤去されました。

この一見武骨にも見える鉄骨ですが、れっきとした駅史の一部
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旧正面上屋の横でポッカリ口を開けているのは、関門連絡船通路跡
関門トンネルや関門橋の開通以前、本州と九州を結ぶ手段は
関門海峡を船舶で渡ることのみ。
そこで明治34(1901)年、山口県下関とここ門司港を結ぶ交通手段として、
国鉄運営の下関門連絡船が開設されました。

以後本州-九州間のメインルートとして、最盛期には一日平均53往復、
年間約880万人もの輸送人員を誇りますが、
昭和17(1942)年の関門鉄道トンネル開通
その後の複線化、さらに昭和33(1958)年の国道トンネル開通により
利用者は大幅減へと至ります。

こうして大動脈としての役割を失いながらも減便しつつ存続していた連絡船ですが、
世間が「オリンピックイヤー」で沸いた昭和39(1964)年10月、
半世紀余りの歴史を閉じました。
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かつて駅から桟橋へと続いていた100mの通路。
ここに残る階段と朽ちた壁は、かつて栄えた海上交通の名残り。

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運行期間の中で戦争も体験している関門連絡船。
それを物語るのが、通路横の壁面に開けられた旧監視孔

太平洋戦争末期に軍の命令によって設置され、
連絡船や外国航路の船を利用する渡航者の監視
行っていました。

あらゆる人を疑い、人相や風体を窺うための穴。
戦時体制の異常さを思わずにはいられません。
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失う“もの”の多かった戦前ですが、残された物もあります。
その一つがこちらの帰り水

駅舎開業の頃に設置された水飲み場は、
戦前は海外旅行から戻って日本の土を再び踏んだ人たちが、
戦後には失意の中で復員として帰国した兵士や引揚の
人々が安堵とともに喉を潤したことから、
いつの頃からか「帰り水」と呼ばれるようになったという。

水道設備としては十分「ご老体」とも呼べる彼ですが、
今も現役で駅の利用客に門司の水を供給し続けています。
(もちろんちゃんと飲めます)
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こちらはお手洗いの入口に置かれた幸運の手水鉢
大正3(1914)年、駅舎開業当時のもの。

戦中と言えば国家総動員体制による統制の下で
兵器に転用するための金属供出が行われた訳ですが、
この手水鉢は幸運にもその手を逃れたためにその名が付いたそう。
(その陰には、駅舎を守らんとした駅長始めとする人々の
努力と工夫があったという)
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駅出口付近に設けられた、2階へ上がる階段。
どうやらこちらの階段は今回のリニューアルでは使用されないようで、
改札口側コンコースに面した階段が2階への上り口となっていました。

今回2階は覗いていませんが、貴賓室やかつて「みかど食堂」が
入居していたスペースでは、
東京・南青山に店を構え、2009年以降ワールド50ベストレストラン
11年連続で選出されている名店・NARISAWAのオーナーシェフ、
成澤由浩(なりさわ よしひろ)氏プロデュースによる
みかど食堂byNARISAWAがオープン。

ランチは2000円台~と少々値は張るものの、
・西洋の食文化と日本の食文化が融合したなつかしい料理
・大正時代の駅舎に復原された重要文化財で味わう上質な雰囲気
・丁寧であたたかいおもてなし
をコンセプトに、世界も認める本格派の料理が楽しめるとか。
(以上公式サイトより)

一組(6名以上~)1,2000円(+お部屋台1,0000円)の貴賓室コース
気になる。

大規模な修復工事によって開業当時に近い姿へと「復原」された門司港駅舎。
いずれグランドオープンに伴う喧騒は収まることと思いますが、
九州全島の鉄路の起点として、また観光地・門司港の玄関口として、
重ねられて来た歴史とともに、これからもこの場所に在り続けることでしょう。

次回は門司港駅を離れ、門司港散策スタート!
門司港名物の「ある料理」と、国際港として栄えた頃の名残を訪ねます。
それでは!

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。