fc2ブログ

記事一覧

大阪城2~重要文化財の櫓、大公開!~

到着早々まさかの2連休となってしまい、
暇を持て余し気味なac802ftkです。

北海道を目指す道の途上で寄り道して、前回より「なにわの名城」・大阪城
巡っている訳ですが、今回はその続き。
期間限定公開されている一部の櫓と蔵、江戸時代の城の姿を今に伝える
貴重な文化財の、内部の姿をお届けします!

「大手口多聞櫓」を潜って城内へと突き進んだ私の前に・・・
IMG_1884.png
こんな看板が現れました!
実は今年、大阪城では大阪城の櫓YAGURA特別公開
(ローマ字を付けるのがポイント、みたいだ)と題しまして、
重要文化財に指定されている「千貫櫓」、「大手口多聞櫓」と「続櫓」、
西の丸の「焔硝蔵」の3基の現存建築物を大公開!

明治維新の混乱や戦災を潜り抜けて残る貴重な建造物、
失われてしまった櫓にもスポットを当て、大阪城の歴史に触れてほしい、
という意図からの企画だそう。

公開期間は19年3月2日(土)から11月24日(日)までの土・日・祝日
春季の3月23日(土)~4月14日(日)と
夏季の7月20日(土)~8月31日(土)は連日公開
(ただし夏季のみ月曜休、また臨時休止の場合あり)

公開時間::10時~16時30分
(チケット販売は15時30分まで、16時最終入場)

櫓共通券:大人700円、小人300円
天守閣を加えたセット券:1200円(小人料金はなし)

てな訳で、最終的には天守へ登ることになるため、ここでセット券を購入!
折角なので貴重な櫓群も一緒に観てしまいましょう!
IMG_1886.png
まずは拝観ルートの入口であり、櫓門と接続する続櫓(つづきやぐら)へ。
入り口でスタッフさんから靴袋を受け取り、スリッパに履き替えて館内へ!
IMG_1888.png
続櫓内観。
ここから櫓門となる「渡櫓」までは長~い武者走り
(廊下。戦時に守りに就く武士たちが走り回ったことから、そう呼ばれる)となっており、
城内側には城兵たちの「詰所」が設けられています。

一方城外に向けては窓や笠石と呼ばれる石材に開けられた「狭間」から、
押し寄せる敵勢への攻撃が行える様になっていました。
IMG_1892.png
こちらが籠城時に兵士たちが詰めて寝泊りした部屋。
12畳・16畳・20畳と大きさの異なる部屋が6部屋置かれていました。
写真の部屋は12畳。
床面に比べて敷居が高くなっているそうですが、畳が敷かれていたかは不明
IMG_1904.png
展示スペースを抜け、大手二の門の直上に当たる渡櫓へとやって来ました。
ここと続櫓で「大手口多聞櫓」は構成されており、総面積は約710.25㎡となっています。

ちなみに「多聞櫓」の呼び名の由来ですが、
戦国乱世の梟雄・松永久秀(まつなが ひさひで)が、
居城とした多聞山城(たもんやまじょう)で同種の櫓を編み出したのが始まり、
とされています。

もちろんこの建物、ただ門の上に建っているだけではありません。
IMG_1909.png
桝形に面した格子窓からは、このように侵入した敵を狙撃することが可能である他・・・
IMG_1908.png
床下には、門に殺到する敵に対し石や槍を落とす槍落としも装備。
有事も想定した、実戦的な備えが用意されています。

「大手口多聞櫓」を離れ、次の「千貫櫓」へと向かいます。
IMG_1913.png
通路沿いには、見事な
IMG_1918.png
こちらが千貫櫓内部。
建物としては別個ですが、「大手口多聞櫓」とは塀で連結され、
一体となった防衛網を構築していました。

内側が「内室」と呼ばれる空間で、その外側に「武者走り」が設けられています。
「内室」部分には階段も置かれているのですが、残念ながら2階部分は拝観不可
その2階へ荷物を揚げ降ろしするための「荷揚げ場」が武者走りの一角に有るそうですが、
どこか分からず
IMG_1916.png
城外を睨む格子窓からは、土橋の様子がよく見えます。
大手一の門への攻め手に対して横矢を加える、スタンダードな手法。
IMG_1919.png
敵兵を狙い撃つための狭間(さま)も、もちろん装備。
IMG_1922.png
櫓内の南面と西面には、石垣に取り付いた敵兵に攻撃を加える石落としも完備。
先ほどの「大手口多聞櫓」もそうですが、徳川大坂城は豊臣家が滅び
天下安泰となった時代の城にも関わらず、極めて実戦的な造りとなっています。
これも強力な外様大名が割拠する西国への備えとしての、重要性からだったのでしょうか。

