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氷川神社 ~静かなる「一宮」を歩く~

長く続くコロナ禍の中、日本列島は連日命の危機レベル
危険な暑さが続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

私は綱渡りのような都心との往復の日々(「不要不急」の外出を控えよ、
という方ももちろんいらっしゃるでしょうが、こちらも「仕事」ですので
何卒ご容赦ください)の中、幸いコロナにも熱中症にも罹る事無く
「夏休み」を過ごしております。

さて、前回は埼玉県さいたま市・大宮に在ります氷川神社を目指して
およそ2kmの「氷川参道」を歩いて来た訳ですが、
今回はその続き。
並木道が続く参道を歩き切り、
いよいよ目的の氷川神社境内へと入って参ります!
氷川神社参道 24
氷川参道の「終点」となる、三の鳥居
「表の世界」である参道と「聖域」となる神社境内を仕切る
境界ともなる、重要な役割を持つ建造物。
ここを潜れば、いよいよ氷川神社の敷地内!
氷川神社 1
氷川神社の創建は今からおよそ二千年余り前、
皇統第五代・孝昭天皇(こうしょうてんのう)の頃とされています。
以来皇室や武家の崇敬篤く、
古くは伝説的な武人・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が
東夷(とうい、関東含む東国の人々を指した呼称)鎮定の祈願に立ち寄り、
成務天皇(せいむてんのう、皇統第13代)の御代には
武蔵国造(くにのみやつこ、武蔵国、すなわち埼玉県・東京都・神奈川県東部を
統治した政務官)に任じられた出雲出身の兄多毛比命(えたもひのみこと)が
氷川神社を奉崇し、善政を敷きました。

皇室では奈良時代に聖武天皇(しょうむてんのう)の御代に
氷川神社が武蔵国一宮に定められ、
平安時代、醍醐天皇(だいごてんのう)の御代には
名神大社(みょうじんたいしゃ、律令制下に於いて名神祭の
対象となる社。いずれも官幣大社・国幣大社として高位の社格が
与えられた)に列せられ、皇室による官幣・奉幣に与りました。

武家政権となってからは歴代将軍家の崇敬を集め、
手厚い保護の下社殿の造営・社領の寄進・
祭祀の催行が進められました。

近代以降も天皇家との関りは深く、明治天皇の御代に
氷川神社を武蔵国の鎮守・勅祭の社、のち官幣大社
お定めになられた他、明治元(1868)年を始めとして
三度行幸、自ら祭儀を執り行われました。

以後も歴代の天皇陛下が御参拝される等、
旧武蔵国の鎮守の社としての格と歴史を保ち続けています。

御祭神は高天原(たかまがはら)きっての武人・須佐之男命(スサノオノミコト)、
その妻に当たる稲田姫命(イナダヒメノミコト)、
国造りの神・大己貴命(オオナムチノミコト、
大国主命、大黒天など異名多数)の三柱。
氷川神社 2
境内に入ったところで、有るものを発見。
三の鳥居を潜ってスグの左手に見えて来るのは、戦艦武蔵の碑

戦艦武蔵は大和型戦艦の二番艦で、
基準排水量65,000t、満載排水量72,809t(いずれも完成時)、
全長263m、全幅約40m、
12基の蒸気タービン機関で150,000馬力の出力と27.5ノット(公試時)の速力を発揮した、
史上最大の戦艦

その最大の特徴は、3連装主砲塔3基・合計9門搭載された、
軍艦史上最大となる45口径46センチ主砲

仮想敵となるアメリカ海軍の戦艦がパナマ運河航行のため
船体の大きさが制限され、主砲のサイズも制約を受ける(40cm)ことに注目した
海軍首脳は、その射程外から先制攻撃を掛けてダメージを与えた後、
命中率の高まる有効射程(20,000m程度)まで接近して大火力による
致命傷を与えるという、アウトレンジ戦法を企図。

その要求を満たすべく開発された主砲は、
仮想敵艦を上回る最大射程42,000m(42キロメートル)、
飛翔する弾丸が成層圏へと到達するほどの長射程を獲得。
発射時の爆風は、
甲板のどこにいても人体に致命傷を与える
レベルだったそう。(恐ろしい・・・)

