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岩槻散歩5 ~岩槻藩校 遷喬館~

ツイッターでの活動を本格始動してから、1ヶ月あまり。
このひと月ほどでフォロワーさんの数が増えるとともに、
ブログのアクセス数も急上昇!
今や「旅行」ジャンルでトップ20に入るほどとなりました!
(ありがとうございます!^-^)

改めてSNSの影響力を知るとともに、
皆さまへの感謝の気持ちでいっぱいです!

さて、先月27日の訪問と今月前半の着手以降、
少しずつ進めて参った「岩槻散歩」も、今回が最終回
「武士の子」・岩槻藩士たちの教育と養成を担った
教育施設・「遷喬館」を訪ねます。
デラックスロマンスカー 2
東武鉄道の保存車両・1720系「デラックスロマンスカー」を
車内外から堪能した私。
岩槻城址公園を離れ、住宅地へと進みます。
遷喬館 1
なんだか雰囲気のある通り、広小路も、
江戸時代の武家屋敷地の跡。

目的地へ向かう前に、ちょっと寄り道。
「広小路」と交わる「渋江小路(こちらも旧武家屋敷地)」の途上、
通りから少し入ったところに現れる・・・
遷喬館 2
時の鐘

江戸時代前期の寛文11(1671)年、
時の岩槻藩主・阿部正春(あべ まさはる)公の命によって
鋳造された、
岩槻城内や城下町に時を報せるための鐘。

現在の鐘は設置から50年ほど経った享保5(1720)年、
鐘にひびが入っているのが認められたため、
当時の城主・永井直信(ながい なおのぶ)公の命で
改鋳された際のもの。

嘉永6(1853)年に再建された鐘楼に護られながら、
朝夕6時と正午の一日三回、
江戸の昔より伝えられて来た音色を響かせています。
遷喬館 3
鐘本体は、竜頭(りゅうず)を含めた高さ151cm、
外径75cm、厚さは6cm。
往時は一日三回、江戸時代後期には十二回突かれた
時期もあったそう。
(今回はその音色を聴くことは叶いませんでした)
遷喬館 4
「時の鐘」を見た後は、これまた武家屋敷が並んでいた通り、
裏小路へ。
真っすぐに伸びた道の途上には、
「裏小路公園」や「さいたま市立岩槻図書館」、
「人形博物館」といった公共施設が建ち並ぶ他・・・
遷喬館 5
かつての武家屋敷と思しき、風情のある家屋が佇んでいます。

そんな「裏小路」の一角に在るのが・・・
遷喬館 6
岩槻藩校 遷喬館(せんきょうかん)
江戸時代に岩槻藩所有の公的教育施設として、
藩士の教育や育成を行った場所。
(つまり学校)

元は寛政11(1799)年に岩槻藩お抱えの学者・
児玉南柯(こだま なんか)が、
青少年の教育のために私的に設立した「家塾」。

文化2~8(1805~1811)年頃に公的施設の藩校となり、
最盛期には梅林を伴った広大な敷地に、
武芸稽古所、菅神廟(天神社、学問の神様・菅原道真を祀る祠)、
南柯の自宅・「梅亭」、
築山・池泉(ちせん)、周囲を見渡す展望台などが設けられ、
日々塾生たちが文武の鍛錬に勤しんでいたそう。

明治4(1871)年、廃藩置県によって廃校
一時は創設時のような「私塾」として使われたことも
有ったようですが、それ以後は一般住居となり、
改築・拡張等が行われました。

昭和14(1939)年、埼玉県の史跡として指定。
同30(1955)年に土地・建物が旧岩槻市に寄贈され、
改築部分の撤去を伴う大規模な修理の後に一般公開されました。
平成16~18(2004~2006)年には敷地の発掘や
部材の詳細調査を含めた解体復原工事が行われ、
教育機関として若人たちを育んだ、かつての姿を取り戻しています。

