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天皇の間記念公園 ~皇室施設の名残を訪う~

毎年日本列島を濡らし、好天熱暑豊穣をもたらす
梅雨の時期。
一方で近年では地球温暖化の影響もあって豪雨による
災害の大型化・長期化が続いており、今年も西日本を中心に
大きな被害をもたらしています。

皆さんも未だ続くコロナウイルスの脅威とともに明日は我が身という
意識を忘れずに、お気を付けてお過ごしくださいませ。

2020.2.6 Thursday
前回記事から少し時計の針を進めまして、今年2月。
全国的な寒波に見舞われたこの日は・・・
天皇の間記念公園 1
塩原の町も、ご覧の通りの雪景色!
天皇の間記念公園 2
そんな冷え冷えとした塩原山中の冬日の中で、無謀にも(笑)お出掛けへと
打って出た私。
向かったのは塩原温泉バスターミナルからJR関東バスで約5分の
「七ツ岩吊橋」バス停で下車し、箒川を渡った先に在る・・・
天皇の間記念公園 3
天皇の間記念公園
明治35(1902)年夏、のちに大正天皇となる喜仁親王(よしひとしんのう)は
始めて塩原の地に行啓あそばされ、翌年にも再びご訪問。

塩原の自然、気候、温泉といった条件を親王殿下は大層お好みに
なられたため、元栃木県令・三島通庸(みしま みちつね)の長子で
時の三島家当主である弥太郎(やたろう)氏は、
殿下が度々ご訪問なされていた三島家の別荘を皇室へ献上することを
願い出ました。

こうして明治37(1907)年、三島家別荘を基にして塩原御用邸
造営され、塩原に皇室の別邸が誕生することとなりました。
以後大正天皇を始め多数の皇族の方々に愛され、利用された
「塩原御用邸」でしたが、戦後すぐの昭和21(1946)年に廃止

時の皇后・香淳皇后(こうじゅんこうごう)陛下の
「視力障害者の保護のために使用せよ」との思し召しにより
旧御用邸施設は内務省(現在の厚生労働省)へと移管され、
国立塩原視力障害センターとして
平成25(2013)年までその役目を果たしました。

現在「天皇の間」として残されている建物は、
「国立視力障害センター」の改築が検討された折、
住民の要望によって旧御座所を移築・保存したもので、
皇室の避暑地の面影と、塩原と皇室の関わりを今に残しています。

料金:一般(高校生以上)・・・200円
    小中学生・65歳以上の方・障害のある方・・・100円
    小学生未満の幼児・・・無料
開園時間:午前9時~午後5時
休園日:毎週水曜日
(祝祭日の場合は翌日休園、ゴールデンウイークと7月20日~8月31日までは無休)
天皇の間記念公園 4
こちらが施設の中心となる御座所
「塩原御用邸」造営の翌年、明治38(1908)年に建てられた
木造平屋建ての建築物で、間口8間(およそ14.5m)、奥行き7間(同12.7m)、
面積は251.6㎡。
内部は「田の字型」に部屋を配し、その周囲を入側※で囲んだ上で
さらにその外縁、東西南の三方に板敷きの縁側を設けてあります。

普段は室内から直接塩原の緑秋の紅葉といった
四季の風景を見ることが出来るそうですが、雪に見舞われたこの日は
ご覧の通り、頑丈な雨戸に覆われた耐寒仕様

※入側(いりがわ)・・・書院造りの建物で、濡れ縁と座敷の間に設けられた
             1間(いっけん、1.818m)幅の通路
天皇の間記念公園 5
こちらが座敷を囲む入側の様子。
大正天皇や皇族の方々が滞在なされている間は
隣接するこの空間に従者の方が控えていたと思われますが、
この空間にも畳が敷かれており、室内へと踏み入る貴人や、
ここに座する人への配慮が感じられます。

またそれを囲む板縁にも絨毯が敷かれ、
天皇家に関わる施設として一切手を抜かない
「おもてなし」の心が見え隠れ。
天皇の間記念公園 6
入側の角には、美しく飾り付けが成された生け花
天皇の間記念公園 7
こちらは皇室の方々がご利用になられた御厠(おかわや)、
いわゆるトイレ
畳敷きの小空間に配された便器はもちろん和式。
ただし一般の便器と異なるのは、これまた調度品として手を抜かない
墨漆が塗り込められていることと、
健康状態をチェックするために床下を引き出し式の構造としている点。
天皇の間記念公園 8
こちらが皇族の方々が休暇のひと時を過ごしたであろう、座敷部分。
部屋は全部で4つあり、奥に大正天皇がお休みになられた「御寝所」と、
その隣に居室と執務室を兼ねた「御座所」が設けられていました。
内壁や襖(ふすま)には岐阜県美濃地方の伝統工芸品・美濃和紙
使われ、シンプルながらも格式を感じさせる空間を生み出しています。
天皇の間記念公園 9
展示スペースには、ここで使われたであろう調度品や・・・
天皇の間記念公園 9.5
ゆかりの品々が並びます。
画像右手の帽子は大正天皇ご愛用の帽子で、
8歳の頃にご着用なされていたものを、お遊び相手を務めた
三島通庸子爵の6男・弥六(やろく)氏が拝領したもの。

