「日本最北端の地」・稚内から、遠く離れた道東の地を目指しての列車旅。
稚内駅より特急
サロベツにて「中間点」となる
旭川駅まで到達した訳ですが、
まだまだ鉄路は続きます!
旭川駅から乗りますは、
特急大雪(たいせつ)
元々は札幌発で
石北本線(せきほくほんせん)を通って網走まで,
つまり現在の石北特急のルートを走る急行列車に用いられた愛称でしたが、
昭和47(1972)年10月のダイヤ改正で特急「
オホーツク」へ
格上げという形で
消滅その後
キハ183系(初期型)特急車両の投入、函館発着の特急「
おおとり」の吸収と
順調に成長を続けた「
オホーツク」。
そんな石北特急に変化が訪れたのは、平成29(2017)年のこと。
2010年代前後から道内各地で相次いだ事故や不祥事によって、苦境に陥った
JR北海道。
厳しくなった車両繰りの影響は石北特急にも押し寄せ、
それまで札幌―網走間を4往復していた「
オホーツク」のうち
2往復の運転区間を
短縮札幌直通の2往復を「
オホーツク」、旭川発着の2往復を別名称の列車として
区別することとなりました。(車両は共通)
そこで旭川-網走間の区間列車の愛称として、「大雪」の名が
復活急行時代以来、45年ぶりに名峰の名が
石北本線に帰って来ました。
国鉄特急車ならでは、幕式の愛称表示器には、もちろん
大雪山系の山並み。

車両は
キハ183系特急型気動車。
昭和54(1979)年に試作車が登場。
試験走行を重ねたのち、2年後の昭和56(1981)年に量産車が登場しました。
当初に生産された車両群は
初期形と呼ばれ、高運転台構造と
「スラントノーズ」と呼ばれる直線的な先頭形状が特徴でしたが、老朽化のため
平成30(2018)年までに全車
廃車一方現在
JR北海道に残存しているのは、国鉄末期~JR化初期に製造されたグループ。
N183系や
NN183系と呼ばれ、性能向上とコスト低減を目指し、
貫通型の先頭部、連続した側面窓と外観が改められたほか、最高速度120km/hで
走行可能な車両、130km/hの走行性能を持つ車両、エンジン換装車等、
発展・改造内容も多岐に渡ります。
近年は老朽化と
キハ261系1000番台の増備によってその数を減らし、
石北本線では前述の通り初期型は廃車。
平成30(2018)年には長年運用を担当していた
函館本線系統の
特急
北斗からも
撤退し、
一部の車両は「
オホーツク」「
大雪」へと転用され、
最後の活躍を続けています。
(キハ183系でキハ183系を置き換えるという、奇妙な状況に・・・)

さて、午前中は「
ノースレインボーエクスプレス」で「ハイデッカー体験」を
(予定外ながら)楽しみましたが、続いて乗るのも
ハイデッカーただし利用するのは上級クラス・
グリーン車!「
オホーツク」「
大雪」では、平成30(2018)年夏より「
北斗」で使用されていた
ハイデッカーグリーン車を連結中。
ハイデッカー車両ならではな眺望の良さに加え、余裕のシートピッチ(前後間隔)、
横3列の座席配置が極上の居住空間を提供してくれます♪

まずは乗降デッキから。
同じ形式とは言え、観光利用に特化(?)した「ノースレインボーエクスプレス」とは異なり
「the国鉄!」と言った感じの趣。ですが・・・

中へ足を踏み入れると、改造車らしい光景が。
改造前のままの乗降口とハイデッカー化された客室部分を繋ぐため、
通路が緩やかな
スロープとなっています。
グリーンマークが誇らしげな扉の向こうが客室、
左手はかつての「喫煙室」を改造した
携帯電話スペース
いざ、客室内へ参りましょう!
荷棚や出入り口周辺に
木目調の化粧パネル、床に絨毯を敷き詰めた
空間に、横3列×縦8列、合計24席の大型座席が並ぶ
贅沢空間!座席位置はもちろん床面をかさ上げしたハイデッカー!
そこへ天井側面まで回り込んだ大きな窓が、極上の眺望を約束してくれます♪
グリーン車座席。
元「
北斗」用
グリーン車では過去に2度のリニューアル工事が施工されており、
平成23(2011)年の改造工事の際に、振り子式特急車・
キハ283系グリーン車と
同等の座席へと交換されています。
そのスペックは
・上下に移動でき、頭部側面の角度も調節可能な枕
・座席内蔵の読書灯
・引き出し式のドリンクホルダー
・パソコン用コンセント(スマホ、デジカメの充電にも使える!)
と、上級クラスに相応しいもの。
大きく張り出した側面部分がプライバシーを確保。
座席は程よいクッション性を備え、充実の旅路を約束してくれます♪

