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赤レンガ庁舎2~北辺の過去と現在を思う~

2019年5月1日、令和元年の幕が上がりました!
私個人としては特に浮かれた気分も無く、「普段通り」の一日を迎えた、と
申しておきましょう。

一つの「時代」の終焉と、新たな「時代」の始まり。
われわれは、そして日本という国はこれからどこへ向かうのか。
めくられたページ、綴られるストーリーをより良いものにするため、
それぞれが考え、行動し、ペンを「動かして」行くことが未来へ繋がると思います。

前回から北海道庁旧本庁舎、通称「赤レンガ庁舎」を見て回っている訳ですが、
今回はその第2弾。
海を挟んで異国と接する北海道と周辺地域に起こった悲劇と現状を
見つめた後、格調高い旧執務室を拝観し、念願の札幌ラーメンを啜ります!
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「北海道博物館 赤レンガサテライト」を見物し、今度は向かいの
樺太関係資料館へ。

この部屋では古くから北海道と縁を持ち、戦前に日本領として
発展と悲劇を経験した南樺太(サハリン南部)関係の資料の展示と、
現在のロシ領サハリンとの交流状況を紹介しています。

今回はその中でも印象深かった大戦末期・ソ連軍侵攻時のエピソードを
中心にご紹介。
しばし重い内容となりますが、何卒お付き合い下さいませ。

古くは探検家・間宮林蔵(まみや りんぞう)が測量を行う等、日本との関わりの有った
樺太(サハリン)に本格的に日本人が踏み入ったのは、日露戦争で日本軍が優位に立っていた
明治38(1905)年のこと。
同年7月、日本軍が深海村女麗(ふかみむら・めれい、現プリゴロドノエ)に上陸。
1月以内にロシア軍を降伏に至らしめ、樺太全島を占領下に置きました。

9月、日本とロシアとの間で日露和親条約(ポーツマス条約)締結。
それと共に日露間で国境画定交渉が行われ、明治39(1906)年に
北緯50度線を境界とし、境界線以南を日本領と定めることが確定。
翌年に天測点(天文測量を実施するために設置する基準点)や境界標等を設置。
それに先立つ4月には大泊(おおどまり、現コルサコフ)に樺太庁が開設されました。

以後紆余曲折ありつつもインフラ整備や経済活動を通して発展した南樺太は、
最大およそ41万8000人の人口を持つ地域となります。
そんな樺太に暗転が訪れたのは、大戦も最末期となった昭和20(1945)年9月のこと。

8月、連合国との「マルタ密約」に基付き、ソビエト連邦(ソ連)が
日本との間に結んでいた「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄
宣戦布告の上樺太への侵攻を開始したのです。

以後南樺太の境界線付近や各地で熾烈な戦闘やソ連軍による爆撃が繰り返され、
多数の死傷者が発生。
両軍の戦闘は中央政府がポツダム宣言を受諾した8月15日以降も継続され、
同月22日には緊急疎開で大泊港から出航した「小笠原丸」、「第二新興丸」、
「泰東丸」の3隻がソ連潜水艦からの砲・雷撃を受け1隻が大破、2隻が沈没。
推定1,708名の避難民が犠牲となりました。(三船遭難)

こうして戦闘員・一般市民問わず多数の犠牲を出した戦いは三船遭難の同日・22日に
ようやく停戦協定が成立。
翌月5日に日本軍の武装解除が行われたことで、ようやく終結を迎えました。
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ガラスケースに収められた生活用品や衣服、行事のトロフィーや賞状等。
40年の統治期間で営々と積み上げられていた暮らしは、
突然終わりを告げることとなりました。
当時の人々の息吹が感じられる品々は、日常と悲劇の証。
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こちらは平成16(2004)年に復元された、天体測量地点標識(天測点)
日本はソ連との国境線に総延長131km余、幅10mの森林伐開地帯を築き、
そこへ天測点4基、中間境界標17基を置き、国境の印としていました。
日本側には「菊の紋章」、ソ連側にはロシアの象徴である「双頭の鷲」が刻まれていました。
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日本兵が所持していた銃弾や鉄かぶと、食器、水筒や飯盒(はんごう、携帯用炊飯器)。
所持品に開いた銃弾の貫通痕と思しき穴が生々しい。

