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旧瀬戸邸1~港町、隆盛の痕~

稚内港
古くからニシン漁の漁場として位置づけられていた港町が発展へと向かう
きっかけとなったのは、戦後に底曳き網漁(そこびきあみりょう、
漁船から二本のロープに繋いだ網を下ろし、引っ張りながら
海中や海底の魚介類を採取する漁法)が広まったことから。

以後日本の戦後復興と高度経済成長と歩調を合わせるように
漁獲高は伸びを見せ、最盛期には日本屈指の漁港として
一大勢力を形成。

港内には大型化した底曳漁船が並び、陸では荷揚げに従事する車両や人々が
忙しく行き交う光景が繰り広げられることとなりました。
昭和50年代以後は国際社会による200海里漁業水域の設定と
それに伴う漁獲高の規制や減船によって下火となったものの、
稚内の町には港町としての風情と賑わいし頃の名残りが残っています。

今回はそんな稚内に於いて、漁業・経済両面で重きを成した人物が建てた
邸宅を巡ります。
旧瀬戸邸前半
稚内旅2日目。
「日本最北端」の地を踏んだ興奮の一日から一夜明けました。
この日はもう利尻島へ戻ることとなる訳ですが、
その前に稚内散策を楽しみます。
旧瀬戸邸前半2
道が整備され、人も車も盛んに行き交う駅前や市役所周辺とは裏腹に、
裏手の路地や商店街は寂れた雰囲気・・・
ここも底曳漁の最盛期には大層な盛り上がりを見せたのでしょうが・・・
地方都市では良く目にする光景ではありますが、
こうして歩くと何だか哀愁のようなものを感じます。

そんな裏通りを抜けると見えて来るのが・・・
旧瀬戸邸前半3
旧瀬戸邸
昭和27(1952)年、「水産の街」・稚内で底曳船の船主として一大にして富と地位を築いた、
瀬戸常蔵(せと つねぞう)氏によって建てられました。

その造りは明治・大正期の旅館建築を彷彿とさせながらも、
後の住宅建築にも通じる意匠を持つ、「過渡期」のような趣。
表と裏に一本ずつ取り付けられた赤レンガ造りの煙突
切妻形式でこちらも赤く彩色されたトタン屋根、屋根上の棟飾り
外観上の特徴。

かつては建築主である瀬戸家の人々の生活の場でありましたが、
所有権が手放されたことで稚内市の管理となり、修復の後
平成24(2012)年に一般公開を開始。
翌平成25(2013)年には港町・稚内を象徴する建物として
国の登録有形文化財に指定されています。

開館時間・・・10:00~18:00(最終入館は17:40まで)
開館時期・・・(夏期)4月上旬~10月31日
        (冬期)11月1日~3月31日
定休日・・・(夏期)無休
       (冬期)不定休
旧瀬戸邸前半4
建物裏側。表と同じ造りの煙突が目立ちます。
その横、1階部分は「裏玄関」。主屋と屋根の意匠を合わせた土蔵も見えます。

表に戻り、いざ突入!
入館料は大人200円。お願いすれば職員さんが詳しく、かつ面白く
建物の造りや展示物、部屋の役割等を解説してくれます。(オススメ!)
旧瀬戸邸前半6
表玄関から室内を望む。
主屋中央を貫く、真っ直ぐ伸びる廊下が印象的。
邸宅は瀬戸常蔵氏の依頼を受けた秋田県の大工によって
建てられたそうで、北海道、本州双方の建築技法が採り入れられています。

例えばこの写真からも見て取れる高い天井。
これは暖房効果を重視する北海道では本来見られない造りだそうで、
本州式のもの。
一方部屋の周囲を巡るのではなく建物中央を一直線に通す廊下は、
北海道式
廻り縁を設けることで寒風が入るのを嫌ってのことだそう。
旧瀬戸邸前半5
今立っている表玄関は、瀬戸家所有時には客人用として使われていました。
(瀬戸家の人々は、裏玄関から出入りしていたそう)

