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監獄歴史館~映像と資料で迫る「網走監獄」~

北海道開拓と、罪人たちを使った過酷な労役の歴史を辿る
「網走監獄編」、パート3となる今回は、豊富な資料と再現・映像展示によって
工事現場の風景や現代の網走刑務所の姿を紹介した、
監獄歴史館を回ります。
監獄歴史館
前回記事にて覗いた「休泊所」から少し奥へと進んだところに在るのが、
監獄歴史館

冒頭でも述べましたが、網走監獄に関する歴史的資料や網走に監獄が出来た理由、
労役現場の実態を、諸資料や体感シアター・赫い囚徒の森あかいしゅうとのもり)を
活用して紹介している、歴史施設。
館内では新しい刑法に基づいた整備が行われている現在の網走刑務所居室
忠実に再現し、現代の「刑務所暮らし」の姿を知ることも可能。
監獄歴史館 2
自動ドアを潜ってスグのところ、ガラスケースの中に収容されているのは、
受刑者たちが従事する刑務作業によって作られた生産品たち。

「刑務作業」は何らかの製品を作る生産作業と、
炊事や洗濯、刑務所施設の修繕等を行う自営作業の2つに分けられています。
刑務作業によって生み出される製品は刑務作業製品と呼ばれ、
企業の下請けとしてのもの、材料の一部、あるいは全ての支給を受けて、
刑務所が主体となって行う生産作業があります。

網走刑務所では前回述べた二ポポ人形や三眺焼き(さんちょうやき)という焼き物、
農産物や木彫りの熊といった木工品などが刑務作業の一環として作られ、
刑務所内や一般市場に販売・流通されています。
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1階廊下を真っ直ぐ進んで行くと、現在の網走刑務所宿房を再現した区画。
こちらは複数人数(原則6名)が収容される共同室

部屋ごとの広さは27㎡(約16畳半)で、現在網走刑務所内には
この共同室が83部屋設置されています。
室内には6名分の寝具・机、テレビやトイレに流し台といった設備の他、
受刑者が自弁品※を置くことを許された収納庫が設けられています。

生活に当たっては、特殊な環境とは言え共同生活であるため、
物の配置場所やルールなどはしっかりと決められているとのこと。

※自弁品・・・受刑者が刑務作業で取得した作業賞与金で購入した物品。
        刑務所側が指定した商品の中から購入可能。
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こちらは「お一人様」用の単独室
広さは7.52㎡(四畳半相当)で、収容人数は原則1名

「プライバシー保護」の観点から生活空間の細分化が進む昨今ですが、
その傾向は刑務所内にも持ち込まれ、網走刑務所内に於ける
単独室の数は938部屋
各部屋には机や寝具、トイレや洗面台が設置されている他、
室内装飾品として受刑者私有の写真や花瓶を置くことが許されています。
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ここで、机の上に自弁品に見立てた思い出ノートを発見!
(タイトルがおもしろい)
どんな内容が書かれているのか開いてみると・・・
監獄歴史館 6
しょうもない内容だった(笑)

ここからは刑務所内の日常をご紹介。
一時一分に至るまで厳しく指定・管理されている刑務所の生活。
6:40 起床
6:55 点呼
6:50~7:10 朝食
7:25 出房
7:40~11:40 刑務作業
11:40~12:00 昼食
12:10~16:20 刑務作業
16:20 還房
16:40 点検
17:00~17:20 夕食
19:00~21;00 仮就寝
21:00 就寝
この様に細かく時間区分が為されており、全く自由がないのが
分かります。

服装も細かく規定されており、寒い季節には長袖の上衣とズボン、
暖かい季節には半袖の上衣と半ズボン、パジャマが支給されます。
これらの支給品は長く使用できるように丈夫に作られ、
洗濯や就寝時の服装にもルールがあるそう。

そんな刑務所暮らしでの数少ない楽しみが、
3度の食事年間行事

およそ「人道的」とは言い難い労役と生活環境しか与えられていなかった
「監獄時代」と異なり、現在では主菜とごはん、サラダ、漬物が与えられています。
また規定には「十分な栄養価があり、衛生的でかつ美味く盛り付けられた
食料を供与されなければならない」とあり、
一日417円という菜代(さいだい、副食費)の中で、
年齢やその日の作業に応じたカロリー管理もなされています。

