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網走監獄2~監視する者、される者~

脆弱で不便なWi-Fi環境から、ちまちまと書き綴っております、
ac802tfkです。
回線の繋がり具合が不安定なため、皆さまのブログをお訪ねすることが
難しい日々ではありますが、記事の投稿と並行して
なるべく覗いて参りますので、よろしくお願いいたします。

前回から網走市近辺の観光エリア・天都山(てんとざん)域に広がる
博物館(兼観光スポット)・網走監獄を巡っている訳ですが、
今回はその第2回。
「網走監獄庁舎」と「監獄歴史館」に挟まれた、ややスルーされがち(涙)な
建造物たちにスポットを当てて参ります。
網走監獄 19
庁舎の隣に広がる芝生広場。その一角に在るのが・・・
網走監獄2-1
旧網走刑務所職員官舎
刑務所、と言えば「受刑者を収監し、反省と更生を促す場所」というのが
一般的なイメージかと思いますが、もちろん刑務所にいるのは
受刑者だけでは有りません

彼らが脱走や暴動に及ばないよう監視し、社会復帰の助けとなる
刑務作業(懲役に処せられた人々が行う所定の作業)を監督する
看守(刑務官)もまた、刑務所を構成する一員。
この「職員官舎」は、そんな刑務所内での業務に当たる看守たちに
与えられた、いわば「社宅」のようなもの。

網走では網走川の両岸にこれらの職員官舎が立ち並び、
刑務所の改修工事が始まった昭和50(1975~)年代まで
官舎として使用されていました。

当時は広さ9坪、1LDKほどの家屋176戸が立ち並び、
看守長屋とも称されていました。
博物館 網走監獄」では3戸分の官舎が再現され、
手前の一室に看守とその家族たちの生活を再現している他、
奥の2戸は自由に出入りできるフリースペースとなっています。
(目の前に広場があるのに、必要なのかは疑問ですが・・・)
網走監獄2-3
再現官舎内部。こちらの官舎は看守に任命されたばかりの、
言わば新人に与えられた部屋。
間取りも官舎の中ではもっとも手狭なものだそうで、必要最低限の
家財道具が揃えられながら、生活には住人の協力と工夫が欠かせなかった様子。

これまた手狭な玄関を潜って右手は、家族の食事を用意する台所
限られたスペースにかまどと流し兼用の調理台、調理道具や洗濯用具が並びます。
網走監獄2-2
玄関を上がった先は、食事場所を兼ねた居間
こちらでは家族団らんの様子が再現されており、仕事帰りに一服にする父(看守)、
食事の用意をする母、夕食を楽しみにする子供が表現されている・・・のですが、
どうも父と母が無表情なのが気になる。
このお宅、大丈夫!?
網走監獄2-4
・・・他人の心配はさておき、居間の奥には家族が枕を並べて眠ったであろう寝室、
官舎屋外には他の家庭と共同で使われたであろう、
浴槽とポンプも再現されています。

ポンプはきちんと動くようになっており、この通り水も汲めます
網走監獄2-5
官舎を見て回り、広場の外へ。
そこで口を開けて待ち受けているのが、裏門

刑務所敷地は、総延長1,080mに及ぶレンガ造の外塀によって
取り囲まれ、人の出入りを拒み、囚人たちの脱出を拒む
防壁として機能していました。

そんな外塀にあって、正門たる煉瓦門と共に数少ない
出入口となっていたのが、この裏門
煉瓦門に先立つ大正8(1919)年に着工、
外塀部分では最初に工事が開始されました。

現役時代は受刑者が刑務所内の農場や養豚場へ出かける際の通用口として
使われていましたが、平成5(1993)年に老朽化のため建て直されることとなり、
博物館 網走監獄」が譲り受けて移築・復原されました。
網走監獄2-6
裏門と並ぶように設けられた開口部は、水門
本来の網走刑務所網走川に面しており、その水運
物資の搬入や搬出に利用することが可能でした。

大正13(1924)年に受刑者の手により完成した水門
生活物資の搬入や農場へ肥料を運搬する際の出入口として、
昭和31(1956)年頃まで使われていましたが、後年封鎖されてしまいました。
網走監獄では、看守同行の下で囚人が物資を運び出す様子と共に、
往年の姿を再現しています。
網走監獄2-7
裏門近くでアルカイックスマイルもかくや?と思える
微笑みを浮かべているのは、北方民族の守り神・二ポポ
彼等の言葉で「木の小さな子」、または「人形」のを意味しており、
食前にはまず二ポポの口に食物を与えるなど、
半身同然の存在として大切に扱われているそう。

