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武具資料館 ~「源三窟のオマケ」は、宝の山!~

先月25日に政府より発令されていた緊急事態宣言が
完全解除となった、日本。

経済活動や日常生活が少しずつ取り戻されつつある中で、
現在も東京都では「夜の街」を始め複数の感染者が
確認されており、依然として油断ならない状況が続いております。

かくいう私もレッスン「自粛」が解除されて先週末より
東京都内へと通っている訳ですが、
やはり緊急事態宣言解除と都道府県間の移動「解禁」により、
都心では一気に人が戻った印象。

皆マスクを付けたりアルコール消毒に勤しんだりと
必要な対策を施してはいるものの、
「必要以上」の外出は避け、人と人との接触と、
それによって生じるリスクは極力犯さぬよう心掛けたく存じます。

前回から「栃木編」として那須塩原と宇都宮の名所を
ご紹介しております、当ブログ。
区別しやすいよう新たなカテゴリー分けも設定し、
「見やすい」ブログ作りに励んでまいります!
(いずれは「散歩」カテゴリーも、整理・区別を
進めていきたいものです)

前回記事では温泉街の外れに在る、
名将・源義経(みなもとの よしつね)の家臣・源有綱(みなもとの ありつな)一行が
隠れ潜んだ・・・とされる洞窟・「源三窟」を巡った訳ですが、
今回はその続き。

「源三窟」と共通の拝観券で入場可能な併設の資料館・
武具資料館へと向かいます!
果たしてどんな「お宝」が、私を待ち受けているのでしょうか!
武具資料館 1
入口を抜けてスグのところでドドンと出迎えてくれるのは、
立派な造りの大名駕籠(だいみょうかご)

歴史ドラマや大河ドラマ等でも定番の、
お殿様を運ぶ人力リムジンとも言える移動手段ですが、
持ち手のところに徳川将軍家やその親類が家紋として用いた
「三つ葉葵」の紋が確認できることから、
将軍家かその親戚筋に当たる松平家
使用されたものでしょうか。
これが本物でどちらかの家筋で実用されたものであるならば、
めちゃくちゃお宝である。

その周りにも注目すべき品がいっぱい有り、
右手にはアフリカ産の立派な象牙
前立(まえだて、兜の前面に武将の武威や存在を示すために
取り付けられた装飾品)が見事な甲冑
光に照らされて輝く夜行貝をふんだんに使用した
蒔絵夜行貝螺鈿細工衝立(まきえやこうがいらでんざいく ついたて)
等々、いきなり「お宝」のオンパレード!
武具資料館 2
大名駕籠などと同じガラスケースに収まる、こちらの絵。
馬上に描かれている武者は、八幡太郎(はちまんたろう)の通称とともに
伝説的な武勇と「武家の棟梁」としての名を後代に残す、
源義家(みなもとの よしいえ)

この絵は陸奥国(むつのくに、現在の東北地方の東部と青森県をまとめた旧国名)と
出羽国(でわのくに、現在の山形県・秋田県)で起こった兵乱・
後三年の役※(ごさんねんのえき)にて、
進軍していた義家軍の前方を飛んでいた雁(かり)の群れが乱れ、
それを見た義家が敵の伏兵を察知する場面を描いたもの。

軍記物語でも名高いこの逸話は、義家の洞察力と、
彼に兵法を教えた公卿・大江匡房(おおえの まさふさ)の知見の深さを
表すものとして、特に著名なもの。

※後三年の役・・・永保3(1083)年~寛治元(1087)年に掛けて起こった、
陸奥・出羽2ヶ国を治めていた豪族・清原氏の内乱。
これに義家は朝廷の認可を得ない「独断」で介入し、
清原清衡(きよはらの きよひら。後の奥州藤原氏初代・藤原清衡)との共同戦線の下、
抵抗する清原家衡(きよはらの いえひら)・武衡(たけひら)の軍勢を打ち破った。
武具資料館 3
展示室を進んで正面のガラスケースに収められているのは、
戦国後期から江戸時代に掛けて使用された大砲の一種・
抱え大筒(かかえおおづつ)

戦場での敵兵の殺傷よりも鉛玉で城門や城壁を破壊することを
意図して使用された、いわゆる攻城兵器(こうじょうへいき)で、
両脇に抱える形で用いられ、それなりの訓練を必要としたそう。
これらの大筒が「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣」といった
大合戦に使われたかもしれない、と考えると、なんだか胸熱
武具資料館 4
お隣には、「鎖鎌」や「矢だて(筆と墨を携帯するための道具)」、
「大鏃(おおやじり)」、時代劇でお馴染み「十手(じって)」等、
武器や道具がズラリ!

