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源三窟 ~落人の「隠れ岩屋」を巡る~

いよいよ毎年恒例、日本中を雨に濡らす梅雨の季節が
やって参りました。
じめじめする日々が続く一方、近年では毎年のように災害レベル
降り方をすることも多く、昨年にはここ関東地方も大きな被害を受けたことも、
記憶に新しいところ。

そんな「マイナスイメージ」を抱きがちな梅雨ですが、
この時期に思い起こすのが、平成25(2013)年に放映地域を限定して
小規模な劇場公開がなされたアニメーション映画、言の葉の庭

「君の名は。」や「天気の子」で大ヒットを飛ばした新海誠(しんかい まこと)監督の、
全国展開前に手掛けた作品は、「新海作品」ならではの美しい映像と
繊細な音楽、どこか切なさの漂う空気感をベースとして、
「大人になり切れない大人」である高校教師・雪野と「大人になりたい子供」である
高校生・孝雄の、「雨の日だけの秘密の逢瀬(おうせ)」にスポットを当てた物語。

その中には限られた日、時間に込められた濃密なときめきと青春の輝き、
ゆらめく恋情とともに美しい雨の情景が細かく描写されており、
若き日に抱いた「情熱と血潮の日々」への追憶とともに、
「憂鬱の季節」とは異なる感傷を呼び起こす。

雨が呼び込む静寂、リズムを奏でる水滴の音、水浴びに興じるアジサイたち・・・
この時期だからこそ生まれる情景に気付かせてくれる、
素敵な物語。おススメです♪

・・・前置きが長くなりました。
今回からは、昨年11月~今年2月に掛けて滞在&労働に勤しんだ
栃木県那須塩原市と、合間に訪れ、また塩原温泉での勤務終了後に
一時滞在した宇都宮市の名所の一部を、栃木編として
ご紹介します。

栃木県那須塩原市
首都圏からおよそ150km、栃木県北部に位置し、面積は592.74k㎡。
46,804の世帯に11万6,278人が居住しています。

市域は主に二つに分けられ、那須連山を始めとする
那須火山帯より湧出する、「塩原温泉郷」や「板室温泉」、
「三斗小屋温泉」といった温泉地、
塩原渓谷沼ツ原湿原などの景勝地が連なる山岳部

那珂川(なかがわ)と箒川(ほうきがわ)に挟まれた扇状地を通る
東北新幹線東北本線、国道4号・国道400号といった
大動脈に沿って市街地が広がる平野部から成り立っています。

そんな那須塩原を代表する産業の一つが酪農で、
観光スポットでもある「千本松牧場」を始め、明治以後に実業家・政治家らによって開かれた
牧場の数々からは、本州第一位・全国第四位となる
生乳が生産されています。

今回はそんな那須塩原市を代表する観光地・温泉地の一つで、
私の滞在地ともなった塩原温泉郷の名所を
お届けいたします。

2019.11.15 Friday
源三窟 3
昨年末から今年2月まで、三月を過ごした塩原温泉郷
那須野が原から箒川に沿って山間部へと分け入った
渓谷沿いに広がる、大網、福渡(ふくわた)、塩釜、塩の湯、畑下(はたおり)、
門前、古町、中塩原、上塩原、親湯(あらゆ)、元湯の
塩原十一湯(しおばらじゅういちとう)と呼ばれる温泉地の総称。

風光明媚な渓谷地帯に沿って約60軒の温泉宿が集中、あるいは点在し、
それらの宿からおよそ150カ所にも及ぶ源泉が湧き出しています。

その歴史は古く、開湯は今からおよそ1200年前の806(延暦25/大同元)年。
明治~大正期には夏目漱石尾崎紅葉谷崎潤一郎
与謝野鉄幹・晶子夫妻斎藤茂吉といった名だたる文人が
この地を訪れ、その風土や情景を書き残しています。

そんな「塩原温泉郷」の特徴として挙げられるのが、
150カ所の源泉から生み出される多様な泉質
その日の気分や体調、好みなどから「塩化物泉」、「炭酸水素塩泉」、
「硫酸塩泉」、「硫黄泉」、「酸性泉」、「単純泉」の6種類の泉質、
「乳白色」、「茶褐色」、「黒色」、「黄金色」、「緑白色」、
薄墨色」、「透明」の7色
「酸性」「中性」「弱酸性」の3つの性質
「美肌」、「冷え性」、「疲労」、「治療」、「ストレス発散」等の効能・効果
温泉宿や源泉ごとに楽しめる、温泉博物館となっています。

また周辺地域は塩原渓谷を中心に7つの風情ある吊り橋
10の名瀑、季節ごとに展開される新緑深緑紅葉、雪景色、
豊富な草花などを楽しむ散策路が設けられている他、
日留賀岳(ひるがたけ、標高1,849m)や釈迦ヶ岳(標高1,789m)といった山々が、
登山者たちを待ち受けています。
(冬にはスキー場・「ハンターマウンテン塩原」がオープンします!)
源三窟 1

