また一つカレンダーが進み、年末迫る師走・12月。
日々寒さが増しつつあるこの頃ではありますが、皆さま如何お過ごしでしょうか?
ここ2日ほど東京へ私用で出掛けており、少々間が空いての投稿。
(そのあたりを記事にする予定はありません)
道東を巡った旅の空から、早1月。
不安定なネット環境の下、依然として
半分程度の進行具合しか
現していない「道東旅行記」ではありますが、
完結まで生温かい目で見届けて下さいませ。
さて、前々回記事にて
阿寒湖に到着、前回から本格的な
散策がスタートしている訳ですが、今回は船で湖を巡る「阿寒湖遊覧船」の続きから。
心地良い風、湖上より愛でる風景と並びクルーズの目玉となるのが、
丸くて愛らしい姿の水生生物・
マリモ阿寒湖遊覧船には、この
マリモを保護・展示している施設、
「マリモ展示観察センター」が在る
チュウルイ島に立ち寄る、
というコース構成が採られています。
今回はこの「マリモ展示観察センター」での、
マリモ鑑賞の模様をご紹介。
皆さんも丸くて可愛らしい、
マリモたちの虜となること、
間違いなし!
阿寒湖畔を出発してから40分ほど。
船の前方から、島らしきものが見えて参りました。
湿地と木立から成るこの小島こそが、お目当ての「彼ら」がコロコロしながら待っている場所、
チュウルイ島阿寒湖北部に浮かぶ、ほんの数分で一回り出来そうな
小さな島。
ここに「マリモ展示観察センター」が設置されています。
この島が見えて来たところで、船は反転。
速度を落としながらゆっくり桟橋へ近付き・・・
チュウルイ島、上陸!ここでの寄港時間は、
15分間この時間内で、島内散策と
マリモ鑑賞を楽しみます。

島内には遊歩道が設けられています。
この遊歩道と「マリモ展示観察センター」、その屋上に造られた展望台を除けば、
島の環境は自然のまま。
遊歩道を取り巻くように針葉樹が立ち並び、これらの植生を守るためか、
遊覧船が発着する桟橋も、湖上に張り出す様に設置されています。

「マリモ展示観察センター」の直上に設けられた展望台からは、ご覧の通り!
目の前には、光り輝く湖。

湖水の向こうには、阿寒のシンボル・
雄阿寒岳に・・・
雌阿寒岳を含む
阿寒カルデラも、ばっちり見えます!
この展望と、吹き来る湖風(うみかぜ)が、心地良い♪

このまま景色を眺めているのも一興ですが、折角やって来た
チュウルイ島。
ここへ寄らずば始まるまい!
チュウルイ島の端っこ、湿地帯に面して建てられてた
マリモの保護観察施設、
マリモ展示観察センター!昭和2(1927)年、
チュウルイ島の在る
チュウルイ湾への
観光船乗り入れからスタートした、
マリモの観光利用。
しかし戦後には
阿寒湖周辺の開発、電力需要の逼迫(ひっぱく)による
水位の低下(湖から流れ出る
阿寒川に、水力発電所が設置されていました)などに起因する
湖水の
水質悪化によって
マリモの観察が困難になる、
という問題が顕在化。
さらに船の乗り入れで
マリモの生育地が攪拌され、
スムーズな成長が妨げられる、との認識も出始めます。
そこで昭和36(1961)年より観光船の生育地乗り入れを
自主規制し、
代替措置として
チュウルイ島に観覧池が造られました。
これが
マリモ観察施設のはじまり。
その後昭和53(1978)年に屋内展示施設として
「マリモ展示観察センター」がオープン。
平成8(1996)年には現在の形へと全面改修され、遊覧船と合わせて
年間数十万人(!)が訪れる、
人気観光スポットと化しています。
阿寒湖が脚光を浴びるきっかけとなった、
マリモの発見。
その大功を成したのが、札幌農学校(現在の北海道大学)の学生であった、
川上瀧彌(かわかみ たきや)氏。
明治30(1897)年、
阿寒湖西部・
シュリコマベツ湾にて球体状の藻を
採取した同氏は、翌明治31(1898)年、植物学雑誌にて
毬藻(マリモ)の和名を発表。
同氏はその後国内各地や台湾にて植物学者として活躍。
大正4(1915)年に激務が祟り
44歳で早世することとなりますが、
川上氏の発見が、現在へと続く
マリモ研究と観光利用の始まりとなりました。
(その結果起こった環境の変化、生息地域の減少などの是非は別として)

さて、ついに
マリモとご対面!
「展示観察センター」の奥、湖底の環境を再現した大きな水槽の中に・・・

居ました!
マリモです!
全国でも一部の地域、湖沼にのみ生息する
マリモ。
その中でもここ
阿寒湖に群生する
マリモは、大型でキレイな球状の
ものが見られる、
世界唯一の稀な場所。
阿寒湖の
マリモは国の
特別天然記念物にも指定されている希少な
存在ではありますが、1900年代以降の開発や水力発電の開始、
水質悪化などで生息数や生息地域は
減少現在に至るまで精力的な保護活動が行われていますが、
依然
マリモの存続には、予断を許さない状況が続いています。

