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礼文町郷土資料館3~近代化、そして「現代」へ~

今月13日の訪問から10日以上。
8回に亘ってお伝えして来た礼文紀行も、ついに最終回
同時に「礼文町郷土資料館」パート3となる今回は、
近代~現代の礼文にスポットを当て、島と文明の発展、そして現在の礼文へと繋がる
人の営み、その変化をお届けいたします。

江戸時代末、漁場開拓の成功以後本州からの移住者が増加した礼文島
初めは金沢藩(前田家)の管轄下に置かれていましたが、
明治政府による国造りの中で開拓使(北海道庁の前身)の管理下となり、
明治11(1878)年には尺忍(しゃくにん)村、香深村、船泊村、神崎村、
4つの村が誕生
その後合併と分離を経て明治35(1902)年には香深村(現在の香深地区)、
船泊村(現在の船泊地区)の2村体制となります。

これに合わせて明治から大正に掛けて郵便局の開設、電信通信や水道、
送電システムや電話の開通といったインフラの整備、
学校の設置が進められ、島民の生活水準は大きく進歩することとなりました。
礼文町郷土資料館3-1
明治・大正期に使われていた生活道具の数々。
近代化の波押し寄せた時代ではありますが、どことなく江戸の名残りも感じられる造り。
展示物上段右手に見えるたんすの様な物は、
真空管(内部を真空にして、電極を封入した管。電子流を制御することで
増幅・整流・発信等を可能とする)で音を発する真空管ラジオ

大正時代に日本に持ち込まれ、戦後しばらくの頃まで使われた、
テレビ放送普及前の主役
この形式はごく初期の物で、大掛かりな設備と高価な値段(住宅一軒分!)で
裕福な家庭のみが入手し得る代物だったそう。
(昭和初期の技術開発により一般家庭に広まることとなります)
礼文町郷土資料館3-2
こちらはレコードから音を拾って再生する懐かしの音楽プレーヤー、
蓄音機
皆さんの中には、この道具に親しみをお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか?
(私はもちろん、実用されている場面に出くわしたことはありません)
礼文町郷土資料館3-3
利尻・礼文地域の発展に欠かせなかったのが、当時交通拠点、商都として
隆盛を誇っていた港町・小樽港と利尻島礼文島を結んでいた、
小樽利礼航路(おたるりれいこうろ)

明治18(1885)年、小樽~増毛(ましけ)航路を延長する形で、
稚内を経由して利尻・礼文へと至る航路が開設されました。
昭和27(1952)年からは一般旅客定期航路として国と道からの財政支援を得て、
稚内に寄港せずに直接道央~利尻・礼文地域を結ぶようになります。

しかし昭和30年代以後、モータリゼーションの進展に伴い
人の流れが変化。
宗谷地域の航路は現在同様稚内~利尻・礼文の宗谷地域間に集約されて行きます。

それでも貨物輸送でどうにか航路は維持されていましたが、平成に入ってから
貨物取扱量の低下と補助金の削減等で路線を運航する
(株)北海商船フェリーの業績が悪化。
平成5(1993)年12月、小樽利礼航路は百年超の歴史に幕を閉じることとなりました。

写真は昭和56(1981)年、東日本フェリー(旧。平成17 2005年解散)から導入した
2代目おたる丸の就航を記念する、ポスターと乗船券。
このおたる丸、二年後には再び東日本フェリーへと売却されており、
小樽利礼航路就航当時の資料として、また短いおたる丸の活躍の証としても
貴重な品々。
礼文町郷土資料館3-4
昔の電化製品たち。
ポータブル式のレコードプレーヤー、ラジオカセットレコーダー(いわゆるラジカセ)、
小型化・一般化した真空管ラジオ、ダイヤル式卓上電話機(黒電話)、
デルビル磁石式壁掛電話機等々。

ダイヤル式の電話機は、幼少時に辛うじて使用経験がありますね。
懐かしいなぁ~(しみじみ)
礼文町郷土資料館3-5
昔日の香深地区町内、および近隣の風景。
戦後、政府により市町村合併が進められ、礼文島では昭和31(1956)年に
香深村と船泊村が対等合併礼文村となり島の自治体は一つとなりました。
これらの写真は合併当時のもの。木造建築やレトロな造形が目立ちます。

