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栗橋地区1 ~歴史の眠る町を歩いて~

災害とコロナに見舞われたが過ぎ
(後者に関しては、いまだ終息の気配が見えてはいませんが)、
残暑居座るがやって参りました。

西日本を中心として豪雨や災害に見舞われた地域の
一刻も早い復興を祈るとともに、
政権交代を通してこの国の明日、向かう未来に思いを馳せる
今日この頃でございます。

「コロナ禍」の経過観察や詰め詰めの予定もあって、
思うようなお出掛けが出来ないまま過ぎ去ってしまった、夏休み
実感の湧かない「ロングバケーション」が終わってから少し経った
先月末、「撮り鉄」ついでに埼玉県の北東端に位置する、
久喜市栗橋地区を訪ねて参りました!

古くより交通の要衝として重視され、
江戸時代には奥州(東北地方)や日光へと向かう交通路を押さえる
関所(栗橋関所)が置かれ、宿場町としても栄えた、
歴史ある町を歩きます♪

8.30 Sunday
関東を代表する私鉄・東武鉄道と、旅行会社大手・クラブツーリズムによる
共同企画・東武鉄道をほぼ1日満喫する旅
第2日目が催行されたこの日、
午前中をほぼ丸ごと団体貸し切りとなった列車や
東武鉄道の車両の撮影に明け暮れた私。
(残念ながら乗客として体験することは叶わず)

ひと段落となり、夕方に予約を入れていたボイストレーニングまでに
何をしようか?となったところ、
「そうだ、栗橋へ行こう!」という完全な思い付き
寄り道を決定。
栗橋 1
「撮影スポット」の最寄りとなる東武鉄道柳生駅(やぎゅうえき)から
普通列車に揺られること10分ほどで・・・
栗橋 2
栗橋駅に到着!
明治18(1885)年、日本鉄道(現JR東北本線)
大宮駅宇都宮駅間の開業と同時に営業を開始した、歴史ある駅。

明治39(1906)年に国有化され日本国有鉄道(国鉄)の
所有駅となった後、
昭和4(1929)年には日光方面へのアクセスを争う東武鉄道の駅が開業。

以後今日に至るまでJR東日本東武鉄道という、
首都圏を代表し、ライバル関係にある
(の割に特急列車の相互直通運転を行っていたりする)鉄道会社2社が接続。
両社が駅舎を共有(ただしホームと改札は別)する共同使用駅となっています。
(の割に、優等列車は停まらなかったりする)
栗橋 3
現在に至る栗橋の町の礎が築かれたのは、江戸時代初めのこと。
当時「栗橋村」と呼ばれる集落は下総国(現在の茨城県)に在りましたが、
江戸幕府によって進められた、
河道付け替えを伴う利根川の大規模な河川改修
(利根川の瀬替え)に起因した水害によって、元の栗橋村は壊滅

行き場を失った住民たちは、移転先として「上河辺新田」と呼ばれていた
この地に着目。
関東代官・伊奈忠次(いな ただつぐ)指揮の下日光街道沿いに整備された
新たな「栗橋」の町に有力者を含む「旧栗橋村」の住民たちが移り住み、
町の歴史が始まりました。

寛永元(1624)年には「五街道」の一つである日光街道の通行の統制と
治安維持を目的として、栗橋関所(正式名を房川渡中田関所と称する)が
設置され、合わせて隣接する栗橋集落が栗橋宿として
整備されることとなりました。

明治初期に役目を終えた関所は廃止されてしまいましたが、
国内屈指の大河・利根川に面し、
主要な道路や鉄道路線が交差する交通の要衝として、
変わらぬ発展を続けています。

上写真に写っているのは、栗橋駅入口付近に掲げられた
かつての栗橋宿を描いた絵図の写し
右下に栗橋関所や利根川の流れが、
中央付近に日光街道とその両側に広がる宿場町が描かれています。