営業情報
開館時間・・・9:00~16:30
入館料・・・無料
休館日・・・毎週月曜日(休日をのぞく)
       休日の翌日(土・日・休日をのぞく)
       年末年始
遷喬館 7
現在残る「遷喬館」の施設は、学舎として使われていた建物。
内部は大小五つの部屋、庭に面して設けられた廊下、
その先の厠(トイレ)から成っています。

画像左手、「式台」(しきだい)と呼ばれる玄関が、
建物への出入り口。
ここ「遷喬館」でも、入館の際には各種感染症対策が取られています。
遷喬館 8
こちらが教育機関・「遷喬館」のメインとなる教場(きょうば)
十五畳と九畳、二間続きのこの空間が、
若き「侍見習い」たちと児玉南柯先生を始めとする教師たちが
向かい合った、教育の場。

ここ「遷喬館」の特徴として、あくまで教育施設としての利用を
想定した造りとなっており、
一般家屋に在るであろう炊事場や寝所といった
居住スペースが一切排されています
(もちろん今で言う「トイレ」はありますが)

家財道具なども無く「殺風景」とさえ言える情景ですが、
これも「教育施設」としての目的に沿うものだと思えば、
納得。
遷喬館 9
こちらが「遷喬館」創設の主・児玉南柯(こだま なんか)先生。
(延享3(1746)~文政13(1830)年)
江戸時代後期の教育者で、本名は「琮(そう)」。
通り名として知られる「南柯」は、
齢半ばを過ぎた頃から名乗った、儒学者としての名。

江戸時代後期、甲斐国(かいのくに、現在の山梨県)甲府で生まれ、
11歳の時に岩槻藩士・児玉家へと養子入り。
16歳で藩主・大岡忠喜(おおおか ただよし)に近侍する小姓となり、
殿様に仕える傍ら儒学や禅などの勉学・修行に励みます。

18歳の時に江戸藩邸勤めとなり、
藩の幼い後継ぎ・大岡忠要(おおおか ただとし)公の素読(そどく)相手
(すなわち「教育係」)を勤め、
その後は郡奉行(こおりぶぎょう)、御側用人(おそばようにん)、
御勝手向取締方(おかってむきとりしまりかた)など
藩の要職を歴任しました。
(これらの経歴から、南柯先生は岩槻藩の殿様や
若君からその博識を買われ、大きな信頼を受けていたことが窺えます)

43歳の時、部下が起こした不正の責任を取って辞職
公職を退いた後は藩主の侍読を勤める傍ら、
儒学の探求や藩士の教育に力を注ぎます。

そうした中で私塾として開校したのが、「遷喬館」。
ここで南柯先生は教鞭を執り、
幾人もの青少年を優秀な藩士として送り出して行きました。
文政13(1830)年、85歳で死去。
亡骸は「遷喬館」近くの浄安寺に葬られました。

上の写真は南柯先生82歳(!)の折に描いた自画像で、
併記された短歌からも、その壮健ぶりが窺えます。
遷喬館 10
ガラスケースに収められた、遷喬館の会約
この中に書かれた中国の書物・詩経(しきょう)の一節が、
「遷喬館」の名の由来。

「出自幽谷 遷于喬木」とあるのですが、その一文を引用した意は
「学問を欲し友を求める」ことを、
「鳥が明るい場所を求めて暗い谷から高い木に飛び遷(移)る」
姿に例えたもので、
「ここで学ぶ子供たちに、高い目標を持ってほしい」という、
南柯先生の願いが込められているとも言われています。
遷喬館 11
こちらは遷喬館に残されていた、典籍(てんせき、書物)
遷喬館では各地の教育機関同様、
江戸時代に武士階級に尊ばれた中国由来の思想・
儒教を中心に扱っていたようで、
「四書五経(ししょごきょう)」と呼ばれる代表的な経典、
「孝経(こうきょう)」や「春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)」といった
儒教と関わりのある書物、
司馬遷(しばせん)が記した歴史書・史記などが
教材として選ばれていたようです。
遷喬館 12
「教場」の手前に設けられているのは、教師控室として
使われていた座敷。

