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二見ケ岡農場~食材確保の前線基地へ~

今日、ここ那須塩原では急激に気温が低下し(前日比―8℃!)、
朝には雪が散ら着く場面も見られました。
関東地方でも東北に近い栃木県、それも山の中とは言え、
九州出身の私にすれば、季節の進む速さに刮目する思いでございます。

ここまで複数回にわたってお届けしている「網走監獄編」。
第4回となる今回は、監獄の生活の糧となる食料を生み出す施設、
「二見ヶ岡農場」を取り上げて参ります。
厳重な監視下に置かれていた網走監獄では異色とも言える
開放的な施設、その保存建築物を巡ります。
二見ケ岡農場 1
「監獄歴史館」を後に奥へ進むと、左手に複数の建物が見えて来ます。
ここが二見ケ岡農場(ふたみがおかのうじょう)

明治29(1896)年、網走刑務所内で先進的農業を行う施設として、
網走郊外の丘陵地に「屈斜路外役所」として建てられました。
網走湖能取湖の二つの湖を望む地に設けられた農場は、
後に二見ケ岡刑務支所として改名。
以来受刑者へ供給する食料を生み出す場所として、
今日に至るまで重要な役割を果たしています。

この農場内では受刑者自身に食材の管理から収穫までを担わせ、
彼らに責任と自立的行動を促すべく開放的処遇を採用。
刑務所内にありながら周囲に柵はなく、看守による監視体制も
比較的緩やかなものとなっています。

各年代ごとに増築されながら使用されていた建物群は平成11(1999)年、
老朽化にともない改築が決定。
それまでの施設は新施設の完成を待って博物館へと移築されました。

移築建造物は創建当時に建てられた「庁舎、宿房、炊場」、
大正15(1926)年築の「教誨堂(きょうかいどう)」と「食堂」、
昭和5(1930)年に建てられた「鍵鎖附着所(けんさふちゃくじょ)」から成り、
周囲の農地も含めて586坪もの広さを誇っていました。
(現在の「二見ケ岡農場」敷地もほぼ同等)

これらの旧農場施設は平成28(2016)年に国の重要文化財
指定されており、特に農場開設当時の建物は
日本最古の木造刑務所施設としても
貴重な存在となっています。
二見ケ岡農場 2
正面の白い建物から中へ入ると、奥まで長~い廊下が続いています。
外観同様の白い壁面に、やや色あせながらも色彩を保つ
赤レンガの廊下が、印象的。
二見ケ岡農場 3
入ってスグのところは、農場運営を担当していた事務庁舎
広さ47坪の公的施設では、農場の責任者である場長(じょうちょう)と
刑務官、技官が事務作業を行っていました。

彼らは受刑者に効率良く作物を収穫させるため、作付け面積、肥料、人員配置等、
綿密な計画を立て、それを基に受刑者たちに農作業を担わせていました。
収穫や出荷を行う農繁期には、受刑者やそれを監視・監督する刑務官も
時間外労働となり、
深夜までここで業務に当たっていたそうです。
二見ケ岡農場 4
事務庁舎から廊下に戻り、奥へ進んで行くと、とても広々とした部屋を発見!
ここは受刑者たちの食事の場となっていた、食堂

受刑者たちはあらかじめ刑務官より決められた席に着き、
自分たちで育て、収穫した食材から作られた料理を平らげていました。
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食事を摂る受刑者たち。
監視の目が注がれていることは変わりませんが、食事の時間は彼らにとって
数少ない楽しみでありました。
夢中で料理を口に運ぶその表情からは、どこか安堵のようなものが感じられます。
二見ケ岡農場 6
ショーケースに収められた展示品。
下段に並んでいるのは、網走刑務所で実際に使われていた突き飯器

明治44(1911)年より刑務所内での食料配分に等級制が導入され、
最上位の一等に米3合、最も低い10等に同1.2合と定められました。
この展示品では一等、三等、五等の「突き飯器」が並べられ、
内容物のイメージとともに、等級ごとの量の違いが分かります。

左上の弁当箱のようなものは、毎年大晦日に振る舞われるおせち料理
日頃「菜代(さいだい、一日417円)」の枠内で賄われている
刑務所の食事ですが、年末には特別に副食費が支給され、
普段と異なる「ハレ」の料理が支給されるそう。
いつもより豪華な食事は、受刑者たちにとって大きな楽しみでも
あるようです。

右上は受刑者の自弁品と思われる、お菓子やドリンク、カップ麺など。
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食堂のそばには、受刑者の食事を作る場所、炊場(すいじょう)が
設けられていました。

ここでは多い時には50名分以上の食事を用意し、農繁期には
団子やアンパンなども配られたことから、炊事係の仕事量は
大層なものだったようです。
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野菜を洗う受刑者。
一度に大量の料理を作る炊事係。調理の際には戦場の如き様相を
呈したことでしょう。
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こちらは受刑者が一日の疲れと垢を洗い流していた、浴場
食事と並び、受刑者たちの楽しみとなっていた入浴時間。
ほっとするひと時かと思いきや、大勢を決められた時間で入浴させねばならないため、
規則に則り順番で浸かっていたようです。