利根川に突き出た関所を護るための設備、土出しにも注目。
栗橋 4
実はここ栗橋は、歴史上の人物ゆかりの地でもあります。
それが平安末期の源平合戦
(げんぺいかっせん、正式には治承・寿永の乱と称す)の英雄にして、
骨肉の争いに敗れた悲劇の主人公・源義経(みなもとの よしつね)の妻、
静御前(しずかごぜん)

この地は夫を失った悲しみに暮れた静御前が亡くなった場所であり、
栗橋駅からほど近い場所には彼女を葬ったも残されています。
(詳細は後ほど)
栗橋 5
栗橋駅のコンコースには、
源義経が静御前をお姫様抱っこした状態をイメージした
パネルが設置されています。

「イケメン」のイメージに反したシブい顔立ちの義経公と、
お姫様抱っこという謎の構図がツッコミどころか。
栗橋 6
駅前の通りには、昭和チックな商店街が広がります。
居酒屋チェーン店やオシャレなカフェが頑張ってはいるものの、
コロナ禍の影響か、はたまた地方の商店街の悲しき宿命か、
見事にシャッター街と化してしまっています。

そんな商店街の傍らに現れるのが・・・
栗橋 7
静御前の墓

静御前は仁安3(1168)年の生まれ。
母は舞の名手として知られた白拍子※、磯禅師(いそのぜんじ)
その一人娘として生を享けた彼女もまた、
母の手ほどきを受けて白拍子として育てられて行きます。

そんな静御前の声望を高めることとなったのが、
治承元(1182)年に京の都・神泉苑(しんせんえん)にて開かれた舞。
源氏と平氏が武家の頂点を争った治承・寿永の乱の最中、
全国的な飢饉・干ばつが発生。

食糧不足をもたらす天災は三年以上にも及び、
人々は困窮の極みに達していました。
そこで時の朝政(院政)を取り仕切る後白河法皇
(ごしらかわほうおう。説明書では「後鳥羽上皇」と記載されていましたが、
後年の人物であり、後白河法皇と混同したための誤記と思われます)は、
神泉苑※2に選りすぐった舞姫百名を集め、
雨乞いの舞を舞わせることとしました。

そのトリとして登場したのが、当時弱冠15才の静御前。
晴天下で彼女が舞い始めたところ、空がにわかに掻き曇り、
大量の雨が降り始めました。
その雨は大いに大地を潤し、3日3晩も降り続いたという。
(お天道様の心意気にしても、張り切りすぎである)

この静の才気を大いに褒め称えた後鳥羽・・・ではなく後白河法皇は、
褒美として錦で出来た蝦蟇龍(がまりゅう)の舞衣(まいぎぬ)を
下賜されました。
(この時静御前が賜った舞衣は、お隣・茨城県古河市の
光了寺(こうりょうじ)に保存されているそう)

経緯は不明ながら、同じ時期に源平合戦の英雄・源義経(みなもとの よしつね)と
出会った静。
お互い惹かれ合うところがあったのでしょう。
義経公の側室としての迎えられ、その寵愛を受けることとなります。

しかし幸せな日々は長く続かず、
兄・頼朝との権力争いに敗れた義経は家来とともに都を脱し、
かつての庇護者・奥州藤原氏を頼るべく東国を目指すことに。

この旅に静御前も同行しますが、義経が彼女の身を案じたこと、
また女人禁制の吉野山を越えることが赦されなかったことから、
二人は離別
間もなく静御前は義経一行を捜索していた頼朝方の追っ手に
捕らえられてしまいます。

こうして敵地・鎌倉へと連行された静御前は、
頼朝の妻・北条政子(ほうじょう まさこ)の願いで、
武家の守り神である鶴岡八幡宮にて舞を舞うことに。

この時静御前は頼朝夫妻の面前であるにも関わらず、
義経を恋慕する歌を歌ったため、頼朝は当然激怒
しかし愛する人を想う心に共感した政子の取り成しで、
事無きを得たという逸話が残されています。

