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川越歴史散歩1 ~関東屈指の古刹・喜多院~

4日に亘ったリフレッシュ期間・シルバーウイークも終わり、
秋の足音、季節の移り変わりとともに
来たる2021年が確実に近づきつつあることを感じます。

世間では「go to キャンペーン」を始めとした観光・誘客の試みや
夏休みも続いた「自粛」の動きの反動もあり、
シルバーウイーク中各地の観光地・観光スポットは大層な賑わいとなったようです。

そのような状況下では「三密の回避」という予防対策は
難しいかと思いますが、マスクの着用咳エチケットの遵守
手洗い・うがいの励行といった行動を心掛け、
少しでも安全・安心な生活が送れるよう、気を付けて行きたいものです。

さて、こうして最新記事を綴っている真っ最中の私も
折角の連休、一つお出掛けなどと思いまして、
江戸の風情を留める伝統的な建造物群が残り、
「小江戸」と称される観光都市・川越市へと行って参りました!

ただし有名な「蔵づくりの町並み」周辺はシルバーウイーク
人出もあってエグいことになっているのが
容易に予想出来たため、今回は少し狙いをズラしまして、
歴史散歩をテーマに徳川将軍家とも密接な関わりを持っていた
古刹・喜多院(きたいん)、
川越藩17万石の姿を伝える川越城址を巡り、
その様子を皆さまにお届けしようと思います。
それでは、「川越歴史散歩」に、いざ出発!

さいたま市近郊のとある駅から電車に揺られ、やって参りました・・・
喜多院 1
川越市!
埼玉県中部のやや南寄り、広大肥沃な武蔵野台地の東北端に
位置する街で、約109.13㎢の市域におよそ16万1,700世帯、
35万人が居住する、埼玉県第3位の都市。

名産品はサツマイモで、それを用いた菓子作りも盛ん。
その他和菓子や川越茶、ウナギ、うどん、
B級グルメの川越太麺焼きそば等の多彩な食文化が花開く
グルメの街であり、
蔵造りの町並み広がる「川越一番街」、
「大正浪漫通り」、「菓子屋横丁」といった風情溢れる街路、
「喜多院」や「氷川神社」、「川越城本丸御殿」といった町の発展と歴史を
今に伝える文化財など、観光資源溢れる素敵な街。

毎年10月に開催される氷川神社の祭礼、川越まつり
関東三大祭りの一つとして、川越には欠かせない風物詩。

そんな川越の歴史をざっとまとめて参りますと、
古代より交通の要衝として位置づけられていた川越に
初めに居館を構えたのは、
平安時代~鎌倉時代に活躍した武家・河越氏

中でも河越重頼(かわごえ しげより)は
源頼朝(みなもとの よりとも)の平家打倒に尽力。
(ただし源義経に娘を嫁がせていたことから、
最後は頼朝によって長子ともども誅殺された)
その息子である重時(しげとき)・重員(しげかず)兄弟は
「承久の乱」や畠山重忠(はたけやま しげただ)討伐に加わるなど、
鎌倉幕府に於いて重要な役割を果たしました。

室町時代には武蔵国は鎌倉公方に仕える
扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)の統治するところとなり、
家宰※・太田道真(おおた どうしん)によって河越城が築城
(あくまで中世城郭であり、江戸期の城とは別物)され、
その子・道灌(どうかん、江戸城の築城主として知られる)の支えもあって
権力基盤を確立しました。

扇谷上杉氏の衰退・滅亡後は後北条氏が、
そして豊臣秀吉の「小田原攻め」の後は徳川家が関東を統治し、
江戸幕府が成立すると川越藩が立藩。

代々徳川家の一門にあたる親藩大名や重臣である譜代大名によって
治められた川越藩は、最盛期には(幕府直轄地を除いて)
武蔵国最大となる17万石の石高を計上。

寛永16(1639)年に藩主となった松平信綱(まつだいら のぶつな)※2の下で
城郭の拡張と城下町の整備を受けた川越の町は、
新河岸川(しんかしがわ)を利用した舟運や
川越街道によって江戸の町と繋がり、
物資の集積地として発展、
商人地を中心に賑わいを見せることとなりました。

明治になって廃藩置県が実行されると、川越は変遷を経ながら
明治9(1876)年に埼玉県に編入
同26(1893)年には中心市街地のほぼ全域を焼くほどの大火
見舞われながらも、現在まで残る蔵造りの町を整備するなどして復興。

大正11(1922)年に県下初の市制を施行し、
昭和30(1955)年には周辺自治体を吸収合併して現在の市域に。
平成15(2003)年には埼玉県初の中核市に移行し、
今日へと至っています。

※家宰・・・読みは「かさい」、主君に代わって家中の政治を取り仕切る役職。
強大な権力を有していたが故に、主君と対立することも度々あった

※松平信綱・・・幕府成立初期に老中を務めた人物。
徳川三代将軍家光(いえみつ)・四代家綱(いえつな)に仕え、
幕政を取り仕切った他「天草・島原の乱」や「由井正雪の乱」の鎮圧、
明暦の大火」の事後処理などに辣腕を揮った。
「知恵伊豆」の異名を持つ。(「伊豆」は官名の「伊豆守」から)
喜多院 2
伝統的な町並みが残ることから、「小江戸」の異名を持つ川越市。
散策をサポートする観光案内所も和の装い。
喜多院 3
JR東武鉄道が乗り入れ、休日ともなると多数の観光客で賑わう川越駅。