そんな用途を窺わせるのが、玄関脇に飾られた海松(深海松)
一見すると木材のようにも見えますが、実は北方の深海300m~1000mに生息する
サンゴの一種

ここに置かれているのは昭和50(1975)年頃に稚内籍の底曳船(おそらく瀬戸家所有)が
サハリンのモネロン島沖(後年大韓航空機が被弾・墜落した海域)の
水深500~600m付近より引き揚げたもの。
研磨すれば美しい木目と色調が現れることから、旧瀬戸邸では
装飾品や調度品として多用されています。
旧瀬戸邸前半10
まず案内人さんによって通されたのは、玄関から入って右手に在る部屋。
26畳ほどの座敷の一角には、瀬戸家が隆盛を誇った頃の
宴席の様子が再現されています。

この座敷は衝立によって3つに分割することが出来、
写真手前側の2間を「客用」、一方宴席が再現されている奥側をプライベートな「寝室」として、
結婚式や催事の際には仕切りを取り払うことで一つの空間としていたそう。
その証左として、写真奥に見える屏風の隣には仏間が残されています。
旧瀬戸邸前半7
細かな装飾や鮮やかな彩色が施された食器類。
お椀や膳は漆器、陶器の器は有田焼と、
産地の遠近を問わず格調高い品が揃えられています。
旧瀬戸邸前半8
座敷の外に広がるスペース。一見すると廻縁の様にも見えますが、
実はココ、元々は屋外
旧瀬戸邸は幾度か増築がなされており、その際にベランダや
庭に出るための戸口であった部分も屋内に取り込まれました。
旧瀬戸邸前半9
中央部分の天井には、出入り口だった頃の名残りが。
旧瀬戸邸前半11
「縁側」からの眺め。
建物と塀に囲まれる様に、本格的な日本庭園が築かれています。
北海道の家屋にはこれまた防寒目的で障子が無いそうですが、
座敷から庭を望める位置に「お洒落」として障子が付けられている、なんて遊び心も。
旧瀬戸邸前半23
ちょっと時系列が飛びまして、2階の部屋から。
ここからは旧瀬戸邸の屋根の構造が良く分かりますが、
この屋根にも北海道ならではな建築事情が隠れています。

まずこの邸宅に於ける外観上の特徴ともなっている赤いトタン屋根
本州以南では瓦を用いた屋根が主流となっていますが、瓦は寒さに弱く、
凍結や昼夜の寒暖差で劣化や破損に至ってしまいます。
また積もった雪の重みで屋根そのものが倒壊してしまう恐れがある。

その点トタン屋根は軽量で屋根に掛かる荷重にも強く、
雪降ろしの為に人が乗っても、大~丈~夫!
屋根材に隙間が無いため、雪解け水が隙間から入って雨漏りに至る心配が
ないのも強み。
旧瀬戸邸では屋根に傾斜を付けることで、特殊な設備を用いずに
屋根下に雪を落とせるようになっています。

そしてもう一つが、雨樋(あまどい)が付いていない事。
屋根に降りかかる雨水を地上へと流す、建築物には欠かせない排水設備ですが、
雪国では落雪や凍結による破損の恐れがあるため、
外付けの雨樋が設置されていないのです。

そしてもう一つが、雨戸が無いこと。
風雨の屋内への侵入を防ぎ、窓ガラスが普及・発展してからは猛烈な風雨や
飛来物から窓の破損を守るための設備ですが、基本的に北海道には
大型の台風は来ません
そのため邸宅内に雨戸は無く、スッキリとした外観になっています。
(現在では住宅事情も変わり、上記の様式が共通のものでは無くなって
いることにも留意されたし)
旧瀬戸邸前半12
1階奥に設けられた展示スペースには、
漁業に使われた道具や瀬戸家に所蔵されていた品々、
邸宅ゆかりの人々からの寄贈品等が収められています。
旧瀬戸邸前半13
こちらは船の進水を祝う進水式にて、くす玉や船体にぶつけるボトルに
繋がれた支綱(しこう)を切るための