年間行事花見や運動会、市民との触れ合いの場となる慰問公演、
クリスマスなどで、娯楽という意味合いの他に
更生教育の一環としても位置付けられています。
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廊下に後ろ手を組んで立っている、刑務官氏。
今も昔も変わらず、受刑者たちの監視・監督を請け負うのが職掌です。
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その背中には、現代の「看守」が送る、一日のスケジュール。
(イタズラで貼られた紙ではない)
7:20 登庁。点検やその日の指示、業務連絡を受ける
7:25 人員点検。居室廊下での受刑者の工場別人員点検。
     その後工場までの連行を監督。
7:40~刑務作業の戒護と工場内巡回
11:40 被収容者の昼食の戒護
12:10~刑務作業の戒護と工場内巡回
16:20 作業終了。器具点検と掃除、洗面手洗、居室への連行。
16:40 人員点呼。被収容者の人員点呼、夜番への引継ぎ、
      上司への報告。
16:50 被収容者への夕食配食の立ち合い
17:10 退庁
この間休憩時間は午前・午後合わせて20分と、
受刑者に劣らないハードスケジュール

この間刑務官の方々が(かつてほどでは無いとしても)絶えず緊張下に置かれることは
想像に難くなく、精神的・肉体的消耗も大きなものでしょう。
苦難に晒されるのは、受刑者だけではない。
男は背中で語る
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ここからは、監獄時代の実像に迫る資料展示のコーナーへ。
そこへ向かう通路に掲げられているのは、網走刑務所を題材とした
映画のポスター。
特に著名なのは昭和40(1965)年公開、高倉健さん主演、石井輝男さん監督の作品、
網走番外地ではないでしょうか。
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通路の奥は、「監獄時代」の囚人の環境を実感できる、体感コーナー。
こちらでは手に鎖をはめられ、紐で繋がれた囚人たちの姿が再現されています。

彼らが着ている囚人服は森や雪の中でも目立ちやすい、
渋柿赤く染めたもの。
そのため一般の人々からは赤い人とも呼ばれ、
忌避の念と警戒心とともに、遠巻きに見つめる対象だったようです。

一方頭に被った編み笠には、
人々から好奇の目で顔を見られないようにする為、
連行時に土地々々の道を知られないようにする為、
一般社会の人々に危害を及ぼすことなく収容出来るようにする為という、
3つの目的がありました。
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展示のそばには囚人服と編み笠が用意され、
プチ囚人体験が可能。
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中央道路開削時、逃走防止のために足に付けられていた鉄丸(てつまる)
工事の際には重さ4km、両足8kmに及ぶ重量物を取り付けられ、
鎖で他の囚人と繋がれた状態で作業に従事させられていました。

監獄内に於いては、獄舎や器具の破損、他の囚人や看守への
暴行や脅迫を行った者に対しても、懲罰の意味合いで装着されました。
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中央道路の工事は、未開の森林を切り拓く厳しいものでした。
そんな土地の整地には、そこら中に転がる土砂や石ころ、岩などを
運び出さなければなりません。
そこで用いられたのが、運搬具であるもっこ

まだ重機など無かった時代、ズシリと重いこの道具で、
囚人たちは道路開削の妨げとなる物をピストン輸送
運んでいました。
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こちらは「休泊所」でも再現されていた、丸太の枕と木の寝床。
起床時には看守が丸太の切り口を叩き、囚人たちを一度に起こしていたそうです。
「たたき起こす」の語源ともなったこの行為、
連れの方と一緒に体験してみてはいかがでしょう?
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1階中央部分、幕に囲まれ、床下や周囲に木々が配された空間は、
網走監獄の受刑者たちが死と隣り合わせの環境で
道路工事に従事した現場を表現した、
体感劇場 赫い囚徒の森(あかいしゅうとのもり)
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入口付近にあるボタンを押すと、約7分間の上映がスタート。
周囲の幕にはプロジェクションマッピングによって
映像が投影され、過酷な労役に従事する囚人たちと、それを監督する
看守によって繰り広げられる物語が展開されます。
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立体的な映像と、音声や光による演出で、道路工事の現場が再現されます。
(一部の棒読み気味な役者さんの演技が、ちょっと気になった 笑)
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大方の展示物を見終えて、2階へと上がります。
2階出入口付近に再現されているのは、博物館入口にも架けられていた
2代目鏡橋
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監獄時代に受刑者たちに与えられていた支給品。
囚人服の他下駄や足袋(たび)、草鞋(わらじ)といった履き物が
衣類として供与されていました。

