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鉄道博物館6 ~深き色合いは高貴の証。御料車~

到着早々職場が臨時休業となり、
2週間もの休みとなってしまいましたが、
今週からようやくお仕事再開!

多忙のため投稿頻度は大幅に低下してしまいますが、
次の旅のため、生活のために、張り切って行きますよ―!!
鉄道博物館 4-16
前回記事では「お召し仕様」の装飾が施されたC51形まで
ご紹介したところで、
「何故この車両にこの装飾が為されているのか?」
というところを伏せたまま今記事に持ち越した訳ですが、
その答えは、これからご紹介する車両たちに隠されています!

という訳で、まずは・・・
鉄道博物館 6-1
コチラの車両をご覧ください。
細やかな装飾と重厚な造りが目を引くこの車両。

これは御料車(ごりょうしゃ)と言って、
天皇・皇后両陛下を始めとする皇室の方々が
公用やご旅行の際にご乗車なさるための、
専用列車

現在ではお召し列車とも称され、
戦前から時代ごとに用意された車両がその大任に充てられ、
「お召し列車」としての運転の際には
前回記事でもご覧頂いたような装飾を
車両前面に掲出するのが「しきたり」となっています。
(現在の「お召し車両」は、JR東日本所有のE655系)

ここ鉄道博物館では、戦前の明治~大正期に掛けて
製造された車両たちが展示されており、
いずれも単なる鉄道車両の域に止まらず、
歴史的・美術的・文化的資料としても
いずれも大きな価値を持っています。
(ただしガラスケースで厳重に保護され、
かつ奥まった場所に置かれているためか、
拝観する(気づく)人は少なめ)

まずご紹介するのは、
7号御料車

大正3(1914)年、大正天皇の即位礼に備え、
大正天皇および貞明皇后(ていめいこうごう)両陛下の
御乗用車両として製造された御料車。

車体構造は鉄道院が製造していた基本形客車(中形ボギー車)をベースに
前後3つずつの車輪を備えた3軸ボギー車として、
屋根は一段目の上部中央にもう一段の屋根を備えた、
ダブルルーフとなっています。
(写真の角度からでは分かりづらいですが)

全長20.677m、車体幅2.591m、高さ3.778m、
重量35.35t。

外板はチーク材の厚板を横張りにして
平滑に仕上げ、深紅色の漆を塗ったうえで
金の装飾が施された、
控え目ながらも品格を備えた外観。

車内は中央に両陛下がお寛ぎになられた御座所が置かれ、
それを境に前位側に天皇陛下に、
後方に皇后陛下に関わるお部屋が配される
構成となっています。
鉄道博物館 6-2
保護ガラス越しではありますが、車内の様子。
車両前位側は先ほど述べた通り、大正天皇に関わるスペース。
前方から御厠(おかわや、いわゆるトイレ)、御化粧室(おけしょうしつ)と続いています。

特徴的なのが、その隣に設けられた
御剣璽奉安室(ごけんじほうあんしつ)という部屋。

室内に置かれた棚は神剣神璽(しんけんしんじ)、
すなわち天皇の位に在ることを証明する
三種の神器(さんしゅのじんぎ)の内
草薙剣(くさなぎのつるぎ)と
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を
安置するための部屋。
(残る八咫鏡(やたのかがみ)は、賢所乗御車(かしこどころじょうごしゃ)という
専用車両で移送されていました。
仲間外れにされた訳ではない)

後身の車両にも作られたこの部屋は、
この7号御料車が初採用だったそう。

一方写真の広めの部屋は候所(こうしょ)と言って、
天皇陛下にお仕えする侍従が控え、
伺候(しこう)するための場所。

昔風に言うなら「家臣の控室」といった役割ではありますが、
しっかりと「天皇家の格式」を感じさせる装飾が
施されています。
鉄道博物館 6-3
そしてこちらが、両陛下がお寛ぎになられた御座所
7号御料車の「メイン」とも言える部屋となります。
写真に写る、窓に背を向けるように置かれた一対の椅子が、
まさに大正天皇ご夫妻がお座りになられた御座席
鉄道博物館 6-4
窓越しでは分かりにくいかと思うので、
掲出されていた室内の様子をドン!
(これでも分かりにくいか 汗)