進水式に合わせて造船所で作られる斧は船ごとに違う形状に仕上げられ、
式典終了の後、記念品としてそれぞれの船長に贈られました。
写真左下が昭和58(1983)年進水の第75朝洋丸(ちょうようまる)の、
同右上は昭和48(1973)年進水、第八寿久丸(じゅきゅうまる)のもの。
旧瀬戸邸前半16
瀬戸家の勢威を思わせる品が、こちらの宝船。
この宝船、なんと象牙を加工して作られたもの。
希少品を惜しげもなく使った装飾品はこれを含め2点
残されており、もう一つは宮城県に住していた常蔵氏の兄・喜三蔵(きみぞう)氏所有となって、
大切に保管されていたそう。
旧瀬戸邸前半17
船上には宴に興じる七福神の姿。
それぞれの衣類、表情、仕草に至るまで、非常に細かく作り込まれています。
芸術品としても、間違いなく珠玉の逸品!
旧瀬戸邸前半18
邸宅創建の主・瀬戸常蔵(せと つねぞう)氏は、
功多き御仁でありました。

利尻島本泊(もとどまり)地区出身(!)の氏は鴛泊での
底曳網漁船経営の後稚内へと渡り、操業を続けながら加工品や水産業、石油店と
稚内地域で多角的な事業を展開、彼の営む瀬戸漁業株式会社は当時、漁業の町稚内にて
八丸艦隊瀬戸艦隊と称されるほどの威容を誇りました。

また漁業や商社経営の傍らで、稚内のみならず北海道や全国規模で漁業関係の
役職に就いて活躍、一時稚内市議会議員の任にも就きましたが、
公職は肌に合わなかったようで、1期4年で一経済人に戻っています。

また水産業や経済界に多大な功を成した氏に対しては、国や市から
「紺綬褒章(こんじゅほうしょう)」、「藍綬褒章(らんじゅほうしょう)」、
「勲四等旭日小綬章(くんよんとうきょくじつしょうじゅしょう)」、
「市政功労賞」等、多数の顕彰を受けています。

写真の額は中曽根康弘(なかそね やすひろ)政権の折、
氏を中央漁業調整審議委員会※委員に任命する旨を伝えた文書。
れっきとした国の公文書です!
その際に贈られたと思しき品々も、誇らし気。

※漁業制度の全般的方針、基準等を審議する農林水産大臣の諮問機関
旧瀬戸邸前半24
稚内地域に於ける氏の存在感の大きさを示すのが、こちらの一枚。
これは昭和61(1986)年に稚内副港前で開かれた
北洋漁業危機突破集会の一幕を写したもの。

壇上にて演説する故・羽田孜(はだ つとむ)農林水産大臣(当時。後内閣総理大臣等を歴任)を
間近に見上げる最前列で杖を付いて立っているのが瀬戸常蔵氏。
周囲には当時の北海道知事や稚内市長の姿も見えます。

この集会が開かれる前年からこの年4月まで行われた日ソ漁業交渉は、
漁獲割り当ての大幅減と漁船の削減を北海道にもたらすこととなり、
稚内の漁業や経済にも多大なダメージを与えました。
そんな逆風吹き荒れる中、氏は翌昭和62(1987)年に77歳で死去。
これが公の場での最後の姿だそう。
旧瀬戸邸前半14
かつて漁業会・経済界の重鎮が住した邸宅は、著名人とも縁故あり。
こちらは昨年公開された映画、「北の桜守(きたのさくらもり)」にて
主演を務めた吉永小百合さんと、その息子役を演じた堺雅人さん
直筆のサイン。

「旧瀬戸邸」は親子連れ立っての旅の途上に於ける、宿泊先という設定で
撮影に使われたそう。
旧瀬戸邸前半15
こちらは幕内優勝32回、2度の6場所連続優勝、45連勝等輝かしい戦績を残した
昭和の大横綱・大鵬(たいほう)関のサインと寄贈の湯呑み。

昭和39(1964)年8月5日、稚内の町で大相撲の巡業が催行されました。
当時相撲界では力士たちが土地の有力者を訪れるのが慣例となっていたそうで、
ここ瀬戸邸には人気・実力ともに頂点に立っていた大鵬関が訪れました。

邸内には瀬戸家に贈られた板番付(いたばんづけ、力士・親方・行司等の
名が記された番付表)や吉葉山(よしばやま、昭和33(1958)年まで活躍した元横綱)関から
邸宅竣工記念に贈られた銀杯が残されており、大相撲と瀬戸家の関わり、
常蔵氏の勢威の様が窺えます。
旧瀬戸邸前半19
展示スペース近くには、漁に使われた道具が置かれています。
写真手前の道具はモッコと言い、
建網(たてあみ)漁(定置網漁)で獲れたニシンを運ぶためのもの。
当時女性が背負って加工場まで運んでいたそうで、
衣類や頭髪が汚れないように背中側に木の板が突き出しています。