3年後、昭和34(1959)年には町制が施行されて礼文町が誕生。
今日へと至っています。
礼文町郷土資料館3-6
この日訪れた厳島神社
社殿が今と違う!
礼文町郷土資料館3-7
この建物は、現在の香深港フェリーターミナル。
合併当時は香深駅の名で近隣や遠く小樽からの
旅客を受け入れていました。
礼文町郷土資料館3-8
戦後の礼文島に於ける大きなトピックとなったのが、金環日食
昭和23(1948)年に到来した天体ショーに際し、日米合同の研究チームは
礼文島を観測地として選定。
東海岸の起登臼(きとうす)地区を拠点として島内各地で各種観測が行われ、
見事成功

これを記念し6年後の昭和29(1954)年、起登臼地区に記念碑が完成。
現在記念碑は平成15(2003)年に新製された2代目となっていますが、
初代記念碑は厳島神社境内に移設され、
当時の偉業と興奮を伝えています。
礼文町郷土資料館3-9
日食観察に興じる島の人々。
礼文町郷土資料館3-10
当時の科学誌も、この出来事を大々的に報じました。

離島を支える産業として欠かせないのが、漁業
江戸時代から島を支える基幹となっていたのが、
稚内市の旧瀬戸邸(6月24日記事に詳述)でも取り上げたニシン漁
礼文町郷土資料館3-12
「礼文町郷土資料館」では当時の作業場をイメージした展示スペースが設けられ、
漁や水揚げされたニシンの運搬・加工に用いられた道具、
当時の様子を捉えた写真が展示されています。

江戸時代、さらに遡れば太古の昔より続けられてきたニシン漁。
明治時代に入ると漁具や漁法の改良により漁獲高が年々増加。
明治中期~大正に掛けて礼文のニシン漁は最盛期を迎え、
それによって利益を得たものは島の社会基盤の整備・発展に還元するという
仕組みが出来上がっていました。

しかし昭和時代に入ると、記録的な不漁がたびたび発生。
昭和29(1956)年頃にはとうとうニシンが姿を消してしまいます。
この出来事は水産業の転換点となりました。
礼文町郷土資料館3-11
写真下部、壁際に立て掛けられているのは、旧瀬戸邸でも目にした
獲れたニシンを加工場まで運ぶための背負いカゴ、モッコ!
思わぬ場所での再会。
礼文町郷土資料館3-13
礼文の海で獲れる魚たち。
ニシン(数こそ減ったものの、まだ獲れる様子)、ホッケ、タラ、ソイ、カレイと、
数千年の昔から北海の離島を潤し続ける面々が並びます。

一方甲殻類はトヤマエビやアカエビ、他にミズダコやスルメイカ、
江戸時代の「商場」を支えたナマコといった海の幸が産出され、
食卓や店舗にて私たちの舌を楽しませてくれます。
自然の恵みに、感謝!

また礼文の漁業で大きな役割を担っているのが、利尻昆布
全国に出回る昆布、そのうち実に95%が北海道産であり、
うち宗谷地域や留萌地方、オホーツク海沿岸・紋別市に至る、、
道北沿海地域で産出される品種が「利尻昆布」と称されています。

特にこの「利尻昆布」を高級食材として重宝しているのは、
京都や大阪を始めとする関西圏
利尻・礼文地域で採れた昆布の大部分は、、宗谷地域から遠く離れた
土地に店を構えた高級料亭などに送られ、食通を唸らせる味へと昇華します。
礼文町郷土資料館3-14
食卓の上に並んでいるのは、礼文島の郷土料理・・・の、イメージ。

代表格はホッケの糠漬け(ぬかづけ)、ギスコ(ギスカジカの卵)の醤油漬け、
タラのチョウ(胃袋)の肝和え(ともあえ)など。
島の近海で獲れた海産物は天日干しや塩・醤油・味噌などに漬けた加工品、
その他米ぬかや卵・内臓を加えた調理方法もあるそう。
礼文町郷土資料館3-15
漁業と並んで現代礼文の暮らしを支えているのが、観光業
そのきっかけとなったのが、昭和25(1950)年の道立自然公園指定。
昭和32(1957)年には桃岩付近の高山植物が北海道の天然記念物指定を受け、
観光地化への端緒が開かれます。

