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上野駅とE6系 ~ベテラン駅舎から高性能車に乗って~

工場勤務がお休みとなった昨日、レッスンを受けに都内某所に在るスタジオへと向かった
私でしたが、開始時間まで初夏の日差し降り注ぐ屋外で時間を潰していた結果、
検温で37.6度を記録してしまい、受講叶わず帰されてしまう
という事態が発生。

現在は全くの平熱(36度台半ば)で風邪の症状も無く、
やはり外気に当てられたために一時的に体温が上がってしまった様子。
危地を脱したとはいえ気の抜けないご時世、皆様もお気を付けくださいませ。

前回記事では「最終回」と喧伝した今記事ですが、投稿後一晩塾考した結果、
予想されるボリュームと画像数から2分割させて頂き、
「最終回」の看板は次回記事へと回すことと致します。
ご容赦くださいませ。

11.5 Tuesday
上野駅 1
半年を過ごした「北の大地」から遥か遠く、関東の地へとやって来た私、
ac802tfk。
もはや「北海道」のカテゴリーが当てはまるとは言えませんが、
旅の続きということでそのまま使わせて頂きます。

そんな訳で迎えた旅9日目、「最終日」の朝は、
東京の「北の玄関」・上野駅からスタート!
上野駅 2
都心のターミナル駅だけあって、人でごった返す構内。

今へと繋がる駅の歴史がスタートしたのは、明治16(1883)年のこと。
熊谷駅(くまがやえき)との間で先行開業した高崎線の起点駅として、
開業を迎えました。(当時の運転本数、何と1日2往復!)

翌明治17(1884)年には路線が高崎駅まで全通
さらに同24(1891)年には遠く青森駅まで東北本線が繋がり、
駅は順調にその役割・機能を拡張して行きます。

そんな上野駅に試練が訪れたのは、大正12(1923)年のこと。
9月1日に発生した関東大震災による激震と
その後広がった火災によって、初代駅舎は全焼
しばし仮駅舎での営業を余儀なくされてしまいます。

昭和5(1930)年、鹿島組(かじまぐみ、現在の鹿島建設株式会社)入札の下、
2代目駅舎の建設工事が始まりました。
一大ターミナル駅の建設は鹿島組・鉄道省双方にとって大きな意気込みを
抱いてのものでしたが、基礎工事のために地面を掘り下げたところ、
地下から大量の白骨遺体・刀剣類・槍・鉄砲が出土。

これらは幕末の慶応4(1868)年に新政府軍と彰義隊※(しょうぎたい)の間に起こった
上野戦争の遺品であり、
この出来事に前後して作業員の事故が多発。
事態を重く見た施工者たちは、出土した遺骨を集めての大供養を行い、
その後事故は無くなったそう。

以後軟弱地盤故の湧水などとも闘いながら、現在でも親しまれている
2代目駅舎は昭和7(1932)年3月に完成。

総工費270万円(現在の貨幣価値でおよそ45億5000万円相当!)を掛けて
落成した駅舎は、
都内各線に抜ける高架線と北関東や東北方面へ向かう列車が旅立つ
頭端式(とうたんしき)ホームを兼ね備えた新たなターミナル駅として、
人々の期待を一身に受けて開業の日を迎えました。

当時は1階部分に乗車口や列車乗降場、出札広間や改札口・待合広間等の
旅客用施設を集約。
2階は駅務(駅での業務)スペースとし、業務の効率化を図りました。
1万2,600㎡に及ぶ高架線下は、郵便物や宅配物を扱う小・手荷物取扱所や
待合室、食堂等に利用されました。

※彰義隊・・・江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の警護を名目として、
         旧幕臣を中心として江戸にて結成された組織。
         次第に過激化した末に新政府軍と衝突し、
         上野戦争に敗れたことで瓦解・解散した。
上野駅 6
六本木ヒルズにて3月19日まで開催(2月末より休館)されていた、
「特別展 天空ノ鉄道物語」にて撮影。

