改元を挟んで繰り広げられた空前絶後の大型連休も、とうとう終わりが近付いて参りました。
皆さん、満足行くお休みは過ごせましたか?
私は・・・サービス業なので関係ありません(笑)むしろ忙しい(汗)
しかし今日は久々のお休みなので、のんびりクラシックを聴きながら
書き綴っております。
前回まで札幌市内を巡っておりましたが、今回はついに「日本最北端の街」・
稚内(わっかない)を目指します!
「日本最北の特急列車」でこれまた「日本最北端の駅」へ向かう
「最北」づくしの鉄旅へ、レッツゴー!

早朝、2泊3日を過ごしたホテルを出て、
札幌駅へ。
平日とは言え人が、街が動き出す前の到着。
明光差し込む北海道一のターミナル駅も、未だ夜の続きの様な静けさに包まれています。

しばし(私にとっては)物珍しい北海道の列車たちを興味と興奮全開で撮りまくる内、
この日乗車する列車が入線して来ました!

今回乗車するのは
特急宗谷(そうや)
昭和33(1958)年に「準急」として運行開始し、札幌‐稚内間を結んでいた
急行宗谷がルーツ。
宗谷本線の優等列車に「特急」の名が付いたのは平成12(2000)年のこと。
同線旭川~名寄(なよろ)間の高速化工事の完了と新型特急車両・
キハ261系の投入に合わせ、
急行「宗谷」と「サロベツ」、「利尻」を格上げする形で
キハ261系使用列車を
スーパー宗谷国鉄型車両・
キハ183系使用列車を
サロベツ・
利尻として区別しました。
平成20(2008)年には利用客の減少から夜行特急・
利尻が廃止となりましたが、
「
スーパー宗谷」は「
サロベツ」とともに道央~道北を直結する移動手段として活躍を続けます。
そんな宗谷本線系統の列車たちに変化が起き始めたのは平成26(2014)年頃から。
平成25(2013)年に
函館本線で起こった
貨物列車脱線事故をきっかけとして
JR北海道の安全性と企業体質に重大な懸念が発生。
その煽りを受ける形で翌平成26(2014)年には
キハ261系に搭載されていた
車体傾斜装置の
使用を停止さらに最高速度も130km/hから120km/hへと
引き下げとなり、
所要時間が伸びてしまう事態となりました。
平成29(2017)年には、宗谷本線系統の特急列車に再び大きな変化が発生。
それまで「
サロベツ」に使用されていた
キハ183系の老朽化に伴い使用車両を
キハ261系に
統一することが決定。
ただし
宗谷本線用の車両は数が限られるため運転系統の見直しが行われ、
札幌‐稚内間一往復を
宗谷、旭川発着の二往復を
サロベツとして
列車名での区別が付けられることとなりました。
札幌‐稚内間の走行距離、実に
396.2km5時間10分もの所要時間を持つ、
道内最長距離の特急列車(日本最長の昼行特急は
JR九州の
にちりんシーガイアで413.1km)

使用車両は
キハ261系平成10(1998)年に登場、同12(2000)年の「
スーパー宗谷」の運行開始に合わせて
営業運転に投入されました。
この系列最大の特徴は、特急車両としては初の採用となる
空気ばね式車体傾斜装置カーブに差し掛かった際に台車に搭載された空気ばねを給・排気することで
車体を最大2°傾け、高速を維持したままでの通過を可能にする、という機構。
札幌都市圏向け通勤型気動車・
キハ201系での運用データを基に
開発されたこの機構は、従来の「振り子式」に比べて
製造コストを抑え、メンテナンスを容易にするというメリットがあり、
2010年代以降の振り子式→車体傾斜装置搭載車という変化の先駆けとなっています。
平成18(1006)年には
石勝線・
根室本線系統向けに前面デザイン・車体構造を変更した
1000番台が登場、既存の車両は
基本番台(0番台)として区別されました。
その後先述の通り車体傾斜装置の運用停止と最高速度の引き下げを受けたものの、
道北のエースとしての活躍を続けています。
ここからは車内の様子をご案内!

こちらが
キハ261系の車内。
壁面は白をベースとして、号車ごとに
青系統・
緑系統に分けられた座席が並びます。
床面のダイヤ形の模様と、天井に伸びた
青いラインがアクセント。
開発に当たっては友好関係にある
デンマーク国鉄と共同での
デザイン作業が行われており、独特な車内空間を作り上げています。

座席。枕部分が少し前方へと張り出し、背面にはシートポケットと
引き出し式のテーブルを配置したシンプルなデザイン。
座り心地はなかなかのもので、
5時間超えの長時間乗車でも疲れにくく、
快適な乗り心地を保証してくれます。

シンプルなデザインは、乗降デッキ付近も同様。
アクセントとなるのはドア内側に施された
ブルー車体外側、乗降デッキ周りにアクセントカラーを配するのは、
JR北海道に属する
特急型気動車の特徴。
7時30分、
札幌駅8番ホームを離れ、私を乗せた
宗谷号はゆっくりと動き出しました。
所要5時間あまり、400km近い長旅がいよいよスタート!
札幌都市圏を東室蘭行きの特急
すずらんと並走。
やがて
宗谷号の走る
函館本線が分岐し、景色も徐々に都市郊外のそれへと移り行く。やがて・・・

列車は広大な
石狩平野へ!
遮る物なく広がる
空、延々と続く
平原、その合間に現れる都市や民家。
「内地」では味わえないこのスケール感、長年夢見て来た北海道の風景そのもの!