格天井が見下ろす室内は、随所に螺鈿(らでん)や蒔絵、
ビロード等の装飾が施され、
とっても豪奢

皇室専用車として、また両陛下の御座所としても
相応しい造りとなっていました。
鉄道博物館 6-5
一方車両後位側は、皇后がお使いになられたスペースが主体。
御座所の隣には、侯所と対するように皇后に仕える
女官室(にょかんしつ)が同等の間取りで作られ、
客室最後尾に御厠(トイレ)を配置。

写真の部屋は皇后が休むための
御化粧室兼御休憩室となっていました。

この「7号御料車」は20年ほど皇室専用車として用いられ、
昭和天皇の即位式の際には予備車として待機。
昭和10(1935)年に廃車となりました。

その後は大井工場(現・東京総合車両センター)内の
「御料車庫」にて保管。
(交通博物館や読売ランドで展示されたこともあったとか)
鉄道博物館開館後は保護ガラスに守られながら、
人々に皇室専用車の造りと役目を教えています。

昭和42(1967)年、鉄道記念物指定。
鉄道博物館 6-6
続いてご紹介するのは、9号御料車

大正3(1914)年、7号御料車、8号御料車(後述)とともに製造された車両で、
7号御料車に食堂を設けることが出来なかったため、
御料車として初めてとなる、
独立した食堂車として落成しました。
(「現存最古」の食堂車だったりする)

7号御料車同様鉄道省基本形客車がベースとなっており、
3軸ボギー台車・ダブルルーフを備えている点も共通。
全長19.991m、車体幅2.591m、高さ3.778m、自重34.40t。
鉄道博物館 6-7
早速ですが、客室最前方に置かれた休憩室
名称からすると、食事を待つ間、天皇・皇后夫妻が
待機した場所でありましょう。

左手に見える扉の先、廊下に面して化粧室と厠が設けられ、
小規模ながらも「7号御料車」に準じた機能が
整えられていたのが分かります。
鉄道博物館 6-7.5
休憩室の隣は料理人休憩室。
そしてその隣がこちら、御料理室(おりょうりしつ)
両陛下にご提供する食事を作った厨房となったのが、
まさにここ。

皇室お付きとして選ばれた腕利きの料理人たちは、
鉄道車両ないの限られた空間で、
皇居内と同様に
「日本最上の位を持つ貴人に磨き上げた己の料理を
お出しする」というプレッシャーと戦いながら、
鍛え上げた技術と閃きをその一皿一皿に
込めていたことでしょう。

そうして出来上がった料理は写真右手の小窓から
隣の「献立室」へと受け渡され、
そこから「ゲスト」たちが待つ「御食堂(おしょくどう)」へと
提供されたと思われます。
鉄道博物館 6-8
そしてここが、両陛下がお食事を摂られた
御食堂(おしょくどう)

「食堂車」といえど、そこは一般庶民の利用するそれとは
隔絶された世界。
天井は格天井、内装は全ての用材を使い、
螺鈿や蒔絵、漆がふんだんに装飾として施されています。
鉄道博物館 6-9
「御食堂」内部。
「7号御料車」同様の華美な造りで、
内壁は色を使わず漆を用いることで、
桑材の木目を生かした仕上げとなっているそう。

奥に見える一対のは、
全て刺繍で出来ているのだとか。
(ここでも職人さんの技が光ります)


鉄道博物館 6-10
続いては、12号御料車

大正13(1924)年、健康状態の優れない大正天皇に代わり
摂政官として政務を執っていた、
裕仁親王(ひろひとしんのう、後の昭和天皇)の
御召車両として落成。

従前の御料車と同じく3軸ボギー台車・ダブルルーフを持つ
大型客車で、
全長20.06m、車体幅2.8m、高さ3.924m、自重36.42t。
御料車としては最後の木製客車
当たります。

