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網走監獄舎房~「難攻不落の要塞」を巡る、一人の男の物語~

5回に分けてお届けして来た「網走監獄編」、今回が最終回
(道東旅のまとめ自体はまだまだ続きます!)
そんな一区切りの今回は、煉瓦門と並ぶ網走監獄のシンボル、
囚人たちを収容した舎房を取り上げます。

少ない人員で効率よく房内を監視するために工夫が凝らされた造りと、
その舎房に収容されていた「脱獄王」の物語に迫ります。

舎房 1
博物館の敷地奥に、羽のように通路を伸ばした建物が見えて来ました。
この建物が網走監獄の象徴的存在である、舎房(しゃぼう)

明治42(1909)年に火災に襲われた網走監獄
その際多くの建築物が焼失してしまったのは、これまでの記事でも触れた通り。
それは囚人たちを収容する舎房も同様であり、再設計した上で
建物を再建することとなりました。

この舎房再建に当たって、明治政府は諸外国に劣らぬ近代的獄舎の建設を企図。
列強・イギリスを中心に定着していた放射状型獄舎の導入を決定しました。
網走監獄に於いてはベルギーのルーヴァン監獄をモデルに、
中央見張り所を中心として五つの舎房を配置。
少数の人員で226室の舎房を効率よく監視できるように造られています。

この獄舎は明治45(1912)年の完成から72年間に渡って使われ、
昭和60(1985)年に博物館へと移築復原されました。
明治時代の姿を留める国内最大規模の獄舎建築として、
また木造監獄としては日本最北端に当たる貴重な存在であることから、
国の重要文化財に指定されています。
舎房 2
入口を入ってスグのところに、獄舎監視の肝となる中央見張り所
建っています。
多角形の建物は一見小さく頼りなさげにも見えますが、
各部に取り付けられた窓からは、視線を移すだけで5つの獄舎が
一度に見渡せます

最少人員での見張りを可能とした、効率に優れた設計。
う~ん、良くできてる

かつて極悪な重罪人や政治犯などを収容し、重警備刑務所として
特に厳しい監視体制が敷かれていた網走刑務所

収監者の中には計6度もの脱獄に成功した「明治の脱獄王」、
五寸釘寅吉こと西川寅吉(にしかわ とらきち)が含まれていたのは
「監獄歴史館」の記事で触れた通りですが、
彼がここ網走にやって来たのは、年齢を重ねてから。
「伝説の脱獄犯」にとって最後の刑務所暮らしは、
模範囚としての穏やかなものでした。

しかし網走刑務所の長い歴史の中でただ一人、
脱獄に成功した人物がいました。
舎房 3
それがこの男、白鳥由栄(しらとり よしえ)
昭和8(1933)年、郷里の青森市で強盗殺人を犯した由栄は、
2年後の昭和10(1935)年、土蔵破りの犯人として岩手県・盛岡警察署に逮捕され、
青森刑務所柳町支所に移送されます。
しかし翌年6月に最初の脱獄(当時28歳)
この時は3日後に青森市内の共同墓地にて確保されました。

次に彼の経歴に「脱獄」の2文字が記されるのは、戦時中の昭和17(1942)年、34歳の時。
前年秋田へと移送されていた由栄は、秋田刑務所を脱獄
巧妙に捜査の網を掻い潜った彼は、大胆にも上京(!)
かつて収監されていた小菅刑務所(こすげけいむしょ、現東京拘置所)を訪ねた後、
同地の警察署に自首しています。
(知人にでも会って、満足したのでしょうか?)