一度は頼朝に赦され、京へと戻された静。
それでも義経との再会を望む彼女は奥州藤原氏の本拠地・平泉を目指して
旅立ちますが、途上の下総国(しもうさのくに)下辺見(しもへんみ、現在の古河市)付近に
差し掛かったところで義経敗死の報を受け取ります。

訃報の中で京へと戻り、仏門に入って亡き夫の菩提を弔おうとした
静御前でしたが、最愛の人との離別と死別から来る悲しみ、
長旅の疲れからか病に倒れ、
文治5(1189)年9月15日、ここ栗橋の地で死去したと伝わります。
(記録では「生没年不詳」とありますが、この説明書の記載通りだと、
享年21。余りにも短い生涯です 泣)

現在墓が建っているのは、高柳寺(こうりゅうじ)という寺の跡。
(現在は移転し、別の場所に位置しているようです)
侍女・琴柱(ことじ)が建てたと伝わる墓は墓標も無い
有様でしたが、
これを哀れんだ江戸時代の関東郡代
(かんとうぐんだい、関東の幕府直轄領の管理を請け負った役職)・
中川忠英(なかがわ ただひで)が
「静女之墳(しずじょのはか)」と刻まれた墓碑を建てた、とされています。

※1 白拍子・・・平安末期から室町時代に掛けて行われた歌舞、
およびその歌舞を演じた女性。
立烏帽子(たちえぼし)に水干(すいかん)という男装で舞ったことから
男舞(おとこまい)とも呼ばれた。

※2 神泉苑・・・平安京造営の際、天皇の住まいである大内裏(だいだいり)に接して
築かれた、天皇の遊興のために設けられた庭園。
弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)が善女竜王(ぜんにょりゅうおう、仏教の守護神)を
祀って以降、雨乞いの修法の場ともなった。
現在は京都市中京区に規模を縮小した苑の一部が、寺院として現存する。

いささか語り過ぎました。これも一種の判官びいきでしょうか?
(義経公の関係者の物語だけに 笑)
栗橋 8
こちらが静御前を弔い建てられたという墓標
説明書通り、「静女之墳」の文字が刻まれています。
ただ、江戸時代に造られたものにしては、いささか新しいような・・・?
(後年建て直されたのか、それとも地元の方々の手入れの賜物か)

墓標の後背には歌舞を演じる静御前の姿が、
その左右には静御前が詠んだと伝わる歌などが
故人を偲んで建てられています。
栗橋 10
「静女之墳」の傍に建つ、二つの碑。

左に在るのが義経招魂碑
静御前最愛の人・源義経の魂を招いた碑。
現在「義経公の墓」とされる場所は二つ在り、
宮城県栗原市の判官森(はんがんもり)に胴体が、
神奈川県藤沢市の白旗神社に首がそれぞれ埋葬され、
大切に祀られています。

一方右手に建てられているのは、静女所生御曹司供養塔
実は鎌倉での囚われの日々の最中、静御前は義経の子を出産
二人の「愛の結晶」として大切に育てられるかと思いきや、
その子が男児であったことが、大きな問題に。

義経公の兄であり政敵となってしまった、源頼朝
彼には平治の乱に敗れて宿敵・平清盛(たいらの きよもり)に捕らえられたものの、
若年であったこと、清盛の継母・池禅尼(いけのぜんに)の除名嘆願もあって
死罪を免れ、のち平氏打倒へと至った過去があり、
同じ轍を踏むことを恐れた頼朝の命により、
生まれたばかりの子供は由比ヶ浜に沈められてしまいました。

歴史の流れに翻弄されて散っていった、3つの命。
平和な世となった今、こうして並んで弔われています。
栗橋 9
敷地内に並ぶ碑文の一つ。
「舞う蝶の 果てや夢みる 塚の蔭」と書かれた歌碑は、
江戸時代の歌人・坐泉(ざせん)の作を、
村人が石碑として建てたもの。(にしては新し・・・略)