昭和44(1969)年、鉄道記念物指定。
鉄道博物館 6-11
早速ですが、車両前方に御座所が登場!
それまでの御料車では車両中央部に主要な部屋が
設けられていましたが、
この「12号御料車」では侍従らが控える「次室」の次に
御座所が置かれています。
(病床に在るとはいえ父帝・大正天皇がご存命であり、
裕仁親王は即位前であった、ということも
関係しているのでしょうか)
鉄道博物館 6-12
御座所内部。
内装も「7号御料車」とは異なり、
螺鈿・蒔絵や格天井は用いず
絹張りの天井やシンプルな洋風の装飾でまとめられ、
窓下にはクスの柾材が張られています。

「御座所」の次は、
裕仁親王が寛ぐためのスペース・御休憩室

実はこの車両、当初皇太子御乗用車として造られたため、
草薙剣と八尺瓊勾玉を安置するための御剣璽奉安室が
設けられていません

のちに裕仁親王が「昭和天皇」としての即位後も
この「12号御料車」を御乗用車となされたため、
休憩室の一角に御剣璽奉安所を設けることで
対応しています。
鉄道博物館 6-13
裕仁親王(昭和天皇)が身だしなみを整えた、
御化粧兼御召換室(おけしょうけんおめしかえしつ)
鉄道博物館 6-111
室内は御座所と同様の様式で仕上げられ、
小テーブルと鏡を備えた化粧台
絹ビロードを張った椅子が置かれています。

また水差しや部屋を暖めるスチーム暖房も用意され、
裕仁親王が快適に過ごすための環境が整えられていました。

「12号御料車」は落成後、昭和天皇の御大礼の際に
お召し列車として充当され、
昭和7(1932)年に「初の鋼製御料車」である
1号御料車(2代目)が落成した後も
予備車として運用され、
昭和34(1959)年に廃車。

廃車後は東京総合車両センターで保管されていましたが、
鉄道博物館開館に伴い、移設されました。
鉄道博物館 6-16
大正~昭和期の御料車群の最後尾を飾るのは、
10号御料車(全景を撮り忘れていました。申し訳ない 汗)

大正11(1922)年、イギリス皇太子、
エドワード・アルバート公
(のち国王エドワード8世、退位後ウィンザー公)来日に際し、
11号御料車(食堂車)、スイネ28110(寝台車)とともに製造されました。
(当時日本イギリスの間には「日英同盟」が結ばれており
(翌年失効)、その相手国の国賓として招かれた
アルバート公への、特別なもてなしが感じられます)

車体は「12号御料車」と同じく3軸ボギー台車・ダブルルーフを備えた
大型客車で、
全長20.0m、幅2.880m、高さ3.904m、自重34.50t。

外板には深紅色の漆が塗られ、
落成時は金の装飾が施されていたそう。

内部は展望室の他、
御休憩室や御化粧室、随行員が控える供奉員室(ぐぶいんしつ)、
供奉員化粧室、車掌室などが設けられていました。
鉄道博物館 6-17
展望室内部の様子。
「展望車両」の用途に沿い、
側窓には当時の鉄道車両としては最大級となる、
幅約1,200mmの大型窓を採用。

天井部や天井側部には絹を部材として用い、
側部には雲取と呼ばれる技巧を凝らした絹に、
金箔を装飾。
さらに鶴が飛翔する姿が刺繍によって表現されており、
実に華美な印象を与えます。

その他にも木製部分にはニス塗のマホガニー材
蒔絵を施した天井灯のガラスカバー等、
モダン文化が花開いた大正時代を象徴する造り。
鉄道博物館 6-18
客車最後尾に置かれた、開放式の展望デッキ

「御料車」を象徴する存在として、「10号御料車」には
エドワード・アルバート公以外にも他国の賓客が乗車。
イギリスのグロスター公爵ヘンリー王子、
シャム(現・タイ王国)国王ラーマ7世夫妻、
満州国皇帝愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ)といった面々も、
この展望デッキから流れる日本の風景
眺めたことでしょう。
鉄道博物館 6-14
この「10号御料車」で興味深かったのが、
客車内に3室用意された、供奉員室(ぐぶいんしつ)