そのうちJR東日本が管轄する川越線(大宮~高麗川 こまがわ 間)は、
今年7月に開業80周年に到達!
所属車両への記念ヘッドマークの掲出、車内特別アナウンスの放送などの
記念企画が行われました。
喜多院 4
JR川越駅では、「小江戸」にちなんだ和様の装飾で
開業80年を祝福しています♪

シルバーウイーク真っただ中、
人でごった返した川越駅を出発し、町歩きへ!
最初の目的地までは、駅から歩いて20分ほど。
「グーグルマップ先生」の指示に従いながら商店街から住宅地へと抜け、
しばらく進むと・・・
喜多院 5
最初の目的地・喜多院(きたいん)に到着!
かつての川越藩17万石の城・川越城の近くに位置する
天台宗の寺院で、山号は星野山(せいやさん)

伝承によるとその始まりは奈良時代、
仙芳仙人(せんぽうせんにん)なる人物がその法力でもって
海水を干上がらせ
そこに尊像を建てた・・・そうなのですが、
公には平安時代の天長7(830)年、淳和天皇(じゅんなてんのう)の
勅願(勅命による祈願)を受けた
慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって
「無量寿寺(むりょうじゅじ)」として開創されました。
(まああまりにも突飛な話ゆえ、「仙人伝説」は創作の可能性が
極めて高いと思われます 笑)

鎌倉時代の建久2(1205)年、鎌倉幕府内の権力争いに起因した
兵火で堂宇が焼失
永仁4(1296)年、伏見天皇の勅願を受けた
尊海僧正(そんかいそうじょう)によって再興され、
慈恵大師良源(じえだいし りょうげん、
第18代天台座主、比叡山中興の祖として名高い)を祀り、
関東を代表する天台寺院となりました。

関東有数の名刹となった寺の名声を益々高めたのが、
第27世住職の天海僧正(てんかいそうじょう、慈眼大師)。
慶長4(1599)年に法統を継ぐと、
同16(1611)年、「大御所」として政治の実権を握っていた
徳川家康が川越に来訪。

天海僧正は家康公と親しく会話を交わし、
以後僧正は政教両面で徳川家による天下の統治を援け、
また将軍家の援助により寺勢はますます栄えました。
(この頃に寺名を「喜多院」と改めています)

こうして大いに隆盛を誇っていた喜多院でしたが、
寛永15(1638)年に起こり、町じゅうを焼いた川越大火
飛び火し、山門を除く堂宇をすべて焼失する事態となってしまいます。

そんな緊急事態に、天海僧正に恩義のある徳川将軍家の第三代・
徳川家光(とくがわ いえみつ)公は、
老中・堀田正盛(ほった まさもり)に命じて直ちに喜多院の再建に着手。

この際江戸城紅葉山に在った別殿を移築し、
客殿・書院・庫裏(くり)に充てた他、多くの現存建築物が再建され、
これらが今日まで文化財として大切に維持・管理されています。

上の写真に写っているのは、寺院の「表玄関」となる山門
四方に柱を配した四脚門(しきゃくもん)という形式で、
左右を切り落としたような「切妻造(きりきりづまづくり」、
屋根には瓦が葺かれています。

上部に表には龍と虎、裏に唐獅子の彫刻を施している他は
装飾性を抑えた堅実な造りですが、
川越大火」以前の寛永9(1632)年に建てられた、
境内最古の建築物
その歴史的・文化的価値から、他の建造物ともども
国の重要文化財に指定されています。
喜多院 6
山門に隣接して設けられた小さな建物は、番所(ばんしょ)

間口十尺(3.03メートル)、奥行二間半(4.55メートル)、
起屋根(むくりやね、上方に向かって凸状に湾曲している屋根)の上から
瓦が葺かれています。

本来こういった建物は通行人を監視し、
来訪者を検分する番人が詰めるための場所であり、
この「番所」が置かれているところに、
喜多院の重要性とかつての権勢を知るような思いがいたします。
喜多院 8
この場所を語る上で欠かせない人物が、
天海大僧正(てんかいだいそうじょう、1536~1543)
喜多院第27世住職を務め、尊号は南光坊(なんこうぼう)。

謎めいた前半生から明智光秀と同一人物ではないか?
という説がまことしやかに囁かれていますが、
会津高田(現・福島県会津美里町)で生まれ、
下野国(栃木県)宇都宮の粉河寺(こかわでら、廃寺)、
近江国(滋賀県)比叡山、園城寺(おんじょうじ)、大和国(奈良県)興福寺などで修業ののち
甲斐国(山梨県)の武田信玄、会津の蘆名盛氏(あしな もりうじ)といった
有力大名に招かれる等各地を転々とした末、
天正16(1588)年に無量寿寺北院(現・喜多院)に移り
天海を名乗った、とされています。