昭和40年代に入ると高山植物を始めとする多様な植生、周囲の海や利尻島を取り込んだ
雄大な景観が評価され、
島の西部が利尻礼文サロベツ国立公園の一部として
国の管理下に置かれます。

これを機に旅館や民宿、土産物店の開業、観光施設の整備、
各種イベントの催行といった観光客誘致の試みが進められ、
今では利尻・稚内と併せた観光ルートの一部となっています。
礼文町郷土資料館3-16
ガラスケースの向こうに並ぶ、昔の観光パンフレット。
この頃から「最北の島」、「花の島」といった文言が踊ります。

さて、じっくり見て回った資料館探索も、この辺りで終了
同時に我が愛機も電池切れに陥ったため、
他の香深の景観も、、夕日に見送られながらの礼文出航も撮れず
フェリーターミナル前のお土産屋さんで土産物を買い込み、
利尻への帰路に就きました。
礼文町郷土資料館3-17
寮の自室にて充電後に撮り直した、お土産3点。
左から礼文島渡航証明書にしんの燻製(くんせい)、
昆布巻(こぶまき)重ね巻き
礼文町郷土資料館3-19
稚内・宗谷岬の「日本最北端到達証明」に続いての購入となりました、
礼文島渡航証明書
お値段は(確か)350~450円ほど。
右側に礼文島の地図と各種データ、左側には島の固有種・レブンアツモリソウの写真と、
レブン(以下略)の妖精・あつもんがプリントされています。

この部分には名前と日付の記入欄があるのですが、購入時に日付を入れてくれる
宗谷岬と異なり、こちらはセルフ
元号はしっかり「令和仕様」となっていますが、礼文をご訪問、
証明書をご購入の方は、記念すべき日付を忘れぬうちにご記入ください!
(私はまだ書いていません 笑)

この「渡航証明書」、ひっくり返すと・・・
礼文町郷土資料館3-20

礼文町郷土資料館3-21
角度によって異なる花と風景が現れる仕様となっています!
なかなか手が込んでいる。
礼文町郷土資料館3-18
こちらは昆布の重ね巻き。
分厚い昆布巻きの間にはサケの身が挟まれ、昆布の香りと風味、
脂の乗ったサケの旨味が楽しめます♪
(これまた分厚い骨には難儀しましたが)

日帰りで渡って参りました、礼文島
じっくり時間を掛けて巡ったつもりではありますが、この島の魅力の一部しか
紹介出来ていないことでしょう。
宗谷地域を離れるまでにもう一度、次は足を確保して島内縦断を試みたいところ。

次回は二度目の訪問となる利尻島西部の町、沓形(くつがた)地区へ!
集落の奥に静かに佇む漁場の守り神を訪ね、
沓形漁港の風景を切り取ります。
それでは!
礼文町郷土資料館3-22
礼文島を訪ねた9月13日は、中秋の名月!
礼文町郷土資料館3-23
やや雲が出ていたのが残念でしたが、欠片の無い美しき月を、
利尻富士や鴛泊の眺めとともに楽しみました。

参照:礼文町郷土資料館 解説パネル
    日本ラジオ博物館 ホームページ
    コトバンク
    Wikipedia

コメント

おはようございます。

礼文島の近現代史にも、歴史の移り変わりがはっきりと見てとれますね。
なかには懐かしい物もあります。
自然は美しいが、生活をするのは本当は大変なのか……、
日本最北端の島々へ人々はどのような事情で移住したのか……、
……などなど、興味は尽きません。
私もいつかまた、この地を訪れたいですね。

こんばんは

コメントありがとうございます。
昭和以前の生活道具は私にとっては
「ガラスケースの向こう側」といった印象が
強いですね。
今の道具たちも、いずれはそんな存在になって
行くのでしょうか・・・

確かに、利尻・礼文地域に移住した人々が
どのような事情で、あるいは理念を抱いて
やって来たのか、大いに気になりますね。
(もう「証人」は、残ってはいないのでしょうが)

とても美しく、豊かな島でございました。

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。