連日列島を襲う
猛暑の知らせ。
しかし限りなく北端に近いここ
利尻島では暑さどころか
寒さすら
感じることもあり、この地域の気候的、あるいは地理的特殊性を身に沁みて
体感しているところです。
さて、昨日お休みを頂いた私。
理由あって鴛泊近辺を離れる事いまだ叶わずどこへ参ろうかと思案したところ、
島の「空の玄関口」であるところの
利尻空港で
離島の飛行機観察とでも行こうか、と思い至りました。
その模様を2回に分けてお届けすることとしまして、今回は「ミニ空港」へと向かう道中、
および空港の「顔」とも言い得るターミナルビルを取り上げたいと思います。

今回の最終目的は「飛行機観察」。
1日2便という旅客機の飛来時間を予め調べ、空港までの移動時間を逆算して歩き出す。
アップダウンの激しい鴛泊の路地は、いつもの光景。

休みの日にお世話になっている「笑う門」。
今日は定休日。

島をグルっと一回りする「利尻ファンタスティックロード」に出ました。
左右は真~っ直ぐ伸びた一本道。

鴛泊近傍、絶景ポイントの一つとなっている
夕日ヶ丘展望台標高約56mの頂上からは
礼文島や
日本海、
ペシ岬、
鴛泊地区や
利尻山が一望出来る他、
陽が傾くころには名前通りの
サンセット鑑賞が楽しめるとか。
いずれはここもじっくり巡ってみたい。(今回はパス)


集落を出ると、北海道らしい
原野が続く。
家屋も途絶えた内陸部には、
利尻富士がなだらかな裾野を広げています。
(上部は雲隠れ中)

海側には
礼文島の島影が展開。

山まで続いているかのような一本道は、
利意志里山大権現(りいしりやまだいごんげん)、
通称
奥の院と呼ばれる神社へと通じる参道。
社名の「利意志里」は島名の語源となったアイヌ語(リイシリ=「大きい島山」の意)に対する
当て字と思われ、現在の表記に至るまでの変遷を感じさせます。
江戸時代、明和2(1765)年頃には既に存在していたという社の開創には、
前々回の記事で取り上げた「利尻山神社」を勧請した請負人、
恵比寿屋源兵衛(えびすや げんべえ)が関わっているそうな。
複数の神社を建ててしまうとは、なんたる財力。
礼文島と向き合う位置に在る漁業の町・
本泊地区(もとどまりちく)
(やや寂れがちな)小さな集落を抜ければ、利尻空港はもうすぐ!

古くから港町として開かれていた集落には、人々の暮らしの跡が残されています。
その一つがこちらの
リイシリ運上屋跡(うんじょうやあと)
利尻島では江戸時代初期から蝦夷地(北海道)の統治とアイヌ民族との交易を担当していた
松前藩の手で
商場(あきないば)が設けられていました。
18世紀には有力商人にアイヌ民族との交易や商場の経営を請け負わせ税金を徴収する
場所請負制度が確立。
船の停泊に適し、
礼文島との距離も近いここ本泊(当時は「トマリ」と呼ばれていた)が
利尻・礼文を統括する
リシリイ場所として選ばれ、
その拠点となる「運上屋」が湾岸部に置かれました。
松前藩より交易と離島統治を任された
請負人はあの源兵衛の恵比寿屋(岡田家)に始まり、
代や家門を変えながら明治2(1869)年まで続きました。
・・・なるほど、島のあちこちで名前を目にする「恵比寿屋源兵衛」、経緯を知ると
神社を建てるほどの財力と権力の根源も納得できる。

「リシリイ運上屋跡」の石碑近くに在る、古びた石段。
これは江戸時代、「リシリイ場所」が置かれていた当時から残るものだそうで、
その姿は往時の「トマリ」を描いた絵図にも記録されているそう。
隠れたところに、「江戸」の痕跡。

同じく本泊地区内、
利尻富士を背にしたお寺の境内には・・・
会津藩士の墓が残されています。
江戸時代末、隣国・ロシアの脅威に備えるべく、遠く会津より国境警備のために
蝦夷地の各所に藩士たちが派遣されたことは「ペシ岬」の回でも
述べた通りですが、ここ慈教寺境内に葬られた
右から
遠山登僕利助、
関場友吉春温、
白石又右衛門僕宇兵衛三名もまた、
病や「観勢丸漂着事故」によって郷里への帰還叶わなかった者たち。
「ペシ岬」に葬られた人たち同様、遠く離れた利尻の地で眠りに就いています。

本泊地区を出て、港と空港を繋ぐ道路へ出る。
真っ直ぐに伸び、その先で緩やかにカーブを描く道の向こうに、
雲の合間から顔を覗かせた霊峰・
利尻山の姿!
鴛泊から見る優美でなだらかな広がりとはまた異なる、
荒々しい立ち姿にしばし見惚れる。

鴛泊から約4km、徒歩1時間あまりでついに
利尻空港に到着!
利尻島海の玄関口が鴛泊港であるならば、
こちらは
空の玄関口昭和37(1962)年開港の
地方管理空港で、
空港ごとに付けられたコードは3レター「RIS」、4レター「RJER」。
平成11(1999)年に延伸された、ジェット機も離発着可能な長さ1,800m、幅45mの滑走路1本と
小型機1機、小型ジェット機2機が駐機可能な駐機場(エプロン)を備えています。
現在は定期便として
日本航空(
JAL)、季節便として
全日空(
ANA)が
就航しています。
・・・最速の移動手段である飛行機の離発着場である以上定時運航を期待したいところですが、
大空港や地方の主要空港に備えられている
計器着陸装置(地上施設から誘導電波を発し、悪天候下でも安全に旅客機を離着陸させるシステム)を
備えていないため、
霧や風などで時たま
欠航する通常の利用者数や便数からすると無用の拡充も出来ないので、こればかりは
運次第
旅客ターミナルは滑走路延伸に合わせて平成10(1998)年に
リニューアルオープン。
内部は2階建てとなっており、1階にチケットカウンターや出発口、到着口、
待合室といった
主要設備が集中。
一方の2階は送迎や飛行機観察に適した
展望デッキ、
旅客機の離発着時間帯に合わせて営業する喫茶店・
RISHIRIとなっています。
1日最大2便の小規模空港のためターミナルビルもそれに合わせた大きさながら、
ガラス張りの外壁や建物中央部の吹き抜けで開放感を持たせた、
設計の妙を感じさせる造り。
チケットカウンターは手前3列が
ANA系列、
奥1列が
JAL系列となっています。

観光地の入口であることを実感させてくれるのが、館内壁面に取り付けられた
レリーフ到着口側が
礼文島を、出発口およびチケットカウンター側が
利尻島を
イメージした意匠となっています。(こちらは「礼文島」モチーフのもの)
島の北部を回り込み、やって来ました利尻空港!
次回は同施設唯一の飲食店兼お土産店であるカフェと、
離島空港の離発着の様子をじっくり観察します。
それでは!
参照:LINEトラベルJP
国土交通省東京交通局 ホームページ
日本空港情報館ブログ
Wikipedia