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旧瀬戸邸2~邸宅の「プライベート」を覗く

利尻島もようやく冬のような寒さを抜け出し、
このところは天候も安定して過ごしやすい日和が続いております。
(それでも気温20℃ほどと、「本土」と比べると冷涼な気候ですが)

前回は稚内港隆盛の証である「旧瀬戸邸」を取り上げましたが、
今回はその続きから。
「ある人物」のために建てられた茶室と邸内裏側の「プライベートスペース」、
階段を上がって2階部分の様子をお届けします。

かつての稚内港の姿や漁の様子を伝える展示物を見て回り、
1階右手のスペースへ。そこに在るのが・・・
旧瀬戸邸後半
茶室
一見すると「茶室」というより一端の「座敷」の様な広さと風情ですが、
実は「ある人物」のために装いを改めた結果なのだとか。
その人物とは、前回記事でも触れた昭和の大横綱・大鵬(たいほう)関

世間が東京オリンピックに沸いた昭和39(1964)年、
稚内に大相撲の巡業、稚内準本場所がやって来たのは
前回述べた通り。
その際土地の有力者で巡業の催行にも尽力した邸宅の主・
瀬戸常蔵(せと つねぞう)氏の元に当時の実力№1力士・
大鵬関が来訪したのです。

この広々とした造りは大柄な大鵬関に合わせた特別仕様
身長187cm、体重153kgという大身な大鵬関であっても移動や
滞在に不自由の無いよう、古式ゆかしい茶室の工法を守りつつ、
邸内最大の十分な(あるいは十分以上な)広さを確保しつつ、
茶室に求められる風情と落ち着きを醸し出しています。

昨年放映された映画・「北の桜守」の撮影に使われた際には、
この茶室が主演を務めた吉永小百合さんの楽屋として提供されたそう。
旧瀬戸邸後半2
ここで注目して頂きたいのが、囲炉裏部分。
室内を見回してみるとそれほど華美な装飾品が置かれていない室内ですが、
有力者の邸宅らしい粋と技巧が凝らされているのが、
直上に吊るされた自在鉤(じざいかぎ)

囲炉裏の上から鍋や釜を吊るす、伸縮自在の便利道具。
旧家や邸宅では長~く伸びた棒の部分に装飾品を提げているのが
見受けられますが、旧瀬戸邸でもその例に漏れず
帆に「八〇(はちまる)」の屋号を掲げた宝船が取り付けられ、
過度な装飾性を省いた空間に一点の「華」を添えています。
旧瀬戸邸後半3
宝船の周囲にも装飾が施されているのですが、その中には「遊び心」が。
棒の部分に絡み付くのは、「昇り龍」ならぬ下り龍
その向かう先には縁起物の「宝船」。
この配置は縁起が良いそうで、この辺りは商売繫盛を願う商売人らしい趣向。

そして宝船に繋がる富士山にもご注目!
旧瀬戸邸後半4
一見すると日の本一の高峰・富士山で縁起を担いでいるようですが、
稜線に混じって瀬戸常蔵氏の故郷である利尻島のシンボル・利尻山の形が
彫られています!
2階の書斎には利尻島の風景画が置かれていたりと、
稚内の地で成功を収めながら、常蔵氏の心の中には故郷・利尻島への
望郷の念があったのかも知れません。
旧瀬戸邸後半5
庭に面して開けられた躙口(にじりぐち)も、窓のような大きさ。
これも大鵬関の出入りを想定した「特別仕様」。

ちなみに肝心の大鵬関ですが、ここに滞在した時間はわずか10分ほど
しかし「意味ないじゃん!」などどツッコんではいけない。
日本が復興と前進へのエネルギーに満ちた時代、輝きを放った大スターを
もてなそうとする常蔵氏の心意気、そして客人のためにこの快適空間を
築き得るほどの財と懐の深さこそ、昔日の繁栄の表れなのだから。

ここからはこれまで見て来た客人向けの「表側」とは逆、
普段住人が日常生活に用いた「裏側」を見て参ります。
旧瀬戸邸後半6
漁で獲れた魚を運んだ道具が置かれたあたり、2本の通路に挟まれて
設けられているのが、お風呂場

一般的に浴室は外に面した部分に建てられているものですが、
ここ旧瀬戸邸では何故か室内に取り込まれています。
これは後年の増築で建物が拡張されたため

また浴槽は当初邸宅の規模に相応しい大型のものが使われていたそうですが、
住人の減少に伴い一度解体
一般家庭と大差ないものに作り替えられています。
旧瀬戸邸後半7
こちらは住人や客人に料理を提供した台所
かつてはここを瀬戸家夫人や女中さんたちが忙しく動き回っていたことでしょう。
旧瀬戸邸後半8
廊下に面した壁面には窓が開けられ、ここから邸内に
素早く料理を提供できるようになっていました。
すぐ横には階段も設けられ、二階へも直行可能な構造とされています。
旧瀬戸邸後半9
隅っこの扉を開けると、物置きが出現!
冬の寒さ厳しい北海道らしく、薪が満載されていました。
旧瀬戸邸後半10
台所の隣は、主人が日常的に過ごした居間
ここで写真奥の小窓にご注目!
前回記事でご紹介した玄関脇の海松(サンゴの仲間)が見えています。
これはプライベート空間に居ながらにして客人の来訪を
即座に察知するための工夫。