もっとも確実な足取りを記した資料が現存していないため、
やはり前半生は謎のままと実にロマンたっぷり

関東の支配者、のち天下人となった徳川家康
近侍するようになってからは、朝廷との交渉、織田信長によって焼き討ちに遭った
比叡山の再興、大坂の陣の発端となった「方広寺鐘銘事件」への関与、
家康公の神号(東照大権現)の決定など、江戸幕府草創期の
蔭のブレーンとして活躍。

108歳という驚異的な長寿を全うし、
死後朝廷より慈眼大師(じげんだいし)の称号を賜りました。

出自や関東に腰を落ち着けるまでの経歴、
生没年の真偽など何重もの秘密のベールに包まれた
「怪僧」とさえ呼べる人物ですが、彼が天下泰平の構築と
喜多院の発展に欠かせない存在であったのは疑いの余地なし

こうして顕彰されることは、至極当然のことと言えるでしょう。
喜多院 7
天海僧正を背にして建っているこちらの石碑は、
平成19(2007)年に天皇・皇后(現 上皇・上皇后両陛下)両陛下が
スウェーデン国王・女王陛下と共に行啓されたことを記念したもの。

4人の貴人も江戸→東京の基盤を家康公とともに築いた偉人の
姿を眺められたことでしょう。

それでは、喜多院境内へと参りましょう!
喜多院 9
まず目に付いたのが、こちらの多宝塔(たほうとう)
川越大火後、寛永15(1638)年に着工し、翌16年に完成。

元々は白山神社と日枝神社の間に建っていたそうですが、
明治45(1912)年に道路工事のため移築
その後昭和47(1972)年より復元工事が行われ、
同50(1975)年に現在地へと移されました。
喜多院 10
下層を方形、上層を円形とした同種の建築物で良く見受けられる技法で
構成されており、
その上から瓦葺き、方形造(ほうぎょうづくり、屋根の建築技法の一つで、
三角形を4つ組み合わせたような形となっている)の屋根を載せ、
頂部に相輪(仏塔の最上部に飾られる金具)を頂いています。

方下層は外周に廻縁を巡らし、
「出組」を用いた軒組物(のきくみもの、木造建築に於いて屋根を支えるために
柱の上部に設ける部材)に屋根を葺き、
その上に白漆喰で塗り固めた亀腹(二層目下部の白く丸まった部分)が
置かれています。

異なる形状の層が見事に調和し、
一つの建築物として組み上げられた様が、見事!
喜多院 10.5
屋根の裏側は、ご覧のように複雑に木材が組み合わされています。
重量バランス、構造、見た目・・・あらゆるところに気を配った、
「職人技」と言い得る技巧が光ります。
喜多院 11
手を浄める場となる手水舎(ちょうずや)ですが、
新型コロナウイルス対策の観点から共用物となるひしゃくは無し
龍の口から吐き出されるで、直接手を浄める形が採られています。
喜多院 12
広大な敷地のほぼ中央、こちらの立派な堂宇が
喜多院の本堂に当たる慈恵堂(じえどう)

比叡山延暦寺第18代座主・慈恵大師良源(じえだいし りょうげん)を
祀っており、大師堂潮音殿(ちょうおんでん)の別名を持っています。
喜多院 13
寛永16(1639)年、川越大火の翌年に再建され、
江戸初期の天台宗寺院本堂の建築技法を今に留めています。

桁行(たけゆき=横幅)9間(16.29メートル)、
梁間(はりま=奥行き)6間(10.86メートル)。
入母屋造で屋根は銅板葺き。

堂内中央に慈恵大師像、左右に不動明王をお祀りし、
毎日不動護摩供(ふどうごまく)※が修められている、
現役バリバリの仏堂。

※不動護摩供・・・密教の秘法の一つで、燃え盛る火の中に
供物を入れることで不動明王を供養し、
その加護を願う儀式。
喜多院では毎日2回(11:30、13:30)この護摩祈願を受けることが出来ます。

天井には多種多様な家紋が描かれており、
「全国の大名家と関わりが・・・?」などと思ってしまいますが
そんなことはなく
昭和46(1971)年から4年に亘って行われた解体修理の際、
寄進をされた檀信徒のものだそう。

また堂内に吊り下げられた古びた鐘は
境内堂宇よりも古い正安2(1300)年に鋳造されたもの(!)で、
重要文化財にも指定されている貴重な一品。
年に一度、除夜の鐘として世界平和と人々の安寧を願い撞かれるそう。

さて、始まりました、川越さんぽ!
時間の許す限り、カメラの電池が許す限り、
マイペースに、かつスローペースに進んで参ります。

次回は「小江戸の名刹」・喜多院に残る「本物の江戸」、
天下の江戸城からの移築建造物を取り上げます!
あの歴史上の人物たち、偉人たちとゆかりの有る
大変貴重な現存建築の姿を、可能な範囲でお届けします。
それでは!

参考:川越市公式ホームページ 川越市のプロフィール
    川越大師 喜多院 公式ホームページ
    wikipedia

Twitter:https://twitter.com/Nori86651955

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。