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ひたち小旅行4 ~那珂湊を歩く~

茨城県ひたちなか市・那珂湊(なかみなと)

江戸時代より港町として、また河川を利用した
舟運の町として栄え、
水戸藩の藩政期には町屋や蔵が建ち並び、
水戸藩領で最も繁栄した町でした。

そんな町を「水戸黄門」で知られる徳川光圀(とくがわ みつくに)ら
歴代藩主もたびたび訪い、
幕末には時の藩主・徳川斉昭(とくがわ なりあき)の命で
大砲を鋳造するための反射炉が建造されるなど、
商業・軍事の面でとても重要な地位を占めていました。

しかし動乱の幕末期、元治甲子の乱と呼ばれる水戸藩の内紛、
昭和22(1947)年に発生した大火
歴史ある建物や神社仏閣、町屋や商家が多く失われ、
平成23(2011)年の東日本大震災に於いても
藩政期の名残りを留める土蔵が倒壊する等、
幾多の苦難に見舞われながらも
複数の商家や土蔵が今に残り、かつての栄華を伝えています。

また海沿いには海産物店や食事処が集まる
那珂湊おさかな市場
那珂川を渡ってスグのところには隣町・大洗町の
アクアワールド茨城県大洗水族館といった
観光施設が近接し、
ひたちなか市を代表する観光エリアの一つとなっています。

今回はそんな港町の風情溢れる那珂湊の、
歴史と名所に触れる「お散歩」、
その模様をお届けします♪

那珂湊駅を出て、那珂湊散策へと出発した私。
大正時代築&昭和ロマン溢れる駅から歩きだすと・・・
那珂湊 1

那珂湊 2
これまたどこか懐かしさを覚える、「昔ながら」の港町の風景。
以前訪れた琴浦町を思い出す。

そんな集落を通り抜けた先、町を見下ろす高台が最初の目的地。
そこで私を待っていたのが・・・
那珂湊 3
山上門

江戸時代、水戸藩が江戸に於ける拠点とした
小石川邸(現在の文京区小石川町)の
正門右側に置かれていた門で、
江戸後期に朝廷からの勅使を迎え入れるために
特別に設けられた門。

現在小石川邸内の建築物はこの門を除き全て
失われており、
江戸藩邸の姿を今に伝える唯一の遺構となっています。
山上門」の名称は、後に小石川邸内の山上
移築されたことが由来となっています。
那珂湊 4
門の形態は、江戸後期の屋敷門に多用された形式・
薬医門(やくいもん)

前面に立てられた本柱と後方を支える控柱の間に
二つの柱を渡す束を置き、
そこに両端を切り欠いた切妻屋根(きりづまやね)を載せたもの。

昭和11(1936)年、那珂湊出身の弁護士・深作貞治氏が
陸軍省より払い下げを受け、現在地へと移築
同32(1957)年に当時の那珂湊市に寄贈され、
大切に保存・管理されています。

水戸藩が政治の表舞台に立った幕末には、
信州(長野県)松代藩の兵学者・
佐久間象山(さくま しょうざん、「ぞうざん」とも)や
肥後熊本藩士・横井小楠(よこい しょうなん)、
「西郷どん」こと薩摩藩士・西郷隆盛(さいごう たかもり)、
幕臣で伊豆韮山の代官を務めた
江川英龍(えがわ ひでたつ)、
越前福井藩の思想家・橋本左内(はしもと さない)といった
各藩や幕府の有力者たちもこの門を潜ったと言われており、
その意味でも大変貴重な建築物。

現在山上門を含めた丘陵部分は、
あづまが丘公園として整備され、
この門はその正面入り口としての役割も兼ねています。
那珂湊 5
厳粛な気持ちで山上門を潜り、
階段を上がったところで見えて来る、二つの塔。
これは那珂湊反射炉跡
戦乱の気配漂う幕末の世、当時の水戸藩主が
諸外国との戦いに備えて、大砲を造らせた施設の跡。

