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鉄道博物館3 ~国鉄時代の車両たち 1~

普段ならば一つ概略をまとめるために調べものをして、
それを記述→後は写真に沿ってつらつらと・・・
といった感じで書き進めているのですが、
今回の「鉄道博物館編」はそうも行かず、
「一形式分検索→まとめる→書く→また調べる
→まとめる」・・・といった風に、
なかなか手間と時間が掛かってしまい、
思うように進まない(汗)

まだ「横須賀旅」も残っているのですが、
果たして目標としていた冬休みまでに
片付くのやら・・・

ともかく進めて参りましょう!
前進せねばどうにもならない!

さて、前回まで「我が国最初の鉄道車両」・1号機関車から
「アプト式」・ED40まで、日本鉄道黎明期の車両たちを
取り上げて参りましたが、
今回は場面転換!

国鉄体制が固まってから登場した蒸気機関車(SL)や
電気機関車、寝台列車といった車両たちを
取り上げて参ります!
鉄道博物館 2-25
「鉄道ステーション」の中心、広く取られた空間に据えられているのは、
車庫に収められた車両や折り返し運用に就く機関車等を
方向転換させるための、転車台

今日の鉄道シーンではほとんど失われ、「車両ステーション」の、
引いては鉄博そのもののシンボルとも言える
場所に陣取っているのが・・・
鉄道博物館 3-1
C57形蒸気機関車SL
かつて日本の鉄道網の主役を担い、
今でも高い人気を誇る「鉄道のシンボル」・蒸気機関車(SL)を
代表する形式の一つ。

登場は昭和12(1937)年。
優等列車を始めとする旅客列車牽引用テンダー機関車として、
当初はC55形の増備車として製造される予定だったのですが、
・ボイラ―使用圧力の上昇
・それにともなうシリンダー直径の縮小
・動輪の形態変更(スポーク動輪からボックス動輪へ)
等々の設計変更により、新形式として新たに起こされることとなったのが、
このC57形です。

製造年次によって1次~4次まで形態が分けられており、
鉄博で保存されている135号機は、
昭和15(1940)年に製造された2次車に当たります。

始めは群馬県・高崎機関区(のち高崎第一機関区へ分割・改名)へ配属され
旅客列車牽引に当たっていましたが、
昭和27(1952)年に小樽築港機関区へ貸し出されて以降は
北海道に定着。
室蘭機関区→岩見沢第一機関区と所属を変えながら、
厳しい自然環境に晒される北の大地を走り続けました。

運用最終年となる昭和50(1975)年には、
人気アイドル・山口百恵さんと漫画家・加藤芳郎(かとう よしろう)さんが
出演したN〇Kの特別番組で、
ロケのために走った列車の牽引を担当。

そして同年12月14日、
国鉄最後の蒸気機関車牽引列車の牽引機として
この135号機が充当され、
同機の、そしてSL最後となる花道を飾ることとなりました。

「SL最終列車」運転の翌日、135号機は休車となり、
翌昭和51(1976)年3月を以て正式に廃車
岩見沢第一機関区及び北海道総局、C57形、
さらに(動態保存機を除いて)国鉄最後のSLとなりました。
総走行距離数は325万3,253km。

現役車両としての生涯を終えた135号機は、
同年のうちに保存のため本州へ輸送。
大宮工場での解体整備を経て、交通博物館に収蔵されました。

平成19(2007)年、交通博物館閉館に伴い、
鉄道博物館開館へと移設。
国鉄最後のSLとして、その優美な姿を留めています。
鉄道博物館 3-2
ボックス動輪の採用とそれまでのC型SLと比較して
細長いボイラーがもたらす優美なシルエットから、
貴婦人と称されるC57形。
(「貴婦人」の定義については諸説あり)

135号機は2次車として製造されたグループに当たり、
戦中の設計のため、
従台車※の簡素化やテンダー台枠の材質を鋳鉄から木板に変更する等、
資材・工程の削減が図られています。

