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宇都宮二荒山神社 ~清らかなる「国の護り」を訪ねる~

最近私の活動を知って頂くため、また歌手活動におけるファン獲得のために
ツイッターを始めたのですが、この記事を書き始める前(7月26日)に最新ランキングを
確認してみたところ、なんと旅行ジャンル総合ランキング21位
国内旅行ランキング6位という、
いままで見たこともない順位が刻まれていてビックリ!
SNS効果、恐るべし(汗)

そんな(私的)驚愕の事態はさておき、既に遠く去り行こうとしている
栃木県居住時の記録をまとめている「栃木編」、
ひとまず今回で最終回となります。

前回から舞台を栃木県都・宇都宮市へと移しまして、
宇都宮発展の礎の一つである宇都宮城を取り上げた訳ですが、
今回はもう一つの礎であり、宇都宮の成立に関わる神社を
取り上げて参ります。

3.3 Tuesday
二荒山神社 1
2月末での那須塩原勤務終了後、折からの「コロナショック」の影響で
ノーワーク状態に陥っていた私。
共に働いていた方のご好意で少しの間居候させて頂いている間、
ちょっぴりお出掛け。

やって来たのは、宇都宮市の繁華街。
今回のお目当ては右手に見えているカラオケ店!ではなく・・・
二荒山神社 2
こちら!宇都宮二荒山神社(うつのみやふたあらやまじんじゃ)
その由緒は実に、実~に古く、皇統第十代
崇神天皇(すじんてんのう)の御代(紀元前97~30年頃。あくまで「皇統万歳!」な
「日本書紀」の記述に則った在位年数であり、当然一人の人物で
治め得る年数ではない)、のちに当社の主祭神となる
第一皇子・豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は、
東国平定の命を受けて毛野国(けのくに、現在の栃木県・群馬県)へと
お下りになり、武力による反抗勢力の鎮定と合わせ、
地域の産業振興と住民の保護に努めたために、
毛野国は平穏を取り戻しました。

のち東国に定住した豊城入彦命の子孫・
奈良別王(ならわけのきみ)が仁徳天皇(にんとくてんのう)の御代
(紀元313~399年頃。これもまた「日本書紀」の記述を元に
計算されたものであり、言うまでもなく一人の・・・略)に
下野国(しもつけのくに、今の栃木県)の国造(くにのみやつこ、国主)に
任じられるに当たり、この付近(現在の下之宮あたり)に豊城入彦命を奉祀、
これに国土開拓の神として大物主命(おおものぬしのみこと、大黒さま)と
事代主命(ことしろぬしのみこと、恵比寿さま)を合祀、
承和5(838)年に現在地・臼ヶ峰へと遷座され、
以来1200年近い歳月を重ねています。

武家が台頭して来た平安以降、その東国鎮定と開拓のご神徳から、
平将門の乱(たいらのまさかどのらん)を治めた藤原秀郷(ふじわらの ひでさと)公、
伝説的な武勇とカリスマで「武家の棟梁」として名を上げた
源義家(みなもとの よしいえ)公、
鎌倉幕府の開祖・源頼朝(みなもとの よりとも)公、
260年の泰平の世を築いた徳川家康(とくがわ いえやす)公といった、
名だたる武士からの崇敬を集めました。

また長き歴史ゆえにその社格も高く、
下野国一之宮として広く一帯を治め、
「宇都宮」の名も社名に由来するなど、
街の誕生と深く関わっています。
二荒山神社 3
神域の入口に建つ、鳥居社号標
「一之宮」の社格を感じさせる、堂々たる造り。
二荒山神社 4
澄んだ青空に、威厳たっぷりの扁額が輝きます♪
二荒山神社 5
小高い丘陵上に社殿が構えられている、二荒山神社。
その奥に控える「神門」との間には、
95段の石段が待ち構えています!
神前にお参りする前の、ちょっとした試練。
二荒山神社 6

二荒山神社 7
石段の途中、左右を見渡してみると、たくさんの摂末社が祀られています。
ご利益も疫病鎮め(荒人社)、醸造(松尾神社)、剣宮(武芸)、
学問(菅原神社)、水(水神社)・・・と、さまざま。
皆さんもご自身の願いを、これらの摂末社に託してみては
いかがでしょう?
二荒山神社 8
石段を登り切った処に建つ、神門
唐破風(城郭建築等に用いられる、頂部に丸みを付けた飾り屋根)を頂く
格調高い造りの建物は、大正6(1917)年築。
左右にはそれぞれ八間(=14.48メートル)の廻廊下が続きます。
ここを潜れば、いよいよ「聖域」!
二荒山神社 10
神前へ出る前に、手水舎でお清め♪
背後に日光連山が控え、市域を鬼怒川(きぬがわ)を始めとする
数多の河川が貫く。
そんな立地から豊かな水が湧き出る「水の町」でもある、宇都宮。