特筆すべきは奥に見える火縄銃・種子島銃(たねがしまじゅう)で、
手前の一挺は説明書きに曰く日本最古の銃だそう。
(本当だろうか?)
武具資料館 5
他にも「お宝」いっぱいの「武具資料館」。
こちらは古代~平安・戦国・江戸、そして現代の1円・5円・10円玉に至る
様々な時代の貨幣
武具資料館 6
太古の昔、古生代(およそ5億9000万年~2億4800万年前)の海に
生息していた節足動物・三葉虫(さんようちゅう)の化石。

大きさはだいたい2~210cmほど。
クモやサソリの近縁種で浅い海に住み、海底を這うようにして
暮らしていたという。
この姿で動き回っている姿を想像してみると・・・なんか嫌だ(笑)
武具資料館 7
ひときわ目立つ位置に置かれているのが、
「幻の魚」、「生きた化石」こと、シーラカンスの・・・化石
恐竜全盛(そして最後の時代)の白亜紀以降「絶滅した」とされていた
シーラカンス目ですが、
昭和13(1938)年に南アフリカ沖にて現生する個体が確認されたのを皮切りに、
昭和30(1952)年にはインド洋コモロ諸島、
平成9(1997)年にはインドネシアのスラウェシ島近海でも
その姿が確認されており、太古の昔から変わらぬ形態、謎めいた生態が
研究者たちを魅了しています。
武具資料館 8
「生きた化石」の周りを、化石となって太古の姿を今に残す
アンモナイトやカキ、魚などが固めます。
武具資料館 9
江戸幕府の終焉と新時代の到来を印象付けた、戊辰戦争(ぼしんせんそう)
旧幕府勢力の一掃を企図した新政府軍は、
鳥羽・伏見の戦いや上野戦争、東北地方での戦いに
当時最新式の鉄砲や大砲を多数投入していました。

ここに展示されている大砲は、
1868(慶応4/明治元)年の会津戦争にて、
会津藩の本拠・鶴ヶ城への攻撃に使用されたと伝わります。
(新政府軍の砲撃で大きな被害を受けた鶴ヶ城天守は、
戦後解体の憂き目に遭うこととなりました。ああ、哀しき)
武具資料館 10
こちらで展示されているのは、江戸時代に圧倒的な軍事力と財力で
国政をその手に握っていた、徳川将軍家愛用の品々
武具資料館 11
亀形の小物入れなど、将軍家の権威と財力を示す金箔塗りの豪奢な品々が
並びます。
細やかな装飾が光る「行器」(奥に見える器と棒状の道具が一対となったもの)にも注目!
武具資料館 12
こちらも将軍家で使用されていた、金箔塗の鈴
将軍家で「鈴」というと、江戸城内にて将軍の住まいである中奥(なかおく)から
様々な歴史小説・ドラマ等で著名な、御台所(みだいどころ、将軍の正室)や側室の
住まい、大奥への通路・御鈴廊下(おすずろうか)に取り付けられていた
将軍の出入りを知らせる鈴が思い浮かびますが、
これはその貴重な「現物」なのでしょうか?
武具資料館 13
「武具資料館」の名に相応しく、刀剣や槍といった武具が並びます。
武具資料館 14
出口近くの壁に飾られた写真は、日露戦争戦勝三周年記念として、
満州・奉天(現在の瀋陽)にて撮影された写真。

