赤レンガ庁舎1~道史の証人を訪ねて~
- 2019/04/30
- 12:33
いよいよ30年あまり続いた「平成」の世も、今日一日を残すのみ
良い思い出、そうでない思い出、胸に去来する想いは様々でありましょうが、
これから迎える時代が皆さんに取り、そしてこの国に取りより良いものであるように
願って止みません。
さて、ついに念願の北海道上陸を果たした私。
まず道都・札幌を訪れ「場外市場」でグルメとお買い物に興じた訳ですが、
今回は市街地中心部へ戻り、「北海道」の歴史を物語る建造物を訪ねます。

二十四軒駅から札幌市営地下鉄東西線で約10分。
再び大通公園近辺に戻って参りました。
ここから北西へ少し歩いて行くと・・・

立派な門が出現!
その向こうは池や緑地が広がる公園といった趣ですが、その中心に佇むのが・・・

こちらの建物!
これは北海道庁旧本庁舎、通称「赤レンガ庁舎」。
明治21(1888)年、平井晴二郎(ひらい せいじろう)を始めとする道庁の技師たちの
設計の下で建設されました。
建築技法はアメリカに範を取ったネオ・バロック様式で、
建築資材の多くに道産品を使用。
間口61m、奥行36m、塔の頂部までの33mという高さは現在の10階建てに相当し、
当時は国内有数の大建造物でした。

2代目に当たる現庁舎への移転まで、80年に亘り道政の中枢として
機能していた建物。
外壁には現在の札幌市白石と豊平から産出された約250万個もの
赤レンガを使用。
長短の異なるレンガを交互に積み上げる「フランス積み」という技法は、
国内では比較的珍しい積み方だとか。
屋根は門司港駅舎でも目にした天然スレート(粘板岩)葺き。
建物上方に聳える八角塔は、当時アメリカで流行していた、
独立と進取の精神を表す建築様式から。
この八角塔は道庁の前身となる開拓使札幌本庁舎(明治12 1879年焼失)にも
取り付けられており、初代北海道長官・岩村通俊(いわむら みちとし)が
庁舎建設に当たって開拓使庁舎を偲んで設けた、とも言われています。
一時は八角塔を失い異なる形態の建物となっていましたが、
昭和43(1968)年、「北海道百年」を記念し、創建当時の姿に復元の上
保存されることとなりました。
翌昭和44(1969)年には、国の重要文化財に指定されています。
営業情報
開館時間・・・8:45~18:00
休館日・・・12月29日~1月3日
入館料・・・無料

玄関部分。
皆さん、屋根上に設けられた採光窓に描かれた星印にお気付きでしょうか?
これは五光星という北辰(ほくしん=北極星)に見立てたマークで、
開拓使の象徴として庁舎、艦船、製造品等に用いられました。
このマークは後に開拓使長官・黒田清隆(くろだ きよたか、2代総理大臣も務めた人物)によって
民間に払い下げられた組織にも継承されており、
あのサッポ〇ビールの星印は、その名残りだったりする。
では早速、内部へ潜入!

入ってスグの所は、重厚な造りの階段を戴く正面ホール
3連アーチを設けた装飾的な造りは、いかにも洋風建築といった風情。
アーチを支える鉄柱、アーチ部分中央に彫られた塑像にもご注目!

入口横の電話ボックスも、時代を感じさせる古風な造り。

ホールから翼のように広がる廊下も、手の込んだ造りの天井や
床に敷かれた絨毯と相まって、高級感漂う。

ここからは、館内施設もご紹介。
1階左奥の部屋は、北海道立文書館
北海道の歴史に関する文書や記録を収集、展示したスペース。


内部では古文書や古写真、絵画、物品等が展示されており、
それらを通して明治以後の開拓・発展の歴史を知ることが出来ます。

こちらは鉄道建設の様子や経緯を映した写真や文書。
道内の開発・発展の過程で、物資を早く、確実に輸送出来る鉄道網も
重要な役割を果たしました。

「文書館」の中央、スポットライトに当てられているのは明治6(1873)年、
草創期の札幌の街
広大なる北海道の開発を託された開拓使は、明治2(1869)年の発足と同時に
この地を北海道全島の首府と定め、都市の建設に取り掛かりました。
それから4年後に当たるこの頃には、札幌の人口は、1、949人、
市街地には開拓使札幌本庁舎を始めとする洋風建築が建ち並び、
後志通(今の大通)を境に北を本陣・脇本陣等の官用地、
南を町家や屋敷の並ぶ民用地と定め、
町や通りには道内各地の群名が付けられていました。

現在の北海道旧本庁舎付近。まだ「赤レンガ庁舎」の姿は無く、
隣接地にて開拓使の本拠たる「札幌本庁舎」が建設中
今の体裁が整うまで、さらに15年の歳月を必要とします。