源三窟 2
今回向かったのは、秋色に染まった温泉街を抜けた先に在る・・・
源三窟 4
源三窟(げんさんくつ)
温泉街の外れの高台にポッカリと開いた、長さ50mほどの、鍾乳石から成る洞窟
通り抜け可能な洞内は一年を通して15・6℃ほどに保たれ、
夏は冷涼、冬は温暖な天然の冷暖房と化しており、
洞内に形成されている石柱・石筍(せきじゅん)は考古学的に注目すべきものだそう。

では何故この洞窟が「源三窟」と呼ばれているのか。
それは今から800年ほど前の平安時代、
源平合戦で伝説的な武功を挙げながら、悲運の最期を遂げた名将・
源義経(みなもとの よしつね)が兄・頼朝との勢力争いに敗れ、
奥州(東北地方)へと落ち延びた時のこと。

義経たちと別れてしまった家臣・(もしくは同盟者)・源有綱(みなもとの ありつな)が、
頼朝方の追っ手から逃れ、日光を経由して奥州を目指すべく、
この洞窟に隠れ潜みました。

地元住民の助け(那須地域は義経の庇護者である奥州藤原氏の勢力圏に近く、
その郎党に当たる一行を匿おうとする人が居たのでしょう)もあって
潜伏生活を続けていた有綱主従でしたが、
ある日洞窟内に在るで米をといでいたところ、
流れ出たとぎ汁を捜索に当たっていた頼朝方の部隊が発見
戦いの末に敢え無い最期を遂げたと言われています。

この伝承から、この洞窟は「源氏」の一字を冠した名前を名乗っているのですが・・・
実は有綱が敗死を遂げたのは記録では大和国宇陀郡(うだぐん、現在の奈良県)
だそうで、説明書きに「鎌倉の戦いに敗れた」※
などと書かれているあたり、とっても怪しい

ともあれ洞窟内に実際に武具や刀剣類が残されていたことから、
ここに義経方の武士たちが匿われていたのは事実と思われます。
あるいは「判官びいき」の言葉に表れているように、敗れた義経に心寄せ、
その家来たちを匿った那須の人々の思いが、
このような伝承を生み出したのかもしれません。

営業情報

営業時間
4月~11月 8:30~17:00
12月~3月 9:00~16:00
入館料
大人(高校生以上)600円
子供(小・中学生)400円
団体割引(20名以上)大人100円、子供50円引き      

※鎌倉の戦い・・・鎌倉幕府滅亡時、防戦する鎌倉幕府側の軍勢と、
            新田義貞(にった よしさだ)を始めとする反幕府方の間で
            勃発した戦い。
            言うまでもなく有綱らが生きた時代とは
            年代が全く異なる。
源三窟 5
高台へ上る道の入口には、丸太柱が見事なが構えられています。
ここで使われているのは、那須の旧家に生えていた
樹齢およそ150年夫婦欅(ケヤキ)で、
左手の「雄」が幹回り2・2m、右手の「雌」が1.9mという、立派なもの。

家主の事情によりやむなく伐採の憂き目を見ることとなりましたが、
この大木の姿を後世に残すべく、木本来の姿を生かしたまま
門柱へと転用されています。
実際に触れてみると、硬くどっしりとした構えの中にも
しっとりとした天然木の質感が感じられる、
職人の技と工夫が垣間見える見事な造作でありました。
源三窟 6
門のそばには、珍しいものも。
これは硅化木(けいかぼく。珪化木とも)といって、
古代に何らかの形で土砂等に埋もれた樹木に、膨大な年月の中で
様々な物質を含有した地下水が浸透したことで、化石となったもの。

写真右手の看板にも有る通り、太古の塩原一帯には塩原湖と呼ばれる
湖が存在しており、この硅化木もその底に幾万年も沈んでいたことで
性質が変化し、化石となったと考えられています。

太古の塩原の姿、人間には想像も付かない年季を
その身に宿した、証人の如き存在。
源三窟 7
ここから洞窟入口のある高台までは、一段一段が低いながらも
傾斜の激しい111段もの階段が待ち構えています。
名所探索を前に、試される脚力と体力
源三窟 8

源三窟 9
階段の要所要所に現れる励ましの言葉
勇気づけられながら、一歩一歩上ります!
源三窟 10
階段頂上となる111段目、入洞口が見えて来ました!
源三窟 11
「ありがたい言葉」も、結びの一言。
ここを登れる限り、まだまだ心身充溢なり!
源三窟 12
「111の試練」を乗り切ったご褒美か、
木々の間からは、色付く那須の山並みが♪
源三窟 13
「ご褒美」その2。
階段頂上の脇からこんこんと湧き出ているのは、
鍾乳岩よりアルカリをたっぷり含んで生み出される、長生きの水