この二ポポ、網走市の民芸品ともなっているのですが、
実は網走刑務所の刑務作業に二ポポ製作が組み込まれており、
受刑者によるお手製の品でもあります。

網走刑務所製の二ポポには、作る人によって表情に違いが見られるそう。
受刑者の方々は、どんな思いで守り人形を生み出しているのでしょう・・・
網走監獄2-8
メインルートから外れてひっそりと佇むこちらの建物は、
旧釧路地方裁判所網走支部法廷

かつて網走近辺の事件を裁いた法廷で、実際に使用されていた建物。
昭和27(1952)年に建てられ、平成3(1991)年まで法的機関として機能していました。
昭和25(1950)年に発生した殺人事件とそれに関連して起こった
冤罪事件・梅田事件を始め、法廷の舞台となった建物は、
新庁舎建設に際して一部の施設が移築され、復原・保存されています。

内部では法曹関係の資料が展示されている他、
裁判官が被疑者または被告人に対し、証拠隠滅や逃亡の恐れがないかを
確認するための拘留質問室(こうりゅうしつもんしつ、
現在は勾留質問室)や、
裁判のために拘置所から出廷して来た被告人が、裁判の順番を待つための部屋、
拘置室(こうちしつ、現在は仮監置室と称する)の様子が
人形による再現の下で保存されています。

そして、法廷と言えば・・・
網走監獄2-9
この光景。
ここは第一号法廷、またの名を合議法廷と呼び、
重罪事件を裁くための場。

傍聴席から見て最奥が裁判官席となっており、中央に裁判長、
その両脇に陪審裁判官が着席しています。
その手前には裁判の経過を記録し、進行を補佐する書記官速記官が着席。

中央の証言台を挟んで、左側に被告人の罪を追及する側である検察官が、
右手に被告人を護る弁護人が出廷しています。
ここでは一人ずつが出廷していますが、事件の内容によっては複数の検察官が、
被告人の希望によっては複数の弁護人が出廷する場合もあるそう。

そしてドラマでお馴染みの立ち位置、証言台に被告人が立っています。
一見するとごく普通のご家庭の奥さま、といった風体ですが・・・
一体何を仕出かしたのでしょうか・・・
網走監獄2-10
注)ここからまた重くなります
こちらの三角形の建物、それから隣(画面外)に並ぶ建物は、
休泊所(きゅうはくじょ)と呼ばれた仮小屋。

監獄の受刑者が塀の外へ出て、日帰り出来ない労役に従事する際に
寝泊りをした宿舎。
明治24(1891)年に強行された中央道路開削工事では、
工事の進行に合わせて解体→移動→組み立てを繰り返し、
道路の開削とは別に休泊所造りを担当する組があったそう。
(おそらくその担当も楽ではなかった、と思われます)
網走監獄2-11
丸太と茅葺き屋根で組まれた簡素な小屋は通称動く監獄と呼ばれ、
「宿舎」とは名ばかりの劣悪な環境と、「塀の中」同様の厳重な監視体制が敷かれていました。

この形態は後年石北本線工事で導入され、同様に厳しい監視と
過酷な労働を強いられたタコ部屋労働の走りとも言われています。
網走監獄2-12
看守に叩き起こされる囚人。
彼らは丸太の枕に木の寝床、身体を覆う一枚の毛布という住環境の中で、
僅かな休息とそれを遥かに上回る長時間の重労働、という日常を
強いられていました。
網走監獄2-13
囚人たちの食事風景。
与えられるのは小さな「日の丸弁当」と、漬物のみ。
この僅かな栄養で昼夜兼行の工事を遂行したのだから、
死者や病人が続出するのも当然と言えましょう。

慎ましくも幸せな(ただし脱走者が出れば容赦なく減俸、免職が課せられる)暮らしを
送っていた看守と、塀の外でも一切の自由を奪われていた囚人。
監視する側、される側。
それぞれの間には、立場だけでない分厚い「壁」がありました。
今ほど人道的観点が育っていなかった時代、その隔絶はなおのこと
大きかったと思われます。
その隔絶もまた、幾多の犠牲と悲劇を生んだ温床だったのでしょうか。

「痛みを伴う開拓」の歴史を辿る行程は、まだ続きます。
次回は「網走監獄編」パート3、
囚人たちが如何なる環境で労役に従事していたかを
体感出来る展示施設、「監獄歴史館」へ。
資料と映像から、作業現場の実態と監獄の暮らしに迫ります。
それでは。
網走監獄2-14

網走監獄2-15
「監獄」にも、の彩り。

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。