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老舗の路地は安土桃山の香り

桜色の風の中で進めて参ります、臼杵紀行。
今回は「稲葉家下屋敷」を後にしまして、城下町の名残りを感じさせる
町並みを歩きます。
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城下町と来れば、江戸時代の``香り‘‘が感じられる場所を探すのが
探索者の楽しみ。
そこで足を向けたのが市街地の中心地、300mほどに亘って続く
八町大路(はっちょうおおじ)

稲葉家による藩政が敷かれるさらに前、安土桃山時代に開かれた
由緒正しい商店街。
元々通りを二分して「本町商店街」と「畳屋町商店街」に
分けられていたのですが、昭和38(1963)年に市の目抜き通りとして
一体化した上で中央通り商店街と名を改められました。
(「八町大路 臼杵市中央通り商店街」公式サイトより)

古い商家が並び、石畳で綺麗に整備された通りの両側には、
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個性的なギャラリーや・・・
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昔ながらの呉服店に時計店、大分名物・干し椎茸の販売店等が軒を連ねます。
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そんな中で見つけたのが、スーパー・「まるしょく屋」の向かいに建つ洋風建築。
ここはサーラ・デ・うすきという施設。
安土桃山時代に城を築き町を開いた大名・大友宗麟(おおとも そうりん)公は、
日本に渡来した西洋諸国に領内での布教と貿易活動を許し、
自らもキリスト教に改宗して積極的に「南蛮文化」を取り入れる
人物でありました。

この建物はその当時臼杵に在ったという「ノビシャド(修道院)」を再現し、
臼杵の名産品や南蛮文化との関りを展示したコーナーが
設けられ、内部は無料の観光案内所・休憩所として利用されています。
名称に用いられている「サーラ」は、ポルトガル語で「居間」や「サロン」を
意味するそう。
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建物内へと足を踏み入れると、概要通り教会建築を思わせる
開放的な空間が広がります。
円弧を描いて高さと幅を確保した天井が印象的。
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「南蛮貿易」のイメージとして思い浮かべるのが、やはり南蛮船
「サーラ・デ・うすき」館内に展示されているのは、16世紀ポルトガル政府が
交易のために派遣したナウという大型帆船。
(なんだか「最先端」って感じのいい名前)

排水量500~800t、乗員300名ほどで、舷側には大砲を搭載して
戦闘にも備えていました。
当時のアジア圏に対して最新の兵器や文化、物品を渡す一方で
中国からは生糸・絹織物・陶磁器を、日本からは金・銀・銅といった
鉱物を積み出していたそう。

ここ臼杵と南蛮文化の関わりを語る上で欠かせないのが
慶長5(1600)年のオランダ船・リーフデ号
臼杵郊外・佐志生(さしう)への漂着。

当時黄金の国・ジパングとして欧米人にとっての憧れであった
日本を目指しオランダ・ロッテルダムを出航した船団でしたが、
嵐による離散や沈没によって遥か東洋の島国にまでたどり着いたのは、
リーフデ号一隻のみ
しかしその苦難は日蘭・日英交易の端緒として実を結び、
乗船していたウィリアム・アダムス
(後に「三浦按針」の日本名を拝領)とヤン・ヨーステン(東京・「八重洲」の由来)は
徳川家康に重用され、それぞれ所領を頂くこととなりました。
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海に面し、3つの造船会社が併存する「造船のまち」でもある臼杵。
館内の一角には造船所(造船会社)や臼杵で建造された船舶の紹介、
船舶に搭載された機器の展示が為された資料コーナーがありました。
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「サーラ・デ・うすき」を出て、通りに戻る。
なんだか時代劇にでも出て来そうな風情。
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通りを進む途中で足を止めたのが、こちらの二棟続きの商家。
ここは鑰屋(かぎや)という醤油屋さん。
カニ(可児)醤油という社名を持つ老舗のお店で、創業はあの「関ヶ原の戦い」が
行われた慶長5(1600)年!(リーフデ号漂着の年でもある)