平野の向こうに流れる山並みも、何だか味わい深い。
深川駅の先からは、右側車窓に雄大な
十勝岳(標高2,077m)の姿が拝めます。

旭川市近郊の景勝地・
神居古潭渓谷(かむいこたんけいこく)付近では、
雪に覆われた山林の眺めに。
かつては
神居古潭に沿う形で線路が伸びていたのですが、
昭和44(1969)年に新線開業に伴い
廃止現在ではトンネルで渓谷地帯を貫く短絡ルートとなっています。

8時58分、
旭川駅着。
札幌‐旭川間は電車特急「
カムイ」「
ライラック」の走行区間であり、
「
宗谷」はそのスジを借りる形で運転されています。
無論この列車の最終目的地はさらに先ですが、この2大都市間での区間乗車も散見。
ここから列車は単線・非電化の
宗谷本線へ。
北へ向けてローカル色が次第に深まる車窓風景となります。

流域面積国内第2位、長さ同3位の大河・
石狩川を横断。

車窓には再び平野や畑が広がります。ただ山並みが近くなったのが、
石狩平野との違い?
和寒駅(わっさむえき)の手前では
塩狩峠(しおかりとうげ)に挑む峠越え。
ここは明治42(1909)年、急行列車の最後部客車の連結器が外れて勾配を
逆走していたところを、鉄道員の長野政雄さんが線路と車輪の間に
自らの
身体を投げ出し列車を止めた、という場所。
長野さんは
殉職となったものの、暴走した車両に乗っていた乗客たちの命は
彼の犠牲と献身によって救われました。
今は彼を顕彰する碑が和寒町内、
宗谷本線の沿線に建てられています。


峠を越えると再び平野。白や
緑の入り混じる景色が続きます。

ここで
モグモグタ~イム!車窓を眺めながら頂くのは、道南・道央を中心に家庭のお菓子として
親しまれている
べこ餅米粉と砂糖を使って練り上げられたお餅で、モノによってはあんこが入っている場合も。
形は木の葉形を始め渦巻型、団子状のものまで様々。
色も黒と白、
茶と白、
緑と白等さまざま。
さらに名前の由来まで二色模様が牛に似ている、カットする前の形が牛の背中に似ている、
と諸説入り混じっている様子。

ご開帳!
袋の中から
緑と白、ツートンカラーのお餅が現れました。
「福かまど」のブランド名でべこ餅を作る日糧製パンでは、
生地に北海道産うるち米を使用。
もちもちした食感に砂糖の甘みが混ざり、良い塩梅。
名前を意識したのか、牛の顔にも見えるビジュアルが愛らしい。
形や色、由来の入り混じるお菓子ですが・・・
とりあえずうまい(これ以降「べこ餅」にハマり、お買い物の度に買い求める様になりました)

美深(びふか)以北の雪景色を走る。

音威子府付近からは
北見山地を源とし、天塩町(てしおちょう)で
日本海へ注ぎ込む大河、
天塩川(てしおがわ)に沿って走行。
流域面積5,590k㎡、総延長約256kmと
全国4位、北海道第2位(道内1位は
石狩川)の規模を持つ河川。
名前の由来はアイヌ語のテッシ(簗 やな、魚を獲るための仕掛け)、
オ(多い)、ペッ(川)で、岩が簗のような形で川を横断していたことからそう呼ばれていたとか。

時に防風林の陰から、時にすぐ側に並びながら、列車は進む。
天塩川の背後からは、再び山並みが迫ります。

山越えを終えると、景色は再度平野に。
緑に囲まれて佇む農園の姿が北海道らしい。

豊富町(とよとみちょう)付近からは、雄大なる
サロベツ原野の眺めが展開されます。
その規模はおよそ20,000~24,000haと、
大阪市と同等規模その中に含まれている6,700ha、日本第3位の
サロベツ湿原は、
一つのエリアで「低層湿原」、「中間湿原」、「高層湿原」の全種類が共存し、
「高層湿原」に関しては
日本最大規模だそう。

どこまでも広がる大地を、駆け抜ける。
抜海(ばっかい)付近では
日本海越しに
利尻富士(標高1,721m)を望む
絶景ポイント(撮り逃した~!泣)を過ぎ、稚内市へ。
南稚内駅を発車して間もなく、終点・
稚内駅へと至ります。
北海道の大自然を望み、絶景続く
宗谷本線。
目下厳しい経営状況に置かれた
JR北海道では路線の廃止や列車本数の削減が
相次いでいますが、
原野を駆け、山を駆け、海を望む列車の姿と車窓風景は大変素晴らしく、
一見の価値が有ること必定。
「ここだけ」でしか見られない眺めを維持するために是非とも
JRさんには
鋭意努力して頂き、一方で私たち乗客は出来るだけ多く、長く乗車することで北の鉄路に貢献する。
そんな「相互努力」を通して路線維持に努めて行きたいものです。
次回はついに「日本最北端の街」・稚内へ!
「日本最北端」の駅と線路、海の幸と中華の合わせ技が光る料理、
樺太統治時代の面影を残す遺構を取り上げて参ります。
それでは!
参照:イカロス出版「特急列車年鑑2019」
山と渓谷社「旅と鉄道増刊 北海道の鉄道旅2019」
北海道ファンマガジン
中川町公式サイト
Lineトラベルjp