fc2ブログ

記事一覧

横須賀旅7 ~ヴェルニー公園・その2~

幕を開けた2021年もあっという間に一日が過ぎ、
残り364日。
限られた生、限られた時間の中で一体何を残せるか、
どれだけのことが出来るのか。

問い掛け、挑み続ける中で、
答えを見つけることはできるでしょうか。
ヴェルニー公園 2-1
「軍艦の見える公園」・ヴェルニー公園巡り。
海辺を望む公園から見えるのは、軍艦だけではありません!
市街地側へと目を向けますと・・・
ヴェルニー公園 2-2
ショッピングモール・コースカベイサイドストーリーズを
始めとする、横須賀市街地の風景。
ヴェルニー公園 2-3
一方で軍施設の名残りを感じさせるのも、やはり横須賀。
こちらの一対の洋風建築物(一方は修復工事中ですが)は、
逸見波止場衛門跡
(へみはとばえいもんあと)

旧海軍横須賀軍港逸見門の衛兵詰所として
使われていた建物で、高さは約4m。

鉄筋コンクリート造の八角形の本体部分、
その外壁をレンガ色のタイル張りとして、
その上に銅板で葺かれたドーム型の屋根を載せています。

建築年代は明治~大正期と推定されており、
かつての軍施設の、また近代日本の建築様式を窺わせる
貴重な現存建築。
(美しい外見で軍施設の一部だった、
というのがなんとも皮肉ですが)
ヴェルニー公園 2-4
足場に覆われていない右側の詰所を、じっくり観察。
鉄筋コンクリート造とのことですが、パッと見ではそれを感じさせない
見事な装飾が施されています。
下から上に向けて変化して行く色使いもgood。

屋根と突き出した庇の組み合わせが、
なんだか野球帽のよう。

外側に向けて表札が掲げられていますが、
こちらの建物には「軍港逸見門」と、
工事中の左側は「逸見上陸場」と書かれています。
ヴェルニー公園 2-5
内部は一切の物が撤去され、殺風景が広がります。
外壁のような装飾がなされていないのも、
よりその印象を強めているようにも思えます。

いまでこそ市民や観光客の「憩いの場」となっている
ヴェルニー公園ですが、
かつてはここも軍服をまとった軍人たちが行き交う
軍施設の一部であり、
ここに立つ衛兵が道行く人や出入りする者たちに
厳しい目を光らせていたのでしょう。
横須賀軍港は「大和」や「武蔵」等の主力艦艇も
出入りした重要な港。
チェックが大層厳しいものであったろうことは、
想像に難くありません)
ヴェルニー公園 2-6
バラが主役の公園ですが
ヴェルニー公園 2-7
他にも色鮮やかな花々に・・・
ヴェルニー公園 2-8
水溢れる噴水と、目を楽しませ、癒しを与えてくれる要素が
いっぱい!
ヴェルニー公園 2-9
公園中央、開明広場(かいめいひろば)には、
横須賀製鉄所造船所。のち海軍施設)の計画と建設に携わった、
日欧の人物を顕彰した銅像(胸像)が建てられています。
ヴェルニー公園 2-10
まずは左側の人物、
フランソワ・レオンス・ヴェルニー

江戸幕府が保有する洋式軍艦の修理と新造艦の建造を
目的として計画した造船施設・横須賀製鉄所
建設するに当たり、その責任者として招かれた人物。
ここヴェルニー公園由来となった人でもあります。

1837年、フランス・アルデシュ県オブナにて出生。
長じてパリ理工科大学、次いで海軍造船学校に進み、
技術者としてフランス海軍に入隊。
中国で砲艦建造に携わっていた折、
駐日フランス公使レオン・ロッシュより、
日本赴任の話が持ちかけられます。

慶応元(1865)年に来日したヴェルニーは、
幕府側の担当者らと製鉄所設立原案を作成し、
製鉄所約定書を交わすと、
機材購入等のためにフランスへ一時帰国

諸手配を進めながら外国奉行柴田剛中(しばた たけなか)ら
全権大使一行を案内し、正式に雇用契約締結
使節団の中には若いヴェルニーの手腕に疑問を呈する者も
いましたが、
技術者として優れた才と働きぶりに、
やがて彼を認めるようになったといいます。

慶応2(1866)年に再来日したヴェルニーは、
横須賀製鉄所首長として、
西洋の技術だけでなく技術者としての
思想や文化も導入。

造船所の建設に当たり、日本で初めてとなる
メートル法が採用された他、
職人に対しての奨励給、
作業時間や休日といった雇用規則の制定、
近代的工業簿記の導入など、
一技術者に止まらぬさまざまな近代的思想を
もたらしました。

またヴェルニーは明治政府樹立後も
「日本初の洋式灯台」となる観音崎灯台や品川灯台の建築、
レンガの製造、近代建築や水道工事など、
造船以外にもさまざまな技術を日本にもたらし、
明治9(1876)年に帰国

フランス帰国後は海軍勤務や鉱山経営などに勤しみ、
1908年、71歳で死去。

西洋の様々な技術と文化を持ち込み、
日本の近代化、のちの強国化への道筋を付けたヴェルニー。
彼こそ近代日本の父
言えるのではないでしょうか。
ヴェルニー公園 2-11
続いて「右の人」、
激動の幕末を生きた幕臣・小栗上野介忠順
(おぐりこうずけのすけ ただまさ)

文政10(1827)年、幕臣・小栗忠高(おぐり ただたか)の子として
江戸・駿河台にて出生。
通り名は幼名の「剛太郎(ごうたろう)」、
小栗家代々の名乗りである「又一(またいち)」。
「上野介」は官名。(吉良上野介が有名ですね)

