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鉄道博物館7 ~大動脈を駆けた機関車たち~

これまで経験して来た生活サイクルと180度異なる
夜勤体験をやっとこさ乗り切り、
来週に備えて再度「昼型」への転換作業真っただ中の、
ac802tfkです。

仕事再開以降すっかり投稿ペースが落っこちてしまった
「鉄道博物館編」ですが、
来週あたりには終わらせるべく鋭意進行して参りますので、
ご拝読のほどよろしくお願いします!
(ああ・・・予定がどんどん後ろ倒しに・・・)
鉄道博物館 6-19
前回は「日本国内最高位の貴人」・天皇陛下御乗用の
専用列車・御料車の様子をたっぷりお届けしましたが、
今記事では明治・大正から昭和の国鉄車両へと、
時計の針を進めます。
鉄道博物館 7-1
まずはコチラ、481系の隣に鎮座し、
真っ赤な塗装銀の飾り帯が目を引く、
ED75形電気機関車

昭和38(1963)年、首都圏と東北地方を結ぶ大動脈の一つ・
常磐線高萩駅平駅(現在のいわき駅)間
電化に合わせて投入された、
交流専用電気機関車

スペック
全長 14,300 mm (基本番台)
全幅 2,800 mm (基本番台)
全高 4,017 mm (基本番台)
運転整備重量 67.2 t (基本番台)
最高速度 100km/h
定格出力 1,900kw

技術的には北陸本線日豊本線で運用された
交流機・ED74形をベースとしながらも、
より広範囲での運用を想定した汎用性に優れた設計として、
各種搭載機器類をブラッシュアップ。

勾配区間で大容量の貨物列車の牽引が求められる
東北本線での運用も考慮し、
2両の機関車での重連運転に備えた総括制御を盛り込み、
外見上では前面中央部に貫通扉が設置されました。

外装塗色は、赤色2号と呼ばれる交流機関車の標準色。
鉄道博物館 7-2
用途や運用線区、製造年代によって
細かな番台区分が存在するED75形

ここ鉄道博物館で展示されている775号機
昭和46(1971)年~同51(1976)年に掛けて製造された
700番台と呼ばれるグループの一両で、
昭和50(1975)年製の車両。

700番台が投入された奥羽本線(おううほんせん)・
羽越本線(うえつほんせん)は
日本海沿いの旅客・貨物輸送を担う重要路線。
しかし日本海沿海地域では降雪地帯故の厳しい寒さに加え、
冬期の北西風による塩害という、
鉄道車両にとって大敵とも言える過酷な自然環境が有りました。

そこで700番台では従来の番台で屋根上に搭載されていた
一部機器を、車体内部へと収納
それに合わせて機器室内の電装品は小型化・軽量化
図られました。

また正面下部に開けられていた通風孔の廃止、
飾り帯の簡略化や尾灯の取り付け方法の変更、
パンタグラフの小型化等、
徹底した塩害・雪害対策が採られています。
鉄道博物館 7-3
前頭部に輝く、寝台列車(ブルートレイン)の
ヘッドマーク

昭和46(1971)年に奥羽本線秋田~青森間が電化されると、
新製されたばかりの700番台も同区間での
旅客・貨物列車牽引に従事。

その中にはこのあけぼの(上野-青森間)や
日本海(大阪‐青森間)の牽引も含まれており、
これら寝台特急牽引機の大任は、
同形式にとっては「花形」と呼べるものでした。

以後昭和47(1972)年の羽越本線全線電化
同50(1975)年の奥羽本線電化完成を受け、
700番台90両が秋田機関区(現・秋田車両センター)へ
配置され、
山形‐青森間の広い運用範囲をカバーしながら、
その区間では大半の旅客・貨物列車の牽引
担当することとなりました。
鉄道博物館 7-4
後位側から。
交流線区向けの「標準型」として計302両が製造され、
北海道から東北地区常磐線
さらには九州地区にまで投入されたED75形

しかしながらより広範囲をカバーできる交直両用機・EF81形
運用範囲拡大や夜行列車貨物列車の削減、
普通列車の電車化気動車化などによって
JR化を前に運用が大幅に減少

さらにJR世代の交直流電気機関車(貨物専用)・
EH500形の増備もあって、
平成24(2012)年にはJR貨物から引退

JR旅客各社へと継承された車両も廃車が進行し、
現在ではJR東日本秋田車両センターに2両、
仙台車両センターに3両の、
計5両(いずれも700番台)が
残るのみとなっています。

