さて、1泊2日の行程を綴って来た稚内小旅行も、今回が
最終回前回に続いて「遊べる市場」・稚内副港市場を取り上げます。
今回は市場内に現出した「昭和」!
昔日の稚内と戦前の樺太に触れられる、ノスタルジーな展示スペースを
巡ります。
建物2階の「温泉棟」で料理とお酒に舌鼓を打った後に向かったのは、
1階奥に広がる
ギャラリー棟椅子とテーブルが並べられた休憩スペースを中心として
かつての稚内港駅舎(現
稚内駅)を再現した
港ノスタルジー、
稚内および宗谷地域と地理的・歴史的に深いかかわりを持つ樺太(サハリン)、
その首府であった豊原(現ユジノサハリンスク)に在った豊原中学校を模した
樺太ノスタルジー、
昭和の稚内の町並みをイメージした
稚内ノスタルジー、
宗谷地域とサハリンの観光情報を網羅したインフォメーションセンター、
観光情報コーナーの4つの施設から成り立っています。
棟内にはクレープ店「ミノアス」やオリジナルのおにぎりとラーメンが食べられる
「おむすび島」も併設されて休憩がてらに軽くグルメも楽しめる他、
コミュニティFM・「FMわっぴー」の収録スタジオが置かれ、
ガラス越しに収録現場を眺めることも出来ます。

この「ギャラリー棟」に入って最初に目を引いたのは、情緒たっぷりな木造建築。
稚内と樺太を結ぶ稚泊航路の接続場所として建てられた施設・
稚内港(わっかないみなと)駅舎を再現した、
港ノスタルジーモデルとなったのは大正13(1924)年に建造され、連絡船待合所として
開設された、
稚内駅の
初代駅舎、その正面部分。
木造平屋建てながら内部空間を広く取り、外観は2階建て風。
正面入口上部の明かり窓と台形の屋根が目を引く洋風建築。
昭和3(1928)年に
宗谷本線が延伸された際に
稚内港駅に改称、
昭和13(1938)年の2代目駅舎開業まで使用されました。
その後は稚内桟橋駅(現北防波堤ドーム)の開業を期に「稚内駅」へと
再び改称、2度の駅舎建て替えを経て現在へと至っています。

建物内部も、昭和初期の趣が良く再現されています。
各所に貼られた映画のポスターや商店の広告がリアル。
正面奥の改札口のような設備は、樺太・大泊へと向かう稚泊航路連絡船の
乗船窓口。

壁面に掲示されたパネルには、往時の「稚内港駅」舎全景や
連絡船待合室であった頃の港を切り取った写真が載せられています。

こちらは「稚内港駅」に代わる稚泊連絡船への乗り換え口として、
昭和13(1938)~樺太が
ソビエト連邦軍に占領される
同20(1945)年まで使われた
稚内桟橋駅の写真。
パネル中央下の写真と弧を描く屋根、立ち並ぶ列柱からお分かりかと思いますが、
稚内港を強烈な海風から守る
北防波堤ドーム竣工当時の姿。
(5月5日記事http://ac802tfk.blog.fc2.com/blog-entry-215.htmlも参照のこと)
当時は現在「稚泊航路記念碑」やSL・C55型49号機の動輪が置かれている辺りに
駅舎が設けられ、1階を貨物保管庫、2階を食堂・売店併設の待合所として供用していたそう。
線路は駅舎を挟んで両側に取り付けられ、防波堤直下が旅客用ホーム、
岸壁側は貨物用ホームとして動線が分けられていました。
かつては樺太へ渡る玄関口として賑わったことでしょうが、
前述の通り樺太が
ソ置占領下に置かれたため、連絡船の運航は
実質不可能に。
戦争終結の混乱の中、交通拠点としての役目を終えています。

「港ノスタルジー」の一角に置かれた
列車ストーブ明治~昭和中期に掛けて列車内を温めていた暖房器具で、
燃料は主に石炭、コークス(石炭を蒸し焼きにして炭素部分のみを取り出したもの)、
薪やおが炭等の木材。
丸っこい形状から「ダルマストーブ」、「地球型ストーブ」、「タコストーブ」と
呼ばれていました。
貨物と旅客を同じ編成で運ぶ「貨客混載」や旧型客車の存置という事情もあって、
寒冷地を中心として客車列車に欠かせない暖房器具として親しまれていた
「ダルマストーブ」も、均一的に室内を暖め得る暖房装置の普及、
旅客列車の気動車(ディーゼル)化によって1970年代に
消滅現在は一部のイベント列車に残るのみとなっています。
(もちろん私は実用されている所を見たことはありません)

さて、次の場所へ向かいましょう。
「ギャラリー棟」の出入口付近、天井と壁の間からチラ見えしている
レトロな壁面の施設は、
樺太ノスタルジーかつて稚内と連絡船で繋がっていた樺太(サハリン)の地。
その首府となっていた街・豊原(とよはら、現ユジノサハリンスク)に
樺太庁によって開かれた教育機関、
豊原中学校の一部が復元されています。

「樺太ノスタルジー」内部。
昭和前期の教室をイメージした展示スペースの一部には机とイス、
教壇が再現され、当時の学び舎の雰囲気に触れられます。
黒板部分はモニターとなっており、日本統治時代の樺太の様子を放映。
これ以外の壁面には日本領・南樺太各地の古写真が掲示され、
悲劇の前に築かれた、穏やかな人々の暮らしが見て取れます。