この際2度の無期懲役判決に加え、逃走罪で懲役3年を上積みされた
由栄は、昭和18(1943)年に網走刑務所に移送されました。
この段階で囚人としては「超有名人(看守側からすれば要注意人物)」となっていた彼に対し、
刑務所側も万全の脱走防止策を用意。

しかし由栄は入念な下準備と油断を誘う演技の末、翌年8月に
網走刑務所からの脱獄に成功
2年後に殺人罪で逮捕されるまで、追っ手をもかわし続けていました。

4度めのお縄に掛かり、札幌地裁でついに死刑を言い渡された由栄。
しかし、おとなしく死を待つ彼ではありません。
昭和22(1947)年39歳の時、札幌刑務所をも脱獄
ここでも追っ手をかわし、人里離れた山中で、300日にも亘る潜伏生活を送っています。

こうして「五寸釘寅吉」には及ばぬものの、戦前戦後の混乱期に計4度もの
脱獄に成功した白鳥由栄。
昭和23(1948)年に府中刑務所に移送されてからは、
それまでの反抗的態度が嘘のような模範囚に豹変。

昭和36(1961)年、一生分でも及ばぬ刑期を抱えながらも、
奇跡的な仮出所を果たしました。
以後は実直に仕事に打ち込みながら、アパートの隣室に住む娘を
我が子のようにかわいがり、その女性に看取られるという穏やかな余生を送りました。
(この辺りの結末も、なんだか「五寸釘寅吉」に似ている。

「中央見張り所」の近くには由栄の肉声が聴ける機械が
置かれており、どこかふてぶてしさが滲み出る「生の声」を
感じることが出来ます。
(説明書きにあった、「人間が造ったものは必ず壊せるんですよ」という一言が、印象的)

・・・語り過ぎました。
舎房 5
「中央見張り所」近くのガラスケースに収められた、サーベルと刀猟銃

監獄設立当時、道内に設置された集治監には、全国から集められた
ひとクセもふたクセもある囚人たちが収容されていました。
そのいずれもが、重罪を犯した凶悪犯や、国策に異を唱える政治犯たち。
血の気の多い囚人たちと対峙する看守たちも、
決して安全とは言えません

そこで平時の威嚇や緊急時(脱獄や暴動など)の対処のため、
看守たちには帯刀が許されていました。
業務に際して身に着けたサーベルと刀は、各国の軍隊でも使用されていた
れっきとした軍刀
指や手を保護するための「護拳」(ごけん)と呼ばれる鍔が特徴的。

猟銃は監獄外での作業の際に携帯が義務付けられたもので、
囚人の逃走を防止する目的の他、ヒグマ等の野生動物を追い払う
狙いもありました。
これらの武器は実際に囚人に対しても使用されており、
逃走を試みた多くの囚人たちが射殺・斬殺されています。
舎房 6
さて、獄舎部分へと入って参りましょう!
「中央見張り所」付近を起点に五方向へと伸びる舎房部分。
第1舎~第3舎が雑居房、第4舎が独居房
第5舎が独居房と雑居房の混合となっており、
226房の部屋に最大700名を収容していました。

写真は雑居房から成る第1舎
舎房 9
雑居房内部(写真は第2舎のもの)。
6畳(9.9㎡)ほどの広さに、3~5名が収容されていました。
「二見ケ岡農場」舎房同様当時を物語る品は残されてはいませんが、
奥に設置されたトイレ、取り外しと潜り抜けを防ぐ堅牢な窓は同じ。
舎房 10
国内屈指の堅さを誇った網走刑務所
唯一外に開かれた扉も、隙間があるのは内部を覗くための監視孔(かんしこう)と、
食事を差し入れる部分のみ。

脇の錠前も複雑な機構として容易な開錠を防ぎ、監視孔の内側にはめられた
鉄格子には、破壊を防ぐために二重ボルトを施すなど、
まさに脱出不可能な、脱 出 不 可 能 な(ここ重要)
備えとなっていました。
舎房 7
廊下と室内を隔てる壁にも、工夫がありました。
第1舎と第3舎の壁は、暖房、換気、通気、監視を兼ねた斜め格子