保存車両である775号機奥羽本線等で
旅客列車・貨物列車の牽引に従事した後、
平成19(2007)年に廃車
後はお察しの通り、鉄道博物館へ移設・展示されています。
鉄道博物館 7-5
続いては「撮り鉄」からの注目度が日に日に高まりつつある
こちらの形式、
EF66形電気機関車

昭和43(1968)年、東海道山陽本線系統の
高速貨物列車牽引を目的として開発された、
直流専用電気機関車
スペック
全長 18,200 mm
全幅 2,800 mm
全高 3,872 mm
機関車重量 100.8 t(めちゃ重!)
最高運転速度 110km/h
定格出力 3,900kw

EF66形が開発された1960年代当時、
東名・名神高速道路の整備により、
鉄道貨物輸送のライバルとなる
トラック輸送が急速に版図を拡大しつつありました。

そんなトラック便の脅威に対し、
国鉄では最高速度100km/hで
大量・高速に貨物列車の牽引が可能な機関車として、
まず試作機となるEF90形が登場。

その試験・運用結果を基に開発されたのが、
量産車となるEF66形
そのスペックは1,000tの長大貨物列車を最高100km/hで運転可能で、
前出のED75形(1,900kw)を大きく上回る
3,900kwという定格出力は、
軌間1,067mmの狭軌鉄道としては当時世界最大という
破格なもの。

これによって従来EF65形の重連となっていた
高速貨物列車をEF66形1両
牽引することが可能となり、
同形式は一躍大輸送路の主役となりました。

昭和60(1985)年以降、こちらもEF65形と交代する形で
はやぶさ」「富士」「さくら」「あさかぜ」等の
寝台特急(ブルートレイン)牽引にも充当。

JR化後の1989(昭和64/平成元)年には、
貨物列車増発用として
車体塗色と前面デザインを改めた100番台が登場。

力強い走りで東海道山陽路を
疾駆する姿は、鉄路の日常風景として定着することとなりました。
鉄道博物館 7-6
それまでの機関車から、大きく一新された前面デザイン。
運転台は運転手からの視認性を高めるため、
従来の機関車よりも一段高い高運転台構造を採用。
それまで運転台上に置かれていた灯器具は、
前面下部へと移設されています。

中央部を突出させ、上下に傾斜角を設けた流線形の前頭部は、
スピード感と同形式が持つパワーを表現した、
同時代の特急電車を彷彿とさせる秀逸なデザイン!

灯器具の間には通風孔を兼ねた
ステンレス製の飾り帯を配置することで、
主力列車牽引機に相応しい高級感を醸し出しています。
鉄道博物館 7-7
EF66形の100tにも達する本体重量を支え、
3,900kwの大パワーを軌道へと伝達していた台車たち。

製造初期の「1次車」として新製された保存車両(11号機)には、
試作車・EF90形用のものをベースとした
DT133A形(両端用)、DT134A形(中央部用)をそれぞれ搭載。
改良型を装備した後続車両および増備車・100番台ともども、
同軸6軸を備えた「F級」機関車にカテゴライズされています。

保存車両・EF66 11は製造初期に
1次車として登場した車両で、
貨物牽引一筋に生き、
廃車後はJR貨物広島車両所で保存。

その後展示用としてJR東日本へと譲渡され、
整備を受けた上で鉄道博物館に収蔵されました。
鉄道博物館 7-8
展示車両の前方では、
EF66形に搭載されていた、
巨大な動輪とモーターが展示されています。

EF66形専用に開発されたこれらの機器は、
輪心・タイヤ・歯車が一体となった、特殊なもの。
駆動方式にはモーターが輪軸に直接吊り下げられた
中空軸可撓吊り掛け駆動方式
(ちゅうくうじくかとうつりかけくどうほうしき)が採用され、
必要とされる高速走行に対応。

各動輪に一つずつ、合計6個搭載されたモーター類は
それぞれ従来車の1.5倍もの出力を発揮し、
EF66形の出力を、
狭軌向け車両としては当時世界最大
かつ国鉄車両史上最大のものとして
記録せしめることとなりました。

絶大なパワーと牽引力、
高速性能で日本の大動脈を席巻した、EF66
JR化後も100番台による増備や
基本番台のリニューアル等主力車両として位置づけられていた
同形式ですが、
2000年代以降その活躍にも翳りが。

それまで貨物列車牽引に加えて同車を「花形」たらしめていた
山陽・九州方面への寝台特急は、客車の老朽化や新幹線網の整備による
需要の後退により、
平成21(2009)年、「富士・はやぶさ」を最後に廃止
牽引に当たっていたJR西日本所属車は、
翌22(2010)年を以て廃車に。