中央をガラス張りとされた机の中には、当時の教科書や樺太の町、
稚泊連絡船に就航していた旅客船の写真。
いずれも失われてしまった、記録の向こう側。

こちらが実物の
豊原中学校を写した写真。
「連絡船待合室」が建てられたのと同じ大正13(1924)年の建設で、
二階建ての校舎に普通教室23室、特別教室6室が設けられていました。
公的施設らしい威厳と格式を感じさせる建築様式は、
大正後期頃に樺太庁によって整備された建築物に多く見られたもの。
この校舎は
現存していないそうで、今となっては
樺太の風景とともに記録の中に残るのみ。

続いては
港町一丁目商店街・・・ではなく、
昭和の稚内を現出させた
稚内ノスタルジー今では見られない
赤いポストや、ダイヤル式の電話機が鎮座する
たばこ屋が招く路地に足を踏み入れれば・・・

そこはまさに
昭和の世界
「黎明期」の家電製品が並ぶ電気店に

「銀幕のスター」を写す劇場・・・

現在との物価の違いに驚かされる飲食店と、「ノスタルジー」に浸れる
情景が目白押し!
(なんだかココhttp://ac802tfk.blog.fc2.com/blog-entry-53.htmlにも似ている)
じっくり観察してみると・・・

現役時代の長嶋茂雄・読売巨人軍終身名誉監督や

王貞治・現福岡ソフトバンクホークス会長を起用した広告が。
お二人とも若い!

3つの「ノスタルジー」に触れた後は、市場内でグルメ散歩。
このお店は
日本でも数少ない放牧型酪農に適した
稚内の風土で育まれし乳製品を、極力風味を損なうことなく提供する
稚内牛乳の販売店。
その特徴は一般的な乳製品に用いられる高温・短時間での殺菌方法とは異なる、
ノンホモ低温殺菌牛乳であること。
通常130℃・2秒という殺菌温度・時間で作業効率と殺菌精度を実現しているのですが、
このノンホモ低温殺菌牛乳では
65℃で30分掛けて殺菌します。
これにより「焦げ味」の付かない、牛乳本来の風味が保たれる、とのこと。
「ノンホモ」は
ノンホモジナイズドの略で、
牛乳に含まれている「脂肪球」をホモジナイズ(均質化)していない牛乳の意。
これも機械的にクリーム分の分離を防ぐ処理を行わないことで、
牛乳そのものの風味を届けるための工夫。
こちらではこの「採れたまま」の風味を保った牛乳の他、のむヨーグルト、
アイスクリームといったメイド・イン・わっかないの乳製品が味わえます。

折角なのでこの
のむヨーグルトを頂く。
その飲み味はとても「さっぱり」。一般的に出回っている乳製品と違い
独特のとろみのようなものも無く、スッと喉を通る。
なるほど、これが「牛乳本来の味」かと、感嘆。
稚内牛乳は中に含まれる栄養成分に一切手を加えない
成分無調整牛乳となっており、
季節により味や色合いが変化するそう。
これも「自然のまま」だからこそ、か?

食べ・飲み歩き二軒目は、「ギャラリー棟」の一角にて営業中の
クレープ店・
Minoaca ミノアカこのお店の特徴は・・・
特定のメニューが存在しないこと。
(ドリンクはその限りではありませんが)
店頭に立った客はこちらの
注文フォームから
「生地」、「ホイップクリーム」、「アイスケーキ」、「ソース」、「トッピング」、
「フルーツ」、「パウダー」の中から好みの組み合わせを選択し、
オンリーワンのクレープを生み出すことができるのです!
(もちろん作るのは店員さんですが)

しばらく「ギャラリー棟」の休憩スペースで待っていると、やって来ました!
私の考えた、
オリジナルクレープ!・生地はプレーン
・ホイップクリームもプレーン
・アイスケーキはチョコ
・イチゴソース
・白玉トッピング
・フルーツはバナナ
・ココアパウダー振りかけ
これらを組み合わせて、計460円。
(私の場合は。値段は組み合わせと選択したチョイスの数によって変動すると
お考えください)
ドリンクメニューからキャラメルラテを選び、頂く。
いざ実食!
これだけアレンジしてしまうと味のバランスが崩れてしまうのでは?と思えますが、
そんなことは全く無く、組み合わせの妙か、あるいは店員さんの腕のお陰か、
美味しくいただける割とシンプルな味付けを選んだためか、甘すぎず濃すぎず、
程よい食べ心地に仕上がっておりました。

市場遊びを心行くまで楽しみ、16時40分稚内港発のフェリーで
利尻島へ。
楽しい時間も、もうすぐお終い。
次の日からは、また日常の中へ戻ります。
(
利尻島という住環境が、ある意味「非日常」かも知れませんが)

どんより曇った海原を、駆ける。
「そうや、宗谷へ行こう!」と思い立ち、船に飛び乗ってスタートした1泊2日。
車で駆け回り足を進めた時間は瞬きのように過ぎ去りましたが、
この目とフィルムに焼き付けた「日本最北端」の情景とそこに刻まれた歴史、
港町の佇まいは何物にも代えがたい心の「肥料」となりました。
ここから数ヶ月。
次の旅路を心待ちにしながら、エネルギーと旅費を溜めて、貯めて行こうと思います。
次回は・・・未定!
鴛泊地区郊外の景勝地へ足を運んでから、いずれ隣町・利尻町の
沓形集落へでも赴こうかと思案中です。
それでは!

優しさの形も、いろいろ。
参照:館内説明書き
稚内副港市場 パンフレット
JAわっかない 稚内牛乳ホームページ
Wikipedia