ここで言う供奉員とは、
行啓する天皇に随伴し、祭祀等の実務を行う人物。

その「供奉員」に充てられたこれらの部屋には
長椅子・洗面台・鏡が設置されており、
室内の様子はどことなくかつて寝台列車(ブルートレイン)に
連結された、A寝台個室
思い起こさせる。
鉄道博物館 6-15
供奉員室内の様子。
鉄製の洗面台は収納可能な構造とされており、
限られたスペースを活用しようという試みは、
やはり後年の寝台個室に通じるものがあります。
(あるいは「御料車」で試された技術や工夫が、
一般車両へフィードバックされることも
あったのでしょうか)

賓客をもてなす「展望車両」として、
欠かせない存在であった10号御料車。
そんな貴人用車両も終戦後は進駐してきた
連合国軍に接収され、
連合国軍司令官専用列車(オクタゴニアン号)に組み込まれました。

昭和26(1951)年に接収は解除され、
復帰が叶った10号御料車。
しかし復帰後御料車として使用されることは無く、
昭和34(1959)年に廃車

昭和40(1965)年には解体されそうになりましたが、
関係者による保存運動が功を奏し、
昭和44(1969)年に鉄道記念物指定。
「鉄道文化財」として、後世に残されることとなりました。
(10号御料車と同年に製造され、
御料車として、連合国軍専用列車として苦楽を共にしてきた
「11号御料車(食堂車)」は、
昭和41(1966)年に惜しまれながら解体)
鉄道博物館 6-19
ちょっと時代を遡りまして、明治時代製の2号御料車
(初代)

九州各地に路線網を展開していた私鉄・九州鉄道(初代)が
のファン・デル・チーペン社に発注し、
明治24(1891)年に輸入。
小倉製作所(現・小倉工場)で組み立てが行われた、
御料車唯一の私鉄発注車両

車体は木製、2軸の車輪とモニタールーフ※を備え、
全長8.19m、幅2.54m。
裾絞りを設けた車体幅の広いヨーロッパ風の車体に
開放デッキを設け、
室内は御座所・厠(トイレ)・次室で構成されています。

元が外国製なだけあり、全体的に洋風な意匠
仕上がっているのが印象的。
昭和38(1963)年、鉄道記念物指定。

※モニタールーフ・・・換気目的で屋根の棟部分を開き、
             その部分に一段高い屋根を設ける形式。
鉄道博物館 6-20
車両前後に設けられた、開放式出入り台

車両への乗降に使われたスペースで、
展望台ではないものの、手摺り部分には洋風の凝った装飾が施されています。
客室側に取り付けられた、当時としては珍しい曲面ガラスにも
ご注目!
鉄道博物館 6-21
分かりにくいですが、御座所の様子。
瀟洒な洋館で見られるようなカーテンで取り巻かれた室内は、
天井を琥珀織り、腰部分に褐色のビロードを張り、
窓周りや扉にはチーク材を使用。

3脚の椅子の他に製造元・製のテーブルが
置かれました。
鉄道博物館 6-22
この「2号御料車」、車体側面に「皇室専用車の証」である
菊花紋章が残されています!
(他の車両は、台座のみの状態)

かつてはこの車両も、この紋章を輝かせながら
近代化途上に在る日本の鉄路を駆け抜けたことでしょう。

明治天皇の御乗用を想定して導入された、2号御料車。
明治35(1902)年熊本県で行われた陸軍大演習に際し、
念願叶って御召車として御乗用
製造目的を達することとなりました。

初代九州鉄道が国有化された後の
大正2(1913)年に廃車。
同12(1923)年に東京へ送られ国鉄大井工場にて
保管されていましたが、
鉄道博物館開館に合わせて「1号御料車(初代)」とともに
移設・展示されています。
鉄道博物館 6-23
「2号御料車」の隣、白2色の色遣いがまぶしい、
1号御料車(初代)

明治9(1876)年、京阪間の鉄道路線開業に備え、
工部省鉄道寮神戸工場にて製造されました。
当初は「形式AJ」と称されていましたが、
明治44(1911)年に現名称に改められています。