左に在るのは歴代天皇最多・1367首もの漢詩を
お詠みになられた大正天皇の詩集と歌集を合わせ、
戦後の昭和24(1949)年に刊行された、大正天皇御集

その上に置かれた写真は、明治天皇の第6皇女・
常宮昌子内親王(つねのみや まさこないしんのう)殿下
(のち竹田宮恒久王妃)と、
同じく第7皇女・周宮房子内親王(かねのみや ふさこないしんのう)殿下
(北白川宮成久王妃)の幼少期の肖像写真。

ともに高輪御殿(現 高輪皇族邸)で養育された間柄の姉妹は、
大正期に常宮内親王殿下が、昭和初期に周宮内親王殿下が
それぞれここをご訪問なされています。
天皇の間記念公園 10.5
各部屋の天井部分を仕切る欄間も、派手さは無いものの
趣向を凝らした造り。
天皇の間記念公園 10
全体的に和様の設えが目立つ室内ですが、照明器具には
洋風のものが採用されています。
天皇の間記念公園 11
昔日の「塩原御用邸」を写した一枚。
右下に見える大きな建物が、現在「天皇の間」として保存されている御座所。
当時はおよそ1万5500坪の敷地に
延べ3000坪に及ぶ建物群が並ぶ極めて広大な施設で、
敷地内からは源泉まで湧き出していたというから、驚き!
天皇の間記念公園 12
当時の建築物群が、模型にて再現されています。
無数の建物や部屋の中でも中心的な役割を帯びていたのが、
この御座所でした。
天皇の間記念公園 13
塩原御用邸をお使いになられた皇族方のご来訪記録。
御用邸造営のきっかけとなった大正天皇陛下が皇太子時代の他、
即位後にも貞明皇后(ていめいこうごう)を伴ってお訪ねになられている他、
幼少期の昭和天皇陛下、淳宮雍仁(あつのみや やすひと)親王殿下
(後の秩父宮殿下)、
東久邇宮稔彦(ひがしくにのみや なるひこ)王殿下、
高松宮宣仁(たかまつのみや のぶひと)親王殿下など、
数多の皇族の方々がここをお訪ねになられました。

特に三笠宮崇仁(みかさのみや たかひと)親王殿下は
「澄宮(すみのみや)」と称された幼少期より10年に亘って
毎年塩原の地をお訪ねになり、御用邸も「澄宮御殿」と称された他、
戦時中の昭和19(1944)年~20(45)年に掛けて
昭和天皇の皇女・孝宮和子(たかのみや かずこ)、順宮淳子(よりのみや あつこ)、
清宮貴子(すがのみや たかこ)内親王殿下がここを疎開先として
ご利用になられる等、
一避暑施設に止まらない関わりがありました。
天皇の間記念公園 14
座敷の最奥に在るのが、大正天皇が居室とし、執務を執られた
(そして恐らく他の皇族方もお使いになられた)御座所

室内中央に洋風のテーブルと椅子、その上に照明器具が置かれた室内は、
他の部屋同様にシンプルな造り。
しかしながら床の間やその脇の書院部分には、
細やかな装飾が施されています。
「簡素でありながら格式高い造り」は、御用邸全体のテーマだったのかも知れません。

奥には陛下がお休みになられた御寝所があり、
四方の柱には蚊帳(かや)を吊るすための吊り金具
残されています。
天皇の間記念公園 15
御座所その2。
天皇の間記念公園 16
御座所の一角には、上皇陛下の御産着
展示されています!
天皇の間記念公園 17

天皇の間記念公園 18
室内を回り終え、外へ。
うっすらと雪化粧した庭園が、美しい♪

3月を過ごした那須塩原ですが、じっくりと回った機会は残念ながらこれが最後
思えばあまり彼の地を堪能できなかったなぁ・・・と思います。
再訪叶ったなら、今度こそもっと深く高原の避暑地を堪能したい!
それまでは我慢と努力の日々が続くでしょうか・・・

次回は舞台を移しまして、栃木の県都・宇都宮市へ!
古くは祭祀の地として始まり、城下町として発展を遂げた街の歴史を
知る上で欠かせない場所の一つ、宇都宮城を訪ねます。
それでは!
天皇の間記念公園 19
散策の後は、近くに建つレストラン・グリル三笠軒でお昼ごはん!
天皇の間記念公園 21
雪舞い散る箒川を眺めながら・・・
天皇の間記念公園 22
アツアツ、ジューシーなハンバーグ定食を、頂きます!

参考:天皇の間記念公園 公式ホームページ
    Wikipedia
    コトバンク
    園内説明書き

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。