この格子は内と外では異なる視野となるよう計算されており、
看守が立つ通路側からはこのように内部を見通せますが・・・
舎房 8
受刑者側からは、通路を挟んで向かい合う部屋は、
視界から遮られるように計算されていました。
これも良く出来てる!
舎房 12
扉の横に掛けられた札は、房ごとに提供すべき食事の等級と、
必要な数を表示するためのもの。

ここに掲示されているのは、「二等食」、「三等食」、「四等食」、
「混炊(こんすい、白米と麦を混ぜ合わせた粥)」の略字。
舎房 11
舎房の天井部分には、一定間隔で天窓が設けられています。

各舎房に空けられた天窓には、外光を採り入れるとともに、舎房内を衛生的に保つ
効果があったそうです。
天窓下部に張り巡らされた鉄骨と木材の骨組みが、美しい。
舎房 13
第4舎と第5舎の一部は、独居房(写真は第4舎)
当時の独居房は現在のものとは目的が異なり、規律違反を犯した者、
他の受刑者と一緒に生活出来ない者が入れられました。
舎房 15
独居房の扉は、雑居房よりも頑丈な鉄扉となっています。
内部を覗くための視察孔も、雑居房のそれよりも小さく造られています。
舎房 16
独居房は、壁の造りも異なります。
ここで用いられているのは矢筈格子(やはずごうし)というもので、
途中で壁面を折り曲げることによって、
完全に内部からの視界を絶つことが出来ました。
舎房 14
注)逆光祭り開催中
独居房内部。
部屋の広さ3畳(4.95㎡)で、完全一人用。
最低限のスペースとトイレ、窓だけという至ってシンプルな造りが、
「他者からの隔離」という設置目的を思わせます。
舎房 17
一部の部屋では、人形によって入牢中の囚人たちの姿が
再現されています。
舎房 19
こちらの方は、道具片手に何やら作業中。
舎房 18
他の受刑者たちとは様子が異なるのが、こちらの囚人。
この人は獄舎内での違反行為を犯した者に
与えられる懲罰・屏禁罰(へいきんばつ)の真っ最中。

「屏禁罰」は対象となる受刑者を独居房内に昼夜一定の間隔で閉じ込め、
さらに食事を減らす減食(げんしょく)の罰を与えて
反省を促す、というもの。
これよりさらに重い罰に重屏禁(じゅうへいきん)があり、
明かりも無い闇室(あんしつ)に移され、寝具も与えられないという
大変厳しいものでした。
舎房 20
第4舎には、目を引くお部屋がもう一つ。
ここは第4舎24房
室内に布団が敷かれている事を除けば、他の独居房と変わりないように思えますが、
この部屋にはある特殊な改造が施されています。
皆さん、どこが違うかお分かりでしょうか?
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そう、この部屋のみ床が二重構造になっているのです!
ただでさえ堅固な舎房の床、その上からさらに非常な硬度を持つ樹木である
トネリコ属の広葉樹・ヤチダモ製の床が重ねられ、極めて切断しにくい
構造となっています。

何故「通常仕様」でも破り得ない網走刑務所内で
「特別な」加工がなされていたか。
それはここに収容されていた「ある人物」への警戒心故なのですが・・・
房内には肝心の受刑者が見当たりません
急いで辺りを見回してみると・・・


舎房 21
いました!囚人服を脱ぎ捨て身軽な格好となり、
天井の骨組みを伝って今にも外へ飛び出さんとしている、
「S・Y」こと白鳥由栄(しらとり よしえ)懲役囚!

この人形は、史上唯一となった網走刑務所からの
脱獄の場面を再現したものですが、
果たして彼はどのような方法で「破獄」を成し得たのか。

昭和18(1943)年の網走移送直後、それまで2度の脱獄を成し遂げた
手練れである彼は、案の定手錠破壊などの規律違反を繰り返します。
これを受けた刑務所側では、由栄に特別製の手錠と足かせを装着。
これに懲りたのか、由栄は次第におとなしくなり、4ヶ月後にはこれらの
枷は外されました。

、ここからが「脱獄王」・白鳥由栄の真骨頂。
「もう悪さはするまい」と油断していた看守たちの裏を突いた彼は、
看守側の目を盗んで視察孔裏の鉄格子を根気強く揺すり続け
5本×2重、計10本のボルトごと緩ませていたのです!