車体は木造、アーチ屋根を設けた2軸車で、
全長7.34m、全幅2.16m。
側板はペンキで彩色された一枚張りで、
金粉で竜の文様が描かれています。

車内は玉座と4つの椅子が置かれた御座所、
厠、御座所を挟むように設けられた2つの次室という構成。
(撮り忘れてしまったため、室内の写真はなし 汗)

この車両で面白いのは、列車の主・明治天皇から
列車の停止・徐行・適度な速度といった上意を
牽引機の機関士へと伝える
運転制禦装置(うんてんせいぎょそうち)が
取り付けられた点。

実際明治21(1888)年に浦和(現・さいたま市)で開かれた
演習をご覧になられた帰りには、
停車場脇で埼玉県尋常師範学校(現・埼玉大学教育学部の
前身の一つ)生徒たちが行っていた
兵式体操と障害物競争を上覧するため、
この装置で列車を止めたこともあるそう。

明治31(1898)年の3号御料車(初代)が落成した後は
地方線区へと回され、
大正2(1913)年に廃車。

廃車後は大井工場にて保管され、
昭和11(1936)年に鉄道博物館(のちの交通博物館)に
移設され、展示されていました。

昭和33(1958)年に鉄道記念物に、
平成15(2003)年には国の重要文化財に指定されています。
鉄道博物館 6-25
今記事最後のご紹介!
8号御料車!・・・の一部。

大正天皇妃・貞明皇后(ていめいこうごう)の
御乗用車として、大正5(1916)年に大井工場で製造されました。
鉄道院基本型客車に則った、3軸ボギー台車・ダブルルーフを持つ
木製客車で、
全長20.677m、車体幅2.591m、高さ3.778m、自重35.48t。

外装は外板にチーク材を用い、
深紅色の漆を塗った上でで装飾が施されています。

室内は前位から候所、厠、御休憩室、御座所、
女官室、宮中で食事や儀式の饗膳を司った官吏・
大膳職(だいぜんしき)が控えた大膳室から
構成されていました。

車両の中心となる御座所は絹張りとして、
金箔ビロード、螺鈿細工を施した
煌びやかな装いで、
主となる貞明皇后も、皇后専用車に相応しい同車の装いを、
気に入っておられたそう。

昭和8(1933)年に鋼製の2号御料車(2代目)が登場するまで
使われ続けた同車でしたが、
太平洋戦争末期に破損

大井工場内で朽ち行くままに放置されていましたが、
結局昭和31(1956)年に解体

ただ皇后に仕えた女官たちが控えた
女官室(にょかんしつ)だけは保存状態が良かったためか
解体を免れ、
交通博物館を経てここ鉄道博物館にて展示されています。
鉄道博物館 6-24
暗いですが、室内の様子。
(私が写っちゃってますが、気にしないでください 笑)

見える範囲では重厚な造りの椅子一対とテーブルが
残されています。
付き人のための部屋とはいえここは皇室専用車両。
設備に手抜かりは無い様子。
鉄道博物館 6-26
壁面~天井部分。
こちらも「御座所」同様絹張りとされ、
細やかな装飾が施されています。

なおこの「女官室」ですが、
交通博物館での修復・展示に当たって手直し
行われたそうで、内部装飾は製造当時とは
異なっているとのこと。

「日本最高位の貴人」の御乗用車として、
最高峰の技術と日本国土で培われて来た伝統工芸が
凝らされた、特別な車両・御料車。

今もなお受け継がれる伝統と技術は、
人々の「羨望と誇り」となって、
皇室の権威と家格を国内外に示し続けています。

次回は再び「国鉄車両」に戻りまして、
今もなお現役で稼働する車両を持つ、
2つの機関車をご紹介!
それとともに、貨物列車として牽引されていた貨車と車掌室、
戦後の東海道本線で花形となる特急列車に
連結されていた、豪華展望車両の姿もお届けします。
それでは!

参考:鉄道博物館 ホームページ
            解説パネル
    wikipedia

Twitter:https://twitter.com/Nori86651955
インスタグラム:https://t.co/vjjvOaZqEn?amp=1

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。