昭和13(1938)年に三菱重工長崎造船所で起工された「武蔵」は
数々の技術的困難や仕様変更を乗り越え、厳重かつ徹底した情報統制の下
昭和15(1940)年に進水

昭和17(1942)年8月、広島県呉軍港にて竣工の日を迎えました。
完成に当たって命名元である「武蔵国」の一之宮である氷川神社から
神職6名が出向し、神式に則った儀礼が執り行われました。

また就役の際、日本海軍の慣例である「艦内神社」として
氷川神社より御祭神が分祀され、武蔵神社と命名。
艦の「守り神」として艦長室・長官室付近に奉祀されました。

こうして就役の時を迎えた「武蔵」は、
大戦中には連合艦隊旗艦の大任を受ける等、
一番艦「大和」とともに日本海軍のシンボルとして君臨。
昭和18(1943)年の内地(日本本土)回航時には、
昭和天皇行幸の栄誉も受けています。
(もっとも表向きは大和型戦艦の存在は秘匿されており、当時の日本国民にとっての
「海の護り」は、二隻の長門型戦艦(長門・陸奥)が担っていたようです)

しかしながら海軍首脳部の「主力戦艦群は戦線後方にて温存し、
艦隊決戦に於いてその戦闘力を発揮させるべし」という運用思想と、
「多大な燃料を消費する大和型戦艦を度々出撃させることは難しい」という
懐事情から、大和共々トラック島(現ミクロネシア)の停泊地から動くことは少なく、
他艦乗組員からは「大和ホテル」と並び武蔵旅館
陰口を叩かれることもあったそう。

そんな「武蔵」に運命の時が訪れたのは、昭和19(1944)年10月。
フィリピン奪回を図るアメリカ軍に対し、それを阻止せんとする日本海軍は、
残る戦闘艦を総動員して敵艦隊を迎え撃つ
捷一号作戦(しょういちごうさくせん)を発動。

「武蔵」も「大和」を始めとする主力艦艇とともに出撃し、
フィリピン・レイテ湾沖を目指します。
10月24日、敵機動部隊より多数の爆撃機・雷撃機が来襲。
以後断続的に5度、5時間にも及ぶ米軍機からの攻撃を受けた
「武蔵」は、多数の爆弾・魚雷を被弾。

船体の傾斜と艦首が海面下に浸かるほどの沈下を起こしながらも
前進と復旧作業に努めていた「武蔵」でしたが、
19時35分、猪口敏平(いのぐち としひら)艦長以下、
1140名(前日23日に米潜水艦の雷撃により沈没した、
重巡洋艦摩耶(まや)から収容した者も含む)の乗組員とともに
「武蔵」はシブヤン海の底へと消えました。

この石碑は「戦艦武蔵」が米マイクロソフト社の創業者、
ポール・アレン氏率いる調査チームによって
船体が発見された平成27(2015)年、
「史上最大の戦艦」として君臨した「武蔵」を顕彰し、
ゆかりの地であるここ氷川神社に建立されたもの。

墓標という訳ではありませんが、今なおフィリピン沖に沈む「武蔵」と、
ともに眠る英霊たちを想い、合掌。
氷川神社 3
「戦艦武蔵の碑」の隣に佇むこちらの石は、さざれ石
日本国民なら大多数の人がそらんじる事が出来るであろう日本国歌、
それに謳われている「さざれ石」が、まさにコレ。

その正体は石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)という岩石で、
地下に浸透して石灰分を含んだ雨水が、粘着力を持った乳状体となって
周囲の小石を集積。
やがて地上に出て「千代・八千代」の歳月の末に
苔むした小石の集合体になった姿。