少しでもソ連軍の南下を食い止めるため、避難民が脱出する時間を稼ぐため、
駐留日本軍は「終戦」後の9月に至るまで、必死の抵抗を続けました。
彼らの努力が無ければ、あるいは北海道本島まで危うかったかも知れない・・・
先人たちの奮闘と献身に、感謝。

※閲覧注意
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ひとたび戦端が開かれれば、犠牲となるのは前線で戦う軍人たちに止まりません。
樺太に於ける戦いの悲劇を伝えるのが、こちらの印鑑。
これは当時真岡町(まおかちょう、現ホルムスク)に置かれていた
真岡郵便局電話交換手のもの。

明治40(1907)年の開設以降同地での郵便業務を引き受けていた真岡郵便局。
そこに勤めていた電話交換手の女性たちは、戦局が差し迫った状況でもなお、
引き揚げること無く職場に留まっていました。
8月20日、ソ連軍が真岡町にも進出。

激しい銃弾や艦砲射撃の雨の中、局に残った女性たち10名が服毒自殺を図り、
9名が死去。
この事件は後に真岡郵便電信局事件と呼ばれ、
戦争の悲惨さと痛ましさを今に伝えています。
当日非番だった交換手の方の所持品だったという血の痕の残る印鑑からは、
敵に囚われることを良しとしなかった女性たちの、覚悟と苦悶が滲むよう。
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こちらはソ連軍が日本人へ宛てた布告文や呼びかけ。
「日本領侵攻の正当性」と「権利の保証」を謳っていますが、一方的な宣戦布告や
各戦線で捕らえた日本人たちへのその後の仕打ちを鑑みれば、実に眉唾物である。
これまた「勝てば官軍」、といったところか。

戦争末期、「終戦」の陰で続いた戦いと悲劇。多くの尊い命と共に樺太の地は失われ、
北方四島を巡っては未だ日露両国の駆け引きが続いている。
過去の歴史、たくさんの流血の上に今の暮らしがある。
領土を巡っては今もなお方々で問題が発生しているものの、戦いでは無く平和的・建設的解決が
図られることを、「令和」を迎えた今だからこそ願って止みません。

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さて、シリアスはここまで。1階同様高く、開放的な廊下へと戻って参りました。
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廊下の壁面には、北海道出身の画家の手で描かれた絵画が掲げられています。
こちらは明治10(1877)年島松駅にて、
「ボーイズ・ビー・アンビシャス(青年よ大志を抱け)」の言葉であまりにも有名な
ウィリアム・スミス・クラーク博士が、教師として招かれていた
札幌農学校(現北海道大学)の生徒たちに別れを告げる場面を描いたもの。

彼が残した熱意と志は、別離の言葉とともに今日まで語り継がれています。
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正面階段の向かい、2階中央に残された記念室
歴代の北海道長官や知事が執務を摂った、まさに北海道の中心と言うべき部屋。

その設えは行政の中枢に相応しく、出入り口や窓周りには唐草模様の彫刻、
建具や室内腰部分の板材にはタモ材の一枚板を用いる等、他の部屋とは一線を画した
装飾が施されています。
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円卓を取り囲むソファ!
保護の為かシートが被せられ、造りが見られないのが惜しい・・・!
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部屋の最奥、北海道旗・日本国旗とともにドドンと知事の席!
幅広で高さのあるどっしりとした造りの机が、如何にもな感じ。
奥に置かれた椅子も、さぞかし座り心地が良いんだろうなぁ・・・
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壁面には歴代開拓使・北海道長官、道知事の写真が掲げられています。
北海道を形作り、支えて来た人物たちの足跡が、ここに。
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最後に立ち寄ったのは、赤れんが北方領土館
南樺太同様、戦争末期にソ連軍によって占領され、国家体制が変わってからも
ロシアによる実効支配が続く(樺太は昭和21 1946年に行政権を放棄)千島列島

館内では北方領土の歴史をパネルや資料で解説する他、
北方領土の島々は日本領であり、ロシアのビザを取得しての渡航をしない様
呼びかける啓発活動が行われています。
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室内中央に置かれた北方領土の地図。
左上に知床半島、同下に根室半島が見えています。
海を挟んでスグの距離に分厚い壁が存在する。もどかしい距離。
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赤レンガ庁舎」と隣り合うように建てられた石碑。
これは北海道庁の前身・開拓使札幌本庁本庁舎跡を示すもの。