で、この「千貫櫓」、何故この名前が付いたのかといいますと、
あの織田信長が石山本願寺を攻めた折、この辺りに置かれていた櫓が
落ちなかった為に兵士たちの間で「銭千貫文(現在の貨幣価値で1億5000万円・・・!)を
出してでも奪いたい櫓だ」と語り合ったからだとか。

歴代城主にとっても、ここはお気に入りの場所だったのでしょう。
豊臣時代には豊臣秀吉が当時の千貫櫓から馬揃え(うまぞろえ、今で言う閲兵式)を
観覧し、
江戸時代には大坂城代(江戸幕府統治下に於ける、大坂城を預かる最高責任者)の
青山宗俊(あおやま むねとし)がここで配下の者たちに料理を振る舞ったり、
夕涼みに興じたりしたそうな。
IMG_1920.png
床板には、手斧(ちょうな)で形を整えた痕が残されています。
約400年前の、作事の痕跡。
IMG_1925.png
櫓群を内観し、外へ。
城内から見た千貫櫓は、こんな感じ。
城の建造物は、基本的には(特に江戸時代には)外部の者に対して城主の権威を
示し対敵を威嚇する意図を持って築かれており、
ここ大阪城でも城内側は装飾は最低限に、防御設備は設けられていません。

さて、特別公開三カ所目、焔硝蔵(えんしょうぐら)へ向かいましょう!
IMG_1929.png
本丸側面を固める、西の丸を歩く。
豊臣大坂城では本丸に次ぐ要所とされ、秀吉公の死後徳川家康
豊臣家の跡継ぎ・秀頼(ひでより)の後見人として入り、
関ヶ原の戦いの際には西軍総大将・毛利輝元(もうり てるもと)が
入った場所も、今では広大な芝生の広がる西の丸庭園となり、
観光客や家族連れで賑わっています。

その芝生越しに、壮麗なる天守閣の姿!
IMG_1935.png
その西の丸に在るのが、重要文化財・焔硝蔵(えんしょうぐら)
貞享2(1685)年、鉄砲や大砲に使用する焔硝(火薬)を保管するための
蔵として建てられました。
高さ約5.4m、面積約171.9㎡。

かつてはこれと同種の蔵が土蔵造りで存在していたそうですが、
万治3(1660)年に青屋口に在った蔵が落雷を受けて大爆発
別の蔵も部材の腐食により度々建て直しに遭う等、
幕府は焔硝の保管方法に頭を悩ませていました。

そこでこの場所に再建となった蔵では「耐火・耐久・防水」に重点が置かれ、
床、壁、天井、梁に至るまで全て花崗岩で構成。
石壁には2.4mの厚みを持たせ、屋根の下は土で固める等、
それまでの課題を克服するための徹底的な工夫が凝らされています。

こうした石造りの火薬庫は国内では他に例が無いそうで、
一見地味ながらも貴重な文化財。
IMG_1932.png
焔硝蔵内部。
今はもちろん火薬は残されておらず、がらんとした空洞と化しています。
でも何だか、地下迷宮を探索しているようでワクワクして来る
IMG_1933.png
ご覧の通り(ちょっとブレちゃってますが)、天井や壁、梁までが全て石材。
壁面はなまこ壁のような状態に仕上げられています。
IMG_1940.png
焔硝蔵を出て、西の丸庭園でプチ花見。
IMG_1941.png
春の陽気に、花たちが輝きます♪
IMG_1945.png
天守閣も、威風堂々!
IMG_1943.png
お昼時となり、芝生で出店していた屋台で大阪名物・たこ焼きを購入!
つぶつぶのタラの卵とピリ辛クリームが食欲をそそる、明太クリーム味
IMG_1942.png
天守閣を見ながら、頂きます!

かつて30を超える櫓が林立し、守備を固めるとともに幕府の権勢を
天下に示していた櫓群。
そのほとんどが明治維新や第2次大戦の戦火で焼け落ちてしまったのは
まことに惜しまれるところですが、こうしてそれらの災禍を免れた建造物を見るに付け、
この城の堅固さ、壮大さを改めて思う次第です。
皆さんも「天下の大阪城」を偲びに、世界の櫓(YAGURA)をご覧になられては
いかがでしょうか?

次回はいよいよ城のシンボル・天守閣へ!
大都市の空を衝いて聳える楼閣、その迫力と頂部からの眺めをお伝えします。
それでは!
IMG_1914.png
春雀、桜花と戯れる。


参照:「大阪城の櫓YAGURA特別公開」パンフレット
    櫓内説明書き
    コトバンク
    大阪市公式サイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。