こうして都心と北日本、北日本と都心を繋ぐターミナルとして
最盛期には東北や北関東、信越・北陸地方へと多数の特急列車や
夜行列車が運転され、大層な賑わいを見せた上野駅でしたが、
昭和60(1985)年、地下駅が開業して東北・上越新幹線の乗り入れが
開始されると、多くの特急列車が廃止

さらに平成3(1991)年に新幹線が東京駅まで直結されたことで、
それまでの「北への始発駅」から、都内各所へ散らばる通勤客主体の駅として
役割を改めることとなりました。

現在では駅務機能を1階改札脇に集約
待合広間をコンコース、出札広間と駅務スペース等を
商業施設・レトロ館として姿を変え、
増改築によって駅としての機能・規模を拡大させながらも、
90年近くに亘って行き交う人々を見守り続けています。
上野駅 3
中央改札へと繋がるコンコースから外れると、
商業施設・レトロ館
ターミナル駅としての歴史と風格を感じさせる空間は、
かつては出札・改札広間や貨物の取り扱い・駅務を行う場所でした。
上野駅 4
壁面には、駅舎開業当時の物と思しき装飾が残されています。
上野駅 5
前置きが長くなってしまいましたが、ここ上野駅からはこちら、
速くて便利な新幹線にて移動して参ります!
(スペースの関係で入らなかったのか、こちらの広告からは
東北・上越新幹線用のE2系1000番台が外されています 笑)
なすの
那須塩原駅にて撮影)

今回利用するのは、なすの
平成7(1995)年に東北新幹線内で各駅停車タイプとして
運転されていた「あおば」号のうち、
東京駅那須塩原駅間の区間列車を分離する形で
運行を開始しました。

列車名の由来は東北本線を経由して上野⇔黒磯間で運転されていた
準急→急行→特急(新特急)列車で、
奇しくもその役割・運転区間をほぼ踏襲する形となっています。

平成10(1998)年には一部の列車が福島県の郡山駅(こおりやまえき)まで
運転区間を延長
現在では郡山までの乗り入れ本数を増やしながらも、
(新幹線としては)近距離列車として
首都圏⇔栃木県・福島県南部の通勤・観光輸送を担っています。

停車駅:東京・上野・大宮・小山(おやま)・宇都宮・那須塩原・
     新白河・郡山
E6系 1
E2系1000番台E3系0番台(元秋田新幹線「こまち」用)・
E5系と多様な車両が使用されるなすの号ですが、
今回は鮮烈な茜色)が印象的なE6系に乗車。

平成22(2010)年、新幹線と在来線を直通運転する秋田新幹線こまち」用
2代目車両として、試作車両が登場。
同24(2012)年に量産車が登場し、翌年からスーパーこまちとして
営業運転を開始しました。
(平成26年、2014年にE3系0番台からの置き換えを完了し、列車名も「こまち」に再統一)

特筆すべき点は、併結相手である東北北海道新幹線E5系と性能を合わせるべく、
新在直通用車両でありながら、(営業列車としては)国内最速となる
最高320km/hの高速性能を実現した点。

E6系の開発に当たっては、日本の高速鉄道に課せられる
厳しい騒音基準や環境性・経済性を考慮し、13mもの超ロングノーズを採用。
さらに横揺れを防止するフルアクティブサスペンションを全車両に搭載、
E5系に合わせて1.5度の傾斜角度を持つ空気ばね式車体傾斜装置を採用して
乗り心地と曲線通過速度の向上を両立。

また東海道・山陽新幹線N700系列でも採用された
車体間の隙間を埋める全周ホロや、電動機器類を覆うカバー等で、
徹底した騒音対策が図られています。
なすの車窓 11
外装のデザインを手掛けたのは、イタリア・ピニンファリーナ社にて
フェラーリやポルシェ、マセラティ等の高級スポーツカーを
デザインし、現在「KEN OKUYAMA DESIGN」の代表を務めるデザイナー、
奥山清行(おくやま きよゆき)氏。

現在JR東日本の鉄道車両を幅広く手掛け、
E001系トランスイート四季島」、E261系サフィール踊り子」、
山手線横須賀線用(営業前)E235系E353系特急電車、
北陸新幹線E7系等の作品を
世に送り出す同氏にとって、このE6系初のコラボ作品