反射炉とは、石油や重油、ガス等を燃料とした火炎
炉内に噴射し、天井からの反射熱で金属などを加熱し溶錬する、
金属溶解炉の一種。

建設当時、「黒船」を始めとする
外国船の度重なる来航は、
幕府だけでなく諸大名家にとっても大きな脅威となりつつありました。

それはここ那珂湊を治めていた水戸藩も例外ではなく、
時の藩主・徳川斉昭(とくがわ なりあき)は
領内沿岸地域に海防のための砲台を築くことを企図。
そこで用いる大砲を鋳造するため、ここに反射炉が建造されました。

反射炉建設に当たっては、建設・運用のノウハウを持つ
大名家の協力を仰ぎ、那珂湊の大工や瓦職人といった
人々の尽力の甲斐あって、安政2(1855)年に1号炉
同4(1857)年に2号炉が完成に漕ぎ着けました。

完成した反射炉は高さおよそ15m、
耐火煉瓦約4万枚が使用されたと言われています。

こうして完成を見た「虎の子」の反射炉でしたが、
元治元(1864)年に起こった元治甲子の乱※によって
破壊

その後遺構は更地となっていましたが、
昭和12(1937)年に復元模型が落成。
当時の姿を伝えるとともに、
近代化を推し進めた水戸藩の事績を讃えています。

※元治甲子の乱(がんじこうしのらん)
・・・別名「天狗党の乱」。
尊王攘夷(天皇を敬い、夷狄(外国人)を排除せよという思想。
水戸藩内から発生し、諸国へと広まっていった)を掲げ、
日米修好通商条約によって開港した横浜の、即時鎖港を求める
一部の志士たちが筑波山にて挙兵(俗に「天狗党」と称す)。
水戸藩領内や各地で幕府や水戸藩保守派勢力と武力衝突の末に
鎮圧された事件。
那珂湊 6
反射炉稼働当時のイメージ図。
扉に開けられた穴から高熱の火炎を送り込み、
内部に発生する反射熱によって金属を溶かす。
そして発生した煙は上部に伸びた煙突から排出、
という仕組みになっていたようです。
那珂湊 7
模型の前には、ここで製造されていた物と同型と思しき、
大砲が置かれています。
那珂湊 9
反射炉跡の近くに在るこちらの構造物は、
煉瓦焼成窯(れんがしょうせいがま)の復元模型。

反射炉建設に当たっては、高熱に耐えうる耐火煉瓦が必要不可欠。
そこで耐火煉瓦を焼成する施設として、
隣接地に登り窯が造られました。

この窯で焼かれた煉瓦の数、実に4万枚
地元の職人の手で焼かれた耐火煉瓦が、
「国防の要」たる反射炉建設を支えていました。
那珂湊 10
窯の内部。
ここで作られた煉瓦は約1,200℃~1,600℃
高温にも耐えうるもので、現代の耐火煉瓦に近いものだったそう。

100年以上前の技術で、現代のそれに迫る品質のものを作る・・・
先人たちの知恵と工夫に、脱帽。
那珂湊 8
反射炉跡付近からの眺め。
木立の間から覗くのは、那珂湊の町並みや、
那珂川の悠々たる流れ!
那珂湊 11
あづまが丘公園を後にして、海側へと向かう。
途中で見えて来たのは、一級河川・那珂川(なかがわ)

栃木県那須岳(標高1,915m)山麓を水源とし、
那須野平原に出てから流れを変えつつ
箒川緒川桜川などの支流を呑み込みながら水戸市へと至り、
ひたちなか市と大洗町の間で太平洋へと注ぎ込む。

150km(支流も含めると1,485km)の総延長、
茨城県・栃木県と福島県の一部を含めたおよそ3,720㎢の
流域面積は、いずれも関東有数の規模。

河口にほど近いこの辺りでは、その流れは緩く、穏やか。
大きく広がった河道の向こうは、水戸市域となっています。
那珂湊11.5
散策の途中で見付けた、趣ある建物。
ここは稲葉屋菓子店という和菓子屋さんで、
店舗は明治20(1887)年の築。

丸く黒光りする手作りのあめ玉・反射炉のてっぽう玉
名物とのことで、それを楽しみに立ち寄って見たのですが・・・
どうも不定期の店休日に当たってしまった様子。残念。
那珂湊 12
那珂川沿いに歩いて行くと、次のお目当てが見えて参りました!
那珂湊 13
那珂川の河口付近、美しいアーチ部材と
真っ赤な塗装が目を引く、海門橋(かいもんきょう)