大きさいろいろ、形もちょっとずつ違う
マリモたちが、コロコロ。
実に心和む光景です。
そもそも
マリモとは何ぞや?と思われる方もいらっしゃるかと思うので、ここでご説明。
マリモは、
アオミソウという淡水に住まう
緑藻の一種国内では
阿寒湖を始めとする北海道各地の湖沼、その他
河口湖や
山中湖でも生息が確認されており、
国外ではヨーロッパや北アメリカの冷涼な気候の場所を好むそう。
国内外に広く分布している
マリモですが、源流を辿れば全て
ここ
阿寒湖に行き着く(!)とのこと。
ですが言うまでも無く
マリモが空を飛んだり、海を泳いだり、ということは考えられません。
ではどうやって移動したかと言いますと、
阿寒湖に飛来する渡り鳥の足に付着したり、
鳥のフンに混ざったりして旅をした個体が、そのまま各所に定着したと考えられています。
すごいぞ!
マリモのイメージと言うと、皆さんここでご紹介しているような
「
緑色で、球状のもの」を思い浮かべることと思います
(私も
阿寒湖へ来るまではそう思っていました)が、
さにあらず実はその正体は
糸状の藻であり、
本来の形状や生息方法はさまざま。
阿寒湖だけでも糸状のまま湖底を漂うもの、
岩に付着して、その周りで丸まるもの等が存在。
この中でも湖底の傾斜や波の向き、強さによって移動し、
群生し、集合体となったものが、ここで見られるような
球状マリモなのです!
阿寒湖の地形や環境によって生まれた、まさに
奇跡的な存在。
ここからは、
マリモの成長過程をご紹介。
当記事へアクセス中の皆さまも、子供の成長を見守るような心持ちでご覧ください。
1.誕生6月頃になると、
マリモは
胞子を放出。
この胞子はべん毛という、移動のための細胞器官を用いて水中を泳ぎ(!)、
小石や岩などに付着して
発芽します。
2.成長
発芽した胞子は、枝分かれした糸状の姿に変化。
この状態は
糸状体と呼ばれているのですが、
これもまた
マリモの姿の一つ。
大多数の
マリモは、この形態で一生を終えているようです。
この段階では、小石に張り付いたただの
藻にしか見えません。
3.密生
糸状体は、湖底の小石を覆うように成長。
周囲の波や風に煽られながら、次第に固まって行きます。
中には棲み処としていた岩から剥がれ落ち、
波に揉まれながら自力で固まる事例もあるそうです。
4.丸くなる
次第に密集した糸状体は、波の動きに合わせてコロコロ。
転がりながら、次第に丸く、大きくなって行きます。
水槽内にはその様子を再現するために人工の波が起こされているのですが、
それに合わせて右に左に転がる姿が、実に
カワイイ!!5.集合
丸くなった
マリモは、水の流れや地形によって同じ場所へと集結。
群生と呼ばれる、湖底に積み重なった状態となります。
6.崩壊
さらに大きく、より丸く育った
マリモ。
しかしその最後は、あっけないもの。
死期が近付いた
マリモの内部には、空洞が発生します。
その空洞は次第に
マリモの身体を蝕んで行き、ついには
崩壊こうして
マリモはその一生を終えます。
ボロボロになり、崩れ落ちて行く様が、なんだか痛々しい(涙)

世界でも稀な、球体状に育つ
阿寒湖の
マリモ。
その一部は、特に大きな
大型球状体と呼ばれる姿まで成長します。

大きさは最大直径20~30cmほど。
これほどの大きさの
マリモは、
世界でも
阿寒湖でしか見られない貴重なもの。
丸くて
緑色の、カワイイ
マリモ。
もっとゆっくり、じっくり眺めていたいところですが、
「マリモ展示観察センター」で許された滞在時間は、(体感時間からすると)ごくわずか。
あっという間に出航時間が迫り、船員さんからの
「そろそろ・・・」という呼びかけに応じ、「ましゅう丸」へリターン。

ミッションを終えた遊覧船は湖を真っ直ぐ突っ切り・・・

「幸せの森桟橋」で途中乗船した客を降ろし、「まりもの里桟橋」に帰着!
あっという間の85分が終わりました。
普段の忙しい日常から離れ、船に揺られて湖上を一回り。
この日のような快適な船旅となるかは、天気や気候などの
運次第となりますが、
皆さんも
阿寒湖をお訪ねの際は、
マリモも目当てに「船遊び」などいかがでしょうか?
次回はアイヌの人々が住まう集落、
アイヌコタンへ!
料理や建物、装飾や工芸品から、「異文化の香り」をたっぷり吸い込みます。
それでは!

温泉街にも、
マリモ!(「まりもの手湯」)
参考:まりこ展示観察センター 説明書き
守ろう!地球いきもの 阿寒湖マリモの不思議を学ぶ
Wikipedia