座席背面。
シートポケットの上には大型の背面テーブル。
足下には表裏2段階に展開するフットレストが装備され、寛ぎに+α。
上部に取り付けられたチケットホルダーにチケット類を差し込んでおけば、
車内巡回の車掌さんに気兼ねすることなく、自分の時間を過ごせます。

発車時刻を待つ
大雪。
お隣・4番ホームには札幌からの特急
ライラック13号が入線。
運用の見直しにより札幌直通が2往復へと減少した石北特急。
JR北海道では
宗谷本線系統と合わせ利用者の不便を極力減らす努力がなされており、
ここ
旭川駅では隣同士で乗り継ぎ列車を発着させることによって、
スムーズな乗り継ぎを可能とする
対面乗り換えを実現。
さらに改札を出ることなく乗り換えることによって、上乗せ無しでの
通し料金が適用されます。
今回私は該当しませんが、もちろん
グリーン車を乗り継いだ場合でも
適用範囲内。(
宗谷本線系統も同様)

12時41分、私を乗せた「
大雪1号」は、
旭川駅3番ホームを離れ、
網走を目指す鉄路へと踏み出しました。
大雪1号の停車駅は、
上川(かみかわ) 13:27着
丸瀬布(まるせっぷ) 14:23着
遠軽(えんがる) 14:46着
49発
生田原(いくたはら) 15:05着
留辺蘂(るべしべ) 15:26着
北見 15:44着
45発
美幌(びほろ) 16:08着
女満別(めまんべつ) 16:19着
網走 16:35着
距離237.7km、3時間54分に及ぶ列車旅。

少しの間
宗谷本線の線路を借りて走っていた列車は、
新旭川駅を過ぎたところから右へ分岐、
石北本線へ踏み入ります。
北海道有数の米どころ・
上川盆地(かみかわぼんち)を走る。

この付近の車窓からは、「
サロベツ」乗車時よりも存在感を増した
大雪山系の姿!
残念ながら頂部は雲の中ですが、しばし恵まれた眺望からの
山景色を楽しむ。

列車旅と来れば欠かせないのが、
駅弁!中継地点・
旭川駅で購入したのは、
大雪山、特急
大雪に続きまして、
その名も
大雪寿し
箱の中身は、北海を代表する海の幸の競演!
左にサーモン、右イクラ、そこへ割り込むズワイガニ!
景色を見ながら頂く味比べに、心はホクホク♪

時折近付く山並みの向こうから、角度を変えた
大雪山が覗きます。
上川駅を出ると、列車は次第に山間部へ。
ここから次に見えてくる
白滝駅(しらたきえき、通過駅)までは、
厳しい山地を乗り越える
北見峠越え列車はエンジン全開、長大トンネルも駆使しつつ、人家もまばらな山間部を越えて行きます。
ちなみに上川~白滝間36.3kmは、
在来線としては
日本一駅間距離が長い区間。

時折現れる
留辺志部川(るべしべがわ)や
湧別川(ゆうべつがわ)といった流れが、
車窓に変化を与えます。
1時間近く走って、
丸瀬布駅に停車。
山越えを経て、ついに
オホーツク地域へと入って参りました。

次の停車駅・
遠軽駅が近付いてくると、車窓左手に巨大な岩が見えて来ます。
これは
瞰望岩(がんぼういわ)
地上高約78m、
火山の火口より噴出された火山灰が空中を飛散する中で固結した、
火山礫凝灰岩(かざんれきぎょうかいがん)という岩石によって
形成された岩丘。
遠軽の町を見下ろす岩の周囲では、古くは旧石器時代より人の痕跡が認められ、
アイヌ民族の間では
インカルシ(見張りをする所、の意)と呼ばれて
神聖視されていました。(この「インカルシ」が、「遠軽」の由来だとか)
この地に住した湧別(ゆうべつ)アイヌと十勝アイヌの間に争いが起こった際、
「インカルシ」に立て籠もった湧別アイヌに対し、攻め寄せた十勝アイヌが
洪水によって流され、湧別アイヌが救われたという
インカルシの戦い伝説は、
長く土着のアイヌ民によって語り継がれていたそう。
この地の歴史と変遷を見守って来た町の「シンボル」は、今日も物言わずに
町と行き交う列車を見詰めています。
遠軽駅から、列車は
逆方向へ向けて発車。
この駅は平地にありながら
スイッチバック構造となっており、
旭川・上川方面からやって来た列車は、向きを変えて北見・網走方面へと
進みます。
(この辺りは鉄道建設にまつわる複雑な経緯があるそうですが、ここでは割愛)
この方向転換に合わせ、座席の向きも変更。
足下のペダルを踏み、くるりと回してしまいましょう!