また1次車と比べてボイラーが大型化されているのも、
特徴の一つ。

またこの135号機では、雪国での運用に対応するため
大型のスノープラウ(雪かき)が
装着されています。

※従台車・・・曲線通過を容易にするため、
        動輪の後方に配される小径の車輪。動力は無い。
鉄道博物館 3-3
「貴婦人」の疾走を支えた、1,750mmのボックス動輪
「C型」であるC57には、3つの動輪が装備されています。
間近で見ると、すごい迫力!
鉄道博物館 3-4
運転台を見上げて。
形式名と車両番号を記した銘板の下には、
製造を担当した三菱重工神戸造船所の銘板。
その下に最大積載量と空車時の重量が記載されています。

右側には所属区所が記入されていますが、
「岩」は最終所属となった「岩見沢第一機関区」の略号。
(運転台は立入不可となっていました。残念!)
鉄道博物館 3-5
続いてもファンからの人気が高い車両、
EF55形電気機関車 1号機

昭和11(1936)年、東海道本線での優等列車牽引用に
製造された機関車、そのトップナンバー。
外観上で目立っているのが、シャープで滑らかな曲線を描く
流線形の前頭部。

当時鉄道車両のデザインとして世界的に流線形が
流行っており、
国内でも国鉄・私鉄問わず流線形の前頭部を持った車両が
次々と生まれていました。

EF55形開発の際ももその流行が取り入れられ、
前後両面を流線形にするという案もあったそうですが、
牽引する客車との隙間が大きくなってしまうため、
結局前位側にのみ流線形デザインを施すことで
運用に投入されています。
(そのため後位側は垂直に切り立った、前位側とは全く異なった
見た目となっています(写真なし))

投入後は東海道本線の特急「つばめ」、「富士」など
花形列車や他の旅客列車、
手荷物や小荷物を運ぶ「小荷物列車」等の運用に就いていましたが、
当時の最高速度(95km/h)では流線形による空力効果が薄かったこと、
必須となった終着駅での方向転換や保守に手間が掛かることから、
製造は僅か3両で打ち切りとなりました。

戦後の昭和27(1952)年には東海道本線
列車単位が増加したことから高崎線へと転属
旅客列車や貨物列車の牽引に従事した他、
各種試験に供されることもありました。

1960年代に入ると保守の不便や方向転換の手間などから
次第に運用が減らされ、同形機は相次いで廃車・解体
1号機も解体こそ免れたものの、
昭和39(1964)年に運用を退くこととなりました。
鉄道博物館 3-6
本形式最大の特徴となっている、流線形前頭部。
その秘密は、当時最新の技術であった電気溶接
この技術を活用することでそれまで部品の接合に不可欠だった
リベットやボルトといった接合・締め付け部品を廃し、
滑らかな曲線と平滑な車体成形を実現。

前面や側面に施された飾り帯も相まって、
一体的でスピード感溢れるデザインとなっています。
鉄道博物館 3-7
正面から見ると、なかなか愛らしい表情のEF55形

実はこの車両、廃車から20年あまりが過ぎた昭和61(1986)年に
一度復活を遂げており、
その際フィンランド人作家、トーベ・ヤンソン氏の作品・ムーミンの
登場キャラクターに見た目が似ていたことから、
ムーミンの愛称を授かっています。
(現役時代は「ドタ靴」(喜劇王・チャップリンが喜劇映画の劇中で
履いていた、大振りの靴)や「靴のお化け」等、
なかなかな言われっぷりだった模様)

復帰後はイベント列車を中心に各地を走行。
交通博物館閉館時には中央本線旧万世橋駅跡に展示されるなど
人気を誇っていましたが、
平成21(2009)年のさよなら運転を最後に2度目の引退
平成27(2015)年より鉄道博物館で保存・展示されています。