昭和34(1959)年に完成した同名の橋としては5代目に当たる
橋梁で、全長407.8m、幅は竣工時7.5m、歩道追加後9m。
桁下高は建設当時盛んだった遠洋漁業の漁船が通過できるよう、
15mの高さが取られています。
那珂湊 14
橋の構造は、上部が路面部材に剛性を持たせ、
それをアーチ状の部材が補助する単純下路ランガー
土台部分は鋼材をIの字状に組み上げ、それをコンクリートで覆う
単純合成鈑桁を組み合わせた形式。

当初は有料道路としての開業でしたが、
昭和55(1980)年に茨城県と当時の那珂湊市、
大洗町が金銭を負担する形で日本道路公団から
茨城県へと移管、
茨城県道108号那珂大湊線の一部として無料化されました。

現在ではひたちなか市と大洗町を繋ぐ生活道路・
観光道路として、多数の車両が行き交っています。
(歩いて渡ることも出来ます!)
那珂湊 15
逆光気味ながら、橋の「裏側」をパシャリ。
橋に掛かる負荷を支える鋼材が、規則正しく組み合わされています。
架橋から60年に渡って海門橋を支え続ける、
影の功労者!
那珂湊 26
橋の向こう側には、「世界一の大洋」・太平洋
台風が沖合を通過した影響からか、
激しく波打ち寄せる荒れ気味の姿ではありますが、
大洗上陸以来約1年ぶりに目にする大海原!

なんだか感激!
那珂湊 16
グルっと回り込み、橋の上へ。
最高地点までは、結構な傾斜が続きます(汗)
那珂湊 17
共に太平洋に面した港町である、那珂湊と大洗町。
歩道部分にはこの地域で獲れる海産物を描いた
タイルがはめ込まれ・・・
那珂湊 18
手すり部分には魚を彫ったレリーフが取り付けられています!
「港町」の情緒を感じる、素敵な演出♪
那珂湊 19
赤いアーチが目の前まで来れば、
高さ15m、橋の最高地点に到達!
那珂湊 20
橋の中間地点には、名所や見晴らしの良い場所に付きものの
「幸せの鐘」的スポットが設けられています。
その名もキラキラドリームベル
ステキなほどに安直なネーミングである。

曰く「夢や希望を唱えながら、友達・家族・恋人と一緒に
この鐘を鳴らすと・・・想いが叶う、と言われている」そう。
一体誰が言い出したんだ
那珂湊 21
海風に揺れる鐘。
その下に取り付けられたボードには、
これまた素敵な言葉が添えられています。
「夢」や「希望」をガンガン押し出した「ありがたいお言葉は」、
名前通りキラキラ全開!一人旅には眩しすぎる(笑)
那珂湊 22
ともあれ地上15mからの眺めは、素晴らしい!のひとこと。
キラキラドリームベル」付近からは、
那珂湊の町並みに・・・
那珂湊 23
大洗町側の観光ホテルやアクアワールド茨城県大洗水族館
眺めて・・・
那珂湊 24
前面には、荒波立てる太平洋
那珂湊 25
上流方向は、こんな感じ。
二手に分かれている河川は、右が那珂川本流
左が支流の涸沼川(ひぬまがわ)。

陸地も左(画面端)大洗町、正面は水戸市、
右手にひたちなか市と、三又に分かれています。
その向こうに見える山影、左手に在るのが筑波連山でしょうか?

この後は元来た道を引き返し
(渡り切ってしまうと、大洗町に入ってしまいます 笑)、
次の場所を目指します。

次回は港に面して鮮魚店や食事処が
軒を連ねる観光スポット・那珂湊おさかな市場へ!

さまざまな海産物が並ぶ市場の様相と活気、
新鮮素材を用いた海鮮料理の数々をお届けします。
それでは!
那珂湊 14.5
海門橋のたもと、海辺に立てられた

不思議な立地と2灯のみの特異な造り、
那珂川を向いた設置方法からすると、
海へと出入りする船舶用のものでしょうか?

参考:WEB歴史街道
    国土交通省 関東地方整備局|常陸河川国道事務所・
    公式ホームページ
    Weblio辞典
    wikipedia
    コトバンク

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詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。