ヒンヤリとした清水を口に含めば、数万年、数十万年の間に
積み上げられた大地の「エネルギー」が、身体に染みわたって行くかのよう。
源三窟 14
それではいよいよ、「源氏の隠れ岩屋」に突入です!
画像左手の受付でこの後回る「武具資料館」と共通となっている
入館料を支払い、奥に見える階段を下りて行くと・・・
源三窟 15
とんちで有名な、一休少年がお出迎え!
「このはし」に立って洞窟の成り立ちを(録音で)解説してくれるのですが・・・
那須と関係ない上に、名前間違えてるよね?
下で見た説明書といい、なんかいい加減だなココ(笑)
源三窟 16
「このはし」のすぐ下、勢い良く水を噴き出している米洗いの滝
滝壺の傍には、米をとぐ有綱公の姿が人形で再現されています。
この行動と流れ出たとぎ汁が、彼の運命を決することとなりました。
(まあ実際のところは、違う武士だったのでしょうが)
源三窟 17
ここからさらに階段を降り、奥へと向かいます。
源三窟 18
洞内では、隠れ潜む落人たちの暮らしぶりが人形と音声で再現されています。
まだ現在ほど農耕技術や土地の開拓が進んでいなかった当時、
米と並んで人々の主食となっていたのは、(ひえ)や(あわ)といった
イネ科の「代用品」でした。

特にやせ地が広がる塩原では米は貴重品であったと思われますが、
塩原の人々は彼らに土地を守ってもらう代わりに
米を差し出し、ここへ匿っていたのでしょう。
源三窟 19
展示物の向かいには、有綱公を祀った有綱神社
建てられています。
主君・義経との合流を願い、再起を図った武人にあやかってか、
ご利益は「心願成就」。
(まあ、ここにいたのはきっと別の・・・)
源三窟 20
自然の産物である洞内は、とっても狭い!
見学の際は頭等をぶつけてしまわないよう、くれぐれもご注意ください。
源三窟 21
こちらでは、洞窟誕生の過程が解説されています。
それによれば、

今から数十万年前、「なすの」の車窓からもご紹介した高原山大噴火
これによって箒川がせき止められ、塩原湖と呼ばれる湖が形成されました。

その湖底には石灰成分を多く含む温泉水からの沈殿物により、
石灰岩地層が誕生します。

その後大規模な地殻変動が発生し、塩原湖底が隆起したことにより
現在の塩原の街に繋がる石灰岩台地が出現。

隆起した石灰岩台地に長い歳月を掛けて降り注いだ雨水が、
台地の隙間や割れ目から流れ込み、
少しずつ地下の石灰石を溶かすことで鍾乳洞の素が出来上がります。

さらなる雨水が石灰岩台地に侵入し、空洞となった鍾乳洞の天井から落下。
その水滴には石灰岩から溶け出した石灰分(炭酸カルシウム)
含まれており、落ちる水滴の周りには石灰分の結晶が残されます。

残された石灰分の結晶が、長い歳月を掛けてつらら状に伸びたものが、
いわゆる鍾乳石(しょうにゅうせき)

また落下した水滴に含まれていた石灰分がたけのこのような形で
洞床に積み重なったものを石筍(せきじゅん)と呼び、
鍾乳石と石筍が繋がったものが石柱(せきちゅう)となります。
(ワ〇ウ!・・・違うか 笑)
ちなみに鍾乳石の成長速度は、100年で3センチほどだそう。
地球と人に流れる、時間の違いを感じます。
源三窟 22
通路の途中でぽっかりと口を開けているのは、横穴の跡

現在全長50mほどとなっている「源三窟」ですが、
かつては塩原八幡宮の方向へ300mほどの横穴が伸びていました。
しかし江戸時代前期、万治2(1659)年に会津にて発生した
大地震の影響を受け、崩壊

今日ではその入口を覗くことしか叶いません。
源三窟 24
こちらが天井から落下した水滴によって形成された、石筍(せきじゅん)
石灰分が固まって筍状になったことから命名されたそうですが、
筍(たこのこ)に見えるかと言われると・・・正直微妙
源三窟 23
出口付近には甲冑に身を包み、出陣の時を待つ有綱主従の姿が
再現されています。(本当は別の・・・殴)

武士としてもう一華咲かすことも叶わず、無念の最期を遂げた彼ら。
その胸に去来したのは、いかなる思いだったでしょうか・・・

地球の神秘が形となって表れた鍾乳洞と、そこに伝わる物語。
二つの要素が合一となった「合わせ技」は、
古くから「癒しの里」として親しまれてきた、
塩原ならではなものと言えるでしょう。

次回は洞内に潜んでいた武人たちが残した甲冑や、
塩原ゆかりの品々が展示されている、併設の「武具資料館」へ!
意外な「お宝」の数々に、私大興奮いたしました!
どちらかと言えばスルーされがちな展示物の数々を、
記事をもってお伝えいたします。
それでは!
源三窟 25
温泉地には、温泉まんじゅう♪

参考:那須塩原市
    塩原温泉郷 公式ホームページ
    wikipedia
    洞内説明書き

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。