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門司港の「裏側」を見る

街の発展には、まず物流や往来の拠点となるべき立地と
交通機関の整備があり、
そこから公的機関の設置や商工業の発達が有り、
やがて人の居住と物資の集積へと繋がります。
そうした「表」の発展と表裏一体となって生まれるのが、
街の「裏側」。いわゆる「夜の街」。

今回は門司港の「裏側」を代表する、レトロな洋風建築とは
ひと味違う歴史的建造物を取り上げます。

門司港旅もいよいよ「最終日」に突入。
ホテルをチェックアウトして最初に向かうのは、
港とは反対側の「山手」方向。
栄町商店街付近、三宜楼坂と呼ばれる通りを歩いて行くと・・・
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前方に大きな建物が!
まるでジ〇リ映画にでも出て来そうな大層な和風建築は、三宜楼(さんきろう)

明治時代、京都から移り住んだ三宅アサ(みやけ あさ)という
人物の手で創業されました。
(いつ頃「三宜楼」が開かれたのかは、はっきりしていないそうです)
当時門司港には特別輸出港指定や鉄道の開通をきっかけに、
公的機関の開設や三井物産に代表される商社の進出等で
急速な発展を果たし、大層な賑わいを見せていました。

そんな街の「表側」に当たる築港付近の発達と並行して
生まれたのが、限られた平地の背後に広がる傾斜地を
開いて出来上がった、「裏側」の部分。

ここ「三宜楼」が位置する清滝地区を含む門司港の
山手側には多数の料亭や旅館が建ち並び、
最盛期には200人にも及ぶ芸者を抱える等、
門司港に集う経済界や文化人にとっての社交場
なっていました。
(大手商社の社交場たる「旧門司三井倶楽部」も、もとは
山手に位置していました)

今の「三宜楼」は昭和6(1931)年の建築。
木造三階建て、最大200名を収容可能な造りは、
現存する料亭建築としては九州最大級だそう。

往時は商社の企業戦士や経営者、官庁のお偉方、
各界の著名人が足を運ぶ「一見さんお断り」の
門司港でも最高級の格を誇る高級料亭でしたが、
街が衰退を辿りつつあった昭和30(1955)年頃に廃業。
以後三宅家の人々の生活の場として維持されていましたが、
平成16(2004)年、創業者・アサさんの孫に当たる男性の
死去を機に遺族が相続を放棄。
歴史的建築物は持ち主を失ってしまいます。

そこで立ち上がったのが、地元の有志で結成された
「三宜楼を保存する会」
門司港の栄華を知る建物を残さんとする思いを抱く彼らは、
募金活動や地権者との交渉の末、土地と建物を取得。

そこから北九州市への建物の寄付と保存方法の検討の後、
平成25(2013)年に改修工事に着手。
翌年3月に部分的ながらかつての門司港の姿を伝える
「華の社交場」は、この平成の世に甦ったのです。
(LIFULL HOME‘S PRESS、および説明書き参照)

門司港の栄華を知る旅館や料亭が経営難や所有者の
高齢化等で相次いで廃業・解体された今では、
ここ「三宜楼」が「裏の街」を物語る唯一の遺構。
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見上げるほどの高さを持つ「三宜楼」。
建物そのものの大きさも去ることながら、よりその威容を
際立たせているのが、高さ5メートルに達する石垣
目に見えるほどの傾斜地に於いて建物を水平に保つための
工夫でしょうか。
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竣工当時から残る石段を登り、敷地内へ入ります。
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小さな木戸を潜った先で口を開けて待っていたのは、
まるでお城の御殿建築のような立派な玄関。
見事な佇まいに、思わずため息。
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玄関上部では、精緻な造りの欄間がお出迎え。
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玄関の先、真っ直ぐ伸びる廊下の先は、
あの伊藤博文(いとう ひろぶみ)公が愛した下関が誇る
ふく(ふぐ)料理の老舗・春帆楼(しゅんぱんろう)が運営する支店、
三宜楼茶寮(さんきろうさりょう)

4つに仕切られた趣深い和室で、本場下関のとらぐふを用いた
会席料理やコース料理が味わえるそうな。
なお食事は完全予約制となっているため、ご利用は計画的に

さて、奥のセレブ空間はパスしまして、私は左手の展示室へ。
かつて帳場や厨房として使われていた場所には、
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かつての仕事場を思わせる机や・・・
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料理の提供に用いられた食器が展示されています。
中でもおもしろいのが受け皿付きのお猪口
今どき珍しい提供方法も去ることながら、
極めて薄い仕立て、器の底に描かれた可愛らしい
うさぎの絵など、技と遊び心が凝縮されています。
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展示室の一角に飾られた、著名人たちのサイン。
右は昭和の著名な喜劇俳優で、編集者・エッセイストとしても
活躍した古川ロッパ(ふるかわ ろっぱ。緑波とも)、
左はロイド眼鏡(セルロイド製の丸型眼鏡)と燕尾服をまとい、
直立不動の唄い姿で親しまれた戦前~戦後の歌謡スター・
東海林太郎(しょうじ たろう)のもの。

他にも出光興産の創業者、「海賊と呼ばれた男」・
出光佐三(いでみつ さぞう)、
昭和期に内閣総理大臣を務め、日韓基本条約批准、
非核三原則の提唱、沖縄返還に辣腕を発揮した
佐藤栄作(さとう えいさく、
戦前の一時期門司に拠点を置く九州鉄道管理局に務め、
しばしば「三宜楼」に通ったという)、
炭鉱経営者として財を成し、競走馬の馬主としても知られる
上田清次郎(うえだ せいじろう)といった
錚々たる顔触れが、客人としての足跡を留めています。
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紆余曲折を経て今に残る「三宜楼」。
その歴史を物語るものの一つが、展示室の一角に置かれたカウンター。
戦後の一時期、「三宜楼」は日本に進駐してきた
米兵向けのダンスホールと化していたそうで、
これはその受付として作られたもの。
なんだか場違いな「洋の設え」は、奇異な足取りの証。