奥の道具はテッコと呼ばれ、ニシンから抜き取った数の子や白子を
入れるための箱。
「テッコ」は「手かご」の方言のようで、木箱の他竹かごも使われていたそう。
旧瀬戸邸前半20
こちらが昭和2(1927)年頃のニシン漁の様子を写した一枚。
ニシンを積んだ船が岸に着き、男手は船の操船やニシンの積載、
モッコへの積み込みといった力仕事を担当し、
女性はモッコを背負って浜辺と加工場を往復しました。

大漁の日にはニシン休みなる学校の休日が存在し、
モッコを背負った女性や手伝う子供たちの声で賑わったとか。
旧瀬戸邸前半21
最後に、稚内漁業最盛期の頃を写した二枚をご紹介。
この写真は昭和43(1968)年、稚内副港付近にて撮られたもの。
岸壁には底曳船がびっしりと繋がれ、水揚げに従事する人々や
輸送に当たるトラックが盛んに行き交っています。

昭和40(1960年代後半)年代の稚内港では近海底曳漁船64隻、
遠洋底曳漁船16隻、計80隻もの一大勢力が形成され、
日本近海はもちろん、遠くサハリンやソ連本土付近にまで進出。
多様にして多量の海産物が連日運び込まれました。

昭和42(1967)年には年間水揚げ量22万t、金額にして66億円にも上る
成果を上げ、千葉県・銚子港に次ぐ全国屈指の港町の地位を築きました。

職員さん曰く、「当時は一度の航海で3億円を稼ぎ出す」ほどの
勢いだったとか。
ただ「魚の脂で交通事故が起きた」とか、
「半端ない生臭さ」だったりと弊害もあった様子。
旧瀬戸邸前半22
少し時代が下って昭和52(1977)年頃の写真。
びっしり並んだ底曳船やニシン刺し網漁船が出航に向けて待機中。
船舶の数こそ多少減ってはいるものの、この当時計56隻の底曳船が
稚内に籍を置き、北海道一の勢力を誇っていました。
一方生産額では10年ほどの間に約6倍と、飛躍的な進歩を遂げています。

しかしこの年、アメリカに同調する形でソビエト連邦200海里漁業水域
設置を宣言。
日ソ間の交渉の後水産庁より北海道の底曳漁船の削減が示され、
ソ連海域への依存度が高い稚内は2割以上の減船を強いられ、大きな打撃を受けました。

40年以上が経過した今日、200海里規制や「資源管理」の観点から
稚内の底曳網漁は大きく衰退。
今や6隻の底曳船が残るのみとなっています。
全盛期を思うと寂しい限りですが、「環境保護」の観点からすると
海中・海底の水棲生物を根こそぎ引き上げる底曳網漁が厳しい規制下に
晒されるのは致し方ないこと。

そんな時の流れの中でもなお、新鮮で出来の良い海産物が食べられることは、
大いに感謝すべきことなのでしょう。

次回は旧瀬戸邸後半!
「大横綱の為に」増築された特別仕様の茶室と邸宅奥の
プライベート空間、そして2階部分の様子をご紹介します。
それでは!

参照:館内説明書き、展示物
    コトバンク
    外壁塗装110番
    YAHOO!Japan不動産
    Wikipedia

コメント

こんばんは。

旧瀬戸邸へは、私もJR稚内駅から歩いて行きました。
なつかしいです。
詳細な説明があるため、私も熱心に見学したことを思い出しました。
礼文島の香深港近くの郷土資料館でも、ニシン漁が盛んな時代の写真などを見ました。
利尻島、礼文島、いずれも再び訪れたい場所ですね。
詳しい報告、ありがとうございました。

こんばんは

コメントありがとうございます。
さすが、ここもお訪ねでしたか。

邸内の様式や展示物、職員さんの説明、
どれを取っても興味深く魅力的なものでした。
礼文島はまだ上陸を果たせていないのです・・・
いずれ行きたいものです。

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。