さらにJR貨物所属車も、
2010年代以降老朽化とEF210形電気機関車の増備によって
次第に運用を退き、
今や原型そのままの姿を留める0番台は
「ニーナ」の愛称で呼ばれる27号機のみ

さらに33両が製造された100番台も、
今年に入って104号機廃車・解体
0番台はもちろんのこと、
もはやEF66そのものが絶滅危惧種となりつつあります。
鉄道博物館 7-9
EF66 11の後ろには、現役時代ペアを組んでいた
貨車たちが連結されています。

こちらはコキ50000形
昭和46(1971)年、高速道路網の伸長と貨物トラックの
輸送量増加に対抗すべく、主要幹線の高速貨物列車用として
開発された大型貨車の、
トップナンバー(コキ50000)

この系列では昭和41(1966)年に登場したコキ10000系
導入されたフレートライナー方式を受け継ぎ、
貨物列車からフォークリフトでそのまま積み下ろしが出来、
協働体制を取るトラック便で速やかに配送が可能な
コンテナでの個別輸送を採用。

車体構造はコキ5500形コキ10000系をべースとしながら、
積載能力を高めるために車体長を20,400mmへと延長
5t積みの12ftコンテナ5個、もしくは10t積みの20ftコンテナ3個を
積載可能となっています。

最高速度は特急貨物列車に対応した95km/h
のち改造によって100km/h、110km/hの運転速度に対応した
番台区分も発生しています。
(250000番台・350000番台)

コキ50000形国鉄分割民営化後もJR貨物へと継承され、
主力車両として活躍していましたが、
製造から年数が経過したこと、後継車両(コキ107形)の登場によって
平成30(2018)年を以て定期運用を終了

このコキ50000JR貨物大宮車両所での整備ののち
鉄道博物館へ収蔵され、
EF66 11とともに展示されています。
鉄道博物館 7-10
台枠上に積載された貨物たち。
JR貨物国鉄のコンテナが同居した光景が、
保存車両ならでは。
鉄道博物館 7-11
コキ50000形の後ろに控えているのは、
レムフ10000形貨車

昭和41(1966)年と同44(1969)年に製造された、
冷蔵車
製造年代からもうお察しのことと思いますが、
この形式が開発されるきっかけとなったのも、
やはりトラック輸送の増加

この「鉄道輸送の脅威」に対抗すべく、
国鉄ではこれまた九州‐関西・首都圏を最高100km/hで走行し、
海産物を速やかに産地→大都市圏へと輸送可能な
冷蔵車両の開発に着手しました。

そこで兄弟車として開発されたのが、
「10000系貨車」に属するレサ10000形と、
このレムフ10000形

両形式の共通仕様として、
車体の振動を抑え、安全・安定した積み荷の輸送を可能とする
空気ばね台車TR203形、
電気回路で素早くブレーキ指令を伝達し、
積み荷の重量に関わらず所定の距離で減速・停止が出来る
応荷重式自動空気ブレーキを装備。

また車軸に搭載された軸箱を筒形ゴムで包むことで、
部品が擦り合わさってしまう部位を軽減しています。

なお両形式で異なる点は、
対応可能な荷重(レサ10000形は24t、レムフ10000形は16t)のみ。

主要諸元
全長・・・13.7m
自重・・・25.4t
荷重・・・16t
形式記号
レ・・・冷蔵車
ム・・・積載重量14~16t
フ・・・緩急車(車掌室・手ブレーキ付き)
鉄道博物館 7-11.5
レムフ10000形内部。
鮮魚の輸送に当たっては車内をドライアイスで冷やし、
時間経過による品物の劣化を防止。

また車体には断熱構造が用いられ、
車体色に白を採用しているのも
太陽熱の吸収を防止するためと、
徹底して外気温の介在を排除しています。
鉄道博物館 7-12
別の冷蔵室では、積み込みの様子が再現されています。
鉄道博物館 7-13
箱に書かれた「下関」の文字。

レムフ10000形はレサ10000形とともに
幡生(下関市)-東京市場間の「とびうお」、
博多港-大阪市場間の「ぎんりん」といった
特急鮮魚貨物列車に充当され、
東海道山陽本線を最高100km/hで走行。
全国的に鉄道冷蔵車が衰退へと向かう中、
一定の成果を残したそう。