生田原(いくたはら)を過ぎると、2度目の山越えへ。
次に挑むのは
常紋峠(じょうもんとうげ)
遠軽町と北見市を隔てる険路で、列車のスムーズな進行を妨げる
急勾配とカーブが連続します。

鬱蒼とした木々が立ち並ぶ。
この峠越えで著名なのが、
常紋トンネル大正3(1914)年開通、全長507mの単線トンネルは、一見ごく普通の鉄道トンネル。
そんなトンネルを著名なものとしているのが、労働者を監禁状態の下わずかな食事と
劣悪な労働条件・環境で酷使したという、
タコ部屋労働着工から完成まで3年を要した難工事は、その間に
100名超の死者を出し、
多数の病人がいたという。
この区間では病や暴力によって倒れた遺体が沿線の地面に埋められ、
反抗的な者は人柱として
トンネル壁面に埋められたという
噂が飛んでいたそう。
その噂が実証されたのが、昭和43(1968)年に起こった
十勝沖地震の折。
損傷したトンネルの修復工事を行ったところ、
壁面から頭蓋骨に損傷の見られる
人骨が見つかったそう。
現在トンネル出口付近には苛烈な建設工事に従事させられた
労働者たちを弔う地蔵が建てられています。
近代化と国力増強が急がれた時代、活力と希望の裏には
人知れず犠牲となった人々がいた。
彼らの存在を忘れること無く、鉄路が築かれ今こうして保たれていることに、
われわれは感謝すべきなのでしょう。
常紋峠を越え、北見地方へ。
留辺蘂(るべしべ)の次に停まるのが、
北見駅(画像なし)
駅が所在する北見市は、人口およそ11万6800人を有する、
オホーツク地域最大の都市水産業に加えて広大な面積を利用した農業も盛んで、
玉ねぎとハッカの生産量は
日本一!またスポーツの盛んな地域でもあり、昨年の平昌冬季オリンピックにて
日本中を沸かせたカーリング女子日本代表・
LS北見の
ホームグラウンドもココ。
ついでに面積も北方領土を除いて
道内一(全国第4位)
この
北見駅で大半の乗客が下車し、
グリーン車内には
私一人が残されました。
まさかの貸し切り
美幌(びほろ)付近で、夕日が暮れて参りました。

いよいよ
石北本線の列車旅もクライマックス!
女満別駅(めまんべつえき)を過ぎた先、
車窓左手から見えてくるのは、
網走湖網走市と大空町にまたがる湖で、面積32.3k㎡、周囲42km、
水深最大16.1m。
網走国定公園の一部に含まれる景勝地で、
一旦ここへ注ぎ込んだ
網走川は、網走市街地を経て
オホーツク海へと繋がります。

夕暮れに染まる水面が、美しい。

16時35分、「
大雪1号」は定刻通り(!)に
網走駅に到着!稚内駅から乗り換え時間含めて10時間、500km近い大移動が
ようやく終わりました!
ここまで走り通した
キハ183系は折り返し17時25分発の「
オホーツク4号」となり、
札幌まで350kmを越える鉄路へと踏み出します。

ピッカピカの
旭川駅から一転、どこかレトロな
網走駅舎石北本線が発着し、知床・摩周地域を抜けて釧路市へと至る
釧網本線(せんもうほんせん)の始発駅の一つ。
駅舎前には縦書きで「網走駅」と大書された看板が掲げられていますが、
これは市内に所在する
網走刑務所から出所した人が、
横道にそれず、真っ直ぐ生きて行ってほしいという、
当時の駅長さんの心遣いだそう。
ついに到達しました、道東地方!
「大移動日」の翌日は、じっくり網走の名所巡り!
(といっても一カ所しか回れなかった訳ですが 笑)
次回以降5回に亘り、網走の成り立ちを語る上で欠かせない存在、
「刑務所」の施設を移築・展示している博物施設、
網走監獄(あばしりかんごく)を取り上げて参ります。
国力の強化と北海道の開拓が推進された近代日本。
その礎として労役に従事させられ、斃れて行った者たちの姿に、迫ります。
それでは!
参照:イカロス出版 JR特急列車年鑑2019
ライブドアニュース
北海道ファンマガジン
Wikipedia