昭和19(1944)年8月26日21時17分、看守の一瞬の隙と
戦時の灯火管制による暗がりを利用した彼は、鉄格子を外して房内から脱出、
天窓を頭突きで破って逃走。
2年後に殺人罪で逮捕されるまで、そのまま姿を消すこととなりました。

「脱出不可能なはずの牢獄が破られた。」
この事件は世間に相当な衝撃を与えたようで、
昭和58(1973)年には、この出来事を描いた吉村昭(よしむら あきら)氏著の
小説・破獄がベストセラーとなり、その後テレビドラマ化されるなど、
一大センセーションを巻き起こしました。
舎房 22
真冬には厳しい寒さに晒されたであろう、網走の地。
いかに重罪犯が収容されている刑務所とはいえ、無闇に「死」へと追いやるのは
監獄側とて本意ではない。

凍てつく獄舎内を少しでも暖めようと、暖房設備として当初は薪ストーブ、
時代が下るとともに石炭ストーブ、石油ストーブ、スチーム暖房と
最新設備が投入され、長~い獄舎を暖めていました。
長さ58mの第5舎の廊下には2台の薪ストーブと
煙突が設けられ、獄舎内をくまなく暖めるため、配置も工夫されていたそうです。

それでも厳冬期の寒さは受刑者たちにとって相当堪えるものであったようで、
「ただ、寒かった(中略)・・・真冬には、零下三十度に下がることも珍しくなかった。
そんな時には、暖房の入った監獄内でも零下八度か九度かを示す。
吐いた息が壁に当たると、見る間に凍り付いて、無数の『こんぺいとう』が出来る。
『こんぺいとう』は壁にだけ出来るとは限らない。
うっかりすると、眉毛の先や鼻の頭にもできる。
しょっちゅう気を付けて揉んでいないと、やけどのようにどろどろになってしまう」という言葉が
残されています。
舎房 23
ストーブ内には、赤々と光る(をイメージした照明)。
舎房 25
博物館内には他にも教誨堂(きょうかいどう)や浴場、
独居房(舎房内のそれとは別)といった施設が残されているのですが、
カメラがノックアウト(電池切れ)寸前となったため、ここで撤退。
しかしながらおよそ6時間、丸一日といって良い散策時間をこの
網走監獄に費やしたことで、
北海道における監獄と開拓の歴史、囚人を使った労役の実態などを
深くまで知ることが出来、大変意義深い時間となりました。

ともあれ網走周辺には観光スポットや名所・景観など、まだまだ魅力がいっぱい!
この街への再訪が叶うならば、より色んな場所を巡りたいものです。

次回は夜の網走市街へ!
流氷の海オホーツク海に育てられた味覚を楽しむ、
「グルメ散歩」に出発です!
それでは!
舎房 24
仲良く(?)お食事中の、第5舎雑居房の皆さん。

参照:博物館 網走監獄 パンフレット
   館内説明書き

コメント

おはようございます。

6時間も網走監獄にいたのですか?
すごく長時間ですね。
私はたぶん2時間半しくらいであったと思います。
このあと、流氷館や北方民族博物館へ行きました。
網走監獄へ行けない人にとっては、ありがたい記事でした。

こんにちは

コメントありがとうございます。

写真を撮ったり眺めたり、じっくり展示物や説明書きを見ているうちに、あっという間に時間が過ぎて
しまいました。
本来ならば、流氷館や天都山展望台、
網走湖畔へも足を運びたかったのですが・・・

これらの記事が皆さんのお役に立てたのならば、
何よりです。

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。