僅か3両のみの存在であった同形式では、
1号機が唯一の現存機となっています。
鉄道博物館 3-8
続いても人気の高い形式となります、
EF58形電気機関車

終戦直後の昭和21(1946)年、激増する旅客需要に対応し、
牽引用電気機関車の不足を補うべく製造が開始されました。

当初は前後にデッキを設けた従来の流れを汲んだデザインでしたが、
終戦直後故の資材不足から来る代用部品や簡易構造、
それによる粗悪な品質などが災いし、
故障や事故が頻発。

結果31両が就役した昭和23(1948)年、
EF58形は製造中止へと追い込まれてしまいます。

こうして命脈を絶たれたかに見えたEF58ですが、
昭和27(1952)年に情勢の変化が起こります。
それは首都圏と群馬県都・高崎を結ぶ高崎線電化

この一大事業によって、首都圏と群馬県、
さらにはその先の上越地方までを直結する
長距離列車の運用が可能となりました。

EF58形は製造初期から車軸の回転による負荷を受け止める
軸受(じくうけ、要はベアリング)という部品に、
新開発のローラーベアリング(コロ)を採用して、
車軸と軸受の摩擦を減らすことで長距離運転を可能とする
機構が採られていました。

そこでEF58を再生産することで、
高崎線上越線信越本線を介した都心~上越地方の直通列車、
さらには全線電化開業が迫る
東海道本線の各旅客列車に充当することが
計画されたのです。
鉄道博物館 3-9
かくして大復活を遂げたEF58
昭和27(1952)年から生産再開されたその姿は、
初期型(俗に「旧EF58」と呼ばれる)とは大きく異なるものでした。

改良型車両では前後に置かれていたデッキを
廃止することで、
客車に暖房用の蒸気※を供給するためのボイラーを内蔵。
これに対応するため、
改良型では電車並みの19mにも及ぶ大型車体を採用。

さらに電装品や各種機器類も新規設計や設計変更、
取り付け方式の見直しや追設など、
別形式とも言える大改造が施されました。

こうして高速性と長距離踏破能力、
さらには信頼性を獲得したEF58は、
投入目的である東海道線高崎線上越線の他、
西は山陽本線から宇野線呉線紀勢本線阪和線
東は東北本線黒磯以南(「宇都宮線」区間)まで、
各地の直流主要路線を網羅することとなりました。

※暖房用の蒸気・・・旧来の客車は蒸気機関車から発生した余剰な蒸気を
             循環させることで車内を暖める、「蒸気暖房」を採用。
             電化後もしばらくはこの「蒸気暖房」が暖房設備の主流であり、
             電気機関車に蒸気暖房を発生させるための「暖房車」を連結する
             必要があった。
鉄道博物館 3-10
現在鉄道博物館で保存されている89号機は、
生産再開後の昭和31(1956)年に製造された車両で、
高崎線上越線東北本線を主な活躍の場としていました。

それらの線区は冬には降雪と酷寒に見舞われる地域。
そこで寒冷地向けの車体には、
トンネルの天井からぶら下がるつららで窓ガラスが破損することの無いよう、
つらら切りと呼ばれる大型の庇が装着されています。
(前照灯下の構造物がそれ)

また1950年代末から進められた客車の電気暖房化に合わせ、
89号機を始めとする寒冷地向け車両では、
暖房用ボイラーを降ろして電源供給設備を搭載する
改造工事が施されています。
(長大車体を採用した意味がない!などと思ってはいけない)

かつては青大将色と呼ばれる東海道線優等列車牽引機向けの
塗色を施され、特急「つばめ」の上り一番列車を牽引した
経歴を持つ89号機も、昭和59(1984)年に引退。

大宮工場で廃車になる・・・かと思いきや
「つらら切り装備」という特徴が幸いし、
動態保存機として現役続行
「お召仕様」として知られる61号機とともに
イベント列車の牽引機として活用され、
平成11(1999)年までの長寿を全うしました。

引退後は例のごとく大宮総合車両センターで保存され、
旧型機関車の象徴ともいえる茶色ぶどう色)塗色に復元の上、
平成19(2007)年より鉄道博物館で保存されています。
鉄道博物館 3-11
今回最後のご紹介!
このカラーリングを目にしたことのある方も多いのではないでしょうか?