他の部屋と比べるとやや居住性を高めた造りとなっており、
壁に面して「床の間」も設けられています。
(通常外に面しているはずの「床の間」が、
玄関側に在るのがポイント!)
遷喬館 13
床の間には、児玉南柯先生の自画像を貼った
掛け軸が掛けられています。
遷喬館 14
室内から庭園を望む。

かつては見渡す限りの敷地に剣術を磨く武芸稽古場、
馬を走らせるための馬場、
弓術を鍛える射小屋(いごや、今でいう「弓道場」)などが
併設されていましたが、
明治維新後に旧士分の人たちに土地を分け与えたため、
狭隘な敷地しか残っていないそう。
遷喬館 15
庭に面した板敷きの奥に在る、(かわや)、
すなわちトイレ。

その中でも目を引くのが、右手に見える洋式便器
これは後年追加された、という訳ではなく、
職員さん曰く当初から設置されていたものだそう。

まだ西洋文化が浸透していなかった、江戸時代。
時の鐘とともに「岩槻に過ぎたるものが 二つあり」と謳われた
切れ者・南柯先生は、
優れた学者であると同時に、進取の思想を持った
人物だったのかも知れませんね。
遷喬館 16
遷喬館の屋根部分。
良く見ると二層構造となっているのですが、
これは外側を茅、内側を稲と、別々の材質で葺いているため。
(理由は・・・忘れました 笑)

また当初屋根の造りは両端を切り欠いた「切妻造り」だったそうですが、
新築から間もない頃にボヤが発生
一部の屋根が焼けてしまい、
修復時に四隅から中央へとせり上がる「寄棟造り」に
改修されているそう。
(屋外から見ると、外壁上部に焼け焦げたような跡が残されています)
遷喬館 17
「教場」の奥に在る細長いスペースは、納戸(なんど)

押し入れには布団や家財道具・・・ではなく、
授業に使う卓や椅子が収められていたのではないか、と職員さん。

もう少しじっくり見て回りたいところでしたが、
この日は用事を抱えていた私。
名残り惜しそうな(?)職員さんに別れを告げ・・・
遷喬館 19
岩槻駅へと戻って来ました。
東武アーバンパークラインに揺られ、大宮へと戻ります。

江戸時代の教育現場を今に伝える貴重な遺構、
「遷喬館」。
情熱と青春が駆け巡ったであろう建物には、
立派な武士たらんとする若人たちの努力と輝き、
彼らを見つめる南柯先生を始めとする教師たちの
温かな眼差しが織りなす息吹が感じられました。

次回からは茨城県・ひたちなか市への小旅行!
鉄道を満喫した二日間を、
全6回に分けてお届けする予定です。
お楽しみに!
遷喬館 18
「遷喬館」の土間に面した柱に残された、
刃物で切ったような痕。
ヤンチャな生徒たちが、「試し切り」でもしたのでしょうか?

参考:館内説明書き
    「遷喬館」パンフレット
    職員さんのお話♪

Twitter:https://twitter.com/Nori86651955
インスタグラム:https://t.co/vjjvOaZqEn?amp=1

コメント

勉強になります。

いつも幅広い内容楽しみに読ませて頂いています。
わたしには実際には縁のなかった地の事ばかりですが、まるで自分も旅に同行して一緒にカメラ越しに見ているかのような気分になります。
いつも勉強になるなぁと興味深く閲覧させて頂いている次第です。
これからも楽しみにしています。
コロナ禍の折ですがご自愛ください。

No title

やっきーさん

コメントありがとうございます。
返信が遅くなってしまい、申し訳ありません💦
いつもご覧頂き、ありがとうございます!
今後も楽しくご覧頂けるよう、
頑張ります!

貴方もお身体には、お気を付けくださいませ。

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。