お次はこの階段を通って2階へ向かいます。

廊下の各所に配された、物々しい防火扉
北海道庁の前身たる「開拓使札幌本庁舎」が火災により失われたことは
既述の通りですが、実はここ「赤レンガ庁舎」も明治42(1909)年に
同様の被害に遭い、室内及び屋根部分が焼失
しかしレンガ造りの壁面は幸運にも無傷で残ったため、
すぐさま修復工事に着手。
明治45(1912)年に工事は完了し、以来今日までその姿を止めています。
この頑丈なる防火設備は、その教訓を生かした備えなのでしょう。

2階上がって左奥、向かい合うように公開されている部屋の一つが、
北海道博物館 赤レンガサテライト
札幌市・江別市・北広島市にまたがる道立自然公園・野幌森林公園内に在る
北海道博物館のサテライト施設。
室内では北海道博物館の紹介と一部の展示品の紹介・解説の他、
道内各地の博物館の情報がパネルにて紹介されています。

中へ入ってまず見付けたのが・・・みんな大好き(?)アンモナイト!
夕張市で発見された8,000万~9,000万年前の化石で、
恐竜が生きていた白亜紀後期のもの!

こちらはナウマンゾウ(左)とマンモス(右)の歯の化石。
「北海道」としての歴史は明治に開拓が開始されてから150年ほどですが、
大地に刻まれた記憶はそのずっとず~っと昔からのもの。
こういった出土品からは、太古の時代から積み上げられて来た
文明や生命の息吹が感じられます。

土中に残された痕跡は、動物だけでは有りません。
こちらに並べられた土器は、北海道で独自に発生・発達したオホーツク文化や
擦文文化(土器に刷毛で擦るように文様を付けたことから、そう呼ばれる)のもの。
日本本土に於ける古墳時代前後~平安時代に掛けて起こったこれらの文化は、
近代まで続くアイヌ文化へと吸収・継承されることとなりました。
北海道の開発と発展の歩みを見守って来た「赤レンガ庁舎」。
役目を退いた今は歴史ロマンの語り部として、来訪者を
外観、内部展示の両面から楽しませてくれます♪
次回は「赤レンガ庁舎」パート2。
大国・ロシアと海を挟んで向かい合う「国境地帯」でもある北海道。
その隣国との間に起こった悲劇の物語と、「領土」を巡る現状を見つめます。
それでは。

運命の(?)出会い。
参照:「赤レンガ庁舎」パンフレット
敷地内・建物内説明書き
「オホーツク文化古代浪漫」
良い思い出、そうでない思い出、胸に去来する想いは様々でありましょうが、
これから迎える時代が皆さんに取り、そしてこの国に取りより良いものであるように
願って止みません。
さて、ついに念願の北海道上陸を果たした私。
まず道都・札幌を訪れ「場外市場」でグルメとお買い物に興じた訳ですが、
今回は市街地中心部へ戻り、「北海道」の歴史を物語る建造物を訪ねます。

二十四軒駅から札幌市営地下鉄東西線で約10分。
再び大通公園近辺に戻って参りました。
ここから北西へ少し歩いて行くと・・・

立派な門が出現!
その向こうは池や緑地が広がる公園といった趣ですが、その中心に佇むのが・・・

こちらの建物!
これは北海道庁旧本庁舎、通称「赤レンガ庁舎」。
明治21(1888)年、平井晴二郎(ひらい せいじろう)を始めとする道庁の技師たちの
設計の下で建設されました。
建築技法はアメリカに範を取ったネオ・バロック様式で、
建築資材の多くに道産品を使用。
間口61m、奥行36m、塔の頂部までの33mという高さは現在の10階建てに相当し、
当時は国内有数の大建造物でした。

2代目に当たる現庁舎への移転まで、80年に亘り道政の中枢として
機能していた建物。
外壁には現在の札幌市白石と豊平から産出された約250万個もの
赤レンガを使用。
長短の異なるレンガを交互に積み上げる「フランス積み」という技法は、
国内では比較的珍しい積み方だとか。
屋根は門司港駅舎でも目にした天然スレート(粘板岩)葺き。
建物上方に聳える八角塔は、当時アメリカで流行していた、
独立と進取の精神を表す建築様式から。
この八角塔は道庁の前身となる開拓使札幌本庁舎(明治12 1879年焼失)にも
取り付けられており、初代北海道長官・岩村通俊(いわむら みちとし)が
庁舎建設に当たって開拓使庁舎を偲んで設けた、とも言われています。
一時は八角塔を失い異なる形態の建物となっていましたが、
昭和43(1968)年、「北海道百年」を記念し、創建当時の姿に復元の上
保存されることとなりました。
翌昭和44(1969)年には、国の重要文化財に指定されています。
営業情報
開館時間・・・8:45~18:00
休館日・・・12月29日~1月3日
入館料・・・無料

玄関部分。
皆さん、屋根上に設けられた採光窓に描かれた星印にお気付きでしょうか?
これは五光星という北辰(ほくしん=北極星)に見立てたマークで、
開拓使の象徴として庁舎、艦船、製造品等に用いられました。
このマークは後に開拓使長官・黒田清隆(くろだ きよたか、2代総理大臣も務めた人物)によって
民間に払い下げられた組織にも継承されており、
あのサッポ〇ビールの星印は、その名残りだったりする。
では早速、内部へ潜入!