その始まりは関ヶ原合戦後、臼杵への移封が決まった稲葉貞通(いなば さだみち)の
意を受けた7名の先遣隊が、偵察のために臼杵入りした時のこと。
その中で行商人に変装した可児孫右衛門(かに まごうえもん)は
翌年藩主・貞通の供として臼杵入りした次男と共にこの場所で
醸造業を興し、臼杵藩に貢献。苗字・帯刀を許されました。

以来400年あまり、九州最古の味噌・醤油店として、
創業の地で変わらず商いを続けています。
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外観上の特徴となるのが窓にはめ込まれた鉄扉と、
灰色に染められた外壁。

元々建物の壁面は白壁だったそうですが、戦時中爆撃の標的となることを
危惧した軍部の通達により墨で黒く塗った名残りだそう。
また鉄扉は、弾丸製造のための金属供出に出された経歴を持っています。
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店内には400年越えの歴史と経験が注ぎ込まれた商品たちが並びます。
こうしたボトル販売の他、味噌・醤油の量り売りや
手作り麹(こうじ)も商品として扱われています。
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こちら、実家へのお土産用に購入したさしみ醤油
味は・・・まだ開けていないのでわかりません(笑)
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「鑰屋」の二軒となりで営業しているのは、富士屋甚兵衛(ふじやじんべえ)
「鑰屋」には及ばないものの、こちらも明治16(1883)年創業という老舗店。
「富士甚醤油株式会社」という社名で味噌や醤油の製造・販売を行っています。

臼杵市街地にはアンテナショップとして販売店を運営。
商品の販売や自慢の合わせ味噌・赤味噌の量り売りを展開しています。
(つまり鑰屋の同業者andライバル)
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春先とは思えぬ暑気と日差しに参っていた私、
ここで今年初となる「涼」の食べ物を入手。
一見すると通常のバニラソフトの様にも見えますが、その実態は
醸造店らしいしょうゆソフトクリーム

口にすると柔らかな醤油の風味と、まろやかな食感が広がります。
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一時の「涼気」を手に入れ、通りへリターン。
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そろそろお昼時かな・・・というところで立ち寄ったのは、農民カフェ
(画像右手の建物)
「食べる、泊まる、体験する」をコンセプトに、平成21(2009)年に東京・下北沢で発足。
平成28(2016)年に臼杵市内にカフェを、郊外に農業体験も可能な
ゲストハウス・臼杵家(うすきや)をオープンし、素材から作り上げた味を提供しています。
(ゲストハウスは1泊2,500円~。貸し切りは1,5000円~)
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カウンター上に石仏風の仏像が、窓辺には骨董物のバイクが置かれた店内で
頂くのは、農民惣菜プレート(900円)
黒米・赤米・緑米・イセヒカリをミックスした古代米・縄文米を中心に、
地産地消の惣菜7~8種が相乗りしたランチプレート。
野菜たっぷりのスープと、独特な味わいの蓮茶が付属します。
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通りも終端に近付いたところで、面白いものを発見。
九州南部から沖縄・台湾にかけて魔除けとして置かれる石敢當(いしかんとう)
ここ臼杵では「せっかんとう」と呼ばれ、魔除け・商いの神・服の神として
珍重されて来たそう。

で、何故この地域に無いはずのものが在るのかというと、
やはり関わってくるのが大友宗麟公。
開明大名・宗麟公の下で発展した臼杵の町では泉州(和泉国、大阪府南西部)堺や
筑前(福岡県北西部)博多から招いた商人、あるいは中国・明、
遠く南蛮からの人々で盛んな交易が行われていました。

その商取引の過程で度々喧嘩・口論が巻き起こる状況であったのを、
ある人が「中国に争いを治める法がある」として石敢當の三字を石に刻んで
建てたところ、たちまち喧嘩が治まったと言われているそう。
争いを治め、幸福と隆盛をもたらす神石。
その効果は抜群だったようです。

煌びやかな安土桃山文化、平穏と安定の江戸文化を伝える商店街。
「石敢當」の霊力も頼りに、これからも美しく、整った町並みを
残していって欲しいものです。
次回は市街地山手に切り開かれた「二王座歴史の道」へ。
そこかしこに歴史と人の営みが刻まれた路地を歩きます。
それでは!

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。