たっぷり「歴史」を吸い込んだ建物は、上を見てもおもしろい。
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開放的な吹き抜け・・・かと思いきや、
目線の先に出現したのは障子

実はこの「三宜楼」、修復を検討していた頃に北九州市が
建物の状態を調査したところ、損傷のひどい箇所が発見されました。
それら全てを直すとなると膨大な費用が掛かってしまう。
そこで修復工事の際に傷みの激しい箇所を撤去
部分復旧に漕ぎつけることとなったのです。

展示室上階の一部では2階・3階部分までが解体され、
建物を支えた柱や梁の痕まで丸わかり。
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こちらは1階の厨房から料理や食器を上げ下げしていた
エレベーター
今では複層建ての飲食店では当たり前(かな?)の装備ですが、
当時は珍しいものだったそう。
腕に覚えのある料理人も、最先端の道具に目を白黒させたのでしょうか。
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「三宜楼」でも特徴的なのが、下地窓の意匠。
各階ごと、各部屋ごとに全て異なる意匠が
取り入れられており、現存しているだけでもその数実に40通り
探索と合わせての「小窓巡り」も、また一興?

ここからはガイドさんの案内に従いまして、上の階へと向かいます。
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1階から2階へと上る階段。
その左右にも下地窓が配されている訳ですが、
もちろん全て異なる意匠で作られています。
それぞれ左手前から交互に
1.松
2.雲
3.山
4.月
と名付けられており、地上から天上へ昇るかのような趣向が
凝らされています。
またこの階段、著名人が通った場所であることから
出世階段とも呼ばれているそう。
なんか良いことあるかも?
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ちなみに「松」の裏側は帳場となっており、
刷りガラスの一部を透明にすることで、来客の様子を確かめる
ことが出来ました。

2階部分には80畳分もの広さを誇る大広間・百畳間(ひゃくじょうま)が
残っています。
64畳分の座敷と16畳の大舞台から成り、舞台上では
踊りや能、長唄などが催され、大いに盛り上がったそうな。

是非見てみたい!と思ったのですが、この日はあいにく貸し切りでの
食事会の真っ最中。
拝観は次の機会におあずけ。

という事で、建物の最上階・3階へ。
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奥まで続く廊下。その左右に客人をもてなす小部屋や
芸者たちの控室等が並びます。
現在は大部分の部屋が未公開、整備されていない状態となっており、
ガイドさんの案内でのみ立ち入ることが許されます。
(2階はこの日のような貸し切り時を除き、拝観自由)
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廊下の途中に設けられた、公衆電話の跡。
もちろん電話機は撤去済みで、今では空っぽな空間が
広がります。
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そんな3階で唯一見ることができるのが、角部屋に位置する俳句の間
俳人・高浜虚子(たかはま きょし)が利用した小部屋は、
荒廃した3階に於いて昔日の姿を伝える貴重な場所。
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床の間には虚子と、北九州に居住した女流俳人・
杉田久女(すぎた ひさじょ)の句が飾られています。
「風師山(かざしやま) 埋ありといふ 登らばや(虚子)」
「谺して(こだまして) 山ほととぎす ほしいまゝ(久女)」とあります。
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座敷に接した小さな空間は、芸者や従業員が待機した「控えの間」。

丁度見晴らしの良い位置に当たる「俳句の間」。その窓からは
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山手の家並みや
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門司港駅関門海峡
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駅構内と九州鉄道記念館を見通すことが出来ます。
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小部屋の周り、建物の外周に沿って設けられているスペース。
実はコレ、縁側では無く従業員や芸者の通行に使われた廊下
建物中央の廊下を「客人専用」、こちらを「裏方・芸者専用」とすることで、
もてなす側ともてなされる側の動線を「完全に」分ける役割が在ったそう。

こうした細やかな気配りも、「三宜楼」が門司港きっての
料亭にのし上がった一因なのかも知れませんね。
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各部屋ごとに仕切り扉の付いた外廊下。
その欄間にもさり気なく飾りが付けられています。

街の発展とともに生まれた「表」と「裏」。
「表」に当たる国際港の衰退と足並みを揃えるように、
「裏」の山手地域も斜陽へと向かいました。
しかし地元の人たちの熱意によって残された
「三宜楼」の造作には、門司港が歩んだ歴史と繁栄の名残りが、
これでもかと詰め込まれています。
いずれ時が下れば、「全面復活」の日も訪れるでしょうか。
そんな刻が来たならば、また足を運んでみたい。
そう思わされる来訪となりました。

次回は門司港旅の集大成!
関門地域を見下ろす高所の眺めと、門司港グルメを取り上げます。
それでは!

コメント

比較的近くに住んでいて、レトロ門司は何度も訪れているのですが、三宜楼はお高い料理を頼まないと入れない、敷居の高い所だと思い込んでいました。
こんなに気軽に見学出来る所だなんて、どの案内書にも書いてないです。
貴重な情報ありがとうございます。
初めて訪れるのは、どんなに近くに住んでいても、やはりときめきますよね。
今度は怯まず、ぜひ入ります。

Re: タイトルなし

コメントありがとうございます!

三宜楼は記事中にも在るように、
料亭として使われているスペースを除けば、
二階の「百畳間」も含めて
見学自由となっており、
気軽にその歴史や趣に
触れることが可能となっています。

是非、訪れてみてくださいませ!

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。