開拓使は明治2(1869)年、北海道(同年8月15日に「蝦夷地」より改名)を
統治・経営するための政府の公的機関として設立されました。
明治5(1872)年には広い敷地を持つ札幌本庁が開設され、翌年には
札幌本庁舎が完成しました。

この札幌本庁舎は木造2階建て、1階は550㎡の広さを持ち
頂部に八角塔を戴く建物でしたが、明治12(1879)年火災により焼失
北海道庁へと改組された今日では、その痕跡は残されていません。
しかしながら北海道開拓の歴史を示す場所として、その跡地は国の史跡
指定されています。

さて、ようやく「赤レンガ庁舎」を見終わったところで、お昼ご飯はん。
次の目的地へ向かいつつ立ち寄ったのは・・・
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北海道ラーメン奥原流 久楽(くら)本店。
札幌市の観光名所・時計台の近くで営業中のラーメン店。

志向するのは札幌ラーメンの王道・味噌ラーメン!
白味噌・赤味噌・合わせ味噌の3系統から成り、濃厚で熟成された味わいの
「麺の世界」が楽しめます。
「味覚の王国」北海道らしい、海産物を生かした海鮮丼の数々も魅力的♪

営業時間・・・11:00~翌2:00(年末年始は営業形態が異なる)
定休日・・・無休(年末年始は・・・以下略)

入口から「ラーメン屋」感の無い、高級料理屋の様な落ち着いた店内で
カウンター席に着く。
そしてメニューと睨めっこの末に頼んだのが・・・
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一番人気と言う白味噌味付玉子らーめん
麹を配合した国産白味噌タレベースのスープは、まろやかで甘みを帯びた味わい。
この濃厚なスープの上にねぎともやし、大きな一枚肉のチャーシュー、自家製味付玉子が
トッピングされています。
てっぺんに載せられた、七味唐辛子がアクセント。
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スープの海を潜れば、中太ちぢれ麺がこんにちは!
ボリューム感と食べ応えのある麺が、食欲を刺激してくれます。

海の向こうで起きた悲劇と、「国境の地」・北海道の現状。
鮮やかで華のある外観と豪奢な内装の建物に感じ入るとともに、対外関係の過去と
今後の行く末を考えさせられるひとときとなりました。
次回は札幌のシンボル・札幌市時計台へ!
お色直ししたばかりの白亜の建築を、内外から楽しみます。
それでは!
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クラーク博士と別れを惜しむ学生たちを描いた「島松での別離」の近く、
幕末に蝦夷地や千島・樺太を探検し、北海道や道内各地の地名を考案した
「北海道名付けの親」・松浦武四郎(まつうら たけしろう)氏を描いた、
「阿寒湖畔の松浦武四郎」。

「北海道」誕生に重要な役割を果たした偉人を題材とした絵画なのですが・・・
武四郎さん、デカくね?

参照:「赤レンガ庁舎」パンフレット
    館内説明書き
    Wikipedia

コメント

No title

おはようございます、お久しぶりです。

いよいよ令和を迎えましたね、私もテレビで即位のご様子を拝見しましたが、「おぉ~」といった感じでした<m(__)m>

令和でもよろしくお願いします(#^^#)


無知の私は戦中の北海道は特に大きなものに巻き込まれたという意識はなかったのですが、そういった事件もあったのですね。

北海道は味噌ラーメンが有名だと思いますが、白味噌というのは初めて見ました(゜_゜)

No title

こんにちは!
コメントありがとうございます。
実は私、退位の様子も即位の様子も目にしなかった
もので、正直「新元号」と言われても実感が
持てないでいます(笑)

太平洋戦争、というと何かと太平洋地域や
沖縄、あるいは本土空襲がクローズアップされがちですが(あるいはそれを隠れ蓑にソ連が
進出した、という見方も出来るかも知れません)、
実は北も戦場になっていたのです。
今現在まで尾を引く「北方領土問題」の原因でも
あります。

濃厚で食べ応えのある一杯でした(^-^)b

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。