静御前を「舞う蝶」に、義経公との日々や再会への想いを
「夢」とした歌からは、作者・坐泉の先人に対する敬意と
思慕の念を感じます。
栗橋 11
歌碑を覆うように広がるのは、静桜(しずかざくら)という桜の木

その名の由来は静御前が義経公を追っての道すがら、
平泉よりの訃報に接した彼女が、
菩提を弔うために一本の桜の木を植えたことが起こりとされています。

その特徴は、五枚の花弁の中に旗弁という、
おしべが花びらのように変化した特殊なものが混ざっていること。
春ともなれば静御前のような美しくも儚い花を、
視界いっぱいに咲かせてくれることでしょう。

改めて栗橋の町を散策。
栗橋 12
続いて見付けた、というよりグーグルマップ先生に載っていた、
旧栗橋駅舎

昭和26(1950)年の駅移転から国鉄分割民営化を経て、
平成12(2000)年の現駅舎開業まで利用された2代目駅舎
(と思われます)
国鉄時代と町の発展を知る貴重な「鉄道遺産」のハズですが、
ご覧のとおりボロボロ

折角残っているのだから、大切に保存・整備すればいいのに。
久喜市や栗橋の皆さん、いかがでしょうか?
栗橋 13
歴史感じる町・栗橋には、こんなものも。
栗橋 14
駅からしばらく歩いて、かつてのメインストリート・日光街道へと
出て参りました。
ちょうどこの辺りが、かつての栗橋宿に当たる場所。

江戸時代の初め、水害によって大きな被害を受けた人々が
この地に移り住んで来たのは、先にも述べた通り。
当初は「元栗橋」の有力者、池田氏と並木氏を始めとする56名が
日光街道の東西に分かれて居住し、
のち栗橋関所の整備に合わせて宿場町として発展。

江戸・日本橋から幕府の開祖・徳川家康(とくがわ いえやす)公が眠る
日光を結ぶ参詣道路・日光街道7番目の宿場町として、
大いに賑わいました。
集落内には大名(この場合は幕府関係者も?)が寝泊まりする
本陣も置かれ、池田氏が代々職務を司っていたようです。
栗橋 15
道幅は車社会に合わせて拡張され、少し様相を異にしていますが、
微かに宿場町の面影を残す通り沿いには・・・
栗橋 16
立派な土蔵造りの建物も!
栗橋 17
栗橋宿跡の一角、利根川の巨大な築堤を背にして佇む、
栗橋関所址の碑。

江戸時代、交通統制と治安維持を目的として、
国境や険路の途上、大河川を越える要地に関所を設け、
「入り鉄砲に出女」の言葉に象徴されるように
通行人への厳しい監視・取り締まり体制を築いていた、江戸幕府。
栗橋 18
当時の栗橋関所の、再現模型。

栗橋関所は対岸の下総国(現在の茨城県)中田と合わせて正式名を
房川渡中田関所(ぼうせんわたしなかだせきしょ)と言い、
寛永元(1624)年の設置から明治2(1869)年の廃止まで、
245年続きました。

この碑は大正13(1924)年に地元有志の発案の下、
徳川16代宗家・徳川家達(とくがわ いえさと)の書によって
建てられたもので、(この碑は年季が感じられる・・・)
利根川堤防が改修される度に移転を繰り返し、
現在は家屋や神社等の移転を伴う利根川堤防強化対策事業
一環として、この場所に仮移転されています。

まだまだ「栗橋町巡り」は続きますが、今回はここまで。
次回は栗橋散策パート2!
鎮守の社としてこの地を護り続けてきた「八坂神社」を訪ね、
雄大な景色を望める利根川の築堤に上ります。
それでは!

この日「撮り鉄」した列車たちは、コチラ!

参考:各所説明書
    コトバンク
    wikipedia

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。