この車両は、20系客車
昭和33(1958)年、夜行特急列車の近代化と、
特急車両に相応しいサービスの提供を目的として開発・製造された、
ブルートレインの元祖と言える存在。

それまでの客車列車は、
運用可能な車両を必要に応じて連結するという、
雑多ともいえる運用方法が採られていましたが、
20系では編成を列車単位で固定する
固定編成客車という運用思想を導入。

列車ごとに編成や両数を固定することで、
編成内にサービス電源用の発電機を搭載した電源車を連結し、
全車両への冷暖房の完備と、
食堂車の電化を実現しました。(集中電源方式)

居住性に関しても、2重窓の取り付けによる騒音の低減や
空気ばね付き台車、横揺れ防止ダンパーの搭載により、
従来車からの大幅な改善・向上が図られています。

こうした画期的で快適な居住空間から動くホテル
走るホテルとも称され、
東京・関西~九州間、上野~青森間、大阪~青森間など、
各地に夜行特急列車網を構築。
ブルートレインの名は、夜行列車の代名詞ともなりました。

室内空間に付いては、車体の寸法を
建築限界ギリギリ※まで拡大。
そのため屋根は丸みを帯びた形状となっています。

※建築限界・・・交通の安全を確保するため、障害となる
          工作物や構造物の設置が許されない空間範囲

当初は寝台車・座席車などが混結された編成を組んでいましたが、
昭和39(1964)年の新幹線東海道新幹線)開業を期に、
夜行特急の全列車寝台化へと方向転換。
それに合わせて製造されたのが、このナハネフ22形です。

そのトップナンバーに当たる「ナハネフ22 1」は、
先述の通り「オリンピックイヤー」である昭和39(1964)年に登場。
特急「あさかぜ」を始め九州方面の特急、
東北方面の特急・急行列車に充当された後、
昭和61(1986)年に廃車

長年鎌倉総合車両センターで保存されていましたが、
同センターの閉鎖(2006年度)を期に
鉄道博物館へ移設されました。
鉄道博物館 3-12
車内の様子。
ナハネフ22形は、定員6名のコンパートメントを備えた
B寝台車
昼間はこのように3名ずつの座席として
利用されていますが・・・
鉄道博物館 3-13
夜になると乗務員が各コンパートメントを回って、
座席を寝台へと転換
鉄道博物館 3-14
3段式の寝台が現れます!
現在走るサンライズエクスプレスや、
トランスイート四季島トワイライトエクスプレス瑞風
ななつ星in九州といった「クルーズトレイン」と比べると
随分狭く感じられますが(後年の「2段式寝台」と比べても狭い!)、
これが当時の最先端

・・・ああ、子供の頃に一度だけ乗った寝台特急・「あかつき」を
思い出す・・・
(そちらは「2段式」でしたが)
鉄道博物館 3-15
下段では、寝間着を着たお客さんが、お休み中。
夜汽車にお酒・・・酔い組み合わせ♪

夜行列車の居住性向上と夜行列車網の構築に大きな役割を果たした
「レジェンド」・20系
しかし70年代後半からの後継車両(14系24系)の登場と
設備の陳腐化によって、追われるように急行運用に転出。

晩年は多客期や季節に合わせた臨時列車などに活躍の場が限定され、
次第に運用も減少。
平成9(1997)年のさよなら運転を最後に、現役を退きました。

どんなに素晴らしい車両でも、必ず終わりの時が来る・・・
進化と淘汰、それもまた鉄道の一つの在り方なのかも知れません。

次回もまだまた続きます、「鉄道博物館編」!
お次は20系の隣でズラリと並ぶ・・・
鉄道博物館 3-16
これらの車両を取り上げます。
それでは!

参考:鉄道博物館 ホームページ
            館内説明板
    機関車データベース デゴイチよく走る!
    wikipedia

Twitter:https://twitter.com/Nori86651955
インスタグラム:https://t.co/vjjvOaZqEn?amp=1

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。