後方に並ぶのは食事の際に使用された給水缶やごはんを配膳する際に使われた
突き飯器※、散髪用の椅子など。

※突き飯器・・・ごはんを盛り付けるのに使われた道具。
         食事を受け取る囚人たちは一等~五等の等級に分けられ、
         それぞれ与えられる食事の量が異なっていました。
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当時監獄内で与えられていた食事。
物的資源が限られていた時代背景からか、今のような肉料理・魚料理の類は無く、
ごはんに味噌汁、漬物、お茶というシンプルな構成。

これで過酷な労役に従事したのですから、受刑者たちは慢性的な栄養不足に
襲われていたのではないでしょうか。
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看守たちが夜間の当直に当たっていた、
宿直室を再現した空間。その入口に立つと・・・
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壁面に設置されたモニターに、映像が映されました。
その中で独白を展開するのは、五寸釘寅吉(ごすんくぎとらきち)こと
西川寅吉(にしかわ とらきち)

14歳で傷害罪を犯して収監された彼は、以後窃盗・賭博・放火などの罪を
繰り返し、内地や道内各所にて長く牢獄生活を送りました。
しかしながら収監されたといって大人しくしている彼では無く、
各地で6度にもわたって脱獄。
素早い身のこなしと奇想天外な脱出方法から、脱獄王の異名を取りました。

そんな寅吉も最後に収監された網走監獄では過去の悪行への悔悟と
度重なる失敗からか、看守の指示に従い、他の受刑者たちを良く世話する
模範囚となり、その従順な態度と改心の姿勢、高齢を理由に
大正13(1924)年3月に異例の仮釈放
各地で講談のタネとされながらも、娑婆で余生を終えました。
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網走監獄→刑務所の特徴の一つが、
日本最大規模の農園刑務所であること。

かつて凶悪な重罪人が集められる「危険地帯」であった網走監獄
そんな網走監獄では受刑者たちがなるべく自給自足によって
生活を成り立たせることが出来るよう、早くから行政指導が進められていました。

そこで大正11(1922)年に当時の網走刑務所
農園特設監獄指定を受け、欧米の農園刑務所を元に
網走近郊に次々農園を開設。
その農地面積はピーク時には現東京都新宿区に匹敵する
約1618万1,200㎡にも達し、農園刑務所としては日本一の収穫高を誇りました。

この農園内では国内各地の刑務所から身体強健で農業経験のある者、
釈放後に農業への就業を希望する者が集められ、
塀が無く、監視する刑務官も少ない
開放的な環境で、農業に従事していたそう。

また農場での労役に従事する者には累進処遇が適応され、
努力と成績に応じた処遇と責任が付与され、
最終的には仮出所も望むことが出来ました。
(現在では廃止)
このような環境下で、受刑者たちは伸び伸びと農作業に当たっていたことでしょう。
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基本的には塀の中で日々の暮らしを送っていた受刑者たち。
しかし時にはその外へと赴くことがありました。
網走刑務所では余った野菜を署外へと売りに行くことも有り、
安価な値段設定から町に住む主婦たちからは人気だったそう。
(市内の商売の差しさわりとならぬよう、郊外の住宅地で販売する、といった
配慮はなされていたようです)
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農場の保管庫を再現した一角には、何やら箱が積み上げられています。
その中には、受刑者たちと市民との交流の物語。

戦後高度経済成長を迎えた日本では、物的な豊かさがもたらされるとともに
犯罪発生件数も減少。
その中で刑務所が帯びる役割にも変化が現れ、社会復帰を推進する
処遇方針が採られ、刑務作業にも教育的効果をもたらす職業訓練や
構外作業での開放的処遇が導入されるようになります。

そんな中で昭和43(1968)年、網走刑務所は重罪長期囚の収監施設から、
犯罪係数の進んだ刑期8年未満の者を収容するB級施設へと変更を受け、
新たな時代を迎えました。

近年では再び犯罪件数が増加傾向に転じ、さまざまな課題が発生。
それを受けて平成18(2006)年には、従来の「監獄法」を見直した新法が誕生。
それに則った施設や処遇の改善を経ながら、網走刑務所
日本の治安維持と、受刑者たちの改悛と社会復帰を促す収監施設としての
歩みを続けています。

次回は日本屈指の堅牢さと厳重な警備を誇った網走監獄でも
稀な開放的区画、広大な敷地と先進的な農業を持っていた
二見ケ岡農場の旧施設を取り上げます。
収監施設としての形態を保ちながらも、本所とは異なる生活空間の姿に迫ります。
それでは!

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。