この「さざれ石」は国歌発祥の地と云われる
岐阜県揖斐郡春日村(現揖斐川町 いびがわちょう)より産出されたもので、
まさに国歌の如き風情を醸し出しています。
氷川神社 4
周囲の緑に映える赤い橋を渡り、中枢部へと向かいます。
氷川神社 5
橋が架かっているのは、満々と水を湛えた神池
氷川神社 6
参拝前にお浄め・・・と思ったら、新型コロナウイルス対策の為か
手水鉢は封鎖中
パイプからちょろちょろと流れ出る水を手ですくい、
なんとかお浄め完了。
氷川神社 7
神前へ参る前に参拝客が潜るのは、煌びやかな装飾と
深紅の装いが目にも鮮やかな、楼門
この下を抜ければ・・・
氷川神社 9
三柱の神々を拝む、拝殿に到着!
この地と縁を結べたことに感謝し、また武蔵国の平穏安寧を祈って、
二礼二拍手一礼!
氷川神社 10
拝殿と楼門の間、御祭神に対するように建てられた、舞殿

2月3日の「節分祭」、4月初めの「鎮花祭」、8月1日の「礼祭」等、
重要な祭典に用いられる建物。
氷川神社 8
楼門から拝殿までをぐるりと取り囲む回廊
列柱や天井部分の、壁面の白、格子窓のといった色彩、
吊り下げられた灯籠を含めた造形美が光ります♪

参拝を済ませた後は、境内探検を兼ねて摂末社(の一部)参り。
氷川神社 11
まずは一面のに包まれた神池
氷川神社 12
その神池に浮かぶ小島に、鳥居が建てられています。
ここを潜った先に御座しますのが・・・
氷川神社 13
宗像神社(むなかたじんじゃ)
旅好きの方、もしくは私と故郷(くに)を同じくする方には、
ピンと来る人もいらっしゃるかと思います。

福岡県宗像市の陸に在る辺津宮筑前大島に祀られた中津宮
さらに沖合に浮かぶ沖ノ島に在り、女人禁制、年に一度の大祭でしか
人の立ち入りを赦さない沖津宮から成り、
「「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」として世界文化遺産にも
登録されている、宗像大社からの分祀。

祀られているのは氷川神社の御祭神・須佐之男命の
御子神に当たり、宗像三女神(むなかたさんじょしん)と
称される姉妹神、
多起理比売命(タギリヒメノミコト、沖津宮の御祭神)、
市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト、中津宮の御祭神)、
田寸津比売命(タギツヒメノミコト、辺津宮の御祭神)の三柱の神。

このうち多起理比売命は、スサノオと同じく氷川神社の御祭神の一柱である
大己貴命とは夫婦神の間柄であり、
神仏習合から「七福神」の一柱・弁財天(弁天さま)としても
知られています。(あるいはこの「異名」の方が有名かも?)
氷川神社 14

氷川神社 15
神池周辺では、人工物の赤い橋が、見事なコントラストを見せてくれます♪
氷川神社 16
池から突き出た岩場の上には、の置物。
亀は風水で運気上昇のアイテムとして珍重され、
甲羅に邪気を吸い込むと信じられてきたことから、
魔除け厄除けに効能ありとされていたそうな。
氷川神社 17
大きな神社では境内社として定番、連なる朱の鳥居が特徴的な、
稲荷神社
氷川神社 18
御祭神は「お稲荷様」でお馴染み、
五穀豊穣の神・倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)
氷川神社 19
社殿の周りには、「神の使い」である狐がいっぱい!

広大な敷地に極彩色の建築物と豊かな自然が同居し、
多数の摂末社が取り巻く「一宮」・氷川神社。
「埼玉移住後最初の散策場所に!」と決めていた聖地は、
期待通り、いや、期待を越えたすばらしい場所でありました。
(コロナ禍の下ではありますが)今後の埼玉暮らし、県内各所の散策に、期待大!!

次回は・・・
県内散策に出掛けるか、コロナ拡大前に訪れた東京の名所を取り上げようか、
目下思案中。
それでは!
氷川神社 20
二の鳥居の近く、「学問の神様」・菅原道真(すがわらの みちざね)公が
祀られた、菅原神社(これも氷川神社の末社)に詣でて
引き上げ。文、歌・・・各種技芸の上達を願いまして!

参考:境内説明書き
    Wikipedia
    武蔵一宮 氷川神社 公式ホームページ

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。