威厳たっぷりにずらりと居並ぶのは、日露戦争にて陸軍の指揮を執り、
日本軍を歴史的勝利へと導いた八将軍
右から鴨緑江軍(おうりょっこうぐん)司令官・川村景明(かわむら かげあき)大将、
満州軍総参謀長・児玉源太郎(こだま げんたろう)大将、
第三軍司令官・乃木希典(のぎ まれすけ)大将、
第二軍司令官・奥保鞏(おく やすかた)大将、
満州軍総司令官・大山巌(おおやま いわお)元帥、
陸軍総参謀長・山県有朋(やまがた ありとも)元帥、
第四軍司令官・野津道貫(のづ みちつら)大将、
第一軍司令官・黒木為禎(くろき ためさだ)大将。

第二軍の奥大将(豊前小倉藩出身)を除いて
明治新政府にて要職を占めた薩摩(鹿児島県)・長州(山口県西部)や
長州の支藩・徳山藩出身者で占められた
陸軍幹部たちは、いずれも幕末の動乱や西南戦争などの士族の反乱、
日清戦争といった戦場を生き抜いた、強者ぞろい

大山元帥や乃木将軍は、那須野の地にそれぞれ別邸を建て
農場を経営する等この地との関わりも深く、
ここに貴重な一枚が残るのも、
彼らと那須・塩原地域との縁故がなせる業なのでしょうか。
(ちなみにあの「西郷どん」こと西郷隆盛の弟・
西郷従道 さいごう じゅうどう、つぐみちとも も、那須野にて
従兄弟の大山巌と共同で、のちに単独で農場を経営していました。)
武具資料館 15
同じく出口付近に飾られた顔写真は、那須・塩原地域の発展と
知名度向上に寄与した功労者たち。
一番右の奥 蘭田(おく らんでん)氏は
日本商工会の初代会頭を務めた実業家で、漢学を修めた文士。

明治21(1888)年に塩原を来訪した奥氏は、塩原の風俗や産物、
名所旧跡、物語や温泉、地域の植生に至るまで記録した
漢文綴りの随筆集・塩渓紀勝(えんけいきしょう)を著述。
塩原の風土を広く世に伝えました。
(塩原の地がよほど気に入ったのか、奥氏は後年別邸を築くに至っています)

その隣、中央の人物は、明治の文壇に頭角を現して
多くの文人を育てた小説家、尾崎紅葉(おざき こうよう)氏。
同氏は明治30(1897)年から読売新聞にて連載していた代表作・
金色夜叉(こんじきやしゃ、作者・紅葉氏の逝去により未完に終わる)の
舞台の一つに塩原の地を取り上げ、奥氏の「塩渓紀勝」に続いて
この地を人々に知らせることとなりました。

左手の人物は、三島通庸(みしま みちつね)氏。
官僚として山形県令や福島県令(県令=現在の県知事相当)を歴任し、
反対派や民権派への弾圧や強引な土木工事の推進で剛腕を振るい、
土木県令鬼県令の異名を取った三島氏は、
明治16(1883)年に栃木県令に就任。

赴任以前から那須野が原の開墾に精を出していた同氏は、
2年ほどの任期のうちに、西那須野から関谷(せきのや)を経由して
塩原へと至る塩原街道(国道400号)の開発を推進。

県令として「力」で対抗勢力を押さえつけ、自らの政策を押し通す姿勢には
賞賛し得ぬ部分もありますが、
現在も「メインルート」として物資・観光輸送に欠かせない交通路を整備した
その先見の明は、後世を生きる者として
評価すべきところとも言えるでしょう。

意外(失礼)に資料が充実し、「宝の山」状態が展開されていた、
「武具資料館」。
貴重な展示品の数々を目にし、塩原の歴史にも触れることが出来た、
有意義な時間でありました♪

管理者側からも「源三窟のオマケ」的な扱いを受けている施設ですが、
興味がお有りの方は是非、お立ちよりあれ!
(洞内より発見された、「曰く付き」の甲冑も待ってるよ!)

次回は塩原地域の鎮守の社・塩原八幡宮へ!
豊かな自然に抱かれた静かな境内と清らかな水、
ご神木の「逆杉」の様子を、箒川沿いの
散策路とともにお伝えします。
それでは!

参考:Wikipedia
    コトバンク
    観光Fan!

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。