入ってスグの所は、重厚な造りの階段を戴く正面ホール
3連アーチを設けた装飾的な造りは、いかにも洋風建築といった風情。
アーチを支える鉄柱、アーチ部分中央に彫られた塑像にもご注目!

入口横の電話ボックスも、時代を感じさせる古風な造り。

ホールから翼のように広がる廊下も、手の込んだ造りの天井や
床に敷かれた絨毯と相まって、高級感漂う。

ここからは、館内施設もご紹介。
1階左奥の部屋は、北海道立文書館
北海道の歴史に関する文書や記録を収集、展示したスペース。


内部では古文書や古写真、絵画、物品等が展示されており、
それらを通して明治以後の開拓・発展の歴史を知ることが出来ます。

こちらは鉄道建設の様子や経緯を映した写真や文書。
道内の開発・発展の過程で、物資を早く、確実に輸送出来る鉄道網も
重要な役割を果たしました。

「文書館」の中央、スポットライトに当てられているのは明治6(1873)年、
草創期の札幌の街
広大なる北海道の開発を託された開拓使は、明治2(1869)年の発足と同時に
この地を北海道全島の首府と定め、都市の建設に取り掛かりました。
それから4年後に当たるこの頃には、札幌の人口は、1、949人、
市街地には開拓使札幌本庁舎を始めとする洋風建築が建ち並び、
後志通(今の大通)を境に北を本陣・脇本陣等の官用地、
南を町家や屋敷の並ぶ民用地と定め、
町や通りには道内各地の群名が付けられていました。

現在の北海道旧本庁舎付近。まだ「赤レンガ庁舎」の姿は無く、
隣接地にて開拓使の本拠たる「札幌本庁舎」が建設中
今の体裁が整うまで、さらに15年の歳月を必要とします。

お次はこの階段を通って2階へ向かいます。

廊下の各所に配された、物々しい防火扉
北海道庁の前身たる「開拓使札幌本庁舎」が火災により失われたことは
既述の通りですが、実はここ「赤レンガ庁舎」も明治42(1909)年に
同様の被害に遭い、室内及び屋根部分が焼失
しかしレンガ造りの壁面は幸運にも無傷で残ったため、
すぐさま修復工事に着手。
明治45(1912)年に工事は完了し、以来今日までその姿を止めています。
この頑丈なる防火設備は、その教訓を生かした備えなのでしょう。

2階上がって左奥、向かい合うように公開されている部屋の一つが、
北海道博物館 赤レンガサテライト
札幌市・江別市・北広島市にまたがる道立自然公園・野幌森林公園内に在る
北海道博物館のサテライト施設。
室内では北海道博物館の紹介と一部の展示品の紹介・解説の他、
道内各地の博物館の情報がパネルにて紹介されています。

中へ入ってまず見付けたのが・・・みんな大好き(?)アンモナイト!
夕張市で発見された8,000万~9,000万年前の化石で、
恐竜が生きていた白亜紀後期のもの!

こちらはナウマンゾウ(左)とマンモス(右)の歯の化石。
「北海道」としての歴史は明治に開拓が開始されてから150年ほどですが、
大地に刻まれた記憶はそのずっとず~っと昔からのもの。
こういった出土品からは、太古の時代から積み上げられて来た
文明や生命の息吹が感じられます。

土中に残された痕跡は、動物だけでは有りません。
こちらに並べられた土器は、北海道で独自に発生・発達したオホーツク文化や
擦文文化(土器に刷毛で擦るように文様を付けたことから、そう呼ばれる)のもの。
日本本土に於ける古墳時代前後~平安時代に掛けて起こったこれらの文化は、
近代まで続くアイヌ文化へと吸収・継承されることとなりました。
北海道の開発と発展の歩みを見守って来た「赤レンガ庁舎」。
役目を退いた今は歴史ロマンの語り部として、来訪者を
外観、内部展示の両面から楽しませてくれます♪
次回は「赤レンガ庁舎」パート2。
大国・ロシアと海を挟んで向かい合う「国境地帯」でもある北海道。
その隣国との間に起こった悲劇の物語と、「領土」を巡る現状を見つめます。
それでは。

運命の(?)出会い。
参照:「赤レンガ庁舎」パンフレット
敷地内・建物内説明書き
「オホーツク文化古代浪漫」