しかし昭和50年代も後半へ差し掛かると、
トラック輸送への移行がさらに進行。

レムフ10000が充当されていた特急鮮魚貨物列車の両数削減
各地の市場に隣接した貨物駅の閉鎖
列車自体のコンテナ化など逆風が吹き荒れ、
ついに昭和61(1986)年のダイヤ改正を以て
レサ10000形・レムフ10000形はともに廃車

鮮魚専用貨物列車は姿を消すこととなりました。
鉄道博物館 7-14
レムフ10000形の後尾に搭載された、車掌室

国鉄の貨物列車では昭和60(1985)年の廃止まで
列車の後部に車掌車の連結や車掌室の設置が行われ、
運行中の列車検査や事故時の列車防護措置を講じる
車掌が乗務していました。

レムフ10000形が充当された高速貨物列車では
従来のような車掌車での対応が出来ないため、
冷蔵車と同じ台枠上に車掌室を設置。
このような車掌車・車掌室を持つ列車は緩急車と呼ばれました。
鉄道博物館 7-15
車掌室内部。
中に置かれているのは車掌が業務に当たるための
椅子や机、室内を暖めるためのだるまストーブ等。

また必要に応じて手動で制動を掛けるための
手ブレーキも、
この車掌室に装備されていました。

ぱっと見は「宿直室」のような趣ですが、
一晩駆け続ける列車の運行管理を請け負う
車掌職は、苦労も多かったとか。
鉄道博物館 7-16
今記事最後にご紹介するのは、マイテ39形

戦前の昭和4(1929)年より当時の鉄道省によって
開発・製造された旧式客車群・スハ32系
(便宜上の名称であり、正式名ではない)のうちの一両。

昭和5(1930)年、東京‐下関間の特急「富士」に
連結される一等展望車として製造されました。
当初の形式名はスイテ37010形。

車体は従来の木造客車の枠を脱した20m級鋼製車体で、
台車は3軸ボギー式。
屋根は重厚感と換気性をもたらす二重屋根(ダブルルーフ)。

製造後は日本の大動脈である東海道山陽本線特急
シンボルとして編成最後部に連結されていましたが、
戦時中は使用停止

戦後の昭和24(1949)年、東京‐大阪間で復活した
東海道本線特急へいわに充当(翌年「つばめ」に改称)され、
昭和25(1950)年度には乗り心地を改善したTR73A形台車への換装、
同28(1953)年には冷房化改造が施されるなど、
戦後復興の象徴として活躍。

昭和35(1960)年、一等車廃止(二等級制へ)により
「マロテ39形」に改称。
同時に特急「つばめ」が電車化(151系に置き換え)されたことから
団体用に転用されたものの、
製造後30年あまりが過ぎた昭和37(1962)年までに
全車廃車となりました。

保存車両の「11」は、
廃車後東京都青梅市の青梅鉄道公園に保存された後、
製造元である東京総合車両センター(旧大井工場)にて保管。

鉄道博物館の開館に伴い移設され、
車内の閲覧が可能な状態で展示されています。
鉄道博物館 7-17
編成最後尾に「展望車」として連結された、マイテ39。
展望デッキと「富士」のヘッドマークが輝く後位側とは対照的に、
編成他車と連結する後位側は、
ご覧の通り一般的な客車然とした見た目。
鉄道博物館 7-18
この客車のスゴいところは、その内装

目玉となる最後部の展望室部分には
外国人観光客誘致を目的とした、
(戦前から「観光キャンペーン」的なことをしていたのか、と驚き!)
桃山式と称される豪華な内装が展開。

柱や天井は純和風の漆塗りとされ、
各部に金色の飾り金具を置いて、
和様な空間が構築されています。
鉄道博物館 7-20
重厚で眩いその造りは、
鉄道車両と言うよりは、城の御殿のよう!
確かに外国人が喜ぶ「The・日本」といった趣。

なおこの「桃山式」の内装ですが、
戦後は日本人乗客から霊柩車と呼ばれる不評ぶりで、
「マイテ39 11」は定期運用を外され予備車となり、
メインの運用にはもっぱら洋式内装の「21」と、
戦時中の損傷から洋式内装に変更されていた「1」が
充てられていたそう。

・・・なんだか可哀想。
鉄道博物館 7-21
1階車両ステーションは、これにて(ようやく?)終わり!
絶景待ち受ける2階へと向かいます!

参考:鉄道博物館 ホームページ
            解説パネル
    wikipedia

Twitter:https://twitter.com/Nori86651955
インスタグラム:https://t.co/vjjvOaZqEn?amp=1

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。