手水を守る龍の口からは、清らかな水が絶えることなく湧き出しています。
二荒山神社 12
手水舎の反対側に建つ神楽殿(かぐらでん)は、
神々に舞踊を奉納する重要な建物。

江戸時代中期に興った二荒山神社の神楽は毎年3回、
1月・5月・9月各月の28日に、40種類の面と
18種の踊りを用いて奉納されます。
二荒山神社 11
参拝客が御祭神(豊城入彦命他)に祈りを捧げる拝殿
明治10(1877)年に再建された入母屋造(いりもやづくり)の建物で、
奥に在る本殿との間に相の間が構えられているのが、特徴的。

実はここ宇都宮二荒山神社の建造物は、
いずれも明治以降の再建

宇都宮の町が幕末の戦火に晒されたのは
前回記事でも触れた通りですが、その兵火はここ二荒山神社にも及び、
当時人々の崇敬を集めていた建造物群は敢え無く焼失
大切に守り継がれて来た社宝も、その多くが失われてしまいました。

しかしながら宇都宮の人々、当時の神職の方々の尽力と努力の甲斐あって
社殿および社地は明治時代前期~大正期に掛けて復興され、
街の誇りである「明神さま」とその信仰は、大切に受け継がれています。
二荒山神社 11.5
拝殿の奥、に囲まれるように佇む本殿
明治10(1877)年の再建で、戊辰戦争による被災以前は
拝殿同様の「入母屋造」でしたが、再建後は伊勢神宮と同様の
神明造(しんめいづくり)に改められています。

外周を囲む勾欄(こうらん)に取り付けられた擬宝珠(ぎぼし)は
幕末の戦災に焼け残った江戸時代からの遺物で、
宇都宮氏と北条氏との戦いで焼けた社殿を慶長10(1605)年に
当時の宇都宮城主・奥平家昌(おくだいら いえまさ)公が再建した際、
家昌公の祖父に当たる「神君」・徳川家康公より寄贈されたもの。

歴史的・文化的に重要な価値を持つ遺物として、
擬宝珠は宇都宮市指定文化財として
丁重に扱われています。
(贈った主の名を思うと、もっと価値が付けられてもいい気がする)
二荒山神社 13
本殿西側に小さな祠が構えられた末社・女体宮(にょたいぐう)
生産・出産・女性の諸願成就にご利益が有る、女性の味方
御祭神は「国譲り」の神・大物主命(おおものぬしのみこと、もしくは大国主命)の
妻に当たる、三穂津姫命(みほつひめのみこと)

高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の薦めでその娘である
三穂津姫命を大物主が娶ったという逸話から、
縁談・安産にもご利益有りとのこと。
二荒山神社 14
こちらも末社、豊穣・商売の女神、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀る
初辰稲荷神社


「お稲荷さん」の例に漏れず、朱色の鳥居が連なります。
この短い参道の脇に在るのが・・・
二荒山神社 15
名水・明神の井(みょうじんのい)
人口50万を超える都市でありながら、豊かな河川湧水に恵まれた
水の郷」でもある宇都宮。
江戸時代、この地に暮らした人々は7カ所の湧水を選んだ七水の他、
七木八河原をそれぞれ選んで土地の自慢たる名所としていました。

この明神の井もそんな宇都宮名所・七水の一つで、
明治天皇がこの地に行幸なされた際には、
ここから汲み上げた水を茶湯として使われた
伝わります。

現在でもこの井戸から清らかな水が溢れ出ており、
飲料水として、また書道上達の助けとして、地元の人たちに
珍重されているそうな。

町の護り、また国(県)の護りとして、変わりゆく宇都宮を見守り続ける
宇都宮二荒山神社。
臼ヶ峰の森清らかな水が、
今日も優しく、温かく人々を迎え入れてくれることでしょう。

さて、ひと月ほど掛けてまとめて来た「栃木編」も、今回で区切り。
次回からはいよいよ近況をまとめて参ります!
これまた「神社ネタ」とはなりますが、
埼玉移住後一番に訪れようと思っていた「武蔵国一之宮」・
氷川神社(ひかわじんじゃ)へ!

まずはそこへ至る参道と、その周囲に点在する
「寄り道スポット」の様子をお届けします。
それでは!
二荒山神社 16
参拝を済ませた後は、商店街で・・・
二荒山神社 17

二荒山神社 18

二荒山神社 19

二荒山神社 20
食べ歩き♪

参考:宇都宮二荒山神社 公式ホームページ
    wikipedia

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。