礼文島(れぶんとう)
東西に細長く伸びる日本列島、その中でも北方に当たる北海道でも
さらに北端、
日本海上に浮かぶ島で、
稚内市から59km、お隣・
利尻島からはおよそ8kmの距離、
北緯45度16分17秒、東経140度57分51秒に位置する、
民間人の居住地としては
日本最北端の離島(ただし北方領土まで含めると同地の
択捉島、現状無人島としては
稚内市・宗谷岬沖の
弁天島がそれに当たります)
東西29.8km、南北7.9km、周囲72km、面積81.33k㎡の範囲に
およそ
2,600人が居住。
礼文郡礼文町による町制が敷かれています。
島は東西に狭く、南北に細長く伸びており、中央付近に島の最高峰となる
礼文岳(れぶんだけ、標高490m)が聳え立っています。
島内には海岸沿いを除いて
河岸段丘が広がっており、
島の東側は比較的緩やか、西側は宗谷地域特有の強い風、
日本海からの荒波によって削られ、断崖絶壁が続きます。
一方北部には
スコトン岬と
金田ノ岬(かねだのみさき)に囲まれた
船泊湾(ふなどまりわん)、
島内唯一の淡水湖・
久種湖(くしゅこ)が所在。
それらの周囲には砂丘や湿地も存在する等、変化に富んだ自然風景が見られます。
また厳しい自然環境に置かれながら、島内では限られた雪解けの季節の中で
約300種もの花々が見られるそうで、
花の浮島の異名とともに人々を惹き付ける要素となっています。
今回はそんな
礼文島で最も発達した町・
香深地区(かふかちく)を歩きます。
利尻島からのフェリーにて、「最北の島」に降り立った私。
散策の第一歩はそのフェリーが発着する
香深港フェリーターミナルから。

フェリーターミナルの向かいには、島を出入りする観光客向けの土産物屋が軒を連ねています。
交通拠点の目の前ではありますが、フェリーが発着する前後を除けば
人も車も多くは無く、「離島らしい」静かな雰囲気。

海産物や雑貨、お菓子等を取り揃える土産店。
軒先には地域色を前面に押し出した置き物がいっぱい!

旅人の心をくすぐる「最北端」のワード。
もちろんアピールは欠かしません!
隣では毛皮をまとったキタキツネ君も、応援モード(?)

少し歩けば、香深地区の中心市街地。

河岸段丘と海に挟まれた限られた土地、その中に役場や商店、
飲食店、宿泊・娯楽施設が効率的に配されており、小さいながらもなかなかに
「発達している」印象。

もちろんここは自然環境に恵まれた地。
海沿いに出てしまえば・・・

こんな景色に出会えます。

ここからは「内陸」側、河岸段丘の上を目指します。
先ほどの写真に写っていた交差点を左に折れると、景色は一変。
平坦な海辺から、傾斜の付いた登り坂となります。

島の中央に向かって、丘陵が連なっているのが分かります。

坂を上った先には、小さな集落。
鮮やかな鳥居の
朱色が目を引くこちらの社は、
厳島神社(いつくしまじんじゃ)
祭神は私の地元・福岡県の宗像大社(むなかたたいしゃ)に祀られている
「宗像三女神」の一柱、水の神・
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、
託宣と漁業の神・
事代主神(ことしろぬしのかみ)、
山岳信仰に端を発する力と勝負、破邪顕正(はじゃけんしょう、誤った考えや教えを打破し、
正しい見解と実践、教えを顕す仏教用語)を司る
三吉大神(みよしのおおかみ)の三柱。
文化5(1808)年、宗谷場所※1の請負人※2、
藤野喜兵衛(ふじの きへえ)が
松前福山(現在の松前町)から市杵島姫命を奉り、
現在の町役場裏手付近に祠を建てて「弁天社」と称したのが始まり。
明治9(1876)年に集落を代表する「村社」に列せられ、
同19(1886)年には春日造(かすがづくり、奈良県奈良市の春日大社を筆頭に
近畿地方に多く見られる神社の建築様式)に則った社殿を建立。
しかし同22(1889)年、大豪雨による土砂崩れにより
埋没の
憂き目にあってしまいます。
その後地元の人々からの寄付もあって、明治28(1895)年に現在地へと
社地を移転の上、
再建今日に至るまで香深地区の鎮守の社となっています。
※1 宗谷場所・・・江戸時代に蝦夷地(北海道)を治めた松前藩公認の下、
交易権を認められた商人がアイヌ民族との間で
商取引を行った所。
宗谷地域に於いては
宗谷岬近傍、現在の宗谷漁港付近に
「場所」が置かれていた。
※2 請負人・・・松前藩公認で交易や地域の統治を任された有力商人。
以前取り上げた利尻山神社等を勧請した「恵比寿屋源兵衛」も、
「リイシリ(利尻)場所」にてこの地位に就いていた。

神社門前のこの通りも、「門前町」のような位置付けでしょうか。

入口から奥の拝殿が見えるほどの小さな社ですが、
その中枢はご覧のような斜面の向こう。
そこへ至るまで
百段の石段が待ち構えています。

石段の途中、こちらも
朱の色彩がまぶしい手水舎(ちょうずや)で、
お浄めも兼ねて一休み。

龍神様の口元からは、礼文の山稜から湧き出た清く新鮮な水が湧き出しています。

手水舎の傍からは、集落の屋根の向こうに
利尻富士!

百の石段を越え、拝殿の前に辿り着きました!
地元の方々による修復・整備の賜物でしょうか、境内の構造物は
社殿に限らずピカピカ✨

念願の礼文上陸。
この地とご縁を結べたことに感謝し、鎮守の神様にごあいさつ♪
後から知ったのですが、拝殿内の天井部分には、
礼文島の花々42種を描いた
天井画が有るそうな。
う~ん、もっとじっくり観察すればよかった!
海と山を抱き、豊かな自然に恵まれた
礼文島。
真っ直ぐ観光名所を目指す前、町の観察も欠かせません♪
次回は丘陵上にて待ち受ける名所を目指し、森の中へ!
快晴下での自然散歩を楽しみます♪
それでは!

街角の先に、
利尻富士。
参照:礼文町郷土資料館 解説パネル
礼文島観光協会 ホームページ
コトバンク
Wikipedia