幼少期より文武に秀で、幕府への出仕後も才腕を発揮していた忠順。
そのまま一幕吏として一生を終えるかと思われましたが、
嘉永6(1853)年、マシュー・ペリー率いる
4隻の軍艦が浦賀沖に現れた
黒船来航)ことから、彼の人生は一変。

1860(安政7/万延元)年、ペリー来航時の経験
(詰警備役として、全権代表ペリーとの交渉に当たっていた)を買われ、
大老・井伊直弼(いい なおすけ)より
日米修好通商条約批准のために派遣される
遣米使節団目付役
(めつけやく。代表たちを監視・監督する役目)に任命され、
米船・ポーハタン号に乗船して2ヶ月の航海を経て渡米

条約批准に際して日米でズレが生じていた
交換レートの検証や対米交渉にその手腕を発揮。
その成果は幕府や彼の意向に沿うものとは
ならなかったものの、
異国での見聞や体験が、のちに彼を開国と造船所建設へと
突き動かす原動力となりました。

帰国後は幕閣内を二分する開国派と攘夷派
(外国人を打ち払い、「鎖国」へ立ち戻ろうという思想)が対立する中、
製鉄所(造船所)建設の必要性を説き、
フランス公使・ロッシュを通じて
ヴェルニーを建設指導者として招聘。
後世日本の近代化への道筋を付けることとなりました。

その後もフランスとの協力関係を活かして幕府軍の強化や
経済政策に手腕を発揮していた忠順でしたが、
慶応3(1867)年に将軍徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)が
大政奉還を決行し、
次いで鳥羽伏見の戦い
戊辰戦争が幕を開けると、再び状況は一変。

江戸城に籠もって新政府に対して恭順の意を示す
将軍慶喜に、忠順は徹底抗戦を主張。
このことが慶喜公や幕府重臣たちの不興を買い、
役職を罷免されて
所領である上野国権田村(現 群馬県高崎市)へ退去します。

しかし主戦論を説いた「危険人物」である忠順を
新政府軍が許すことはなく、
捕縛されたのち烏川畔にて斬首
享年42。

明晰な頭脳と果断で混迷の幕府を動かし、
近代日本の礎を築いた小栗忠順。
「大人物」ともなりえた傑物の最期は、
あっけないものでした。

しかし彼が発揮した見識と先見性は、
間違いなく「近代国家・日本」の血潮となって
現代にも流れるものであり、
彼の存在なくば、あるいは近代化を果たす前に
「時代遅れの島国」は
西洋列強に食われていたかも知れません。
ヴェルニー公園 2-12
ここからは、再びお花紹介

「大和撫子」を思わせる、
上品でありながら控えめな色合いのこちらの花は、
玉かずらという日本原産バラ

花の見ごろは5月・8月・10月。
数輪の薄桃色の花を株いっぱいに咲かせ、
微量な香りを持つのが特徴。

花もちが良く、にも強いのだとか。
これまた「大和撫子」のようなしとやかさが
見えるよう♪
ヴェルニー公園 2-13
お次は「玉かずら」とは対照的。
鮮やかな濃ピンクに頂部の白が眩しい、
ジュピレ・デュ・プリンセス・ドゥ・モナコ
(長い・・・汗)

フランス原産の種で、見頃は5・6月・10月・11月。
見頃になると花色が白~鮮紅色に変化する、
たいへん華やかなバラ
樹勢が強く育てやすいのが特長。

モナコ公国の国旗(と白)を思わせる花色から、
前モナコ大公・レーニエ三世の即位50周年
(1999年)を記念して、2000年に贈呈されました。

なるほど、名前と経緯を知ると確かに、
貴国の王女を思わせる、華やかでいて品のある出で立ち。
(まあ、実際にそんな貴人を目で見たことは
ありませんが 笑)

幕末~明治に掛けて、近代日本の礎となる技術をもたらした
ヴェルニーと、
幕府を動かし、彼の招聘へと結びつけた小栗忠順。

彼らの熱意と努力の結晶である横須賀製鉄所造船所)は、
名前を変えつつ今も現役で稼働しています!
ヴェルニー公園 2-14
それがこちら、公園内から見える米海軍施設
そこに点在する1~3の番号を割り振られた
ドライドック(艦船の修理を行う施設)3基のうち、
1号・2号ドックが製鉄所造船所建設当時のもの。
(1番ドックは画面外になってしまっています。
すみません 汗)

このうち明治4(1871)年に完成した「1号ドック」は、
日本最古となる西洋式の石造ドック。
ヴェルニー公園 2-15
「1号・2号ドック」の内景。
現代の大型艦船用のものと比べると小ぶりにも思えますが、
小型艦艇には十分な規模と言えるのではないでしょうか。
ヴェルニー公園 2-16
明治初期に撮影された、ドライドックの様子。
建造、あるいは修理の最中でしょうか?
蒸気式の客船と軍艦が、
それぞれ入渠しているのが分かります。

当時「西洋列強にも負けない」と言われた頑強な設備は、
手を加えられながら建設から百数十年が経過した今も、
十全にその機能を果たしているようです。
(もっとも現在これらのドックを使用しているのは、
かつての「敵軍」だった米海軍ですが)
ヴェルニー公園 3-1
花を愛で、歴史に触れられる海辺の苑・ヴェルニー公園
次回に続きます♪

参考:ヴェルニー公園 公式ホームページ
    そらいろネット 人物事典‐三浦半島観光地図
    Wikipedia

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。