外観は秋田の竿燈まつりやなまはげをイメージした茜色を上部に、
下部にはJR東日本所有の新幹線では基本カラーとなっている
「飛雲ホワイト」を配色。
アクセントカラーとして「アローシルバー」が2つのメインカラーを分けています。

スピード感と鮮やかな色彩を両立した秀逸なデザインは、
ぶっちゃけ相方・E5系よりずっとカッコイイ
E6系 2
車体側面には、列車名の由来となった現在の秋田県湯沢市出身とされる
女流歌人・小野小町(おのの こまち)や
「秋田美人」を想起させるシンボルマーク。
E6系 4
一部の車両では、東京オリンピック開催を記念したラッピングが施されています。
(延期になってしまいましたが)
E6系 3
こまち」号、そしてこの「なすの」号でも、後方にE5系を連結。
17両の長編成にて運転されています。

なお座席構成ですが、「なすの」号はグランクラスグリーン車といった上級クラス、
一部の指定席車を除く大部分が自由席車として販売されており、
E6系に至っては7両中6両が自由席となっています。
なすの号の車両構成は、運用車両や組み合わせによって、
多数のバリエーションが存在しています。
ご乗車前、または指定券発券前に、よくご確認ください)
E6系 4
では、車内へ参りましょう!
列車の「玄関」となる乗降デッキは、ベージュブラックをベースとして
アクセントにホワイトを配色した、落ち着いた装い。

画像下部に見えるステップは、
在来線規格に基づいて造られた新在直通用車両(ミニ新幹線車両)では
新幹線に入線した際ホームとの間に隙間が出来てしまうため、
それを埋めて安全に乗客が乗り降り出来るように設置されています。

「高速走行中の空気抵抗発生源となるのではないか?」
と思われるかもしれませんが、ご安心を。
このステップは駅発車後、一定の速度に達したところで
自動で収納される仕組みとなっており、
走行の妨げとなることはありません。
(実際E6系E3系を眺めていると、
発車後にステップが「パタン」と閉じられているのが確認できます)
E6系 5
普通車内部。
座席配列は「ミニ新幹線」らしく、在来線特急車両と同じ2+2列。
私が乗った先頭17号車は、ロングノーズの後ろに位置するミニマムな空間。
そのためこの車両の乗車人員は、他の普通車(トイレ・洗面設備、車掌室、
多目的室等々に「侵略」されている12号車を除く)の半分ほどしかありません。

内装のテーマは、「豊かに実った稲穂の中へ分け入る時の高揚感や自然の恵み」。
なるほど。童心に帰れと仰いますか。
E6系 6
普通車座席。
色調はデザインテーマに沿って、「稲穂」をイメージした黄金色
ホールド感を高めるべく身体に沿ってカーブする座席は、
サイドが張り出してプライバシーを確保するとともに、
流行りの可動式枕で快適性を高める工夫が凝らされています。

窓側席の足下、及び最前列にはコンセントも設置され、
スマホやカメラの充電、PCを接続しての作業にも考慮されています。
E6系 7
座席背面には、シートポケットと大型の背面テーブル、
ドリンクホルダーを備えます。

前列は運転台背後の最前列で、そちらはPCも置ける大型テーブルと、
窓側・通路側ともにコンセントを完備。
通常席よりも、こちらを好まれる方もいらっしゃるかも知れませんね。
E6系 9
デッキに備えられた洗面所も、ブラック+ホワイトの装い。
手元に集約された自動式の装置は、左から石けん、手洗い、乾燥機となっています。
E6系 8
デッキと客室を仕切る扉には、稲穂の装飾。
客室の床にも稲穂が描かれ、内装に対するJR東日本のこだわりが見えています。

いよいよ見えてきた、旅の終わり。
次回は今度こそ道東旅最終回!
「なすの号 車窓編」といたしまして、都内から埼玉、栃木への
高速で流れる車窓をご案内します。
それでは!

参考:鹿島建設株式会社公式ページ|鹿島の軌跡|第7回 上野駅の歴史
    wikipedia
    イカロス出版 JR特急列車年鑑2019

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。