二つの浴槽は98cmと深めに作られていますが、
これは立て膝状態で、手を上げて入浴しなければならない、という規則があったため。
(浴槽内に危険物を持ち込んだり、不審な行動を防ぐ目的があったのでしょう)

建物は昭和初期に新たな浴場が出来て以降倉庫として使われ、
浴槽はたくあん漬けの桶の保管に使われていたそうな。
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施設の奥には、雨などで外に出られない場合に受刑者たちが作業に当たっていた、
作業場が残されています。
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卓上で行われているのは、賭博・・・ではなく、収穫した小豆を選別する作業。
寒暖差が激しい二見ケ岡農場では、ジャガイモ、小豆、金時豆などの作物が
優れた発育・収穫量を誇っていました。

低農薬と肥沃な大地で作られた作物には買い手も多く、出荷に向けて
選別や袋詰め、箱詰め作業がこの場所で進められていたそうです。
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こちらの人たちが従事しているのは、木材の製材作業
わら細工の作業。

自給自足が是とされていた明治・大正期、刑務作業に使用する道具も
自前での製作が行われていました。
これらの作業によって建築資材や収穫物梱包用の俵に筵、
資材をまとめるための縄などが作られていました。
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作業場の奥は、2階建ての倉庫となっていました。
建物が現役を退いた今では、がらんとした空間が広がるばかり。
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壁に残された注意書きが、保管庫として使われていた当時を思わせます。
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おっと、お手洗い中でしたか。
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内地で罪を犯して遠く北海道へと送られ、いつ終わるとも知れぬ刑務所暮らしの中で、
厳しい開拓や労役に従事させられていた受刑者たち。
そんな荒んだ受刑者たちの心を、少しでも安らかなものとするために
行われたのが、教誨事業(きょうかいじぎょう。「会」ではない)

受刑者たちを宗教の教えや訓話によって救済するべく、僧侶や牧師、
民間有志の方などがこの教誨堂(きょうかいどう)に派遣されました。
堂内には洋風の建築様式が取り入れられ、刑務所本所の教誨堂も
同様の形式にまとめられています。
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僧侶の教えに耳を傾ける受刑者たち。
彼らにとってこの場所は、心安らげる唯一の場所だったのかも知れません。
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ここまで開放的な施設をご紹介して来ましたが、ここは刑務所。
となれば、宿房(しゅくぼう)に触れない訳には参りません。

二見ケ岡農場の宿房は総延長660㎡、木造獄舎としては現存最古となり、
建設当初は第1舎、第2舎、第3舎が十字型に構えられていましたが、
収容者が減少した昭和25(1950)年に第2舎が取り壊され、
現在は第1舎と第3舎が向い合せに残ります。

部屋には廊下を見通せないよう鎧(斜め)格子をはめ、
扉部分に視察孔、食器口、その上に天井観察窓を空け、
室内の監視と脱走を防ぐ造りとなっていました。

時代が下ると独居房の増設や個室化といった改装工事もなされ、
防寒対策を取りながら100年以上に亘って収監施設として機能していました。
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複数人数用の雑居房
一部の部屋は開放されており、中に入って見学することが出来ます。
さすがに当時の物はなく、収納庫を除けば殺風景となっている室内。

しかし外を窺うことを拒む格子戸、出入りの効かない窓、
ひんやりとした板敷きが、厳しい監獄暮らしの名残りを留めます。
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受刑者たちが着用する囚人服も、時代とともに変化して行きました。
左が現在のもの、右が昭和19(1944)年のもの。

これまであちこちで目にしてきた赤い囚人服ですが、
昭和の初め頃には一部を除いて消滅
展示品と同じ昭和19(1944)年には従来の襦袢(じゅばん)・股引(またひき)から
ジャンパー・ズボンの洋式に変更。

昭和35(1960)年以降、左のような霜降り※となって、
これが現在まで続いています。

※霜降り・・・霜が降りかかった様な、細かい斑点のある織り方。
        灰色に見えるのが特徴。

物資の輸送や監獄(→刑務所)維持費の削減といった観点から
推進された、「自給自足」の発想と手法。
その進展は「受刑者の更生や自立を促す」という要素を孕みながら、
時代が変わり、設備が変わった今も続けられています。

次回は「網走監獄」を象徴する建築物、
放射状に5つの収容設備が伸びる舎房へ!
日本屈指の監視体制を誇った刑務所の中核施設、
その姿と舎房を巡る物語に迫ります。
それでは。

コメント

おはようございます。

丁寧に解説されていますね。
まことに感謝です。
ここへ訪れたときのことが甦ります。
私たちも、「塀の中」ことを少しは知っておく必要がありますよね。
たとえ囚人であっても、「塀の中」であっても、ヒトとしての尊厳は保たれる必要があります。
出所した後の更生のためにも……。

こんばんは

コメントありがとうございます。

私も旅の出来事や風景を思い起こしながら、
こうして投稿させて頂いております。
世の中には、到底許されざる罪を犯す人や、
反省の色が見られない人が居るのもまた事実。
しかし一度生を受けたからには同じ「人」。

「塀の外」に出た時に、受け容れられる社会で
あるか・・・
我々も試されているのかも知れません。

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。