こんな所にも、建造主・常蔵氏の細やかな配慮が見て取れます。
旧瀬戸邸後半11
ここでは昭和の居住空間を再現。
今では「骨董品」と言える家電製品や金庫、家具、食器に加え、
卓上に置かれた「女性自身」や「北海タイムス(かつて札幌を中心に発行されていた地方紙。
平成10(1998)年倒産)」が、時代の経過と流行や表現の移り変わりを教えてくれます。
旧瀬戸邸後半12
お次は2階へ参りましょう!
ぱっと見何の変哲もない(ただしきめ細かい木目が見て取れる)階段ですが、
欅材(ケヤキ)が惜しげもなく使われており、
案内人の方曰く一段一万円の価値が有るそう。
これを「消費者物価指数」を基に計算すると、現在の貨幣価値で7万円ほど

それが十数段、あるいは二重数段分と考えると・・・スゲー・・・!
旧瀬戸邸後半13
階段上がって正面は、二間続きの座敷。
中央上部に設けられた欄間、艶花が描かれた障子戸が目を引きます。
写真左手前、卓上に海松と並んで置かれているのは、船舶が視界不良の際に
自船の位置を音で知らせた霧笛(むてき)
旧瀬戸邸後半14
同じ座敷に展示されていた、かつての底曳船の操業範囲を示す地図。
このように稚内近海はもちろん、サハリンやソビエト連邦本土に迫る
広範囲にまで漁に出向き、タラ、ニシン、ソイ、エビ、カニ、カレイ・・・等々、
多様にして大量の水産物を持ち帰り、稚内の町に富と活気をもたらしていました。
旧瀬戸邸後半16
2階奥の座敷には、底曳船の模型と底曳網の一部が展示されています。
一番手前に置かれた底曳網は、左が船体側、右手が海底側。
海底に近付くにつれて獲物を逃がさないよう網目が細かくなっています。

この網を用いて行われたのが、底曳網漁(そこびきあみりょう)
稚内では複数ある漁法のうちトロール漁という方式が使われ、
一隻の漁船から網口開口板(オッタ―ボード)を取り付けた網を垂らし、
海中や海底の水産物をすくい上げていました。
底曳網漁イメージ
イメージにすると、こんな感じ。
旧瀬戸邸後半15
こちらは居間や寝所とともに主人(常蔵氏)が日常的な時間を過ごしていた書斎
(逆光での撮影になってしまいましたが、何卒ご容赦を)
畳敷きながら洋室調の造りとなっており、家具や調度品もそれに則した品が
揃えられています。

個人的に気になったのは、平成23(2011)年の稚内駅リニューアルオープンの記念品や、
宗谷本線で運行されたイベント列車の切符等々、
鉄道ファン垂涎のレア物グッズ
邸宅に住んでいた方の蒐集品か、あるいは市の職員さんの持ち込みか・・・
う~ん・・・うらやましい
旧瀬戸邸後半17
「書斎」と廊下を挟んで向かい合うように設けられているのが、女中部屋
邸宅内にて炊事や住人からの用命を受けた女中さんたち5名が、
この5畳ほどの空間で過ごしていたそう。
(一人一畳と考えると・・・狭い!)
奥には書斎から直接用向きを伝えられるよう、窓が開けられています。

この他夫人の居間も設けられており、
邸内には計13室、延べ430㎡もの空間が確保されていました。
かつて優れた経営手腕と全国にまで伝手を広げる人脈で
稚内に一大勢力を築き上げた豪傑、瀬戸常蔵。
彼が現出させた繁栄と夢の跡は、今も稚内の町に、港に
生き続けています。

次回は底曳船の基地・稚内副港に隣接して建てられた複合施設・
副港市場(ふくこういちば)へ!
たくさんの品物が並ぶ市場と港の情景、
そして港町で食すグルメの模様をお伝えします。
それでは!

参照:館内説明書き
    ズームアップ北
    コトバンク
    一般社団法人全国底曳網漁業連合会
    日本銀行 ホームページ
    職員さんの分かりやすく愉快な話♪
    

コメント

おはようございます。

いつものように詳しい説明、ありがとうございます。
説明を読んでいると、いつまでも興味が尽きません。
博物館や郷土館などの「館長」になれますね。(笑)
郷土館などを訪れても、詳細なパンフレットがないと、いつまでも覚えていられません。
「記録」としても、とても役にたちます。
ありがとうございます。

こんにちは

コメントありがとうございます。
お褒めいただきうれしく思います!
ですが私もパンフレットやインターネット、
説明書きを撮った写真等を基に書き起こしており
根っこからの知識では無いため、
仕事として記憶されている方には及びません。

こうして見分した物をお伝えするのが楽しみなので、喜んで頂けて光栄です。

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。